少しだけテンションの低いステイシャーリーンがトレーナー室に入ってくる。トレーニングシューズを持ってくるように言われていたので、昨日のうちに綺麗に洗ってきた。念のため。
「失礼しまーす」
間延びした声で入室してきたステイシャーリーンと―――お疲れ様とそれを迎える声。
「お水飲んでもいいですか?」
「当店はセルフサービスでおかわり自由となっております」
デスクワークをしながらノリのよい返事をした山内はキリのいいところで仕事を切り上げると、すでにソファに座っているステイシャーリーンの対面に座った。
「じゃあ早速例の物をみせてくれるかな?」
「どうぞお納めください」
「では拝見させていただきます」
山内はステイシャーリーンからトレーニングシューズを受け取ると、中敷きをとりだして観察し始めた。靴を裏返し、隅々まで観察する様子をみているステイシャーリーンはやはりちょっと恥ずかしくなってしまう。気にするなというのも無理な話だが、やはりそれはそれとして恥ずかしいものだ。そんなステイシャーリーンの気持ちをよそに観察を終えた山内は――なるほどな。と独り言をつぶやいた後、レクチャーを始めた。
「この中敷きとシューズを見てもらって何か感じることはないか?言っとくけど別に怒っている訳じゃないからな?」
「えっと…特には?」
「じゃあこうやってみたらどうだ?」
そう言って山内は中敷きの角度や向きをステイシャーリーンの目線に合わせてゆっくりくるくると回し始めた。最初はよくわからないステイシャーリーンだったが、左右の中敷きを見比べているうちにあることに気が付く。
「右の中敷きの方が薄い・・?」
「そう。シューズと蹄鉄もよくみてごらん」
言われるがままにステイシャーリーンは自分のシューズと蹄鉄をじろじろと観察する。確かに右のシューズは左に比べてすり減っているのがわかった。蹄鉄だってそうだ。思い返してみれば、左よりも右の蹄鉄の付け替える数が多かった気がする。
山内は立ち上がってホワイトボードに何かを書き始める。4回分のタイムらしき数字を書き終えると、ステイシャーリーンはこの時点で昨日走った時のタイムだということが瞬時にわかった。
「そしてこれが昨日走ってもらったコースのタイム。ステイシャーリーンの脚は右利き。これから導き出される答えは?」
「左回りが得意ってことですか?」
「そう。まだデータが少ないから何とも言えないが、右回りと左回りでは0.8秒も違う。これはシャーリーンの強みであると同時に、弱みにもなりうる。一体それは何故でしょう?」
「右回りに弱いからですか?」
「簡単に言えばそうなっちゃうんだけど、レース以外のことにも関係してくる。いや、レースにも関係してくるか」
「もったいぶらないで教えてくださいよ」
「ある程度は自分で考える力をつけないとね。間違えてもいいから自分なりの考えを話してごらん」
ステイシャーリーンからの軽いブーイングを突き放した山内。むむっと唸りながら考えているステイシャーリーン。いくらトレーナーといっても最後はターフに立って走るのはウマ娘本人なのだ。あらかじめ立てておいた作戦がレース中に上手くいかなくなりそうになる時だってある。そう言った時のために柔軟な発想を持ってほしい。日頃から考える癖をつけてもらいたいというのが山内の考えだった。
(考えずにフィジカルでごり押しできるタイプもいるんだけどね・・・)
そこから数分うんうんと唸るステイシャーリーン。
「・・脚に負担がかかる・・とかですかね・・?」
「ほぼ正解。今は問題ないかもしれないが、今のステイシャーリーンの両脚にかかかっている負担は平等じゃない。当然少しずつ歪みが出てくる。そうするとその歪みを体が無意識にカバーしようとしてずれてくる。そのずれが修正できなくなってくると、体の痛みになり、それを放置すると怪我につながる」
「じゃあ私ってもしかして・・」
「早かれ遅かれ、どこかで怪我をする可能性が高かっただろうね。」
ステイシャーリーンは仲の良かった先輩を思い出した。入学したてのステイシャーリーンの同室だった先輩は世話を焼いて可愛がってくれていた。1年後、怪我が原因で学園を去って行く先輩を見送った時のことを思い出したのだ。
