個人的な事情と言いましょうか……単に体力不足で1日を過ごすだけで精一杯であり、小説の更新は後回し中の後回しになっていました。特にこのオリジナル小説は、単純なプロットを漠然と設定しているだけのものですので、1日1日で考えていることや書きたいことが変わっています。一応頭ではイメージしているので大胆な改変はありませんが、執筆を終えていたとしても、読み返して修正を加えるのはよくあることです。
いつだったか……予約投稿をしようと思い7000字ほど書いて、とりあえずまた後で書き加えようと投稿予約をしたら、なぜか認識されず白紙に戻ってしまいました。あのときは本当に憤りを隠せませんでしたね(笑)
とにかく、私は忘れていませんよ!
こんな意味不明の前置きはさておき、これからもこの作品と私を忘れてもらわないよう、超絶スローペースながら更新を続けていく所存です。待っていたという方も、初めてという方も、だれもが読んでいて共感や関心を抱ける作品を作るべく、日々邁進していきます。これからもどうぞ、文才のかけらもない若輩が書くこの作品に訪れていただければ幸いです。
6
玄関を開けてまず最初に唯斗に襲いかかったのは、容赦ない真冬の冷気だった。夜ということもあり、その寒さは体を刺すような痛みさえ感じる。
「上に一枚羽織るべきだったな。さっさと確認しないと凍死しそうだ」
この短時間でかじかんでしまった両手に息を吹きかけて、彼はマンションの階段で下の階へ進む。二階なのだからエレベーターを使っても大した差はない。一段一段降りながら踊り場に出ると、外の様子を確認する。
「今夜は星が綺麗だな……。冬の大三角とかオリオン座とか、星空観察にはもってこいの日だよきっと」
湿度の少ない冬の空気は、いつもより澄んでいるように感じる。マンションが建ち並ぶ住宅街では星空を見るには少し不便な場所だが、天体観測をするのも一興だろう。夏休みの自由研究で夏の星空を観察することはあっても、冬の星空を観察する児童・生徒は少ないはずだ。かくいう唯斗もその一人である。
「まあ、暇があればやってもいいんだけど……」
星空なんぞ誰がいつ見ようが勝手である。星座が季節や時間によって見える方角や種類が変わってしまうので、実は星空に同じ景色など存在しないのだが、それを気にする人間は相当な星座オタクだ。思い入れのない人間にとって、星空はただの同じ景色でしかない。
「輝く星よりマンションの部屋の電気の方が眩しく感じるあたり、俺は天体観測マニアに向いているとは思えないな」
自虐で締めくくり、外の景色から目を離した唯斗はあくびをしながら階段を下る。下の階に着くと早速ポストを確認した。郵便受けからはみ出たものはなく、ダイヤル式の施錠を開錠してなかを確認した。
「案の定――新聞の勧誘はありますよね。それと電話会社の新しい料金プランの紹介に『中学3年生になるあなたにおすすめの勉強法を!』と銘打ったよくある通信講座のパンフレット……小学生からやったことないのにどうして俺の個人情報が把握されてるんだ?」
どこから彼の個人情報を特定したのかはさておき、いつもと変わらない中身にため息を漏らす少年は、取り忘れていた一通の茶封筒を手にする。宛名にはここの住所と神崎唯斗の文字が印刷されていた。
「ん? 何だこの封筒、送り主が書いてないぞ」
よく分からないが彼宛に届いたのは間違いない。送り主が不明なところに若干以上の不安を感じるが、なかに爆弾などの異物が入っているようには見えない。触っても何も起こらないので危険物ではないだろう。
「とりあえず部屋に戻ってから確認するか。そろそろ寒さで体が震えてきたし、ここにいても仕方ないよな」
取り忘れがないかもう一度確認して、ポストを閉める。ダイヤルを適当に回して施錠されたことを確認すると、来た道を引き返す。
部屋に戻った唯斗は勧誘の手紙を早々にごみ箱へ捨てた。残った差出人不明の茶封筒をテーブルの上に置き、しばらく考え込む。手書きでなく印刷された文字であるということは、個人からではなく何かしらの団体から送られてきたと考えられる。しかし、これといって関わってきた団体もなければ、バイト先であるセブンティからのという可能性も考えにくい。
