頬を撫ぜる風に目を薄めて、購買で買ったコロッケパンを食んだ。
昨日はなかなかに最悪な日だった。自分の作文に至らぬ点があったのは認めるが、それがどうして奉仕活動をせにゃならんのだ。オマケに毒舌どころか暴言を吐く美少女と二人きりとか、ラブコメにしては間違ってんぞ色々と。
口をつけば吐露しそうな愚痴を、押し込んだパンと一緒にレモンティーで流し込む。
気がつけば風向きが変わっており、一際強く吹いた風に目を細めると、薄く開いた視界の端で亜麻色の髪が揺れた。
「ここに居たんですね、先輩」
…………誰?
率直な感想を述べるならその一言に尽きる。
いかにも男子受けを狙って着崩したかのような格好に、纏うふんわりほわほわな空気。カースト最底辺の俺とは決して相容れない存在だと思わず眉を顰めるほどだ。
マジで誰だよこいつ。向こうは俺を知り合いだと思っているようだが、生憎知り合いなんて片手で数える程度にしかいない俺にはハッキリとわかる。
「人違いだ」
「いいえ、人違いなんかじゃないですよー」
俺の否定を意に介さず、彼女はさも当然のように隣に座ってくる。あまりに自然過ぎて反応が遅れてしまった。くっ、俺ともあろう者が隣を取られるとは……。八幡、一生の不覚っ!
不満げに隣を見れば、手入れがしっかりと施されているのか、サラサラと透き通るような髪を白魚のような手で弄び、ちらちらと小動物のような眼差しで上目遣いを送ってくる。
その一挙一動が計算高く練られた男を落とす為のものであると判るのは、はてさて黒歴史を育んできた俺の為せる技か。しかしまぁ、そういう女子は総じてぼっちの、ひいては俺の敵である。
よって、まずは威嚇から入ることにした。がるるるるーっ。
「は?」
先程までの愛らしさは何処に行ったのか。射抜くどころか凍て付くレベルの視線に晒され、思わず萎縮して顔を明後日の方向に逸らしてしまった。……怖ぇ。女子ってちょー怖い。
だが今ので理解した。こいつは威嚇するまでもなく、俺をそこらに生えてる雑草くらいにしか思っていない。つまり俺と関わることに何の価値も見出していないのだ。そしてそんな俺の隣にわざわざ座ってくるなど、理由は一つしかないだろう。
「おい、罰ゲームか何か知らんが俺を巻き込むんじゃねえよ」
ほんと、俺を巻き込むのは勘弁してほしい。ぼっちはストレスを感じやすいんだぞ。わかったら今後は無闇矢鱈に触れず、関わらず、遠くから眺める程度に留めてほしい。そのうちワシントン条約のリストに載るから。
しかし絡んできた本人はと言うと、「何言ってんだこいつ」と言いたげに顔を歪めていた。ちょっと、女の子がしちゃいけない顔してますよ!
「あぁ、そっか……そういえば、そうでしたね……」
何やら一人でに納得する後輩カッコカリ。何?罰ゲームのこと忘れてたの?というかマジで罰ゲームだったのかよ。ちょっと泣きそう。
ため息を吐いて肩を落とす俺に、ぶつぶつと呟いていた彼女は我に返って頬を掻きながら言葉を紡いだ。
「あー、いえ、違いますよ。罰ゲームとかじゃなくて、その、先輩に会いに来まして……」
「はぁ?」
滅多なことを口にする彼女に、今度は俺が素っ頓狂な声を出した。
こいつ……、今なんて?
