summer pockets~Second story~ 作:白羽凪
潮風がなびく。僕は一人、見知らぬ島に向かう船の甲板にいた。
気が付けば、かなり遠くまで来てしまった。手元にある金ももう底が見え始めている。
僕の逃避行の行きつく先は、どうやら今目の前に見えている島らしい。
『まもなく、島に到着します。お降りの際は———』
これからどうするか考える間もなく、時間はただ無情に過ぎる。
抵抗するすべなどなく、僕は降ろされるがままに船から降り、島の大地に足を着けた。
立ち止まって、改まって天を仰いだ。先ほどから止まず吹き付ける潮風が心地よくて、だからこそ僕は困惑してしまう。ここは本当に、僕がいていい場所なのかと。
今ならまだ、引き返せる。
そう分かっていても、足が動かない。それほどまでに、僕はもといた場所に帰ることを拒んでいるみたいだった。
それから間もなく、船は本土の方へ折り返していく。僕が乗ってきた船は、すぐに見えなくなってしまった。
「あっ・・・」
むなしく手を海の方へ向けて伸ばす。届かないことなんて百も承知だ。
「・・・これから、どうしようか」
来たのはいいものの、宿に何泊もするお金なんてないし、こんな島に遠い親戚どころか身寄りがあるわけでもない。手元の残りの資金は、家に帰る交通費と少しほどしかないだろう。
「・・・とりあえず、折角来たんだし島でも巡ろう」
本当ならそんなことを考える余裕なんてないはずなのに、僕はそんなことを思いついた。それほどまでにこの島の空気は心地よくて。
それに、ここまでの緑、ここまでの青は随分と久しぶりに見た気がしていた。それは美しいと呼ぶにふさわしくて、気を抜いたら涙すら出そうになる。
こんな息苦しい時代でも、こんな場所があったと思うと、それはどこか嬉しくて。
だからこの今だけは、僕は鬱屈とした全てを忘れて歩き出せそうな気がしていた。
---
陽炎が揺らめく炎天下の中、僕は当てもなく歩く。
海沿いの小さな道を歩いて、坂道に苦戦して、上った先にある草むらの木陰で休憩して、それからまた歩き出す。
たどり着いた先は島の中心部だった。目の前に見える建物が、どうやら町役場らしい。潮風を浴びて、老朽化も重なって、ずいぶんと古びてしまった役場だが、生きている空気が肌を通して伝わってくる。
僕が建物に入ろうかどうしようかと躊躇って一歩踏み出したその時、向こうからドアが開いた。そこから一人の女性が出てくる。
「おっと・・・。見慣れた顔じゃないな。観光客か?」
「あ、ええと・・・」
「・・・悪い。急に詰め寄りすぎたな。こういう時は名乗るのが先か。私は三谷。三谷美希だ。この役場の管理人をしてる。もしよければ、名前を聞かせてくれないか?」
「あ、えっと僕は・・・雨宮、渚です」
「雨宮か。よろしくな」
何一つ棘のない笑みが向けられる。初対面の僕に。
困惑する間もなく、美希さんは尋ねてきた。
「それで、今日はどうしてここに来たんだ? 観光客は今時珍しいぞ?」
「それは、ですね・・・」
どう言ったものか・・・、と僕は頭を悩ませる。
僕はこの島に、逃げてきたんだ。
自分の置かれている環境全てが嫌になって、見知った誰かに注目されるのが怖くて、向き合う事から逃げたくて、ここに来た。
けど、そんなことをこの人に言って何になる? きっと迷惑をかけるだけだ。
かといって、観光客です、と嘘を吐く勇気も、僕にはなくて。
僕が返答に困っていると、僕の後ろからまた別の人の声がした。
「どうしたんだ? のみき」
「ん、天善か。いや、久方ぶりの来客でな、ちょっと話をしてたところなんだが・・・。それよりお前、仕事は?」
「なぜか知らんが早帰りを命じられてな。ノルマはクリアしてるから問題はないはずなんだが」
「そうか」
「・・・ん、君が来客か?」
「ああ。雨宮と言うらしい」
僕のいないところで、どんどんと話が進んでいく。少ししてようやく僕に話が振られたと気が付いて、慌てて自己紹介をする。
