ブラック・ブレット~Another story~ 作:雪桜士紋
「どうして?……わたしの方が直ぐに倒せる」
雪希は不服そうに言った。
確かに、イニシエーターである雪希の方が敵のガストレアを素早く倒すことができる。
優も普段なら雪希に任せているところだ。
しかし、今の状況では任せることは出来なかった。
優は頭を掻きながらその理由を説明する。
「どうしてもなにも、今お前には武器が無い。 対ガストレア戦においてバラニウム製の武器は必要不可欠だ。 わかるよな?」
「……うん」
ガストレアに通常の武器での攻撃は、傷を負わせることは出来ても直ぐに再生されてしまう。
ガストレアを倒すには、その再生を阻害することが出来る黒い金属、『バラニウム』で作られた武器が必要なのだ。
現に数分前、敵のガストレアは猛スピードで走る美羽の車に跳ねられ、ダメージを負ったが、ものの数十秒で回復した。
しかし、先ほど優のバラニウム製ナイフで切られた横っ腹の傷は、今だ再生せずに血をぽたぽたと垂れ流している。
「相手は所詮、雑魚のステージⅠだ。今回は俺に任せろよ」
「うん……わかった」
雪希は納得した様子で頷いたが、どこか寂しそうだった。
雪希はどんな時も基本的に無表情だ。
それ故に、彼女の喜怒哀楽に気づける人間は殆どいないが、優はそれに気づいてあげられる数少ない一人なのだ。
――きっと、役に立てないのが悔しいんだろうな。
雪希は筋金入りの近接戦闘タイプなのだが、バラニウム製武器のない状態では、あまり役に立てないのだ。
優はホルスターから拳銃を抜き取り、雪希に差し出した。
「雪希、お前は後方から狙撃での援護だ。できるな?」
優が雪希に微笑みながら言うと、雪希は拳銃を受け取り、「うん……」と言って微笑んだ。
作戦が決定し、狼ガストレアの方へ向き直ると、先程と同じ距離を空けてこちらを威嚇していた。
「……ったく。 話す暇を与えてくれるなんて、優しいんだか慎重なんだか」
「違う……。 さっき切られたから……自分から仕掛けるのが怖いんだと思う……」
優が呆れながら苦笑していると、雪希がガストレアの方を見つめながらそう言った。
優は「そういうことか」と言って頷くと、持っていたバラニウム製ナイフを構え、不敵な笑みを浮かべて言った。
「なら、こっちから行かせて貰うぜ」
優は勢い良くガストレアのいる方へと走り出した。
ガストレアもまた、向かってくる優を見て、肩を一瞬ビクッと動かしてから彼のいる方へと走り出した。
両者が互いを睨み付けながら直線に走る。
ガストレアは猛スピードで距離を詰めていくが、優は走る速度を次第に落としていき、残り二十メートルを切ったところで完全に止まった。
身構えもせず、ただ棒立ちしながらガストレアを見つめる。
残り数メートルを切っても優は動かない。
ガストレアは口を大きく開き、鋭利な牙をギラつかせながら優を食い千切らんとばかりに襲いかかった。
それからガチンッと勢い良く牙と牙が重なる音が響き渡った。
ガストレアは優のいた場所の十メートル過ぎた所で停止した。
口からは唾液と混じった血液が大量に流れている。
それからガストレアは雪希の方へ視線を向け、勝ち誇っているかのように大きく雄叫びをあげた。
それを見た雪希は思わず溜め息を吐き、言葉が通じないにも関わらず、ガストレアに向けて言った。
「まさか……食い千切ったつもりでいるの……?」
雪希がそう言った直後、ガストレアは背後から何かを感じ取ったのか、首をめぐらせ後ろに振り向いた。
「おい、余所見してんなよ」
―― そこには無傷でいる優の姿があった。
ガストレアは動揺しているのか、優と目を合わせながら身体をピクリとも動かさない硬直状態でいる。
それを見た優は、呆れた様子で言った。
「なんだ、"見えていなかった"のか? 」
ガストレアは、優を食い千切ったつもりでいた。
何故なら、噛む直前にはまだ確実に優はいた。
そして、噛んだ後、自身の口からは大量の血が流れたのだから。
