「それじゃ、俺はちょっと野暮用があるからさ。すぐ戻って来るけれどみんなで頑張ってくれよな」
雪羽がそう言って個人事務所から飛び出していったのは、ハクビシンギャルとのやり取りがあってからわずか数分後の事だった。誰がどう考えても、彼女の言葉にむくれて出ていったように思えてならないぞ。
兄である俺が引き止めれば良かったのだろうが、他の妖怪と協力して机を運んでいる最中だったからどうにもならなかった。
「雪羽さまってば。用事があるなら僕にも声をかけてくだされば良いのに……」
名残惜しそうに雪羽が立ち去った所を眺めているのはアライグマ妖怪の坊やだった。彼は第一番目の取り巻き、手下に当たる。窮地を助けられたためなのか、彼は無邪気に雪羽や俺の事を慕っていた。
「すまないねぇ河渡君。弟のわがままに振り回されてしまって」
アライグマ妖怪を眺めながら、俺は言葉を紡いでいた。
「弟は、雪羽は最近ちょっとわがままになってきちゃってね。ああして気まぐれに動く事が度々あるんだ。前までは素直に兄である俺の言う事を聞いてくれていたというのに……」
雪羽の手綱を握れていないのは俺に責任がある。そう言う心づもりがあったから俺はそんな事を言っていた。しかし、怪訝そうな表情で首を揺らしたのは他ならぬハクビシンギャルその妖だった。
「あら。別にあたしはあの子が特別わがままだとは思わないわよ。というか、あなた達くらいの年恰好だったら、そろそろ反抗期とかがあってもおかしくないもの」
やっぱりこの人年上だわ。お姉さん妖怪じゃなくてお姉様妖怪かもしれんな。
そんな事を思っていると、彼女の視線は真っすぐ俺に向けられた。
「疾風君だったっけ。むしろあなたの方が落ち着きすぎて子供っぽくないって感じがするのよ……あたしの気のせいかもしれないけれど」
「疾風様は大人っぽいからねぇ」
「うんうん。雪羽様と良いコンビだと思うけどなぁ」
他の妖怪たちが納得したりフォローを入れたり(?)する中で、俺は心臓をわし掴みにされたような気持になっていた。
俺が大人っぽく見えるのはまぁ事実だろう。外側は雷園寺疾風という妖怪の少年であるが、中身は前世の人間、それも成人男性の意識なのだから。疾風本来の意識は何処に行ったのかは定かではない。もしかしたら拷問を受けて投獄された直後に瓦解してしまったのかもしれなかった。
ともあれ俺は、俺の転生者としての本性が見抜かれているのではないかと恐れていたのだ。
転生者であるという事は八頭怪以外の皆には隠し通している。もちろんこの世界でも転生という概念はあるらしい。というか妖怪であれ人間であれ動物であれ、死後は解脱しない限り何かに転生するという世界観であるようだ。
しかしだからと言って、この世界がアニメであったという世界から転生してきた俺を受け入れる程度量は深くないだろう。異物異端として白眼視し始めるのではないかと俺は思っていた。
八頭怪に知られてしまったのは事故みたいなものだ。いや……あいつは幾重にも重なった次元を知っていると言っていた。俺が何も言わなくても察していたかもしれない。
「それにそもそもからして雷園寺家のお坊ちゃまたちには既に色々噂もあるしね。雪羽君は年相応にヤンチャながらも見た目以上の力を持つ妖怪として、そして疾風君に関しては――未来予知の能力を持つってね」
未来予知の能力。そう言ったハクビシンギャルの瞳を俺は覗き込んでいた。冗談めかした気配はない。周りで預言者だの予知能力者だのと言い合っている子供妖怪たちは面白がってるみたいだけど。
「未来予知だなんてとんでもない。そんな大それた能力があったら……」
弟を持て余したりしませんよ。そう言いかけて俺は口をつぐんだ。そもそも弟を持て余すと俺が考えている事自体が不自然であると気付いたからだ。俺は、雷園寺疾風は確かに雪羽の兄に当たる。しかし同い年の兄なのだ。兄弟姉妹の序列は妖怪の中にもあるけれど、同い年であればその権限も大きくない訳だし。
それに妖怪たちは預言者の話で盛り上がっているが、それも考えてみればそう不自然な話でもない。預言者と言えばあの有名なノストラダムスの大預言が存在している。一九九九年に恐怖の大魔王が降臨するとかいうアレだ。今はまだその預言の日まで九年ほどの猶予があるが……おりしも預言ブームが訪れているらしい。
そこに来て未来予知ができる(と思われている)俺の存在と来た。俺の周囲の若妖怪たちは、来るべき預言の日への興奮と俺の能力とを重ね合わせているらしいのだ。
そう言えば雪羽も預言の日は気になるらしく、アトラとかいう雑誌を買ってもらって読んだり俺に読ませたりしていた。あの時島崎という名を見つけて密かに驚いたのは内緒だ。添えられた顔写真が、あの島崎源吾郎に生き写しだったからだ。
まだ世は平成に入ったばかり。平成中ごろに生まれた源吾郎はまだこの世にいないはずではないか――? そう思っていたら写真の人物は源吾郎ではなかった。さりとて赤の他人ではない。源吾郎の実の父、島崎幸四郎だったのだ。
源吾郎の父親はアニメではほとんど登場しないが、確か源吾郎の容姿は父親似である事が明言されていた。仕事は何をしているかは明らかではなかったものの、まさかオカルト雑誌に登場しているとは。
「やぁただいま。みんな頑張ってるからさ、差し入れを用意してきたよ」
そうこう思っているうちに雪羽が戻ってきた。彼はレジ袋を片手に提げてブラブラさせている。白いレジ袋の中身が透けて、缶ジュース類が入っているのがうっすらと見えた。
「お腹もすいてるだろうから、出前も呼んでるんだ。何、俺のポケットマネーだから、お金の事とか気にしなくて良いよ」
雪羽はさも気前が良さそうに笑っている。ご褒美とはこの事だったのかと俺はぼんやりと思っていた。
実は島崎君は1999年生まれだったりしますが、別にノストラダムスの予言とは無関係です。