登山中に滑落事故で頭を打った俺は、漆黒の髪を持つウマ娘と『お友だち』に助けられて奇妙な世界に迷い込んだのだけど、これからどう生きればいいんでしょう? 作:たたたった
「心配ッ!国男は異世界からの漂流者であるのだろう?昔に話した時にはそれはとても苦労していたと私に話してくれたっ!それで是非とも渡したい物があるのだが……受け取ってくれるだろうか?」
「…………ん?」
どこか恥ずかしそうに、そして顔は見せられないが目元だけはと扇子を下げてこちらを見るやよいと言う少女は高級そうなバッグから何かを取りだそうとしている。俺はなんだか嫌な予感に駆られながらも成り行きを見守っていると、バッグに突っ込んだ手に分厚い茶封筒が握られているのを見て――
「待て待て待て……ッ!それはマズい!本当にそれだけはマズいから!」
「ひゃっ……ッ! な、なにをするのだ……国男!」
――俺が思わずその手を握ると、やよいはビクッと猫のように全身を震わせながら驚いたようにこちらを見る。
「気持ちは嬉しいがそれは頂けない。俺たちが過去にどのような関係であろうと、今の俺にとっては出会ったばかりの少女であるのだから……ッ!」
「しっ、しかし……ッ!金銭面で困っているのならば、私は国男を支援したいのだっ!受け取って困るようなものではないだろう?頼む……この12年間の出会いをどれほど待ったことか、そしてその時に私が国男に何をしてやれるかを考えぬいた末に導きだした結論なのだっ!受け取ってくれないか……国男!」
やよいは必死に俺の手に大金の入っていると思わしき茶封筒を握らせようとしてくる。だが俺も少女から大金を受け取るなど大人としての常識が断固として許さないので、意地でも受け取らないように押し返す。
しかし抵抗すればするほどに、やよいは意固地になって一歩も引かない。
「戸籍がなければ就労も出来ないのだぞっ!? ならば金銭はこれからの生活をする上で絶対に必要になるはずだっ! 私の恩人をホームレスになどさせるものかっ! たとえ、学園の理事長として品がないと言われようとも……ッ! これだけは譲れないのだっ!」
形振り構っていられないとはこういう場面で使われるのだろうか、もはや当初の過去の影響を最小限に抑えるという話は何処かに消えてしまい、扇子をかなぐり捨てたやよいはスーツのポケットに茶封筒をねじ込んでくる。
怖いッ!何が怖いって……この少女がこんだけ必死になるほどに、俺は12年前の過去に幼女に対してただならぬ関係になるようなことをしている自分自身が怖い……ッ!
トレセン学園の理事長という、この世界では上位に入る社会的地位を持つ少女が世間知らずな筈がない。大金の入った茶封筒を渡すことの世間的なマズさも理解しているだろうし、断りを入れている俺に対してそれでもお金を渡そうとしてくる自分自身を客観的に見られていることだろう。
しかし、それでも止まらないということは――――それだけ俺は過去で何かをやらかしている。そして頑なに受け取らない俺の態度に目に涙を溜め始めているやよいの姿に俺はとうとう根負けした。
「……っ! ようやく受け取ってくれるのかっ! 僥倖ッ! 私にとってこれほど嬉しいことはない……ッ! これは過去の国男に対しての当然の謝礼のようなもの……安心して受け取ってくれたまえっ!」
万歳ッ!と書かれた扇子で仰ぐやよいの姿を見て、自覚はないのだろうが俺に精神的な首輪を付けたという事実に喜んでいるようにすら思える。
知ってるか、やよい?謝礼の前払いって言うのは、いわば仕事に対する報酬を先に支払う事と同義――――つまり今の俺は、やよいに対して借金をしているんだよ!
やよいにとっては、過去の俺にされたことに対する当然のお返しのつもりだろうが、俺にとっては未来の出来事であるので、当人にはその気はなかろうとも俺とやよいの関係は――
少女に養われている成人男性……客観的にはマジモンのひもだな……ッ!