「店長なら手紙くらい直接俺に手渡しするだろうし、中学関係の手紙は母さんに届くようになってるから関係ない。全然思い当たる節がないんだけど」
目の前の茶封筒とにらめっこを繰り広げる彼だったが、しびれを切らしてなかを確認することにした。はさみで上部を切り、なかに入っている紙を取り出す。B5用紙に書かれていたのは、予想だにしていなかった文字の羅列だった。
――私立桜麗女学院。
「はい?」
聞き覚えのある名前ではあるものの、心当たりが一切見当たらない名前に目を丸くする。目をこすってもう一度見直しても、手紙の最初には『私立桜麗女学院』の文字がくっきりと印刷されていた。
「桜麗女学院ってあれだよね……文字通り女子校だよね? 俺のどこに女子要素があるのか知らないけど、もしかして妹と間違えたのか? いやアイツはまだ中一だし――」
さまざまな可能性を探っても、自分に女子校から手紙をもらう状況を導き出すことができない。
「まあ、最後まで読んでみるか」
いったいどんな経緯で神崎唯斗に私立桜麗女学院が手紙をしたためたのか。一字一句を熟読していくと、唯斗は合点がらしく首を細かく縦に振り続ける。
「なるほど……でもどうして俺が?」
全てを把握した彼だったが、それでも疑問は残っていた。
しかし、これだけは確かである。この手紙が「きっかけ」で、彼の人生が新たな進展を迎える。
◆ ◆
――翌朝、事情を把握した彼は目を覚まして目覚ましを止めても起き上がる気配がない。
「良い眠りにつけなかった……夜中にいろいろと考えすぎたか」
ベッドに横になったまま枕元の茶封筒に手をかける。言うまでもなく私立桜麗女学院からのものだ。夜中も気になっては目を通してをくり返した結果、意味もなく手紙の内容を暗記してしまい、睡眠はまともにとれていない――それだけ彼にとっては驚きの内容だった。
「まだ寝たいけど学校は休めないし、朝食作るか」
眠たい目を擦り、起き上がると背伸びをして気合いを入れる。机に手紙を置いて、自室を出ると廊下を進んでリビングに入ると、冷えきった部屋が唯斗をお出迎えする。エアコンの暖房を稼働させたい衝動を抑えながらキッチンに向かい、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。
「スープの素は……っと」
キッチンの引き出しから数種類のフリーズドライ製品を見比べ、今日の気分を踏まえて選択したのは玉子の中華スープだった。残った白米を冷凍庫から取り出しておもむろに電子レンジに突っ込み、あたためのボタンを押す。
冷蔵庫の中は買い出し直後とあって充実しているが、今日は簡単な食事さえ作ることが面倒に思えている彼は昨日の残り物を取り出してテーブルに置いた。
「さむ……。エアコンつけるか」
耐えられそうにない寒さに負けてリモコンを手にすると、二十度という電気代を考慮した控えめの設定温度で、風量も抑えた設定に変える。
「どうせこの部屋全体を暖めるには時間かかるし、気分だけでも暖かくなればいいよな」
そうは言いながらも、テーブルはエアコンの風を直接受けるように設置されているので、多少の風であろうと温風を受け止める位置に座れば問題ない。体にはよろしくないのだろうが、そんなことも言ってられないだろう。
「最新じゃないけど、カメラで人の位置を察知するタイプのエアコンで本当に良かった」
着席した唯斗はうなだれるようにテーブルに上半身を密着させる。ひやりと伝わる冷たさと、エアコンから放出される暖かい空気の両方が彼の身に伝わっていく。
電子レンジがあたため終了の音を鳴らし、唯斗はもう一度キッチンに向かう。ちゃんと暖まっているかを確認して茶碗に移し替えると、今度は電気ポットが沸騰を終えて動作を止めた。安全のためにつけられたセーフティロックを解除してお湯を注げば、今日の朝食はあらかた完成である。
