雷獣様の兄   作:斑田猫蔵

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決意対決意――兄弟でも退けぬ争いはあるんだよ(迫真)

 雪羽を殺せばいい。八頭怪の言葉は俺の中で呪詛のように渦巻いていた。いや実際に呪詛みたいなものだ。高笑いをBGMに彼の提案が脳裏に浮かんでくるたびに、俺は八頭怪に怒りを感じるばかりだった。

 八頭怪はああ言っていたが、俺が雪羽を殺すなんてありえない話だ。

 人間としての意識のために、他の妖怪を殺す事への抵抗があるから? いや違う。俺は、俺は――雪羽を弟として愛しているからだ。

 もちろん最初は自分が平穏に暮らすためにと利用していた節もある。しかし雪羽と接しているうちに、情が湧いてきたのだ。雪羽やほかの妖怪たちは書き割りの物語の中の登場人物に過ぎないのかもしれない。しかしそう割り切って過ごす事は出来なくなった。俺にとってはこの世界は現実だし、雪羽も三國叔父さんたちも血の通った存在だ。

 或いは……と、俺は敢えて八頭怪の言葉を好意的にとらえる事にした。殺すというのは敢えて過激な選択を例示しただけに過ぎないのではないか、と。裏を返せば原作以前のこの世界は未確定な部分が多い。未確定であるからこそ、様々な選択ができるのではないかと。

 であれば雪羽を殺さずとも彼の考えを軌道修正する事も可能なはずだ。俺は密かにそう結論付けていた。

――なんだ。やはり同じ結論に辿り着くだけじゃあないか。

 考えを巡らせていた俺は密かに笑みを浮かべていた。八頭怪に惑わされたと言えども、正しい答えを俺はきちんと持っていたのだ、と。

 弟が道を踏み外した時に正すのは兄の役目だ。幸い俺は精神的にも年長である。その役目を果たすには十分だろう。

 

 

「ただいまぁ、叔父さん、月姉に春兄ぃ。今日はお客さんもいるからね」

 

 土曜日。ぶらっと外出した雪羽が戻ってきたのは夜の十時前だった。俺の怪我が治ったのを見届けるや、雪羽はひとりで外出する事が多くなっていた。三國叔父さんはそれを許容していたけれど。

 

「あら雪羽君! お客さんは良いけれど泥んこじゃないの……血の臭いまでしているわ」

 

 出迎えた月華さんは困り顔で雪羽を見ていた。雪羽は叔母であり養母でもある月華さんに対してニコニコと笑っていたが、指摘通り土埃と多少の血でその服を汚していた。隣にはおどおどした表情の子供妖怪が一匹控えている。よく見なくてもアライグマの妖怪だった。

 

「まぁちょっと引っかかれたり殴られたりしたけどさ。俺は大丈夫」

 

 叔父さんの真似事をしただけだよ。そう言うと月華さんの表情が何故か和らいだ。それよりも、と雪羽はアライグマ妖怪の背中を押す。

 

「月姉。この子のご飯も用意してほしいんだ。俺の分が少なくなっても構わないよ。なんせこの子、余所者だって事で苛められてたから」

「それじゃあ、雪羽君はこの子を護るために闘ったのね」

 

 そうだよ。そう言って微笑む雪羽の姿は、善良な好少年にも獰猛なチンピラ小僧にも見えた。どちらが真の彼なのかなどと野暮な事は考えない。今の雪羽は両方を併せ持つ存在なのだろう。

 ご飯の前に傷の手当てをしましょうね。某ゲームのママみたく優しい声を出しながら、月華さんは雪羽の手を取っていた。ここに春嵐さんがいればまた違った展開になっていただろう。しかし間の悪い事に、春嵐さんは仕事の関係で出張中だ。戻ってくるのは確か来週の半ばだ。

 要するに、俺が早いうちにどうにかしなければならないって事だ。

 

「雪羽」

 

