3
振り返れば……ことの始まりは中学二年の三学期に実施された『進路調査書』について真剣に考えを巡らせていた時だった。
「……」
進学、
就職、
やはりこの二つで悩まされていた。
このころから既に唯斗は一人暮らしを始めている。だからこそ、生活していくうえで学業か仕事を選ぶかはこれからの一生を左右する――まさに運命の選択なのだ。
「……やっぱ進学が……でもなぁ」
自分の考えがなかなかまとまらない。
冗談でなく彼の死活問題となる選択を行っていた。
漠然とした目標しかない生徒もいる、夢を叶えるために決めた自分の道を進む生徒もいる、親の期待を背負って半ば強制的に進路を決めた生徒もいる。誰もが自分のこれからを占う一生で一度の選択に、特別な思いを抱いているだろう。
そういう意味では唯斗も同じである。だが、他の生徒と比較して異なる点を挙げるとすれば、彼はなるべく自分の力で解決したい思いが強いことだった。つまりは『親の力』を借りずに生活を送るのがベストと考えているのだ。
当たり前だが、小学校から大学まで――教育機関に通うにはお金が必要である。入学する為に大金を払い、その後もひと月ごとに授業費などを払い続けなくてはならない。
「高校に進学するなら特待生になって学費免除の対象にならないと厳しいのは重々承知だし、ゼロ円で行ける訳もないから、それを賄うのとなるとこれまでより労働時間を増やさなくちゃならないのは目に見えてる……」
進学するなら特待生が前提。最悪、奨学金の対象者になって卒業後にコツコツと返済するかだ。どちらにせよ、進学するなら優等生で居続ける必要がある。
今まで以上に勉学に勤しむ必要性を再確認する唯斗だが、
「かと言って、就職一本に絞るのも危険だし……」
中卒で企業に採用される人数は、高卒、大卒の資格を持つ者より少ない――なんてことは言われなくても分かる。誰にでも同じように手が差し伸ばされるような、そんな甘い世の中でないことも理解している。
何より、それではその場しのぎで行き当たりばったりな――彼の思い描く将来像に反するヴィジョンしか浮かばなかった(あくまで唯斗の想像内だが)。
薄く淡い希望に人生を賭ける決断はできそうにない。
こんな時に出る自分のヘタレさに落胆する。
「はぁ……お先真っ暗とはまさにこのことだよ」
行き場のない葛藤が、唯斗のなかで
「提出期限は今週の金曜……あと三日か。ギリギリまで考えて提出しよう」
進路は少し前から意識していたが、ここまで真剣に考えるのは今日が初めてだった。故に、たった一日でひねり出した答えでは満足してはならないし、満足できるはずもない。
何度も言うが、これは一生に一度の選択である。
自分が納得できる答えを確固たるものにしなければ、これからの準備に向けて気持ちの方向性がぶれてしまい、選択を間違えれば一生を棒に振る可能性だって大いにあるからこそ、慎重に冷静に選択しなければならない。
かといって、先送りにすることもできないのだ。
「……ああ、もうやめだ、やめ! 今日はこれくらいにしておこう」
行き詰ったなら一度意識を他の物事に移すのが一番……頭がすっきりしたらまた考え直せば良いのだ、と唯斗はソファに寝転んだ。
「えっと……今日の予定は……?」
手帳を手に取る。中学生男子が手帳を持つこと自体珍しいが、一日ずつに細かな予定まで決めて忠実に実行していく几帳面さと実行力も中学生男子にはあまり見られないだろう。
ぎっしりと埋められた手帳をめくり、今日の日付を確認して……絶句した。
「そう、だった……」
――バイト代行。
本来なら今日は唯斗のシフトではない。代行と書いてある通り、テスト期間でバイトを休む彼の先輩にあたる高校生の代わりを店長から依頼され、それを引き受けて……いた。