「おかずも昨日の残りをレンジにかければ良いか」
冷蔵庫からラップで密封された皿を取り出し、そのまま電子レンジに直行。ご飯とスープをテーブルに置き、箸を忘れていたことに気づいて慌てて取りに戻る。ここでようやく寝起きのテンションから解放されたらしく、眠たそうにしていた目もいつもの大きさに戻っていた。テレビをつけてニュース番組にチャンネルを合わせると、まだ終わっていないおかずのあたためを強制終了させて食卓に並べた。
「今日も一日頑張りますか、いただきます」
しっかり手を合わせて食事を始める。
7
教室ではいつものような時間が流れていた。授業になれば全員が黒板を見て板書を写したり、あるいは授業放棄で机に伏したり……。休み時間になれば仲の良いクラスメイト同士で談義を交わして、束の間のリラックスタイムを満喫する。
唯斗も昼休みはクラスメイトと一緒に購買で昼食を買って、屋上前の階段で駄弁ることが多い。今日も拓馬を連れて昼食を摂っていた。
「……にしてもお嬢様学校と名高い桜麗女学院から資料が届くとはな! 入学できればハーレム作り放題とかうらやましすぎるぞ」
「本気で思ってるならその頭かち割るから」
「おお恐い恐い。でも男子禁制と謳われてきた桜麗が男子生徒を受け入れるようになったとなると、少子高齢化の影響って思っているより深刻なんだろうよ」
焼きそばパンを頬張る唯斗と、サンドイッチを食べ終えた拓馬はそんな話をしていた。悩みを打ち明けられる数少ない親友である拓馬に、私立桜麗女学院から入学案内が届いたことを話すと、彼は思いの外驚いた様子はなく親身に受け止めていた。
「この手紙が嘘か本当なのかは今更疑いはしないけど、どう考えても俺が該当者に選ばれるのはおかしいだろう? まずは世間の波を知らないお坊ちゃんたちを入れるべきじゃない?」
「詳しい情報を知らないから俺は何とも言えないが、お前の成績を買われたんじゃないか? 中学一年から中間・期末ともに試験では一位を独占する神崎先生の実力は伊達じゃないってことさ」
「成績じゃなくて財力の話をしてるんだよ。来年から共学にするっていることは、イコールお嬢様たちの親が払うお金では学校運営が赤字になるんじゃないのか?」
「唯斗がそんなことを知って何になるんだ。断るなら無視すれば良いだけの話だろうに、なぜそこまで大げさに反応をする?」
「……」
言われてみればそうだ。いやなら断って良いだけの話に、こうして大仰な態度を取る必要などない。
「唯斗、何で揺らいでいるのかはだいたい想像はつくが、今のお前はお前らしくないぞ」
「……」
「気になるなら納得がいくまでやるのが一番さ。正義のための行いが全て正当化されるとは言わないが、後悔するくらいなら俺は手を汚すことだっていとわない」
「俺は拓馬じゃないんだ……己の正義とか大層な心がけなんて掲げてないし、その心がけが絶対なんて信じ切れないよ」
「はあ……」
拓馬のため息は唯斗に失望して出たものではなく、唯斗がそれっぽい理由で屁理屈にならない程度の言い訳を、自然に吐露していることである。
(本当にヘタレになったなお前は……)
「表情でなんとなく言いたいことは分かるからな」
他人の表情に敏感になったのは、唯斗がセブンティでバイトを始めた頃からだ。接客業は否が応でも相手の目を見ることが多い。右も左も分からない新人の時は、手際の悪さに苛立ちを見せる客や、コピー機の操作が分からず途方に暮れながらもその空気を察しろとばかりに見つめる客が訪れる。接客業はお客様は神様(唯斗からすれば神様そのものではなく神様のように応対すると捉えている)という理念が当たり前なため、常に相手の顔を窺って大まかな感情を推測する特技が備わってしまった。
「分かるなら直すんだなヘタレ小僧」
「今のテンションなら泣けちゃうな……」
否定できない罵倒に目頭が熱くなる唯斗を尻目に、拓馬は立ち上がって階段を下り始めると振り返りざまに、
