暗い。あと全身が寝違えたみたいに痛い。確かに俺は仕事帰りに家で宅飲みしていた。蜂蜜みたいな色合いと喉越しの変わったお酒だったから、少し酒が進んだという自覚もあるにはある。度の強い酒を飲んで悪酔いしたのだろうか。しかし何か様子がおかしい。
重い足を動かす。ざり、という微かな金属音が聞こえてきた。暗すぎて何も見えないけれど、聴覚がとても良くなっている気がする。それで俺は気付いてしまった。
――え、ちょ……何で俺鎖で繋がれたりしてるの? 拉致されてんの? ヤバいんじゃないの? いや、俺普通のサラリーマンだったよ……?
考えを巡らせているとふいに頭が痛くなってきた。片頭痛よりももっとひどい奴だ。そりゃそうだろうな。こちとら酒が進んで二日酔いも起きているかもしれない身だし。しかし二日酔いとも何かが違う。白昼夢のような――走馬灯のような感じで頭の中で何かがぐるぐると渦巻いている。俺が知っている今までの記憶と、俺が見た事のない記憶とがごっちゃになる感覚だ。
――なんだ、何が起きている?
そのような疑問を抱く暇はなかった。頭痛と鎖に繋がれているという状況に加え、唐突に外が明るくなったのだ。壁の一角が吹き飛ばされるという暴力的な方法で。唐突な爆発に俺は驚き、半ば本能的に身を丸める他なかった。しかし幸いな事に何かがぶつかってきたとか、そういう事はない。強いて言うならば、俺を縛っていた忌々しい鎖が断ち切られた事くらいだろうか。鎖が切れた瞬間は見ていない。しかし音と感覚でその事が解った。
「大丈夫か。俺の可愛い甥っ子よ」
甥っ子。俺をそう呼ぶのは若い男だった。灰褐色の髪は光の加減で暗い銀色に輝き、瞳は明るいブラウンだった。ついでに言えば長身のイケメンでもある。俺はそのイケメンを前にして首をかしげて様子を見るのがやっとだった。二十歳前、下手をすれば高校生くらいに見える男に甥っ子呼ばわりされるような筋合いはない。
もう一つの記憶の、彼に対する反応も薄い。いや反応してはいるのだろうけれど、戸惑いの色が濃い感じだった。
「かわいそうに……こんな所にこんな事をされて閉じ込められてたら、そりゃあ怖いよな」
イケメンは物憂げにそう言って俺に近付いてきた。明るくなった視界の中で、俺はおのれの状況をうっすらと知る事になった。イケメンは巨漢だった……いや、俺の視線が低く、体格もかなり小さくなっているだけだろう。俺の手は小さく、幼子のそれだったのだ。
イケメンが近づくにつれ、胸の鼓動が早まるのを感じる。右足首に巻き付いたちぎれた鎖はまだ良い。俺はここで珍妙な物を発見したのだ。動物の尻尾のような物だ。金褐色の毛に覆われたそれは、見た感じ猫の尻尾に似ていた。三、四本はあるがマトモな状態なのは一本だけだ。あとは半分ほどの長さで断ち切られ、或いは皮ごと毛を引きはがされた形になっている。
それを見た途端、俺は尻尾の痛みを思い出した――痛みを思い出す? これもおかしな話だ。俺は人間だから、尻尾などありはしないのに。だからこれは俺とは無関係なものだ。
そう思って綺麗な尻尾を触ったが、それこそ電流で弾かれたような衝撃を感じて無様にのけぞった。痛みはない。しかし尻尾にも触ったという感触が伝わったのだ。まさしくそれは俺の身体の一部だった。
「落ち着くんだ疾風。そんなに尻尾に触るんじゃないよ。神経がいっぱいあるんだから」
イケメンはそう言って屈みこんだ。その彼の背後にもぞろりと尻尾が生えている。尻尾。こいつも人間じゃあないのか? いやそもそも俺は何者なんだ?
――僕は疾風。雷園寺疾風。雷園寺家の幽閉されていた長男だ。
疑問に応じるかのように、もう一つの記憶から答えがはじき出される。ライオンジハヤテという名が、どのような漢字で構成されているかもはっきりと解った。
見覚えのない名前の筈なのに、何処かで聞いた事がある。そんな名前であるように俺は感じた。
さぁ行こうか。気付けば俺はイケメンに抱え上げられていた。抵抗する間もなかったし、彼の動きは優しくも力強い物だったので、身をゆだねるのも悪くないと思っていた。
視界が高くなった事で、嫌でも色々な物が見えてくる。俺の脚は、身体全体は情けないほどに瘦せ衰えていた。元々そんなに肥っている訳ではないけれど、中肉中背だったはずなのだが。
愛おしげに俺を抱え上げるイケメンの足許に、一人の幼子がまとわりついている。見た所五、六歳くらいだろうか。イケメンや俺と同じく尻尾が生えている。全体的に銀白色だが、所々黄金色に輝く二尾だ。その幼子がイケメンの血縁者である事は、その顔を見れば明らかだ。まだまだ幼さあどけなさが残っているが、目許や鼻筋の通り具合はイケメンによく似ている。幼子は明るい銀髪で翠色の瞳の持ち主だった。
俺は心がざわつくのを感じ、思わずイケメンに縋りつく。この幼子の事を知っている。俺の記憶が喚き散らしていたのだ。いやまさか――そんな事があるとは。
「ごめんな雪羽。後でお前も抱っこしてやるから。少しだけ辛抱してくれるかな。疾風兄ちゃんは弱り切っていて、自力では歩けないんだから」
ああ、このイケメンはやはり雷獣の三國で、幼子は雷園寺雪羽なのだ。俺は確信するほかなかった。
そうだ。俺は「九尾の子孫、最強を目指すってよ」の世界に転生したのだ。三國も雷園寺雪羽もその作品に登場しているのだから。特に雪羽は主人公のライバル、途中からは闇堕ちした悪役として登場していたではないか。
その兄に転生した、しかも雪羽と共に三國に引き取られるとはどういう事なのだろうか。俺もまた、弟共々破滅の道をたどるのか――あれこれ考えているうちに、俺の視界は真っ暗になり、また意識を手放してしまった。