「進路のせいでそんなこと忘れてた!」
って、バイトをそんなこと扱いするのは違うか……、心で反省する唯斗。早速支度を始めようと立ち上がり、時間を確認して……再度絶句した。
現在時刻、四時五十分。
勤務開始時刻――五時。
「嘘だろ……おいおい、いよいよヤバくなってきたぞ。これ以上店長を怒らせたら俺の命に危険が及ぶって……今日が俺の命日になるって!!」
焦りが冷や汗と共に体を伝い、体が震えあがる。
「とととととととりあえず店長に電話しよう……! 理由は説明しなくとも、連絡を入れておけば少しは罪が軽くなるはず」
動揺のあまり呂律が怪しくなり、スマートフォンを取ろうとする右手も細かく震えてうまく掴めない。
「落ち着けぇ……落ち着くんだ俺!」
左手で右手首を押さえて震えを抑える。この時唯斗は知らなかったが、姿勢が「くそ! 鎮まれ俺の右手!!」になっていた。誰かが見ていたら間違いなく危ない人だと勘違いされていただろう。
着信履歴『セブンティ店長 斎藤』から発信ボタンを押してスマートフォンを耳に当てる。三回のコール音の後、相手方の声が彼の耳に入った。
『もしもし、セブンティ
「も、もしもし。アルバイトの神崎ですが……」
『……神崎くん、シフトまで十分切ったんだけど……理解してるわよねぇ?』
「勿論でございます!」
ひと言目とふた言目の声色が天地の差だった。最初の明るいトーンは一体どこへ行ってしまったのか……唯斗だと分かった瞬間に湧き出す電話越しでも感じる威圧感。
『……弁解の余地は与えます』
許すかどうかは別として……、が抜けているのを唯斗はひしひしと感じながら、少々誇張した言い訳を始める。
「人生の岐路に立たされて、時間を忘れていました」
『荘厳に言わずに真実を言いなさい』
「進路に悩んでましたッ!!」
間髪入れずに修正を命じられ、唯斗は言われるがままに繕いの無い理由を白状した。
『人生の岐路って、あながち嘘じゃ無かったのね』
「まあ、ちょっと尾びれを付けましたけど」
トーンの上昇に感情の余裕ができたと判断し、恐る恐る冗談を交える。当の斉藤も彼の冗談に付き合える余裕ができていた。
『理由は分かったわあ。それでいつまでには来れる?』
「えと……自転車で飛ばせば五分で着けます」
『三分で来てね』
「えっ!? ちょっ――」
突然の無茶ぶりに言葉が詰まる。気付けば通話は終了しており、ツーツー……、という終話音が無残に流れていた。
「反論の余地を与えない所が店長らしいよ」
しかし、そんなことを感心している場合ではない。五分で着くというリミットが三分に変わり、一秒の時間のルーズも許さない事態になっている。急いで必要なものを鞄に詰め込み、部屋の扉も閉めずに(家の戸締りは忘れない)セブンティへ向かう。
店長である斎藤に提示された三分というタイムリミットにぎりぎりで間に合った唯斗は息を荒げてセブンティ店内に入ると、彼の到着を待っていた斎藤とシフトパートナーの大学生である浜野に挨拶をして事務所に駆け込んだ。
ものすごいスピードで着替えを済ませてレジに向かう。
「神崎唯斗……た、ただいま到着いたしました」
肩で息をする唯斗を、斎藤は怒っているのか笑っているのか判別しにくい無機質な笑顔で見つめる。隣りにいた浜野はそんな斎藤を見て顔をひきつらせていた。
「約束通り三分以内にやってきたことと、事前に連絡を入れたことは社会人として当たり前……それが出来たのは褒めるけど――君は立場というものをちゃんと理解しているかしらあ?」
「はい。肝に銘じています」