「ちゃんとした話がしたいなら進路指導の飯岡にでも事情を話せば良いさ。少なくとも俺よりかはまともな返事をしてくれるよ」
「飯岡先生か……あの人苦手なんだよね」
唯斗の顔が分かりやすく歪む。
「苦手も何も、バイト先の店長と比べたら可愛い方だろうに」
「店長は喋り方以外は普通の人だよ。厳しいけど社会人として当然の義務と責任を弁えた大人の鑑だし」
「飯岡だって教師らしい教師じゃないか? 考え方が良い意味で時代遅れって言うか、古風な感じで」
「それが嫌なんだって……。特例でバイトをしているってだけで問題児扱いされてるんだぞ? 通りがかりに挨拶しようとしたって無愛想だし、絶対に嫌われてるよ」
進路指導の飯岡は、彼らの通う中学では有名な頑固教師だ。校長などを含めた教師陣の中でも古株にあたり、飯岡の顔を窺う教師も少なくない。生徒のみならず教師からも煙たがられがちな、お世辞にも好かれるタイプの類いとは言いがたい人間だ。
そして唯斗が飯岡を嫌煙しているのは、彼自身が飯岡から嫌われていることを知っているからである。中学生がコンビニでバイトをしているなど言語道断であり、それを許してしまった学校側に飯岡は最後まで見直しをするよう抗議を続けた。挙げ句の果てには唯斗と個人面談を強制的に行い、放課後から四時間もの時間を掛けても二人の言い分は平行線をたどった。飯岡はついぞ唯斗の意見を理解するには至らずじまいだ。
それからというもの、彼らの関係性は誰が見ても険悪である。飯岡は目も合わせず、教師と生徒の間柄でありながら、挨拶を交わすこともない。互いが互いを嫌っていることを隠そうとしていないと感じ取れるほどに、両者の親愛度は低いのだ。
「正直……飯岡先生が俺を嫌ってるから、俺も嫌いになってるってのが正しいんだよ。親よりも年の離れた教師からの一方的な嫌悪を覆そうとは思わないし」
「それは間違っているぞ」
拓馬は言い訳染みた唯斗の言い分にひと言で釘を刺す。
「自分を嫌いな人間を嫌いになる理由がそこまで適当なら、好感度を取り戻した方が今後の財産になる。あの人は一人一人に親身になれるから喜怒哀楽を抑えず振りまく。唯斗に度を超した怒気や憤慨を見せるのは、唯斗――お前にもな……」
「言いたいことは分かるよ……」
唯斗は若干の不快感を胸に首を縦に振る。拓馬の意見ももっともだ、という理解はあるが、やはり全肯定はできなかった。人には相性がある……誰もが万人と手を携える仲になれるはずがない。一人くらい彼の味方にならない大人がいたところで、本当の意味で唯斗を『止められる』者などいないのだから。
「拓馬の言うことを聞けば、結構な割合でグッドエンディングを迎えられるから今回もそうするけど、面倒なことになったら飯の一杯でも奢ってくれよな」
これは唯斗の拓馬への絶対的な信頼があるからこその選択だろう。他のクラスメイトや知人から同じようなことを言われても、飯岡との対談を良しとしない確率が高い。好きの反対は無関心だとはよく言われるのだが、今の唯斗からすれば無関心ではなく不干渉を貫きたい、だろう。
(飯岡先生と面談か……。直接打診すれば時間を割いてくれるだろうけど、バイトがある日は駄目だし、そうなるとやっぱり)
「おっ、早速スケジュールを確認か?」
「拓馬と違って俺は一日の時間が惜しいんだよ。余裕なんて一秒だってありはしないの」
「何だ俺を暇人と蔑むとは良い度胸をしてるじゃないか神崎先生」
「はいはい全面的に謝罪するからその戦闘態勢を解除してくれ」
某大人気RPGにあるカウンター技の構えで不気味なオーラを発する拓馬に、戦う前から両手を挙げて降参宣言の唯斗――喧嘩を買ったところで返り討ちに遭う想像しかできないからだ――は、取り出した手帳をもう一度確認する。
手帳には相変わらずびっしりと細かな予定が書き連なっている。今週のバイトは週四のペースだ。学校から直帰して素早く着替えてセブンティへ向かう(制服が中学のものだと特定されて問題が起きることを避けるため)ので、バイトのある日は必然的に無理である。だとすると彼の手帳に予定が書かれていないのは今日だった。
