登山中に滑落事故で頭を打った俺は、漆黒の髪を持つウマ娘と『お友だち』に助けられて奇妙な世界に迷い込んだのだけど、これからどう生きればいいんでしょう?   作:たたたった

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ウマ娘のいる世界

「健康保険証の規格は元の世界と同じで良かった……しかし、これからどうするかな?」

 

 父親の就活祝いのロレックスを質屋に持っていき、この世界では公文書偽造で捕まる代物の健康保険証で身分を証明し、見事に200万円という大金で買取に成功した俺はショッピングモールで日用品の買い出しに出掛けていた。

 これからホテルかマンガ喫茶、それか24時間営業のスーパー銭湯に泊まるとしても、着の身着のままに明日を迎える訳にはいかない。山岳服の格好で日常を送る訳にはいかずに、とりあえず服と下着や生活用品を買い揃えた。

 

「とりあえず異世界初日はホテルに泊まるかな……あー、でも映画や漫画も気になるからマンガ喫茶か……でも今日は疲れているからやっぱホテル――――――おっ!」

 

 紙袋を抱えていた俺はショーウィンドウのスーツを見て、思わず立ち止まってしまった。商社の営業という仕事柄、普段から身嗜みには人一倍気に掛けている為に飾られているスーツが質に対して異常な程に格安なことに気が付く。

 

 フルオーダーではない既製スーツでもこの品質で5万円…………悪くないな。ふむ、トレセン学園トレーナーに推薦と書かれているが、とりあえず試着してみるか。

 

 この店の名は『ウマ・トレンディスーツ』。この世界はウマ娘を中心に回っているのではないかと思う程に、あらゆる分野でウマ娘に関する用語から店名を付けている事が多い。そしてこの紳士服店は一般的な社会人の為のスーツを売る訳でなく、トレーナー等のウマ娘に関わる職業の人間がメインターゲットのようだ。

 嗅覚の鋭いウマ娘に配慮された香水、無香料の整髪料、運動靴と変わらない性能の革靴、スーツの下に着られる耐衝撃アーマーなど、最後の方は何かおかしい気がしたが、ウマ娘の身体能力を考えるとあの程度の装備は当然なのかも知れない。

 

「トレーナースーツの新調でしょうか?」

「えぇ、はい。仕事用に新たにスーツを二着ほど買いたいのですが、お勧めはありますか?」

 

 トレーナースーツとはなんだろ、と内心で疑問に思いながらも、この世界の常識に疎い俺にとってはウマ娘のいる世界のスーツの選び方を知らないので店員に任せることにした。店員は慣れた手付きで寸法を測り、スーツであるはずなのに耐衝撃性に優れていてこちらがお勧めですとスーツを何着か見せてくるのだが――

 

 ここって普通の紳士服売り場だよな……?なんでスーツの説明で、防刃や防弾性能を紹介されているんだ……?実はここはスーツは紳士の鎧と嘯く、イギリスの秘密結社が経営する紳士服店や殺し屋がコインで商品を買う店じゃないよな……?

 

 ――トレーナーという職業はよほどに危険であるのか、やたらとスーツが人間の身を守る大切な服であると熱弁をふるう店員。実際にウマ娘が全力で投げたボールがスーツを纏った男性に直撃する動画を見せながら安全性について説明している。

 

「どうでしょう!このウマ娘の身体能力から放たれるボールが直撃しても、このスーツを着れば骨折も骨にヒビが入ることもありません!後日、病院での診断結果は打撲だけであり……トレーニング中の事故でもスーツを着ていれば対応出来ます!」

 

 むしろ外見からすればただの美少女が投げるボールで、骨折などの重傷を負うなど恐怖でしかない。マンハッタンカフェはとても落ち着いたウマ娘であるが、年相応のウマ娘が感情のままにトレーナーを突き飛ばしたりすればヤバい事態に陥るのではないだろうか。

 

 トレセン学園やべぇ……というかウマ娘の担当とか、ちょっと口論になって手を出されたら病院送りは確実なんじゃないか……いや、だからこそ、そうならない為にこの紳士の鎧を身に纏うのだろうが。

 

「着心地はどうでしょうか?」

「とても良いですね。このスーツも革靴もとても運動性に優れて、私が今まで着たスーツの中でも一番優れていると言っても過言ではありません」

 

 俺の世界には存在しない戦場のような職場がある世界で生まれた紳士服は、控えめに言っても最高であった。フルオーダーですらないのに、完璧に俺の身体にフィットするスーツに革靴も熟練の職人が作ったかのような安定感。

 俺はとても満足がいって笑みを浮かべて店員に服とスーツを買う事を申し出ようとすると――

 

「…………すいません。なぜ、その手に金属バットを持っているのでしょうか?」

「えっ!?耐衝撃のテストはしなくて良いのですか?!」

「ここまで素晴らしい服をお作りになるのですから、確認する必要もありません。このスーツを二着に靴を一足、そしてこの香水と整髪料をお願いします」

「かしこまりました……バットで耐衝撃性能を示すのが当店の目玉なのですが……」

 