「けどこれが初めてな訳じゃないでしょう? この前も遅刻してきたじゃない、それこそ連絡もなしに」
「……」
こういった斎藤の含みのない説教を聞くのは、何も初めてではない。
「心を鬼にして何度も言わせてもらうけど、君を採用したのだってお情けが八十パーセントなの。募集対象が高校生以上と分かったうえで頭を下げて……働かなくちゃならない理由を涙を溜めて話して……同情心に付け入って何とかこうして働けているのは分かっているわねぇ?」
「……それに関しては感謝しています。こんな俺を雇ってくれる時点で店長に負荷がかかっているのも……重々理解しています」
これまでの会話や唯斗への風当たりで分かるだろうが……中学二年生である神崎唯斗と斎藤の関係性は良くなかった。
説教する斎藤と、それを黙って聞く唯斗の光景は働く者からすれば見慣れた光景になっていたほどだ。
ただし、その光景を見て唯斗を可哀想だと同情する者は一人としていない。唯斗が中学生で雇われているという特別性は『贔屓』と捉えられている。これで仕事のミスで怒られないようでは『優遇』されるのも大概にしろ、と誰もが思うだろう。
何より、他ならぬ斎藤が背負うリスクの大きさが唯斗を甘やかさなかった。店を任された身として公式な募集要項を無視した雇用はセブンティ本部の方針を無視する真似であり、許されるわけがない。
唯斗が頭を下げ続けて斎藤の許しを得たのと同様に、斎藤も本部に頭を下げて「三ヶ月以内にコンビニスタッフとして完璧に育て上げる」妥協案を提示したうえで、なんとか許可を得ているのだ。
「そうねぇ……今の私たちは『運命共同体』なの。君が成長しなければ私の首はスパンと切られるし、私が成長させなければ君の雇用もストップ。私たちがこの先も働くためにも、社会人の自覚を持ってもらわないと困るわあ」
「は、はい!」
恐ろしい台詞をなるべく優しく言う斎藤だが、失敗の許されない――半歩たりとも後ろに退けない緊迫感が般若の如く襲いかかり、唯斗は上ずった声で返事を返す。
とりあえず、置かれた現状と達成しなければならない目標を互いに確認することで、この説教は幕引きとなった。
「さてと……今日も一生懸命働いてください」
斉藤は売り場を唯斗と浜野に任せて事務所にはけていく。
――そして『遅刻の罰として新商品や人気商品を最低百人に売り込み』を課された唯斗は、季節に合わない大量の汗をかきながら必死に働くのであった。
◆ ◆
午後十時にシフトが終わり、自転車に乗って家を目指す唯斗の顔には疲労の色が見えていた。
坂道でないにもかかわらず、たびたび自転車を降りて手で押しながら体を前のめりにして脱力している。「あぁ……」や「んぅ……」といった呻き声とため息が時折口から漏れ、独り言も何を言っているのか分からないボリュームと呂律だ。
「……つらすぎる」
これが唯一聞き取れるひと言だった。
商品の宣伝はもちろん、コンビニでは必ず売っているおでんやフランク類や中華まん類の仕込みを一手に受け、事務所で行うセブンティ本部への報告書作成を今日はやらされたのだ(あくまでも教育という名のもとに)。
頭に詰め込まれる必要知識が唯斗の脳内を駆け巡り、すでに頭痛がしている感覚に苛まれている。心身共に限界値をオーバーしかねない今の状態なら、このまま道路で寝ても気にならないだろう。
「帰ったらベッドに直行しますよー」
風呂になんか入っている時間があるなら、その分を就寝時間に回した方がいい。とにもかくにも、いち早くベッドに飛び込みたい心情が今の一言に込められていた。
行きは三分の道のりが、とてつもなく長く感じる。
「瞬間移動とかできたらな……」
自分が中学二年生であることを忘れて――ある意味では正常かもしれないが――特殊能力を宿す姿を想像する唯斗。