「今日って飯岡先生は放課後時間空いてると思う?」
「今日か……飯岡は部活の顧問もしてないし、業務がない限り大丈夫なんじゃないか?」
「なら職員室に寄るか……」
また嫌そうな顔をしているぞ、と拓馬は言いたかったものの、次の授業の予鈴が鳴ったので心にしまうことにする。
「予鈴も鳴ったし教室に戻るぞ。次は世界史だ」
「……ありがとう」
「何言ってんだよ、親友を助けるは当たり前だろ? 俺の正義はいつだってお前の味方さ」
余計なことを話さなくても話したいことを理解してくれる友人は、何ともたくましい存在である。
◆ ◆
「……心と体が相反してるのがはっきりと分かる。中二病とかじゃなくて割と真面目に」
放課後になっても唯斗の心に突っかかったもやもやは拭えなかった。職員室へ向かう彼の足取りは感覚的に重たく、逆走して帰ってしまいたいと何度考えたことだろうか。
しかし、拓馬と約束をしてしまった以上は逃げるわけにはいかない。翌日後ろ指を指される精神攻撃ならまだしも、呆れたい挙げ句に唯斗の指をぽっきりと折ってくる物理的な攻撃が待っている可能性も考えられる。約束ひとつ守れない男など、彼の正義が鉄槌を下すに決まっている。これから待ち受ける拓馬の対応と、会いたくない飯岡との面談を天秤にかけるのならば、飯岡との面談の方が比重は軽い。
「まあ、こんな自問自答している時点で少し痛い子だと間違われそうなんだけど」
職員室まで目と鼻の先ほどの距離になった。少なからず教師たちの出入りがあるなかで、スライド式のドアをノックする。誰の反応があるわけでもなく形式的なものとして行ったノックから一秒も経たずスライドした。
「失礼します、2年の神崎唯斗です。進路指導の飯岡先生はいらっしゃいますでしょうか?」
教師陣の視線が飯岡のデスクへ向けられる。視線の先にはパソコンに向き合い業務を続ける飯岡の姿があった。飯岡に唯斗の声が届いていなかったのか反応はないが、周りの教師の顔を窺って職員室に入室すると、彼は飯岡の後ろで姿勢を正した。
「飯岡先生、突然なのですがこれからお時間をいただいてもよろしいでしょうか? 進路のことで相談したいことがありまして……」
「……」
飯岡がゆっくりと唯斗の方を向き、座ったまま唯斗を見上げる。
「……何の用で?」
ここで用件を聞き直したのは、飯岡の耳が遠いからではない。それは唯斗も察している。飯岡が言いたいのは「中学生の分際でアルバイトをする」神崎唯斗がなぜ私の後ろに立っているのか、だった。
「私だけでは判断しかねる事案が起きてしまったので、飯岡先生に直接伺って助言をいただきたく、今こうしている次第です。進路指導室も空いているようですので、先生の都合が合うのでしたらこれからお時間をいただきたく来ました」
飯岡が言いたい隠された意味を理解しつつ、唯斗は先ほどよりも丁寧な説明を述べた。
「アポイントメントを取るのは正しい手順だが、今日これからというのは非常識だとは思わないか?」
「それは自覚しています。私も後日と言いたいところなのですが、生憎と予定で埋まっているうえに、あまり日数を引き延ばせるほど呑気な事案でもありません。ゆえに失礼を承知で伺っています」
唯斗の目は飯岡を中心に捉えて凜々しく見据えている。飯岡も同様に唯斗を見つめていたが、目をそらすと彼に背を向けた。
「神崎……私は君のそういうところが嫌いなのだよ」
「え……」
この発言に唯斗だけでなく教師陣も虚を突かれ、問題発言なのではないかと焦り出す者が心配そうに彼らを見つめている。
「君は社会に出たおかげで、現代の中学生にしては目上の人間に対する言葉遣いを弁えている。それは今後大きく役立つだろう。だが聞いている身からすればあまりにも痛々しい……子どもらしさが欠如して薄気味悪いんだ」
教師陣からのどよめきが大きくなっていく。教頭に至っては次の発言次第で止めに入るために動き出しそうな体勢をとっている。