「どんな凄いウマ娘だって怪我をしたら走れなくなる。怪我無く走り続けることの大事さと大切を忘れないようにね。以上の説明を踏まえた上でシャーリーンの今後の練習プランはこちら」
そう言いながら山内はホワイトボードをクルリと回転させるとコンコンと握りこぶしでボードを叩きながら注目させる。予めこうなることを予想して、トレーナーがボードに書きこんでいる所を想像したステイシャーリーンは少しだけ笑ってしまいそうになるのを堪えたが、得意げな顔で説明を始めようとする山内の顔を見て決壊してしまった。
「なんか今笑うとこあった?恥ずかしいんだけど!?」
「だってトレーナーがこうなることを予想して必死にボードに書き込んでいるのを想像したらなんか面白くて」
「でも実際こうなっただろ?展開予想は得意分野だから今回の勝負は俺の勝ちってことで」
「いや、何の勝負かわからないです」
軽いやり取りをした後、山内の説明を受けていくステイシャーリーン。今後は体の歪みの修正を重視したトレーニングを中心にしていき、新しいフォームは忘れない程度の練習量。肺活量を鍛えるためのプールトレーニングなど一通りの説明を受けた。
「あとは路線の希望なんだけど・・シャーリーンには希望があるかな?クラシック路線とかティアラ路線とか・・マイルで戦っていきたいとか」
「これといった目標は正直ないんです。私ただ走れれば良いと思ってきたので・・」
「じゃあ僕が今後のプランを決めてもいいかな?」
「大丈夫です。お願いします」
ステイシャーリーンには明確な目標がなかった。この路線にいきたい。3冠バになりたい。ステイシャーリーンはいくら地元で早かったとはいえ、トレセン学園にきてから打ち崩された自信は夢見る彼女を現実に引き戻すのは簡単だった。身の丈にあった目標を。重賞、オープンウマ娘、いや、メイクデビューできればいいか。幼少のころ描いていた夢とは裏腹にどんどんスケールダウンしていく。そんな時に山内トレーナーと出会えた。
「シャーリーンの今後の目標は・・正直に言うとシャーリーンはマイルには向いてないと思っている」
薄々感じていたが、思った以上に心に深いダメージを受けたステイシャーリーンは山内の次の言葉を冷静になるよう努めながら話に耳を傾ける。
「マイル戦というのはスピードが求められる展開が多い。シャーリーンはどちらかというと中長距離、もしくはステイヤー気質な感じがするね。ポジションも前目でレースをするよりも差しや追い込み、後方で控えるレースをするほうが恐らくあっているだろう。一瞬の切れ味で勝負というよりは、スタミナ勝負に持ち込んで勝つというスタイルの方がいい結果が残せるはずだ」
「でも私そこまで体力ある方じゃないです。2000メートルならまだしも3000メートルとかになると・・」
「シャーリーンはまだジュニア級だからね。3000メートルは恐らく無理だろう。だが後々はきっと走れるようになると思っているよ。スタミナはこれからのトレーニングでついてくる。プールでのトレーニングはまさにそのため。脚の負担を軽減しつつ、スタミナを鍛えていく。それにほら、大とび走法で息にも余裕があっただろ?幸い、足回りのパワーは十分ある。君の強みだね。本格化を迎えるまでは無理をせず体づくりをしっかりしていこう」
言われてみるとそんな気がしてきた。確かに苦手な分野で戦うよりかは自分の強みを活かしたほうがいい。そう思い始めたステイシャーリーン。全く持って単純な思考回路である。
「昨日の走りを思い出してみればイメージしやすいかも。あの走りにさらにスタミナがつき、速度を維持したままコーナーリングして余力十分で最終コーナーを回って回りを差し切ってゴールする。どう?イメージできた?」
「確かに・・あの走りなら勝つビジョンが見えるような気がします。」
やみくもにレースをしていたあの頃よりも自分が勝つ明確なレース展開を予想できる。それだけでステイシャーリーンはわくわくしていた。
「走る練習はしばらく減ってしまうけどそれは勝つための練習。全てはレースで勝つために。この方針で問題ないかな?」
「お願いします。選抜レースで勝つために私がんばります!」
目標が定まってモチベーションが上がるステイシャーリーン。その後も山内とミーティングを重ね、レースのいろはを叩きこむ。全ては勝つために。