 俺の声は低くて昏い響きを伴っていたらしい。アライグマの坊やはびくっと身を震わせ、雪羽自身もいぶかしげに俺を見た。但し、雪羽はアライグマと違って怯えたりはしなかったが。

 事件を経て肝が据わったという事もあるかもしれない。だがそれ以上に、雪羽が俺を信頼しているからこその態度であるようにも思えた。

 

「明日お前と話したい事があるんだ。ちょっと付き合ってくれるかい」

 

 構わないよ。そう応じた雪羽の顔は犬の仔のように屈託がない。獰猛さと無邪気さを併せ持つと気付いていたはずなのに、俺は気圧されたような気分になっていた。

 

 

「話したい事って何かな、兄さん」

 

 日曜日の昼下がり。俺と雪羽は並んで縁側に座っていた。こちらを向く雪羽の顔には疑問の色が浮かんでいる。背は俺よりも高くなっているけれど、その表情はまだ幼くてあどけない。まだ子供なのだ、彼は。

 

「雪羽。お前最近一人で出かけるようになったよな」

「町のパトロールは長になる妖怪にとって大切な事だよ、兄さん。叔父さんだって若い頃はああいう事をしていたんだからさ」

「パトロールだけで泥だらけ血だらけになるものか」

 

 俺の言葉に雪羽の瞳孔がぎゅっとすぼまった。それでも俺は臆せず言葉を重ねる。

 

「昨夜だってさ、遅くまで出歩いていたと思ったら血みどろになって帰ってきたじゃないか。パトロールとか言ってるけど、要は妖怪たちと喧嘩してきたんだろ?」

「喧嘩するも何も、あいつらは悪い事をやってたんだ」

 

 雪羽は不満げに鼻を鳴らしていた。俺を見据える両目は鋭い。それなのに独特の柔らかさ優しさを内包しているようにも感じられた。

 

「――兄さんが言いたい事は大体解ったよ。他の妖怪たちと喧嘩してほしくない。そう言う事でしょ」

 

 そうだよ。頷きながら俺は少し安堵していた。とんとん拍子に話が進みそうだと感じたからだ。説得できればもうこっちのものではないか。

 そう思っていたその時、雪羽が一層笑みを深める。いっそ歪んだようにさえ見えてしまった。

 

「でもね、今回ばかりは兄さんの言う事を大人しく聞く事は出来ないよ」

「な、何だと!」

 

 思わず声を上げる俺に対し、雪羽は物憂げな瞳を向けた。

 

「俺が強くなろうと他の妖怪たちと闘っているのも、悪い妖怪たちを蹴散らして弱い妖怪を子分にしているのもみんな兄さんのためなんだ。

 言ったでしょ? 俺はもう兄さんが傷つくのは見たくないって。本家にいた時も兄さんは、死んだ母さんのために頑張ってくれたんだ。あの時の俺はただ見ているだけしかできなかったから――」

「だが俺は、お前がそう言う事をやっているのは見たくないんだよ!」

 

 またも俺は吠えていた。本当はもっと冷静に諭したいと考えていた。だというのに心の制御が上手くいかない。この見た目と同じく俺の精神は子供に近い物なのか? 雷獣特有の、感情に振り回されやすい性質のためなのか? それとも――雪羽への偽らざる愛情のためなのか?

 しかし、俺を見据える雪羽はむしろ冷静さを保っているように見えた。

 

「ねぇ兄さん。俺よりも兄さんが強ければ、俺もこんな事をしなくても良いって事だよね?」

 

 そうだ。若干の無邪気さを孕む雪羽に対して俺は頷く。雪羽の白い面に、裂けるような獣の笑みが広がった。

 

「それじゃあ試してみようよ。兄さんが俺に護られなくても強いって事をさ」

 

 翠眼がギラギラとした光を放っている。俺同様に雪羽も決意を固めているのだと、俺は感じていた。

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