「前に面談をしたときもそうだ。君は意見を述べる際に必要以上に年上である私を説き伏せようと躍起になっている。表情や言葉の一丁前さで錯覚させようとしても、この年になれば演技にしか感じない……君の本心をまったく感じない」
少しだが、唯斗のなかで怒りに似た不快感がにじみ出てくる。
「では私はどうすれば良いのですか? 生徒が教師に対して不遜な態度をとるべきではありません。とりわけこの学校を長年見守り、多くの生徒を育ててきた飯岡先生です……このようになるのは当然だと思いますが……ッ」
「当然ことを当たり前にやる年齢ではないのだ。十代の半ばを迎えた程度の小童が、五十を超えた私と対等な立場に立とうとする時点で間違っている」
ため息をついた飯岡の雰囲気が変わる。今までの敵対心が嘘のようになり、人を諭す教師の貫禄が唯斗を包み込みだした。
「私とて君の事情を知らないわけではない……私の方から一方的に面談をして口論もしただろう? アルバイトをすることに関しては賛成はしかねるが、君の演技から大体は推測できる」
(飯岡先生が……?)
唯斗の動揺が見開いた目に表れる。彼は親しき仲――さらに言えば特別なまでに信頼関係を築いている――にしかきちんとした説明をしていない。アルバイトの許可を申請するにあたって、例外として校長には本音を曝けださざるを得なかったが、担任にも(もちろん飯岡にも)素振りさえ見せずにいたつもりだった。
「だから君の態度は演技にしか見えないと言っているだろう。私を騙したいのならもっと迫真さを捨てなさい。君の本音を垣間見せながら核心を見抜かれないように計算しなさい。隠し続けるだけでは隠し事が浮き彫りになる」
「……先生」
飯岡は立ち上がり、唯斗の肩を掴むと顔を同じ高さに合わせる。
「神崎唯斗、あまり他人をなめるんじゃないぞ。君が思っている以上に人間というのは賢い動物だ――自分の蛮行を、ふざけた真似を『完璧』にこなしたいのならもっと頭を使え。私が君にあからさまな敵対心を向けることで隠し事を秘密裏に調べる単純な演技さえ見抜けない程度では、君の思うようにはいかないぞ」
「……」
この時初めて、唯斗は自分の小ささを気づかされた。本当の意味で自分がまだまだであると実感させられた。
「進路を相談したくここに来たのだったな……良いだろう。進路でもこれからのことでも何でも相談すると良い。私にできる精一杯で、君の本心に応えよう」
優しく肩を叩いた飯岡は職員室を出て進路指導室へ向かう。職員室にいる全員がその姿を呆然と見ることしたできなかった。唯斗に至っては相当に心へ響いたらしく、その場に立ち尽くし涙を流す始末だ。この日から飯岡へ抱いていた印象は大きく変わり、後に恩師と呼ぶまでに彼らの関係は切っても切り離せないものとなる。
◆ ◆
進路指導室で机を挟み向かい合う飯岡と唯斗。澄まし顔の飯岡とは違い、唯斗は未だに目に涙を浮かべている。時たま嗚咽をしている状態なため、面談どころか会話すらままならない。飯岡がため息を漏らすのも無理はなかった。
「何を泣いている、これではまともに話もできないではないか」
「うぅ、すみません。こういう経験がない……もので」
「化けの皮が剥がれればここまで脆くなるとなると、これからが心配になってくる。社会に出てもこの癖が直らないようでは先が思いやられるぞ」
飯岡の言葉によって唯斗の体が縮んでいくように萎縮していく。ライフポイントがジワジワ削られる様子を目の前で見せられている飯岡も、これ以上面談と関係ない会話を続ける気は失せていた。
「そろそろ本題に入ろう神崎君。何を相談したいのかな?」
「はい。実は……自宅にこの封筒が届きまして」
鼻をすすり息を整えながらいつもの彼に戻ると、学生カバンから『私立桜麗女学院』から届いた封筒を飯岡に差し出す。
「読んでも構わないか?」
「お願いします」
唯斗の了承を得た飯岡は三つ折りの用紙を広げると、一行一行を隈なく黙読していく。唯斗の頼みが真剣であるため、飯岡もいつもより慎重になっていた。