しかし、それは間違っていた。
優は先ほどガストレアに襲いかかられた時、"足の運び"だけでその攻撃をかわし、瞬時にガストレアの喉元をバラニウム製のナイフで切りつけていたのだ。
ガストレアはその動きを肉眼でとらえる事は愚か、喉元を切られたことにさえ気づかなかったのだ。
つまり、ガストレアの口から大量に流れている血液は、喉元を切られたことで出た、ガストレア自身のものだった。
「十年間習った『空手』で習得した足の運びだ。 よーく覚えてから逝け」
ガストレアは硬直した状態から解放され、瞬時に身体を優の方へと向き直し、再び襲いかかった。
右前足を持ち上げ、鋭利な爪を優目掛けて降り下ろす。
ガストレアが前足を降り下ろし終えた時には既に、優はガストレアの視界の端に移動していた。
優は「遅ぇよ」とガストレアに言ってから雪希の方へと向いた。
「雪希、撃て!」
優がそう叫ぶと、雪希は頷き、右手に持っている拳銃を構え、ガストレアの頭部に照準を向けた。
――見せ場作ってやったぜ。 さあ、殺っちまえ。
ガストレアは雪希が背後から狙っていることに気づかず、再び優に襲いかかろうとした。
「また余所見したな、お前」
優がそう言った直後に雪希が引き金を引き、街に銃声が響き渡った。
銃声が鳴り止み、優が目の前のガストレアを確認すると、立ったまま完全に停止していた。
それから雪希の方へ向くと、小さくガツポーズをしているのが見えた。
その姿を見て、優は思わず涙が出そうになった。
雪希は普段使用している武器以外の扱いが絶望的なまでに下手なのだ。
拳銃を持たせたことは過去にも何度かあったが、ガストレアに当てることは愚か、流れ弾で優が肩を撃たれたこともある。
――正直、当たらないと思ってたんだけどな。頑張ったな、雪希。
優は少しだけ出た涙を拭い、雪希に向けて微笑んだ。
「よし、よくやった雪……うおっ!」
雪希の元へ行こうと足を踏み出した瞬間、ガストレアの鋭利な爪が優に襲いかかり、それを脊髄反射で間一髪で避けた。
「やっばり当たってねぇじゃねーか!」
ガストレアから次々と繰り出される攻撃をかわしながら優は雪希に向かって叫んだ。
雪希は「……あれ?」と首を傾げながら握っている拳銃を見つめている。
――くそっ! さっき停止してたのは銃声に驚いてただけかよ!
銃声で驚かされたからなのか、ガストレアの嵐のような連続攻撃が一向に止まない。
優はその全てをなんなく避けるが、いい加減うんざりしてきていた。
「あ~! うぜぇ!!」
優は一撃をかわした直後、右足からガストレアの左前足目掛けて全力の蹴りを繰り出した。
その一撃をもろに喰らったガストレアは、呻き声と共にバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。
脇腹と首元の出血、口からの吐血で血が足りなくなったからなのか、ガストレアは立ち上がろうともがくが、一向に立ち上がる気配は無い。
「……手こずったな。 お前、ステージⅠの割には結構根性あったぜ」
優は動けずにいるガストレアの目の前でしゃがみ込み、賞賛を送った。
それから手に持っているナイフを構えた。
「心配すんな、もう苦しませたりしねー。 次の一撃で終わらせてやる」
そう言って優がナイフを降り下ろそうとした瞬間、遠くからガシャン、ギィ~という騒音が聞こえてきた。
優が「なんの音だ?」と言って音のした方を見ると、驚きで目を大きく見開いた。
"それ"は優とガストレアがいる場所から五十メートルほど離れた所にいた。
――そこには、ボロボロになってひっくり返っていた美羽の"車を両手で持ち上げている"赤い瞳の少女がいた。
「お、おい雪希! 何してんだ!?」
雪希だった。
離れた所にいる雪希に聞こえる声の大きさで優が話かけると、雪希は「……んー」と唸ってから言った。
「……これをガストレア目掛けて投げる」
「や、やめろ雪希! こいつのライフポイントはゼロだ!」
――俺まで巻き添えを喰らっちまう!