 ――どこから取り出したのか、金属バットを構える店員に肝が冷えながらも、地獄の営業訓練で身に付けたポーカーフェイスで丁重に耐衝撃テストという狂気の実演を断り、その場にあったウマ娘たちを不快にさせないメンズ化粧品を注文する。

 

 店員は金属バットで客をぶん殴るのがそんなに楽しみだったのか、目に見える程に気落ちしながらも慣れた手付きで商品を紙袋に包み、そしてレジで合計15万円ほどの少し高い買い物を済ませることとなった。

 俺は商品を手渡されている最中に、他の店員に金属バットでぶん殴られるトレーナーらしき人物を眺めながら、ここがウマ娘のいる異世界であることを強く実感する。

 

「スーツは普段着でも使えるからな……これなら日常で使えて重宝しそうだ」

 

 着心地が最高に良い上に、昼間から外をほっつき歩くならスーツであることが何よりもメンタルが安定する。休日以外にスーツを着ない日はないので、平日も普段着であると落ち着かない気分を味わうことだろう。

 

 

 

 

「疲れた……異世界とはいえ、俺の世界との常識のズレを改めて思い知らされるとメンタルがすり減っていくぞ……」

 

 俺はシャワーを済ませた後にベッドへとダイブする。最初はこのまま異世界の娯楽を消費しようと意気込んでいたのだが、ラーメン屋で俺の器より五倍ほども大きな器でラーメンと汁を完食するウマ娘や、バケツサイズのタピオカドリンクを飲むウマ娘を見た時など心の中でツッコミをし続けることですっかり疲れ果ててしまった。

 

「あんな量の麺をその小さなお腹にどうやって収めるんだよ……汁まで飲むとか塩分過多で内臓が死ぬぞ……それにタピオカドリンク……あんなの糖尿病マッハだろ……」

 

 ベッドで仰向けになりながら、俺の居た世界とウマ娘なる存在がいる世界との差異を頭の中で比較しながら、ベッドの中で微睡み始める。

 

「嗜好品は俺の世界と変わらないが……食用品が安いのが幸いだな……ウマ娘のような大量に食料を消費する種族がいるから…………政府が補助金を出しているのか……それとも一次産業が盛んなのか……ダメだ、眠くて頭が回らない。だが、これで食費を切り詰めて生活するって心配はなくなったな……」

 

 食品売り場に来てまず驚いたのは食品の量であった。日本でも海外から進出した倉庫スタイルの販売店のような、量の割に値段が破格といえるほどに安い。ポテトチップスですら一キロ単位で数百円のような値段の安さ。特に肉類や野菜類などは纏め売りであるが物価は俺の世界の三分の一以下だ。

 

 これでとりあえずは食うに困るという心配はないだろう。仕事も……まぁ、日雇い日払いの肉体労働で労災も下りないブラックな企業なら簡単に見つかる。どちらにせよ当面の生活は問題ないとして……この世界にしかない娯楽をたっぷりと楽しみつつ……帰る方法を探ってみるか……マンハッタンカフェと会う前に図書館で郷土史からあの山にまつわる伝説を調べて…………考えるのが面倒になってきた……寝よ。

 

 俺はベッドから起き上がり、消灯の為のボタンを押して振り返ると――

 

『アアアァァァアアァァァぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――ッ!!』

「うるせぇ……こっちは眠いんだ……オラッ!昇天しやがれ……ッ!」

『んぁああぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!』

「見えるってマジで面倒だな……俺もマンハッタンカフェみたいに『お友だち』と言う名のスタンドが欲しくなってきた……」

 

――本日何回目になるか分からない幽霊との接触。今回は演出に気を遣うタイプの『よくないもの』らしく、不意打ちで俺を脅かそうとしたのだが、その溢れる負の気配を隠しきれておらず振り返ると同時に幽霊の頭を掴んで生命オーラを流して強制昇天させる。

 

「異世界人だから気配が変わってるせいで引き寄せやすいのか……?それともこれがデフォなのか……マンハッタンカフェはこれを幼少期から体験してたとしたら、日常生活は本当に大変だったろうな……」

 

 幽霊自体はそれほど怖くない。ちょっと生命のオーラを流せば簡単に昇天するので、蚊に殺虫剤をぶちまける程度の手間であるのだが、街中で俺が見えない何かと対峙している光景を第三者が見たらどう思うか考えて少し憂鬱になる。

 

 何もない空間に話しかけ、そして空中を掴み捨て台詞を吐く成人男性。うん、控えめに言わなくてもヤバい人だコレ!しかもマジで雨後の筍のように場所によってはポコポコと大量に居るから範囲攻撃とか結界術とかあるのならマジで教わりたい……ッ!

 

 生命オーラを流せば瞬殺とはいえ、ゾンビのように数で攻められたら面倒ってレベルではなかった。もういっそのこと手を叩いたら衝撃波が発生する技が欲しいと心の底から願いながらゴキブリのような幽霊が部屋に居ない事を確認しつつ――

 

「よっしゃ、寝よ」

『オヤスミナサイ』

「…………………………………おやすみ」

 

――最後に何か変な声が聞こえた気がしたが、こちらに何か仕掛ける気がないのなら相手にする必要はないので反射的に返事をした以外には無視を決め込み、そのままベッドの上で深い眠りへと入るのだった。

 

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