「『私立桜麗女学院』における共学化が試験導入――それにあたって試験生を選出する試験の実施。しかし推薦入学の生徒においては今回のみ本校の独断で生徒を選出する」
気になった文章は声に出して読み直し、全容を飯岡なりに把握していく。読み終えて封筒を返した後も、じっくりと考えるように腕を組んで、しばらく目を閉じていた。
「先生、どう思いますか?」
「どう思うかというと、手紙そのものが詐欺――偽物ではないかという根本的な問題だろうか?」
「その通りです」
「桜麗女学院が共学化するという情報は、間違いではない。学校側から全国各地の中学校に書面での通達が届いている」
「経緯などは記されていませんでしたか?」
「記されていなかった。情報量は君に届いた手紙とさほど変わりない……ただ、ひとつだけ違う要項があった」
「違う要項、と言いますと?」
立ち上がった飯岡は進路指導室内の棚からファイルを取り出し、ページをめくって学校に送られてきた桜麗女学院の通知書を開いた。
「生徒に見せるものではないが、今回ばかりは致し方ない」
そこには表紙に透かしで『生徒閲覧禁止』と書かれている桜麗女学院側からの書類が封入されていた。
「生徒閲覧禁止なのは情報が漏洩して混乱が生じるのを避けるためであって、見られて損失を被るような文章はさほどない。遠慮せず読むと良い」
手渡しされた書類を、閲覧禁止と分かっていながらも申し訳なさを胸に目を通していく。飯岡の言ったとおり、項目に対する情報量はこちらの方が上なものの、大した差はない。唯斗に届いたものは生徒用に見やすい設計にしているのだろう。
そして、あるページで彼の手が止まる。これが飯岡が指摘したこの資料にしか記されていない要項だ。声に出すことがはばかられる内容でもないが、唯斗は紙に穴が空いてしまいそうな眼差しで一字一句を黙読していた。
「なるほど……そういうことでしたか」
何かを理解した唯斗は書類を飯岡に返す。
「そういうことだ。どうだ、心境に変化はあったか?」
「色々と納得いくことは増えました。ですが自分が選ばれた理由についてはやはり……」
「確かにそれはもっともな疑問だろう。先方が一方的に選んでいるとは言うものの、だとすれば君も気づいているだろう? 全国の男子中学生の情報が集められているのではないか、と」
「……はい」
飯岡も当然のように話しているとはいえ、全国の中学生の学力などの個人情報が独自のルートで集められているのはグレーな香りを感じるだろう。唯斗も漠然とした妄想でしかないが、法律の穴をついた方法(……最悪の場合は法を逸脱する方法)で個人情報が見られているのではないかという恐怖を感じていた。
「だがそこまで心配する必要はない。現桜麗女学院の理事長は全国の学校関係者はおろか日本社会でも有名な人物なのだから、その程度の情報など指を振るだけで勝手に集まってくるだろう」
「そこまで凄い人物なのですか?」
「まあ自分で調べるといい……。只者ではないぞ、とだけ言っておこう」
「分かりました」
これまで唯斗の心に引っかかっていた疑問は晴れつつある。飯岡の言った通りにしていれば、進路も上々の路線に乗ることができると確信していた。ならば聞いておかなければならないだろう。
「先生、桜麗女学院は進路先のひとつとして考慮しておくべきでしょうか?」
「……それは君自身が決めることだが、私から言わせてもらえば答えはYesだろう。設備は文句のつけようがなく、自主性と自己責任を重んじる校風は進学や就職に強いと有名だ」
「共学化するにあたって、男子に雰囲気的なデメリットを被る可能性があったとしてもですか? それが一番支障をきたす気がしてならないんです」
「試験導入とはいえ、校則を見直して男子に不利益が発生しないような修正を加えるはず。学校生活での雰囲気的な問題については、実際に生じてから対処するのが最も効果的と思うが……」
(共学化の導入と言わずに『試験』導入とするのは、その予防線か)