優の必死の叫びを聞き、雪希は車を投げようとした所で停止した。
「わかってくれたか……! 雪希」
優が安堵の吐息を溢すと、雪希はうっすらと微笑みながら言った。
「……問答無用」
「だと思ったぜちくしょう!」
雪希は持ち上げていた車をこちら目掛けて投げ飛ばしてきた。
優はその場から全力疾走で離れる。
投げとばされた美羽の車は宙を舞い、倒れ込んでいるガストレアに綺麗に覆い被さるように落下した。
ガッシャーンという大きな音が響き渡り、その騒音の中からガストレアの悲痛に鳴き叫ぶ声が微かに聞こえた。
そして、先ほどの騒音がまるで嘘だったかのような静寂な時間が訪れた。
優は車に叩きつけられ動けずにいるガストレアを三十メートル離れた所から見ていた。
それからとどめを刺そうとガストレアいる方へと徒歩で戻ると、雪希もこちらに歩いてきた。
優は押し潰されているガストレアを見おろしながら雪希に言った。
「雪希、やり過ぎじゃねーか?」
「……優に襲いかかったこいつが悪い」
「そ、そうか」
雪希が当然の報いだと言わんばかりにガストレアを睨み付けてる。
優は雪希が自分を大切に思ってくれていて嬉しい反面、彼女の怒り剥き出しの姿を見て背筋が凍り付いていた。
優はガストレアの方へ向き直ると、目が合った。
先ほどまでの生き生きした姿はどこかへと消え去り、とても弱々しい目をしていた。
もう楽にしてくれ。
優は、ガストレアの目がそう語りかけてきているような気がした。
「雪希、こいつの介錯は俺にやらせてくれ」
「うん……わかった」
優はガストレアの目を見つめたまま、ナイフを振り上げた。
――もう苦しませねーなんて言っといて結局もう一回苦しませちまったな。 今度こそ楽にしてやる。 安らかに逝け。
心の中でそう言ってから、優はナイフを降り下ろした。
「霧咲くん……。これはどういうことなの!?」
同じ民警会社で働く社員、貴島美羽は酷くお怒りの様子だった。
優はガストレアにとどめを差したあと、美羽に電話で戦闘が終了したことを知らせた。
それから五分ほどして美羽が到着したのだが、先ほど以上に酷い有り様になっている自分の新車を見て、美羽はひっくり返りそうになるほど驚いた。
そして今に至る。
「私がいなくなる前の状態なら修理すればまだなんとかなったのに! もう修復不可能だよ!」
「そんなに怒んなよ貴島。 このガストレアを倒す為には仕方のない犠牲だったんだ」
「……その通り」
優の適当な言い訳に雪希も同意する。
美羽は怒りを通り越して呆れたのか、大きく溜め息を吐いてから言った。
「もういいよ……新しい車買うから」
「ちなみにこの車、いくらしたんだ?」
「一千万円だよ」
「いっ、一千万!?」
予想を大きく上回る金額に、今度は優がひっくり返りそうになるほど驚いた。
思い返してみれば、確かに高級そうな車だったなと優は納得するように頷いた。
それから優は、美羽の目を真剣な眼差しで見つめながら言った。
「この借りは出世払いで返す」
「ふふっ。別にいいよ、私にも落ち度はあるもの」
先ほどの怒りはどこえ消えたのか、美羽はニッコリと微笑みながら言った。
優は美羽の懐のデカさに感動した。
美羽の気持ちは素直に有り難い。
しかし、このままでは男が廃ると思った優は、間を取って提案した。
「じゃあせめて半分は払わせてくれ」
「本当にいいって、一千万円くらい大したことないから」
「けどよ……」
美羽が申し訳ないよと言わんばかりに身振り手振りをしながら言った。
優は美羽の懐にあるお金の多さにも感動した。
美羽は決して無理をして言っている訳ではない。
彼女にとって、一千万という金額は本当に"大したことはない"のだ。
「じゃあ美羽が全額負担で……」
「……雪希、お前はもう少し申し訳なさそうにしろ」
「そうだ! 霧咲くん。 車のお金はいいから、その分雪希ちゃんに色んなものを買ってあげて」
「き、貴島……お前ってヤツは……」
美羽のあまりの人の良さに、優は涙が出そうになった。
流石の雪希もその言葉を聞いて反省したのか、美羽に「……ごめんね」と謝った。
美羽は「いいのいいの!」と言ってニッコリと微笑んだ。
