絶望が消えれば、残るものは無限に広がる虚無に等しい。
それは突然だった。
私にもわからない。ただ、外に出たいと思った。だからドアを開けた。
ドアの前に人が倒れていた。
「……」
何故倒れている。
「……」
死にかけかな。それにしては随分と怪我が目立たない。
「…生きてる?」
「……」
「そ、じゃあね」
「……」
ドアを閉じる。生きていれば動いてくれるだろう。
実験を継続する。
…ダメだ、気になる。
少し開けて様子を見ることにした。彼はまだいた。
「あのー、生きてます?」
「……」
「うちの前で死なれると困るのですが」
「……」
「…死ぬなら死ぬで利用しましょうか。ちょうど人型の被験者ってことで」
ドアから出て彼の肉体を持つ。
「重っ…何でこんな筋肉だらけなんですか」
彼の肉体を引きずり実験室に入れる。重い。自分が衰えているだけかもしれないが。
「鎖だけは繋ぎますか。下手にして逃げ出されると回収がつきませんし」
鎖の錠をしっかりと閉じたことを確認する。
これから行う実験は死体が必要だった。
「これでちゃんとうまくいけば…」
静脈注射で薬剤を入れ、頭に専用の機械をつける。
死体であれば脳内信号は停止している。逆に言えば脳内信号の代用さえできれば肉体を軽く動かすことが可能だ。
私はこれを利用した『再生医療の最先端技術』の『実験』を行うことになった。
─まぁ私には『美しく見える人の殺し方』の『具体化』だと思えるのだが。
「脳波コピー完了、あとは実行…」
少しだけ様子を見る。指が動いた気がした。
「…生きてる?まぁいいや」
気にせず実行ボタンを押した。指は地を這うようにだらりと落ちた。
その後間も無く、エラー音が鳴った。
《書き換え失敗》 E403
「何で?」
このシステムで問題が上がったことはない。サルとネズミで検証済みだ。
「E403…拒絶信号感知」
拒絶信号感知。
人間側に実験上異常な脳波が検出された際の非常装置。生存判断のバックドア。
つまり。
「生きている…?」
生きているとすれば。
気を失っただけ?都合よく倒れないだろう。
反応しなかっただけ?なら何故引きずられて無抵抗?
謎だ。謎すぎる。あまりにも判断材料がない。
というか本当に人間なのだろうか。
「もし人間でないとすれば…」
考えるのはやめた。多分思考が追いつけない。
「魔力の反応が薄いということは普通の人間である、そう私が定義する」
弱った人だと思えば全て解決。
だが現実はそう簡単にいかない。
実験室のドアを開けた瞬間、彼の反応が大きく変わった。
「ガルル…」
重苦しく響く重低音。
まるで獣。防衛本能を前面に出した姿。肌に感じるピリピリとした感覚は本物だ。
「あの…」
「グルルゥ…」
何故だかわからないが敵対の意思を感じない。むしろ懐かしさを強く感じる。
頭は冷静で、それでいて身体は震えていて、なのに感情は昂っていて。
この感情は、何なのだろう。どう名前をつければいいだろう。
「フー…」
「なんか猫っぽいような…一旦落とそう」
彼の意識を落とすためにあるスイッチを押す。
部屋の隅、奥まった部分が少しだけ動く。そして。
ドン。
─ 1発、首元へゴム弾を当てた。獣に対し十分気絶する威力だ。
「ギュグゥ…」
「…気絶しない?」
耐えた?
ということは私の理想に近づける被験者ということ。
「…耐久実験、やりますか」
私は10秒おきに撃つようセットし、戻った。
もし理想通りなら、倒れることはない。
「さ、面白いものを見せてくださいよ」
§
「いつまでいじけてるんだ?」
声が聞こえる。
「前に進むしかないだろう?なら進め」
声の発信源を探す。
「忘れたか。まぁ忘れられようが別にいいが」
「…そうでしたね、あなたは狐でした」
忘れていた。今日は邪魔なのが1匹いる。
「全く…アイツは面倒ばかり惹きつける」
「…知っていたの?」
「ああ、アイツの口からな」
…ああ。
やはり、私は信用に値しない。
「『ルーナが絶対いじけるから上手いこと吹っかけてやれ』だとよ。アイツは何でここまで予測できんだか」
「別に、いじけてはいないです」
いじけてはいない。現実を受け入れられないだけだ。
「はいはい終わり。それで?違和感はないのか?」
「何の?」
「何のって罪状しかないだろ?アイツが連れていかれると思わなかったからそうなっれいるのだろう?ならおかしいところがあるはずだ」
おかしいところ。
わからない。
「わからない。思いつかない」
「何故だ?」
「わからない。何かが崩れて消えている」
「少しの欠片は?」
「拾える。なのに…それらが線で繋がらない」
表現が難しい。
ひたすら形を探してもない。
残骸とも言えるような記憶の欠片を拾い集めようとしてもすぐに消えていく。
線で結んでも結んだ先からプツリと切れて落ちていく。
「違和感、か…」
「あなたは?」
「完全にわからない。少し前に記憶したはずの匂いまで忘れ始めている」
「それは忘れていいです」
「何となくだが…同じ症状が出たようだな」
「でしょうね。恐らく無理に彼を─」
「どうした?」
「…何を言おうとしていたのでしょう?」
「…思ったより危険か」
「え?」
「奴の名を憶えているか?」
「それは─」
出てこない。何故?
「やはりか」
「自己完結しないでください」
「『レイヴン』。これだけでも覚えておけ」
「レイヴン…」
初めて聞くはず。
なのにどこかに存在した名前として憶えている。
どこかで蘇り、その声が
その声は温かく、愛おしく感じるほどに柔らかいようで。
「─おい!戻ってこい!呑まれるな!」
声が聞こえる。
「…っ!」
「崩れるな。芯を通しきれ。お前が唯一の鍵だ」
「な─」
「いいか、これから周りが全員敵になる。奴を助けられるのはお前だけだ。お前の選択が奴の運命を決める。突き進め。いいな?」
「でもっ…」
「また間違えたら、とか言うなよ。言った時にはお前をここで殺す」
「…っ!」
目を見る。
この目は、本気だ。焦りと共に鋭い熱を感じる。
『お前がアイツを助けたいんだろ。だったら行け。誰に邪魔されようが突き通すのが道理ってモンだろ。邪魔されただけで『はいさようなら』っていうんだったら…俺はお前を殴る。アイツと別れられるようにな』
何処かで聞いた声が蘇る。
「どうすんだ?ここで蹲って運命に野垂れ死ぬか?」
そうだ。今までこれで突き進んだんだ。
もう今更戻れない。戻せない。
だったら。
「分かってますよ。進んだ以上はもう止まれない。壁なんて破壊して、敵なんてぶっ殺して、障害なんて取り除いて、選択した責務を感じ取れ、なんて言うんでしょう?─やってやりますよ、もう全てを捨てたんですから」
「…いい面すんじゃん。思う存分やっちまえ。奴は君に応えるよ」
私は、母のために、彼を助けてやればいい。
彼の存在は、母の研究の結晶体なのだ。
邪魔をする者は絶対に殺し尽くす。彼のためとなるなら。
??:「夢ならばあの子は逃げる。だから私はあの子に夢を見せない。強い子だもの、平気よ」