些細な問題から大仰しい問題まで、迅速な対応をしますが問題発生は予防できかねますと規定しておけば、責任を当事者と分配することができる。お試し期間と銘打てば、学校側の責任はさらに小さくなり――責任逃れができないのは当然だが――面子も保たれるのだろう。
「君はおそらく公立の進学校を第一志望としているだろうが、桜麗女学院を第一志望にしたとしても痛手はそれほどないだろう。公表されている偏差値は中の上ほどだが、国内外でも指折りの頭脳の持ち主と呼ばれる才女を毎年のように世の中に輩出している。滑り止めで受けるのもひとつの手だ」
「滑り止めですか……」
明らかに曇る表情を飯岡は見逃さない。極力自分の力で通うと決めた唯斗からすれば、私立高校は入学費に加えた諸費用が公立と比べて段違いであるなど分かりきっている。少なからず唯斗の身辺調査をしている飯岡からしても、この提案を鵜呑みにするとは考えられなかった。
「あくまでも老害の意見に過ぎない。気にとめるようなら忘れて構わないさ」
「いえ、とても参考になりました。先生のお話を聞いて桜麗に興味が湧きましたし、進路を絞ることだけを考えていた自分を見つめ直す良い機会になったのは事実です」
「そう言ってくれれば良いのだがな。……さてこのままもう少し話を続けたいものだが、片付けなければならない仕事がある。今日の面談はこのあたりで終わりとしよう」
「本日は貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございましたっ……」
書類を棚に戻した飯岡は悠々とした姿で進路指導室を出て行く。唯斗は深々と頭を下げて、しばらくの間その姿勢のままで静止していた。
8
――後日、拓馬に飯岡との面談の話をすると、彼は面白そうに笑みを作り誇らしげな態度をとった。拓馬いわく、やはり俺の目は間違いない……自分の正義に狂いはなかった、らしい。確かに彼のおかげで唯斗は思いもしなかった収穫を得ている。訳の分からなかった桜麗女学院からの通達の意味も把握でき、唯斗自身を成長させるうえで必要な『何か』を見出すことができた(それも良い意味で)のがとても大きい。
「それにしても、職員室で人目も気にせず号泣するとはな……。そのシーンをカメラに残したかったよ」
「くっ」
紛れもない事実に反論の余地がなく、毒づくこともできない。仮にデータに残されていたならば、一生ネタとして貴重な取り扱いを受けたことだろう。
「……今回の件に関しては感謝しかない。ありがとう拓馬」
「そのお返しは将来にとっておくさ。もちろん倍返し以上で、だが」
いたずらに笑う拓馬は強めに唯斗の背中を叩く。突然の衝撃に変な声を漏らした唯斗だったが、彼も同じように笑っていた。
本当にお待たせいたしました、とお詫びを申し上げます。こんな体たらくでは小説家などなれそうにありませんが、私自身はまだ趣味の範囲であり、職業として志していた数年前よりかは欲や意気込みが沈んでいるのは事実であります。やはり現実とは厳しいものですね(笑)。
これでプロローグが終わるかのように思えますが、残念ながら入学までは数話挟むこととなります。途中の経過を省いて入学式――というのも良いのですが、もう少し主人公の人となりを固めておきたく(読者の皆さんも、そして私自身も)もう少しだけ序章に付き合っていただきたく思います。なぜここまで長くなるかといいますと、おこがましいですが単行本を意識しているからです。台詞と地の文、その質と量を自分の限界まで引き出すことで作品として輝いたものができると信じて、亀の行進並みに遅くなったとしても地道に進めていく次第であり、途中で投げ出すことなく心の片隅に常時保管していきたいです。
次のお話ではついに名前から女が抜ける予定である桜麗女学院の一部を露見することとなるでしょう。月日は流れ受験生として、神崎唯斗の始まらない物語の前章が終結に向かって動き出し、やがて本編へとつながっていくその時まで――そしてその後も皆さんにお届けできるよう努力します。
長々と言い訳をしているのも自意識過剰ですので、ここであとがきも終わりとしましょう。では次話で……。