「えっと、雨宮渚です・・・」
「そうか。俺は加納天善だ。それで、雨宮は観光か?」
全く同じことを聞かれる。前の質問からインターバルと考える時間こそあったものの、何一つ考えることが出来てない。
しかし、そんな僕を一目見るなり、加納さんは何か気が付いたようだった。
「・・・一概に観光、というわけでもなさそうだな」
「分かるのか?」
「ああ。20年前の鷹原にそっくりだと思わないか?」
「言われてみれば・・・」
また、僕の知らないところで話が進む。それに新しい人の名前まで出てくる始末。もう何もかもめちゃくちゃだ。こうなるために、ここに来たわけじゃないのに。
そして加納さんは、僕の核心を突く一言を放った。
「雨宮は、どこから来たんだ?」
「えっと、関東の方からです」
「関東・・・そんな遠くからの来客なんて何年もなかったぞ」
「・・・泊まる場所は、決まってるのか?」
「・・・!」
僕が説明するよりも早く、この人は僕がどういった経緯でここに来たのかに気が付いていた。いくら大人と言っても、こんな簡単に他人のことが分かるとは思わなくて、僕は言葉を失った。
「なるほど、そういうことか」
美希さんも気が付いたようで、一度神妙な顔つきで頷いた。
僕のことは何も話していないのに、なんでこうも分かるんだろう。
それから二人の顔つきは、ほんの僅かだけど険しくなった。今すぐ帰れとでも言うんだろうか。どうもそれが怖くて仕方がない。
けれど、答えは違った。
「いつまでいたい?」
「え?」
「この島にだ。こんな大げさな荷物持ってきて、やることがなくなったからさあ帰ります、という訳でもないだろう」
「えっと・・・特に決めてません。頭が真っ白なまま飛び出しちゃったので」
その割には用意周到な荷物だと自分でも思う。僕は結局何がしたくて、誰にどう思ってほしくて、この場所に来たんだろう。
・・・。
加納さんは一つ息を吐いて黙り込んだ。しばらく何か考えて、やがて終わるなり僕に話しかける。
「提案だが」
「?」
「泊まる場所がないというのなら、家を貸さなくもないぞ」
「え?」
「天善・・・お前、いいのか?」
「たぶんこれが最適解だろう。それに、これから夏休みだ。夏休みが始まるとどうなるかのみきも分かるだろう?」
加納さんがそう言うと、美希さんはううむと渋い顔をした。
「確かに、子供たちが学校に行かなくていいとなると一気に親としての忙しさが変わるからな。私のとこも鷹原のところも、蒼のところさえも忙しくなるからな」
「なら、俺の出番と言う訳だろう?」
「あっ、あの・・・!」
僕は声を掛けてしまった。本当に無意識だった。けれど、声を掛けてしまった以上何でもないですとは引き下がれない。
「本当に、いいんですか?」
「ああ。どうせ俺は日中家を空けることが多いからな、どうってことない。それに一人で住むには少々持て余していてな。もちろん、雨宮が嫌って言うなら無理強いはしない」
「あ、いえ・・・その・・・お願い、します」
とりあえず、家には帰りたくなかった。その気持ちが勝って、僕は二つ返事を返した。
すると加納さんはふっと微笑んだ。これまでの重たくなりかかっていた空気を全て跳ねのけるように。
「分かった。そうと決まれば一旦帰るぞ。重たい荷物を持ってこの島を巡るのも中々に酷だろう」
「え、あ、はい」
特に拒否権もなく、僕は加納さんの後ろをついて歩き始める。
そうして、僕の長い長い夏休みが始まった・・・。
お疲れ様です、白羽凪です。
いやぁ・・・ついにこのプロットに手を出してしまったかと自分で驚愕しております。
実は今作のプロット自体は、去年一月の段階である程度出来ていたんですよね。それこそ温存して1年は経ってるってことです。
しかしながらまあ話の規模のでかさと難易度がかなり高くて、書きあぐねていたのですが、いよいよ発作が起きてしまい、始めることにしました。
まあ、順当にいっても一年は余裕でかかると思います。温かい目で応援してください。
それでは、また次回。