聞き間違いでなければたしかに、俺に会いに来たと言った。いかにもカースト上位の女子が、初対面であるカースト底辺中の底辺に存在する俺にである。
罰ゲーム以外で会いに来る理由などあるのだろうか。怪しい。これは絶対何か裏がある。
名探偵さながら「妙だな……」と眉を顰めていると、彼女は思い出したように言葉を発した。
「そういえば、雪ノ下先輩とはどうですか?」
「どうって何がだよ……。何お前、雪ノ下の知り合い?」
「ええ、まぁ……知り合いというか、一方的に知ってるだけなんですけど」
そういや、あんな暴言吐いても学年首席だからなアイツ。そりゃあの容姿も相まって一年の間でもさぞ有名なんだろう。
しかし、そうか。それならば彼女が現れた理由にも合点がいく。アイツは性格はともかく見た目も振る舞いも良い。まさにお嬢様って感じだ。そんな彼女に同じ女子として憧憬を抱く者もいるのだろう。ならばそんな憧れに近づく不逞な輩は排除しようと躍起になっているに違いない。そこで白羽の矢が立ったのか自主的な行動なのかは知らないが、彼女は俺を排斥しに来たのだろう。
わかってしまえばなんてことはない、いつも通りの謂れなき迫害だ。
ならば否定してやればいい。元より、俺にそんな気はないのだから。
「言っとくが、俺はアイツに興味ねーし、誰が好きになるかあんな暴言女」
「は?さっきから何言ってんですか?遂に脳みそまで腐ったんですか?」
ちょっと、口が悪いよ君。
いくら暴言を吐こうとも、才色兼備、品行方正な彼女に対して俺のような日陰者が悪態をつくなど、彼女が自身を取り繕うのをやめるくらいには許されないことなのだろう。
だがそれでいい。これほど慕っているのであれば、このまま悪態を吐き続け「あいつぼっちのくせにナマイキ」と最低勘違い男のレッテルを貼られるだろう。そうすれば彼女の心配は杞憂になる。
「お前は知らんだろうが、雪ノ下は毒舌で饒舌で人の古傷をすぐ抉ってくる氷の女王みたいな奴だよ。あんな奴を好きになる奴の気がしれん」
「知ってますよ。そんなこと」
しかし予想外にも、彼女は俺の誹謗を事実だと真正面から受け止めた。
思わぬ反応に面食らって彼女の顔を覗き見ると、その顔には慈愛と郷愁のようなものを感じられた。ますます訳がわからずこんがらがる俺に、諭すような声色で彼女は言う。
「でも、あの人の魅力は簡単に理解るものじゃありませんから……」
昨日出会い、ほんの少し触れた程度の俺とは違う、積日の思いを孕んだ言葉。俺以上に彼女を知っていて、俺以上に理解している彼女に、ほんの少し芽生えた醜い感情は、きっと気のせいだと切り捨てた。
いつかの憧憬を思い浮かべるように空を見上げていた彼女は、やがて小さく笑うと俺へと視線を移した。
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね」
「今更だな……。まぁ別に、名乗る必要なんてないだろ。今後俺はお前と関わる気なんてねーし」
というか、カースト身分が違いすぎて関わろうにも関われないんですけどね。
「先輩にその気がなくても、わたしが勝手に関わるので大丈夫ですっ!」
きゃぴんと目元でピースをする後輩に、うわぁと軽く身を引いた。
あざとい。あざといなんてレベルじゃない。あざとさが服着て歩いてるレベル。正直中学までの俺なら惚れて告白して振られてクラスで晒し者になっていたかもしれない。
しかし露骨にも顔を顰める俺の反応には目もくれず、彼女は勝手に名乗りだす。
「わたし一年の一色いろはですっ。好きな食べ物とかタイプとかは好感度を上げていけばわかりますよー」
なんだそれ、ギャルゲーかよ。
しかし俺が律儀に名乗り返す必要はないので、無視しておにぎりを頬張る。うむ、今日のツナは美味い。いつものと違いがわからんけど。
「ちょっと、無視しないでくださいよぅ」
そんな俺の態度にむかっ腹が立ったのか、彼女、改め一色が俺の腕を掴んでくる。
ええい!うるさい暑いいい匂いくっつくな!そんな何気ないボディタッチが数多の男子を死地に送ることを理解しろ!
俺の動揺なんぞなんのその。一色は更に俺の身体を激しく揺さぶり、心なしか愉快な笑みを浮かべていた。の、脳が震えるぅううう。
「わ、わぁーったから。揺らすのはやめろ」
「さっすが優しいですね先輩♪」
いやこれほとんど尋問、なんて言葉は唯我独尊に突っ走る彼女に届くはずもなく、仕方なしに不満を込めて口を開いた。
「比企谷八幡だ。今後二度とこの名前を耳にすることはないだろうし、多分明日には忘れてると思うがな」
俺自身自分の名前を耳にしないからな。ヒキガエルくんとかナルガヤくんとか、いやほんと誰のことなんでしょうかね。
「そんなわけないじゃないですかー。……ちゃんと、覚えましたよ」
何かを噛み締めるように呟かれた一色の言葉に思わずどきっとする。
……そんな笑顔で言うのは反則だろ。
なぜか背中がむず痒く、何を言うべきか言葉を探していると昼休み終了のチャイムが鳴った。
「昼休み、終わっちゃいましたね」
「あ、あぁ……」
よいしょ、と一色は徐に立ち上がると、俺に背を向けて渡り廊下へと歩いて行く。やっとこさ平穏が訪れたと思ったのも束の間、彼女は踵を返して満面の笑みで俺を見据えた。
「それじゃあまたです、比企谷八幡せんぱいっ」
フリフリと控えめに手を振るあざとい後輩に、多分俺は一生敵わないのだろうと思った。そもそも敵う敵わない以前にぼっちは争いを好まないのだ。平和主義のぼっちマジガンジー。
いそいそとゴミを片付けて、彼女の跡を辿るようにその場を離れる。
いつもの俺の昼食スポット。彼女が去った後のその空間は、嵐が過ぎた後のような、もしくは嵐が来る前のような静けさが蝕んでいた。