――たとえ俺がこの金銭に手を付けなくとも、やよいと言う少女から大金を受け取ったという事実は変わらない。つまり俺は理事長に囲われている愛人のような立ち位置に近いと思うと、大人としてのプライドがズタズタに引き裂かれて泣けてきた。
「必要なら家も用意しようっ!戸籍も弁護士を雇って対処しようっ!望めばトレセン学園での仕事も斡旋しようではないかっ!さぁ、今度は私が国男を支える番であるっ!何でも言ってくれたまえ……ッ!わ、わたしを……も、もとめたって……良いのだぞっ!!」
悪魔の囁きとはまさにこのことか、と俺は顔を赤らめ無邪気な笑みで甘言で誘惑をするやよいに思わず屈しそうになった。心の中では、もう良いんじゃないか甘えてしまえ、ヒモになれば一生安泰だぞと心の声が叫ぶが俺は鋼の意思ではね除ける。
銀のメッシュの入った明るい茶色の長髪のやよいは腕を広げている。それは天使のような無垢な笑みで、神々しさすら感じる清廉さを湛えながら、私の下へ来いと誘惑をしている。
――だが、それは悪魔の罠だ。
一度でも甘えてしまえば、抱擁を受け入れてしまえば、俺はそのままズフズブと少女に絡めとられて沼地の奥底へと沈んでしまうことだろう。なぜなら、やよいの目は少しだけ捕食者の眼光をしていた。
まるで極上の獲物が掛かる瞬間を心待ちにしているかのように、唇を僅かに舐めてこちらの動きを窺っている。それは見た目に似合わぬ老獪な狡猾さ、たとえ実年齢は少女と変わらなくともトレセン学園の理事長であり、日本の一大産業のトップであるという事実を思い知らされる。
「提案ッ! 私が全てを解決してみせようではないかっ! 今の国男が置かれている状況を私の地位と権力を以って解決してみせよう……ッ! さぁ、私を頼ってくれ国男っ!!」
やよいはどんどん好条件を提示してきて、広がる両腕をそのままに近付いてくる。まさに今の俺は蛇に睨まれた蛙。見た目はどんなに少女だろうと、その地位に相応しい圧力と有無を言わせぬパワーを感じさせる。
「12年も恋い焦がれて待っていたのだっ!このまま国男を連れ去ってしまえば――――なっ!?」
「うぉ……ッ!」
もう辛抱堪らん、と我慢の限界を超えたやよいが悪魔の抱擁をするより早く、背後の後部座席の扉が開くと同時に――
「コイツは渡さねぇぜ……理事長ッ!なんたって私のモノだからな……ッ!たづな……今だ車を出せ!」
「ぬわぁぁぁああぁぁぁぁ……ッ!やっと出会えたのにっ!くにおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――ッ!」
――首根っこを引っ張られて強引に車外に放り出された俺は、シリウスに最高のタイミングで迫りくるやよいの魔の手から救い出され、扉を閉めるのと同時に運転手に合図を出して見事にトレセン学園理事長のやよいは封じられる魔物のような叫びと共にドナドナされて行った。
「私のモノに手を出そうなんて……理事長でも許さねぇよ!ハッ……ッ!流石にアンタも焦っただろう……?ほら、手を出しな」
男勝りなイケメンムーブのシリウスは、八重歯を見せながら手を差し伸べる。その手を掴み起こすとパンッ! パンッ! とアスファルトに尻もちを突いた時の俺の砂埃を払ったあと。
「たくっ、しっかりしろよな……アンタは私の最高のトレーナーなんだからよ!」
そのまま緩んだ俺のネクタイを締め直したあとに、グッとシリウスは顔を近付けて――
「貸し一つだぞ?トレーナー……くっくく、これは高く付くかもなぁ……ッ!」
「今回はマジで助かったから貸し二つでも良いくらいだ……ありがとう、シリウス」
――意地の悪い笑みから一転、その俺の言葉に顔を紅潮して、そっぽを向くシリウスはこちらの手を握り。
「ほ、ほらっ! 勝負の途中だろ? 白黒ハッキリ付けなきゃ気が収まんねぇ……ッ!」
「ゲーム再開するか!よっしゃ、こっちも借りはあるけど勝ちは譲らないぞ……ッ!シリウス!」
「当然だろ!トレーナー!」
夏日の猛暑の中、シリウスに手を引かれてビリヤード場に入る途中で暗い翳が一つ遠くからこちらを見つめているのが視界の端に一瞬だけ映るのだった。