登山中に滑落事故で頭を打った俺は、漆黒の髪を持つウマ娘と『お友だち』に助けられて奇妙な世界に迷い込んだのだけど、これからどう生きればいいんでしょう? 作:たたたった
「あの……コーヒーをどうぞ……」
「んっ……あぁ、ありがとう。ちょっと混乱してしまって……」
登山口の休憩室で項垂れている俺にマンハッタンカフェと呼ばれる、『ウマ娘』なる漆黒の髪色の美少女に缶コーヒーを貰う。幸いなことに、世界を跨いでもパイプを咥えたダンディなオジサンは健在であり、舌に染み渡る缶コーヒーの味は変わっていなかった。
「今、『お友だち』が山に住む幽霊たちにお話を聞いて回っているので、もしかしたら元の世界へと帰る方法を見つけ出せるかも知れません……ですからしばらくはここでお休みください……」
「うん、そうするよ……この世界に俺の居場所なんてないからね……」
最初に気付いた違和感。ウマ娘専用レーンなるものが道路に敷設され、ウマ娘なる存在たちが駆け抜けるのを見てからはこの世界が俺の居た現実でないことに気付いたのだ。
それは見覚えのない標識、ウマ娘が写っているポスター、自動販売機には見知らぬメーカーの飲み物が並び、登山前に繋がっていたスマホは圏外のまま、まさに都市伝説の異界系の物語に迷い込んだような現象に見舞われて俺は大きく混乱し恐怖した。
現実が足元から崩される感覚、正気と狂気の境目が曖昧になった俺の精神を引き戻してくれたのは、隣に座るマンハッタンカフェであった。まだ知り合って一時間もしないような男の手を握り、ただ静かにこの世界に住む住人にとっては狂言としか思えない話に真剣に耳を傾けて、一つ一つと俺の起きている現状を整理して、俺が狂ってないということを持ち物から客観的に証明してくれた。
「それにしてもよく俺の話を真剣に聞く気になったね……君の立場だったら俺は逃げるよ」
「誰にも理解されないことは……私にも経験があります……他の人は違う見え方をするせいで、距離を取られたり……気味悪がられたり……そんな自分の世界を否定される辛さは痛いほどに知ってるんです……だから、私は私と『お友だち』を肯定してくれるアナタを見捨てて逃げようとは思いませんでした……」
「そうか……ありがとう」
マンハッタンカフェの言葉は酷く実感の籠っているものであった。俺の世界でも幽霊が見えると主張すれば周りから白い目で見られるように、この世界においてもマンハッタンカフェの『お友だち』が見えるということで、家や学校でどんな風に思われているのか考えて憂鬱な気分になる。
「でも、今はトレセン学園に入学してからはトレーナーや変わった知り合いが出来て…………一人じゃなくなりました」
「…………変わった知り合い?」
「はい……本当に変わったウマ娘で、奇妙な薬品を作っては人体実験として周りのウマ娘たちに飲ませているんです」
「おぉ……それはヤバい」
それは変わっているというよりイカレているの間違いじゃないかと思ったが、そのウマ娘の話をするマンハッタンカフェはどこか楽し気で俺は言いだしそうになった言葉を飲み込むが――
「ふふっ、でも飲むと身体が発光したりする薬って本当にどうやって作るんでしょうね」
――この世界の常識に関してはほとんど無知な俺ではあるが、そんな薬を作るようなマッドサイエンティストとは関わりを持たない方が良いんじゃないかと思わずにはいられなかった。
「アナタの世界にはウマ娘は居ないと聞きましたが、あのウマなる生き物がレース場で競争をしているんですね……なんだか不思議です。私の知っているウマ娘と同じ名前の子がレースで走っているのですから……」
「そこはパラレルワールドのような……馬がウマ娘だったらっていうIFの世界なんじゃないかな?そうなると今の俺の身に起きている現象はSF的なモノなのか……」
「すいません。もう一度、ウマの写真を見せてもらえませんか……?なんだか見ているとあの姿が心にしっくり来るんです…………なんででしょうか?こんなに身体の形も全然違うのに……」
マンハッタンカフェは俺のスマホに入っている馬の写真や動画を魅入られたように見つめていた。写真も動画も友達と競馬場に行った時に撮影した、お世辞にも綺麗に写っているとはいえないモノであるが、それでも何度も何度も競馬場を走る馬たちの姿を眺めている。
その間、俺はマンハッタンカフェのスマホでこの世界について調べていた。
馬とウマ娘ってやっぱり繋がってるのかな……ウマ娘にはウマソウルが宿っていて名前はそのソウルから名付けられると聞くと……というか身体能力差がヤバいなコレ。
軽自動車とはいえ大柄なウマ娘が持ち上げている力自慢の映像や、最高時速70km以上で駆け抜けていくG1レースのウマ娘たち。レース以外にも格闘技で戦っているウマ娘など、蹴りだけでそのままロープまで吹っ飛ばされたりと超人バトルをしていたりしている。
超人血清を投与したアメコミの星条旗のヒーローのような、むしろ見た目の筋肉量からは想像も出来ない程の身体能力を持つウマ娘は想像以上にヤバかった。
マンハッタンカフェも小柄だけど山の中で背負って下山したりと、この世界の人類とウマ娘のパワーバランスどうなってるんだろ……?要人警護のSPとかマッチョな男が定番だけど、こっちの世界じゃ美女たちに囲まれて守られてるし……。
なんとなく日本の総理大臣が気になって調べれば、聞いたこともない政党が与党であることにも驚いたが、それよりも政治家たちを守る警備のほとんどがウマ娘であることに衝撃を受けた。
ヒトとウマ娘の力量差を考えれば当然かと、半ば思考放棄気味になりながら、そのまま娯楽産業へと思考をシフトする。あまりウマ娘の力を知り過ぎると、マンハッタンカフェとの関係も自滅の道を辿りそうで心の奥底に閉まっておく。
ウマ娘が前提の世界の映画となると、俺の世界とは全く知らない映画ばかりだ……映画好きとしては、有名な映画賞を受賞した作品は全て観賞したくなる……文学もラノベもゲームも漫画も俺の世界にはなかったものばかり……ッ!ヤバい……帰る前にちょっと遊んで行きたくなってきた……ッ!
