「雪羽は必ずしも悪役になる訳でもない。そう言う事だな」
散り散りバラバラになりかけていた思考をまとめ、俺はカズキに問いかけた。この世界が俺の知る原作ではないのかもしれない。その事を思った時、まず八頭怪の姿が脳裏をかすめた。俺が不安を抱いたのはもしかしたら八頭怪の幻影のせいだったのかもしれない。
もうかれこれこの世界にやって来て十年近く経つ。よもや俺の活動が全て無駄であるとは思わないが……それでも心細さが去来したのは嘘ではない。
だからとにかく一番大切な事をカズキに問いかけてみたのだ。原作の流れがどうであれ、雪羽が闇堕ちしてほしくないというのは俺のまごう事なき本心だ。最初は保身のためだった。雪羽の兄である俺にも、闇堕ちした後の雪羽のとばっちりがやってくるかもしれないと。しかし今は……保身よりも実弟への愛情が勝っていた。
確かに俺は雪羽を愛している。と言っても妙な意味ではない。弟としてという意味だ。まぁブラコンになったという事なのだろう。というか後世ではブロマンスとかいう言葉も出てくるはずだ。俺などはそれにばっちり当てはまるのかもしれない。
さてカズキに話を戻そう。カズキは俺の顔を見てしばらくの間きょとんとしていた。俺の態度というか言動に圧され、ちょっと面食らっているらしかった。
しかし相手もすぐに気を取り直したらしく、唇を舌で湿らせてから口を開く。
「原作の流れとやらを気にしていたのかい。そんなものが儚い物である事くらい、君ももう解っていると思ったんだけどなぁ。
何せ原作との乖離は、既に君という存在が成し遂げているじゃないか。何もかもが四角四面に原作通りに進むのならば、そもそも雷園寺雪羽の兄なんてものは存在できないんじゃないかい? それに俺も、原作とは違う動きを取れている訳だし」
原作とは違う動き。カズキの言葉に俺は若干の胸騒ぎを感じた。それはカズキが憑依した庄三郎君の面に浮かぶ禍々しい笑みのせいなのか、そもそもカズキが庄三郎に憑依しているという事柄そのものに対してなのか判然としない。
転生してから培ってきた妖怪の勘が警鐘を鳴らしているのだと俺は思った。
「いいかい疾風君。俺は原作の流れなんて怖くもなんともないんだよ。むしろ、原作ブレイクしたいくらいさ。無論この世界は俺も気に入ってるし好きな世界と言えるだろう。折角妖怪のいる世界で妖怪として生を享けたんだ。妖怪らしく自分の思うがままに生きて何が悪いというんだ?」
主張を重ねているうちにカズキの笑みが変質する。というよりも笑みに浮かぶ禍々しさ邪悪さが色濃くなっていったのだ。
島崎庄三郎を利用して乗っ取り、俺こそがこの世界に君臨する。笑みと共に放たれた言葉の意味を、俺はすぐに把握する事が出来なかった。今の今まで真面目に話し合っていると思っていたからだ。思いがけぬものを見聞きしたとき、正しくそれを認識できないのは妖怪も同じ事らしい。
「それは……本気で言ってるのか」
「もちろん本気だ。ついでに言えば俺は正気だからな」
小馬鹿にしたようにカズキは鼻を鳴らす。
「同じイレギュラーと言えども、メインキャラの兄に転生したとは恵まれた身分だな雷園寺疾風君よ。それに引き換えこの俺はどうだ。ただただ他人に憑依するしか能のない、作中での出番どころか名前すら解らんようなモブキャラ中のモブキャラだぜ。折角知っている世界に、未来の流れをある程度把握できるこの世界にやって来たんだ。名無しのモブキャラだからって、大人しく指をくわえて隅っこにいる事なんてできるかよ」
だから庄三郎を見つけ出し憑依した。カズキは臆面もなくそう言ってのけたのだ。
「やつを探し出すには骨が折れたが、それでもまだ運は俺を見放してなかったんだろうな。何せ源吾郎――この世界の主人公――が生まれる前にこいつを見つけ出せたんだからさ。
原作まであと二十年足らずだ。その間にこいつを使って俺はのし上がってみせる。こいつは原作ではしょうもない引きこもりの画家になっただけだったが、
カズキの言葉を聞いているうちに、俺はそこはかとない気味悪さと吹き上げるような苛立ちを感じていた。
妖怪は身勝手な生物である事は俺もよくよく知っている。しかしそれでも、カズキの仕出かそうとしている事は一線を越えている。妖怪としても人間としてもそう思えてならなかった。
「おのれの欲のために子供を巻き添えにするなんて……この下司野郎が」
「下司の何が悪いんだ」
俺の憤怒の言葉を、カズキは涼しい顔で受け流す。しかしその瞳には嫌悪と憎悪の色がありありと浮かんでいた。
「俺が下司ならあんたは偽善者だろうな雷園寺疾風。あんたがこれまで何をしてきたのか俺には解らんが……きっと雪羽の闇堕ちとかいう幻想に怯え、あれこれと画策していたんだろう。
そうして
カズキの言葉に俺は反駁できなかった。そうしているうちにもカズキは言葉を続けた。
「ははは、お前はきっと前世でも今世でも恵まれた暮らしをしていたんだろうな。そうだよ、だからお前には俺の気持ちなんて解らないだろうな。
風采も上がらずそれどころか周囲からないがしろにされ、涙も流さぬ道化と見做されるような俺の気持ちなんてな!
だがここは、そんな事のあった糞忌々しい前世じゃあないんだ」
幼子の身体と声を借りてカズキはマシンガントークを続けている。こいつは狂っているのではないか。唐突にそんな考えが浮かんでしまった。
「恐らくは神様も俺の惨めな人生に共感して、新しくやり直す場所を提供してくれたんだ。俺はここで俺がやりたいようにやってやるよ。そのためには源吾郎も他の連中も邪魔なんだよ」
それからカズキは僅かに顔を上げ、俺に目を合わせた。
「雷園寺雪羽の事は心配するな。原作の流れがどうであれ、潰してやろうと思っていたからさ」
急に一陣の風が俺たちの間を吹き抜ける。桜の花びらが突風の中に巻き込まれ、上質な紙吹雪のように俺たちめがけて舞い散って来る。まごう事なき桜吹雪だったが、そこには幻想的な気配はひとかけらもなかった。
ここで原作改変の意味に言及しました!