いつもでさえ十五分弱で充分な距離にもかかわらず、今夜に限っては二十分もかかって、やっと玄関のドアに手をかけていた。
「ただいま……」
力なく呟かれる彼の言葉に返事はもたらされない。おぼつかない足取りで廊下を歩きながら自室に行き、最後の力を振り絞って寝巻きに着替えた唯斗は、迷わずベッドにダイブする。
「……」
目を閉じて間もなく、彼の意識は途絶えて眠りについた。
4
翌朝は思いの外気持ちのよい目覚めだった。
「うぅ……はぁ」
ググッ、と体を伸ばせば小気味良く骨の鳴る音がする。
昨日はいつもの倍以上労働したはずだが、帰ってベッドに直行していたおかげで、十時半には爆睡していた。唯斗はたいてい日付をまたいだ辺りに就寝するので、結果としていつもより二時間近く多く寝ているのだ。
「よし。今日も頑張ろう」
軽やかな動作で立ち上がる。そのまま洗面所に向かって洗顔しようと思ったが、顔どころか体も洗っていないことを思い出した。
「シャワー、浴びるか……」
ついでに顔も洗えるのだから大した差はない、と結論付けた唯斗は浴室に向かいながら着ている服を脱いでいく。
唯斗の他に誰もいない故の、一人暮らしならではの特権を遺憾なく行使する。右腕に脱いだ服を抱え、それらを洗濯機に放った。
シャワーの時間はそう長くない。もう季節は立派に冬なのだから、暖かいシャワーを浴びても浴室内が肌寒く感じる温度である。
早々に全身を洗い終えた唯斗はすぐに制服姿を身にまとい、風邪を引かないようしっかりと髪をかわかしていた。
「……こんなもんで大丈夫か」
全身スッキリな唯斗はキッチンに向かい、冷蔵庫を開けると水を取り出す。風呂やドライヤーで出ていった水分を一気に補充したところで、再び冷蔵庫を開けた。
なかには、タッパーで保存している長期間食べられる保存食以外に調理済みの食べ物がなかった。昨日の朝の時点で貯め置きしていた数日分のおかずを食べ終わっていたようだ。
「まあ朝御飯だし、簡単に作れるのでいいかな」
そろそろ少なくなってきた食材を見て、スーパー行かないと……、などと思いながら卵とハムを取り出す。
既に一人暮らしを始めている唯斗だが、いまいち料理に関しては上達が遅かった。それでもインスタント麺やカップ麺で済ませる日が少ないのは、誉めるべき事だろう。
出来上がったのは定番中の定番……目玉焼きと軽く火を通したハムだ。栄養のバランスのために野菜ジュースをコップに注げば、『ザ・朝食』と表現できる見た目の完成だった。
「いただきます」
テレビの電源を入れてニュースに耳を傾けながら、味わうように黙々と食べ続ける。
『昨日、都内のコンビニエンスストアに強盗が現れ、現金六万円を盗む事件が起こりました。犯人は黒い服装、顔をマスクで覆い店員に刃物を突きつけ、金を出すよう指示し、そのまま逃走した模様――現在も逃走中とのことです』
女性アナウンサーが淡々と読み上げるこのニュースに、唯斗は怖いものだな……、と他人事にできない感情を抱いていた。
どのコンビニにもセキュリティや通報の対応がしかれているとはいえ、実際に強盗が刃物を突きつけたら冷静に対応できるのだろうか……。些か不安になる唯斗は顔にある深い引っ掻き傷のような傷跡を指でなぞりながら悲壮な表情を浮かべる。
強盗事件の報道は僅か一分で終わり、天気予報に切り替わった。気象予報士が天気図をまじえて今日の天気の移り変わりを説明している。予報通りにいくならば、今週は天気が崩れる心配はないらしい。
さりげなく外の天気を確認する。雲一つない快晴だ。
