島崎庄三郎と彼に憑依したカズキとの出会いを果たした翌日。俺は熱を出して寝込んでしまった。昔偉い人が「妖怪は病気にならないし死なない」と言っていたらしいが、生憎この世界の妖怪はそうではないようだ。
雷園寺疾風が倒れた事に、三國叔父さんたちを筆頭に多くの妖怪たちが驚き困惑した。だけど一番戸惑っているのはこの俺だ。転生してそれなりの年月を重ねているが、特に理由もないのに熱を出し、それだけで倒れるなんて初めての事だからだ。
まぁ、一度カマイタチに腕を二つに割かれた時もしばらく寝込んでいたが、それはそれで外的ダメージという理由はあるにはあったけど。
……いや、欺瞞で押し隠すのは止めよう。俺が寝込むほどにショックを受けた理由は実は知っている。カズキに出会ったからだ。
もちろん、彼と出会って話を聞いて良かったと思えるところはあるにはある。転生者という異質な存在が俺だけではないと知った事と、雪羽が破滅しない原作も存在すると知れた事だった。
もっとも、その後のカズキの邪悪な言動が、それらの良かった点を完膚なきまでに叩き潰しているんだけれど。
カズキは何もかもが俺と違っていた。俺は雪羽の兄に生まれたから、弟の破滅と俺に降りかかるであろうとばっちりを回避するために暗躍していた。
一方のカズキは、見た限り原作に関与するようなキャラではない。しかしわざわざ庄三郎(主人公である源吾郎の兄だ)を見つけ出して憑依し、その上で原作をかき乱そうとしている。
カズキは……あいつは原作で活躍する妖怪たちをどん底に引きずり下ろし、その上で自分が主人公になり替わろうと画策している。雪羽が破滅しない物語を知っているにもかかわらず、である。むしろカズキはノリノリで雪羽を潰そうと思っていると言っていた。
前世では風采の上がらなかったカズキは、ライバル枠としてイキイキと活躍する雪羽に嫉妬と憎悪の焔を燃やしているのだろうか。
単に、美しい物を穢して貶めたいという、背徳的な嗜虐心によるものなのだろうか。
カズキの真意がどのようなものなのか、俺には解らないし詳しく知りたくもない。ただ一つ言えるのは、カズキと庄三郎を野放しに出来ないという事だ。
しかし今の俺に何ができるというのだ? そうした思いが脳内で渦巻き、堂々巡りを繰り返し、その末にオーバーヒートを起こしてしまったのだ。
三國叔父さんは働き過ぎたために疲れが出たのだろうと思っている。だけど様子を見に来た紅藤様は違っていた。彼女は俺を見て「少し心が弱っているから注意してほしいの」と仰ったのだ。大丈夫です、と俺は言いたかった。だけど実際に俺がやったのは、照れたように首を横に向ける事だけだった。口を開いたら最後、何を言い出すか自分でも解らなかったからだ。
※
「不安なのね、疾風君……」
ぼんやりとした春の昼下がり。俺の枕元にやって来たのは月華さんだった。彼女は三國叔父さんの妻だから、俺たちの叔母にあたる妖になる。血縁上は叔母になるんだけど、立場的には義理の母親みたいな存在でもある。
そんな今世での義理の母親である月華さんは、三國叔父さんと同じく若々しい姿の持ち主だった。ついでに言えば美人だし大人の女性という感じもする。
……よくある転生ものなどでは、若い母親や義理の母親に主人公の男が恋心を抱いたり欲情したりするものがあった。だけどそんなものは虚構である事を俺は知っている。月華さんを完全に母親と見做しているとは言い難い俺だけど、女性として見ている訳ではない。やはりこの妖は三國叔父さん同様保護者だと俺は思っている。
弟の雪羽は雪羽で月華さんを母親と見做せないでいたが、それはまた別の話だ。
さて月華さんは俺を見つめると淡く微笑み、頭を冷やすためのおしぼりを額に置いてくれた。
「大丈夫。疾風君はもしかしたら昔の事を思って心細くなってるだけかもしれないけれど、私たちがついているから。
疾風君。何か食べたいものがあったら教えてね。それとも今は特に大丈夫かな」
「だ、大丈夫だよ月華ねえさん……」
気付けば俺は口を開き、月華さんの問いに応じていた。それまで半ばぼんやりとしていた俺は、目を見開いて月華さんを見つめる形を取っていた。先程俺は自分が発言するのをもちろん耳にしていた。
しかし何というか、自分で発言しているのに自分が発言した訳ではないという事に俺は気付いていた。端的に言おう。俺はあの瞬間、何かに操られていたのだ。
月華さんはそんな俺の戸惑いに気付いているのだろうか? よしんば気付いていたとしても伝える事は難しい。
「うふふ、私にもきちんと甘えていいのよ疾風君。疾風君も雪羽君も、二人ともずっと頑張ってるんだから……」
月華さんが去ったのと入れ替わりに、雪羽や彼の仲間の妖怪や春嵐さんなどが断続的に俺の様子を見に来てくれた。やはりその時に応対したのは、俺ではなく俺の中の何かだったのだ。物言いは俺よりもうんと幼かったが、熱が出て疲れているからなのだろうと皆は思ったらしく特に不審がられる事もない。
そこで俺は気付いた。中身がどうであれ、雷園寺疾風はまだ子供なのだと。
※
俺が寝に入ったのは皆がいなくなったのを見計らっての事だったのか、それともそんなのとは無関係に眠くなっただけなのか、判然としなかった。
とにかくひどく疲れて眠りたくなったのだ。
眠りの世界に入った俺だったが、ほんのりと輝く場所に沈んでいくような情景が目の前に広がっていた。沈み切った先には、俺の来訪を待つかのように小さな影が佇んでいる。
「……久しぶりだね」
上目遣いにこちらを眺め、その影が俺に声をかける。その姿を目の当たりにした俺は、起きていた時以上の衝撃を受け、瞠目して立ち尽くした。
俺を待ち受けていたのは一人の妖怪の子供だった。年恰好は五、六歳くらいだろうか。金褐色に輝く四尾、黄金色に近い明るい琥珀色の瞳……かつて見た雪羽に生き写しの妖怪がそこに佇んでいたのだ。
俺は無論この妖怪を知っている。だからこそこんな形で邂逅する事に驚いていた。
転生ものに限らず、若い母親や義母に恋愛感情を抱くって言うストーリーには若干の違和感がございます。
ちなみに、雪羽君が月華さんを「母親」と見做せないというのは原作でも同じですね。