血道の途上   作:ジョク・カノサ

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 世の中を何回、呪ったか分からない。歴史はいつだって身勝手な()()を押し付けて来る。

 

 何度もこの想いを捨てようとした。何度も許されるはずがないと自戒した。

 

 でも、ダメだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「痺れを切らしたって感じ」

 

 潔理は切り揃えられた前髪を揺らし、メモ帳に僕が話したさっきの出来事を詳細に書き込みながらそう言った。

 

 これは小岩井美鈴のストーカーが始まった時からその日時や実際の被害を記録しているメモ帳だ。いざ警察に被害を届け出る際、こういった記録があればこちら側が有利になると言って潔理が始めたものだった。

 

「二年前から直接的な接触は無かった……どころか、こんなにストレートに来たのは初めてだね」

 

「うん……最初に呼び出された時と、僕が不在の時に家に来てた時以来かな」

 

 小岩井美鈴のストーカーと嫌がらせは中学二年のあの日から様々な手段で続いている。直接話しかけて来る機会自体はほとんど無くなったけど、それ以上に神経をすり減らすようなことをしてくるようになった。

 

 中学三年の時、彼女が流したであろう僕と彼女が付き合っているというのがいつの間にか噂を通り越して半ば事実になりかけていたという出来事は今でも記憶に残っている。

 

「まあ、よい君もう三年だからね。()()の数も多いし焦ってるのは読み取れる。あの人の思考なんて分かりたくもないけど」

 

 アレというのは得体の知れない手紙や贈り物のことだ。進学先が別々になった高校一年の時から送られ始めた代物で、これも潔理の判断で全てを保管してる。

 

「流石にもうシャレになってない。……お母さんとお父さんにも協力してもらって警察に行った方が良いと思う」

 

「……」

 

「よい君は躊躇ってるけど、あの人のせいでよい君の人生メチャクチャになってるんだよ?」

 

 潔理の発言は大げさという訳でもなかった。僕が高校に進学しても、部活に入らず友人関係も希薄なのは小岩井美鈴の影響が大きい。

 

 今の僕は、他人(ひと)と接するのがどうしようもなく怖くなってしまった。

 

「それでもまだ、自分のせいだと思ってるの?」

 

「……うん」

 

 あの日、あの理科準備室で僕がしっかりとした対応をしていれば。彼女に少しでも理解を示してあげれていれば、こんなことになっていなかったんじゃないか。彼女に恐怖を感じる一方でそう思っている自分も居る。

 

『大丈夫?』

 

 怪我で動けない僕を見つけてくれたのは、紛れもなく彼女だった。そんな彼女の人生を致命的に破壊してしまうかもしれないと思うと、警察に行くというのはどうしても及び腰になってしまう。

 

「甘いね」

 

 潔理はそんな僕の考え方をはっきりと否定した。

 

「異常者に理解を示す意味なんてどこにもない。今日の出来事で分かったでしょ。このままだともっと付け上がる。今の内にハッキリと拒絶の意思を示してあげるのがあの人の為にもなるんだよ」

 

「そう、かな」

 

「そうだよ。……それでも引っかかるなら、まずは学校に言ってみる?」

 

「え?」

 

「あの人が通ってる高校に知り合いが居てね、どこに通ってるかはもう特定出来てるの。だからその子経由でその高校の先生に相談すれば対応してもらえるかなって。これならそこまで大事にはならないでしょ。お母さん達にも迷惑かけずに済むし」

 

「……それなら良いかもしれない」

 

「決まりだね」

 

 潔理はメモ帳を閉じ、スマホを取り出し通話をし始めた。多分その友達に連絡しているのだろう。

 

「うん、男の先生が良いかな。ちょっと考えがあってね、直接現場を見てもらうのが早いかなって。……うん、うん──」

 

 まるで決まっていたことのように……いや、多分ある程度の想定と準備はしていたんだろう。僕が覚悟を決めた時の為に。

 

 本当に、頼りになる妹だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 六歳の時だっただろうか。多忙な両親にしては珍しく、休日に水族館に連れて行ってもらったことがあった。

 

 視界いっぱいに広がる青と海の生き物達。初めての景色に興奮した僕は両親の側に居ることを忘れて、盛大に迷子になった。

 

 それが僕だけならまだ良かったのだけど、僕の横には手を繋いだまま連れ回していた当時五歳の妹が居た。

 

 水族館は広かった。妹の手前、兄としての自負のようなものを幼いながらにまだ持っていた僕は気丈に振舞った。それでも、どこまでも続く水への興奮は次第に恐怖へと変わって、遂には泣きだしてしまった。

 

「おにいちゃん、こっち」

 

 そんな僕に比べて妹は至って冷静だった。無暗に動くのは逆効果だと理解していたのか、近場にあったベンチへと移動し両親が見つけ出してくれるのを待ち始め、僕の頭を撫でた。

 

「だいじょうぶだよ」

 

 この日、僕の兄としての矜持は粉々に砕かれた。でも別にそれで良いと思っている。潔理が聡明で正しく、僕が潔理より優れている点なんて一つも無いというのは事実なのだから。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「こういうのも今年で最後だね。よい君大学行ったら一人暮らし始めちゃうし」

 

 夕飯の後、僕達はリビングで潔理が誕生日だからと言って用意してくれていたショートケーキを食べていた。

 

「受験対策は順調?」

 

「まあ……そこそこ」

 

「数学で詰まってるんでしょ。見てあげよっか」

 

「ありがたいけど、潔理は大丈夫なの?」

 

「今年の分の予習はもう終わってるから気にしなくて良いよ」

 

「すご、流石だなあ」

 

 潔理の優秀さには脱帽するしかない。子どもの頃からその片鱗はあったけど、両親の多忙さが増して家を留守にすることが多くなってからそれは顕著になっていった。

 

 何をするにしても丁寧かつ迅速。友人関係が広く規律に厳格で、この前見せてもらった通知表の教師コメントはべた褒めだった。進学した高校も僕とは比べられないくらいレベルが高い。

 

 そんな妹が側に居てくれたからこそ、僕はまだまともな人生を歩めている。

 

「……ありがとう」

 

「なに急に」

 

「色々と頼りになりっぱなしだから。いつか何かで返すよ」

 

「じゃあ……イチゴ貰おっと」

 

「あ、取ってたのに」

 

「これでチャラね。──ん」

 

 にやりと笑って潔理が僕のケーキのイチゴを口に入れた瞬間、横で流れていたテレビの音にスマホの通知音が混じった。

 

「……これで準備は良いかな。持つべきものは友達だね。みんな協力してくれるって」

 

 スマホから目を離し、潔理は真正面から僕を見つめた。協力というのはさっき潔理が提案した()()のことだろう。

 

「その、本当に先生に相談するだけじゃダメなのかな」

 

「大人は日和見だからね。あの人がどれくらいおかしいのか、直に見てもらった方が話が早いよ」

 

「そうか……そうだよね」

 

「大丈夫、絶対上手くいくから。──普通を受け入れられない人が勝てる道理なんて無いんだよ」

 

 潔理は頬杖を立ててテレビの方を向いた。番組の内容は窃盗を取り押さえる万引きGメンに密着するという内容だった。

 

 万引きGメンに取り押さえられ、言い訳を並べる犯人を潔理は冷めた目で眺めている。

 

 僕の妹は正しく、聡明だ。潔理の案はきっと上手くいく。そう思っているのに。

 

 小岩井美鈴のあの混じり気の無い笑顔が、どうしても頭から離れなかった。

 

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