最後の一口を大きく頬張った唯斗は、口の中に食べ物を残したまま食器を流し台に置き、飲み込んだ後に野菜ジュースを一気飲みした。
「ぷはあっ」
面倒くさくなる前に洗い物をする彼は水道の水の冷たさに顔をしかめながら手早く作業を進める。お湯が出てくるまでの辛抱だが、水道代も馬鹿にならない。なるべく生活費を節約したい唯斗は手早く洗い物を終えた。
「そろそろ出かけるかな……」
時計を確認した唯斗は自室に戻る。
しばらくして、支度を整えた彼はいつも通り学校へ登校する。
◆ ◆
校門をくぐった唯斗は見知ったクラスメートの後ろ姿のを見つけると、小走りで近づいて肩を叩こうとした。
だが、触るか触らないかの微妙なタイミングで、前を行く少年は振り向きもせず唯斗の手を掴むと、そのまま関節技に移行する。
「おっと」
寸でのところで手を振り払った唯斗。
「肩を叩こうとした程度で関節技なんて、お前はどれだけ背後に気を配ってるんだよ」
「俺の後ろに立つお前が悪い……」
格闘漫画の台詞のような言葉をさらっと言い、振り返る少年。
「おはよ、拓馬」
「おはようさん、唯斗」
彼の名前は東条拓馬。堅い髪質の短髪、キリッとした眉毛が印象的な少年は、端正で勇ましい容姿だが、意外と性格は温厚だ。少し格闘技馬鹿なのが玉に瑕だが。
パン! とハイタッチからお互いの手をがっちりと握り、なかなか放さない。
「どうだ、これから組手でもするか?」
「勘弁してくれよ。朝一番に組手なんて拓馬しかできないって」
「駄目だなー。いつでも戦える準備をしとかないと、いざって時に実力を発揮できない……常に気を張ってなくちゃな」
一体いつの時代の人間なのだか……、と呆れながら苦笑を浮かべる唯斗。
しかし、拓馬の生い立ちと将来の夢を考えれば、納得のいく考え方なのだ。
「そういえば、進路の調査書ってもう書いた?」
教室に向かいがてら、昨日配られた進路調査所の話題を振る唯斗。
昨日はあれのせいでバイトを忘れてしまうくらい悩まされたのだが、拓馬は違った。
「もちろん『警養高校』さ」
「だよね」
『警養高校』とは『警察官養成高等学校』の略称であり、その名の通り将来の警察官を育成するために創られた特別な学校である。
拓馬によれば、体育の時間が多く、警察官になる為の基礎知識や必要不可欠な格闘術を会得する以外は、一般的な高校と変わらず――卒業すれば高卒認定ももらえるらしい。
「いいよな……、将来の夢が決まってて、それに向かって真っすぐ突き進む。拓馬を見てると自分のちっぽけさが身に染みるよ」
言うまでもなく、拓馬の将来の夢は『警察官』。彼の父方の家系は、代々警察官として活躍した名門一家であり、拓馬の父親にいたっては警視総監を務める警視庁のトップなのだ。
そんな家に生まれてきた拓馬は警察官としての英才教育を受け、既に柔道では軽量級で全国二位の成績を誇っている。まさに警察官になるべくして生まれてきた逸材だった。
「そういう唯斗だって、空手で県大会上位に入る腕は持ってるだろう? 宝の持ち腐れだよ」
「全国二位と県大会上位じゃ格が違うって……。俺みたいなのは全国にいくらだっているさ」
「『己の正義に従って、正しい道を歩め』ってのが家訓な俺から言わせてみれば、強さなんて二の次だよ。才能が有る無しに関わらず、俺の夢は昔から警察官だからな」
なんとも頼もしい人間だ。彼が警察官になった暁には、この世から事件が無くなってしまいそうだ、と思えてしまうくらい拓馬の信念は輝かしかった。
(それに比べて俺は……)
自分の情けなさにため息が出る。あれだけ『決意』を固めたはずなのに、まだ決心がついていない。
「はっはっは、悩める少年よ。悩めるだけ幸せだと思うぞ? 世の中には悩みもせず適当に未来を決めていく輩もいる。唯斗はそんなやつらよりよっぽど人間らしいさ」