――笑顔が眩しすぎて直視できねぇ……。
優はそんなことを思っている中、遠くから聞こえるパトカーのサイレン音が段々こちらに近づいてきていることに気がついた。
それから直ぐにパトカーの姿が見え、優は頭を掻きながら言った。
「やっと来たか」
パトカーは優たちの前まで来て止まると、助手席のドアが開き、一人の男性が出て来た。
五十代後半ほどの中年で、顔には幾つものシワが刻まれており、白髪頭で細身だが、背筋は真っ直ぐで、とても生き生きとした目をしている。
男は近くにあるボロボロの車と、その下敷きになっているガストレアの死体を発見し、白髪頭をポリポリと掻きながら言った。
「何故こうなったのかは聞かねぇでおくぜ。 相変わらず滅茶苦茶やりやがるな、霧咲と雪希」
「久しぶりだな、金沢のおっさん。 いや、もうお爺ちゃんか?」
「……久しぶり。金沢のお爺ちゃん……」
優と雪希の皮肉に対し、金沢は豪快に笑いながら言った。
「カッカッカ! 舐めんなよクソガキ共が。 俺はまだまだ現役だぜ!」
「お久しぶりです! 金沢刑事」
「おー貴島ちゃんじゃねぇか! ちょっと見ないうちにまた綺麗になったなー!」
「ぜ、全然そんなことないですよ!」
金沢のセクハラじみた言葉に、美羽は恥ずかしそうに赤面しながら言った。
金沢龍巳(かなざわ たつみ)。
今回優たちに仕事を依頼した殺人課の刑事だ。
太智川民間警備会社に時々仕事を回してくれており、優は会社に入社する以前から色々とお世話になっている。
赤面している美羽の表情を見て、金沢は「照れんな照れんな!」と言いながら懐のポケットから煙草とライターを取り出した。
煙草をくわえ、ライターで火を付けて煙を燻らせる。
それから金沢は何かを思い出したかのように「あっ」と言って優たちを見た。
「そうだそうだ。 報酬の話の前に、お前たちに謝らなきゃいけねーことがあるんだった」
「謝んなきゃいけねーこと?」
金沢は煙草の煙を肺に流し込み、フーッと吐き出してから近くにいるガストレアの死体を見下ろして言った。
「このガストレア、 本当はステージⅡなんだよ。 こっちの情報操作ミスでな、ステージⅠってことになっちまってたんだ。 報酬は上乗せするからよ、堪忍な」
優はガストレアの死体を横目に、納得した様子で頷いてから言った。
「確かに、ステージⅡならあの強さも納得できるな」
「へっ! 無傷の癖して良く言いやがる。 自慢にしか聞こえねーぜ」
金沢がそう言うと、優はムッとなり、美羽の廃車を指差して言った。
「自慢なんかじゃねーよ。この壮絶なまでの廃車を見ろ。 どれほど戦闘が激しいものだったのか少しは想像できるだろ」
「確かに酷ぇ有り様だよな。 持ち主には同情するぜ」
金沢が哀れみを込めた瞳で廃車を見つめている。
優も同じように廃車を見つめていると、何かに気がついたのか、ハッとして美羽の方へ振り向くと、今にも泣き出しそうな顔で廃車を見つめていた。
――しまった! せっかく乗り越えた悲しみを掘り返しちまった!
美羽が瞳を潤ませていると、それに気づいた金沢が「ん?」と言って首を傾げた。
「どうしたんだ貴島ちゃん。 そんな泣きそーな顔して……。 まさか、この車って……」
「わ、私のです……。 昨日買った新車で……それでさっき……うぅ」
金沢による最後のとどめにより、美羽はとうとう瞳から涙をポロポロと落とし始めた。
それを見た優は頭を抱え、金沢は苦虫を噛み潰したような表情をし、雪希は「泣いちゃった……」と小さく呟いた。
優がどうやって慰めようかと必死に頭を回転させていると、金沢が「そうだっ!」とわざと声を大きくして言った。
「ここから徒歩で帰るには時間かかるだろ? 会社まで俺のパトカーで送るぜ!」
「おお! そりゃありがたいぜ! なあ貴島!」
優は無理矢理テンションを上げて金沢の提案に乗っかる。
雪希も相変わらずの無表情のまま「……わーい」と嬉しくもないのに両手を万歳させて喜んだ。
それから三人で美羽の様子を伺うと、彼女は両手で涙を拭い、いつもの明るい笑顔で言った。
「ありがとう、もう大丈夫!」
ギャグばかりの展開が続いてますが、これから少しずつ真面目な展開に発展させていきます。