こちとらまだ二十代前半、異世界の大作映画やドラマにゲームとこっちの世界でしか味わえない作品に食指が伸びてしまうのは仕方のないことであった。特に映画となれば毎年500本近くは観賞する俺からすれば、未観賞の何百本とある大作映画など是が非でも観たい。
もちろん元の世界に帰りたいという気持ちも強いのだが、映画好きとしての俺の本能が例え今すぐ帰れたとしても、このまま異世界の名作映画達を観ずに帰るのかと強く訴えてくる。
このまま帰るのは勿体ないよな……いや、でも帰れるうちに帰らないと……あぁ、もうダメ……迷うな……迷っちゃだめだ……もしここで『お友だち』が帰る方法を見つけられなかったら――
「あの……すいません………『お友だち』が山に住む幽霊たちにお話を聞いたのですが……………その、あっ……アナタの身に起きた現象について誰も知らないようで…………その今すぐには元の世界に帰ること……出来ないそうで…………す」
「よしゃぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
これで当分はこの世界に留まる理由が出来た!これで大手を振るって俺はこの世界で暮らして行かなきゃいけないな!生活方面に不安はあるが……ここは日本!役所に行って事情を話せば住む場所くらいは世話してくれんだろ!あとは仕事を見つけて、映画にゲームにドラマと娯楽を消費しまくるぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
俺の歓喜の雄叫びに面を食らったマンハッタンカフェは、元の世界に帰れない事実に心が壊れ始めていると勘違いして肩を掴み揺らしてくる。
「ショックなのは分かります……ッ!その正気に戻って……冷静になり――」
『――――――――――――』
「えっ……?この世界の娯楽を味わえるから喜んでいるのですか……?あのもしかしたら二度と元の世界に帰れない事態かも知れないんですよ……?」
「そうかも知れないけど……この十数年間で積み重ねて消化し尽した映画が、また一から新たに消化できると知ると興奮が止まらないんだ……ッ!これから先には未知が待っている……ッ!全く知らない映画!ドラマ!小説!漫画!アニメ!この未知を前にして興奮を覚えずはいられようか……ッ!いいや!いられない!」
未知の娯楽作品を味わえる興奮から一転して、マンハッタンカフェの言葉で冷静になった俺はそれでも心の昂りは抑えられない。
「どこかアナタは……なんというか知り合いに似ている面がありますね……その探求の為なら向う見ずに突っ走るところとか……その……前向きなことは私も嬉しいのですが……もう少し落ち着いて考えましょう」
「………………ッ!」
どうやら件のマッドサイエンティストを重ねてしまったのか、マンハッタンカフェは呆れとも困惑とも取れる表情で肩を揺らすのを止める。そして吸い込まれるような金色の瞳と視線が交差して、思わずたじろいでしまう。
それは無言の圧力。有無を言わせぬ感情を見せない底なしの沼のような瞳の奥に、俺の昂る感情は吸い取られるように飲み込まれて頭がすっかり冷える。
「こんなこと暴走したタキオンさんにしかしたことないのに……アナタと居ると何だか人との距離感の取り方が狂ってしまいそうです」
「これは正常性バイアスと言って、きっと俺の心はこの異常な状況下に平静を取り戻そうと感情の振れ幅がブレてしまったんだと思う……うん、きっとそうだ」
「ふふっ、やっぱり理屈を付けて誤魔化そうとする所とかも似ていますね……それよりこれからどうするんですか?」
年相応に小さく笑いながら、覗きこむかのように見上げるマンハッタンカフェに気恥ずかしさを感じて、そっぽを向いた俺は――
「とりあえず……市役所の場所を教えてもらえませんか?ここから先は自力で行こうと――」
「ダメです」
「ダメって……えぇー……」
「アナタは『お友だち』が見える理解者で、この世界に来たばかりの異邦人で、きっとこれから幽霊に悩まされるから……私と『お友だち』が責任を持って面倒を見ます……」
――異世界に迷い込んで最初に出会ったウマ娘のマンハッタンカフェに当面の間はお世話になることが勝手に決められてしまった。