肩を組んで慰める拓馬。頼もしい上に慰め上手……顔だけでなく性格まで男らしいのだから、男女問わず人気なのも頷ける。現にこうして唯斗も彼の言葉に勇気をもらっていた。
「サンキュー、元気出たよ」
「いつだって相談してくれて構わないさ。親友の頼みを無下にするなんて俺の『正義』が許せないからな」
無邪気に笑う拓馬につられて唯斗も笑みをこぼした。
進路はじっくりと、正しく吟味したうえで決めようと背中を押された唯斗だったが、担任の教師が朝のホームルームから「進路調査書は早めに出すように!」と念を押されたせいで、またもや気落ちしていた。
「……」
漠然と机に置いた進路調査書を見つめながら、シャーペンの芯を出さずに『第一希望』の文字をつついている。
授業の合間の休み時間になってはこうして進路調査所とにらめっこをする唯斗を見たクラスメイトたちが何やら囁いているが、本人は全く気付いていない。
「……ざっくりと『進学』って書けばいいかな」
担任も詳しく書けとは指定していない。だが第一希望に『進学』、第二希望に『就職』では、おそらく職員室に呼び出されるだろう。
「やっぱりちゃんと書こう」
再びにらめっこを始める。
5
放課後――唯斗は進路調査書を片手に下校していた。
「むぅ……」
下校の時間帯なので、制服を着た学生の通行が多い。歩道には少なからず向かい側から歩く人がいるのだが、間接視野で周りを確認しているらしく、ぶつからないようにたびたび歩く場所を変えている。
スルスルと器用に人々の合間を歩く唯斗を不思議に見る通行人も少なくない。
「前に見た高校比較のサイトで絞り込んだのを調べてみるか」
よし、と心のなかで算段を付け、進路調査書を学生カバンにしまう。
やっと……前を見て道を歩く唯斗は、朝に食材が切れていたことを思い出し、行き先を自宅からスーパーマーケットに変えるのだった。
両手にレジ袋を抱えた唯斗が帰宅したのは夕暮れ時だった。
家に入ってまず行ったのは食材を冷蔵庫に詰める作業だ。
「えと……レタスは奥で大丈夫で、もやしは手前に置こう」
スペースをうまく利用しながら買ってきた食材を詰め込んでいく。
「よし、これで数日間は大丈夫だろう」
上手く詰められた達成感を抱いたまま、リビングでノートパソコンを開き、進学する場合の唯斗の希望に合致する高校を絞り込んだサイトを閲覧する。一校ずつホームページを確認しながら自分に見合う学校であるかを吟味し、あくまでネットの知識だが、良し悪しを確認していた。
ひたすらパソコンを凝視した彼の目が乾くのを実感したとき、天井を見上げた唯斗はふと気づいてしまった。
「……あ、ポスト見るの忘れた」
下校時の日課であったポストの確認を忘れていた。それに気づいてしまった唯斗だが、実は忘れてしまうことに関しては珍しいことではない。新聞をとっていない彼のポストに投函されるものは、決まって通信ゼミや新聞などの勧誘の手紙がほとんど……長くても三日に一回の周期で確認する程度でも困りはしないのだ。
見に行くか、否か。
今は高校を比較している大事な時――正直行く必要性はない。見終えてからでも構わなければ、明日見るでも構わないのだ。
しかし、ふと気づいたどうでもいい物事を放り投げられないのが人間の心情だったりする。
「はぁ、見に行くか」
重い腰を上げて、乗り気でない表情のままポストを確認しに行く唯斗。
この時は気付いていない。
階段を下りながら面倒くさそうに向かったポストに、彼の運命を変える一つの書類があることを。
思わしげな終わり方ですが、どんでん返しはありません。元女学院ですよー(笑)