§
1匹、贄が来た。きれいな銀色の髪を持った人間だ。
ここはワタシの
ここにはワタシの
誰にも邪魔はさせない。
私が、彼を全て守るためなら全てを捨てる。
たとえ、身体を失くしても。
「いらっしゃい」
銀髪の子の顔が強張る。きっと想定外だろう。まさか私がこんなにも巣食うわけがないと皆に思われているのだから。
この地下は監視社会の縮図。誰よりも自分を守ろうとして他人を犠牲にして、最終的に誰も助からない辛い『報い』を受けるために来る場。
その場にはこの子は不釣り合いだろう、だがこれは決められたことだ。
彼の存在を脅かすものは全員排除する。
答えの槌は振り下ろされた。ぶつかる音はやけに水っぽい音がするものだ。
『これが…レイヴン…?』
ああ、耳障りな音がする。この人はレイヴンじゃないというのに。レイヴンは皆が祭り上げて成り立たせた『ただの偶像』だというのに。なのに。
何故、皆彼を忘れるの?
「うるさい」
何故、彼の名前を呼ばないの?
「お前たちが、全てを変えたのだ」
『え…』
何故、彼を『レイヴン』に落とし込んでしまったの?
「全ての人が、それを望んでも、彼は、望まなかったのに」
本当の彼はどこへ行ったの?
「お前たちが、仕立て上げたんだ…!」
私が慕った彼は、どこなの?
「お前たちが、都合のいい悪人にしたんだ!」
高貴なる存在、そしてその責任。人々は重く苦しいと表現した。
本当は、どの程度なの?
§
温厚だと思っていた、あちこちから触腕と思える何かを出しているこの謎生物。
友好的に進められると思ったのに。
『ワタシは彼を攻撃する生物から確実に守る。誰にも触れさせない。たとえ髪一本、だとしても』
触腕らしきものが尖ってまっすぐ飛んでくる。避けること自体は難しくないのだが数が多い上にどこか誘導しているような回り込ませ方をする。
読み合いは嫌いだ。特に、瞬時の判断と長期的な思考が必要とされる瞬間は特に。
「…っ!」
まずい。
そう思った時にはもう遅い。
「ぐぅっ…」
右肩。綺麗に貫かれた。
扉が開いているものだと思って後ろに下がったのが間違いだった。一撃で死ぬことはない。だからこそ怖い。ずっと小さな攻撃が続くのではないかと焦る。
『あら、意外と活きがいい子ね』
「皮肉にも、死には遠いわね」
『避けるからでしょう?じっとしておけばラクなのに』
「私は、それでも会わなければならないのです」
『何の為に?』
何のために?笑わせてくれる。
「共にいたいから、ですよ」
笑う余裕があった分か、それとも新たな余裕か。
少し力が沸いた。この馬鹿げたトンデモ生物に抵抗する気力が。
「絵に描いたように気色悪いですね、あなたは。いえ、だからこそ彼が庇ったのかしらね」
『何を知ったような口を…』
「知ってますよ。彼と出会うずっと前に。あなたよりずっと深いところまで。残念なことに彼は記憶に蓋をしてしまったようですが」
これは先日調べた際に出た事実。彼と私は、以前に出会ったことがある。もちろん、関係性は大きく違ったが。
それを表したものもある。でもそれを使うことは彼に禁じられていた。
『関係を保つため』と言っていたはずだ。きっとその言葉も忘れているだろう。
私は指示通りこれを使わなかった。彼と共にあった記憶と共に奥底に眠らせたために思い出せず、綺麗に『失くして』いた。
「本当に彼は整っている。だから誰かを頼ることはない。でも不完全であるために自立できず、未完成であるが故に誰かを求める。あなたの存在はどれですか?それとも─どれとも異なるのでしょうか?」
だが今は違う。彼のために時間を費やし、資源を割き、自分の記憶を復活させた。
『助けるため』ではない。『共にいたい』からそうしている。
本当に私がやりたいことだけをやるために、私は動いた。
彼の杖となり、支えるため。
「私には、あなたがどれにも当てはまらない気がします」
『…黙れ』
「本当に望むこととは、何なのでしょうか?」
『黙れ!』
「排他的行動を取れば取る程彼は狂いますよ。それこそ時計のバネが逆に巻かれるように、少しずつ悲鳴を上げて、どうしようもないところへ行き着いて、悲しみの向こうに明け暮れるんです。『こんなはずじゃなかった』って」
『黙れよ!』
触腕が壁に突き刺さる。幸か不幸か、身体に当たることはなかった。
「でも彼はそれで適応しようとする。きっと彼のことです、時計の歯車を全て逆にするでしょう。どうにかズレを直そうとする。1つの部分が狂っていただけというのに全てを入れ替える。そして全体が狂う。そうやって足掻いているんですよ。誰もが知らない場所で、地獄に落ちまいと。まぁ狂った時点で手遅れなんですが」
『…彼の想いこそ知らぬくせに』
「ええ知りません。だって話さないのですから。誰だって話したくないことぐらいありますよ。知らないから、適切な距離を保てる」
『何が走らせるの、その自信は』
「自信なんかないわよ」
そう、自信など元からない。責任など一切持ちたくない。
「あるのはただの事実だけよ」
私たちは独断を捨て、偏見を捨て、無知のままで戦い続け、得た事実から決定する。
前例などない。己の判断のみで見つける。研究者は元から切り拓く者なのだ。
「さあ、その道を空けなさい。
さらりと全ての触腕を退ける。結末は分かってはいたわけだ。
奥に彼が磔のような形で括り付けられていた。
「レイヴン」
『違う。名は…まずい、来てしまう』
「え?」
『引っ込め!』
どこに、と言う前につまみ上げられ、躊躇なく壁に放り投げられた。
背中を叩きつけられたのは壁…ではなく、鉄梯子だった。頭と共にガン、と鈍い音が響く。
「いっ…たぁ…」
痛い。めちゃくちゃ痛い。頭が割れる。明晰な頭がなくなる。
「あぎゅぅ…」
立てない。足が動かない。まさか背中を。
「…折れては…なさそ」
死にそうなくらい痛い。でもこんなところでは死にたくない。
「うぅ…」
どうにか立たねば。でないと。手遅れに。
壁に這いつくばるように。できるだけゆっくり。
「扱い…雑すぎ…」
どうにか立てた。とは言っても足は生まれたての子鹿にも劣らぬような状態だが。
どうやら壁1枚がくるりと回る仕掛け戸であったようだ。
パタリと壁からの光がなくなる。中にあるのは通路をぼんやりと照らす行灯。
無音。
とっても静か。まるでこの世から隔絶されたもう1つの世界のようだ。
この壁の先はもっと凄惨で、この梯子の上はもっと穏やかで。
1つの世界なのに、幾つもの環境が生まれている。
その中でもここは。
「寒い」
そう、ずっと寒い。心も身体も寒い。誰にも会わないためか、それとも本当に気温が低いのか、あるいはこの先の事象が見えたからか。
「…見たくない」
壁からそっと目線を背ける。私は私としての『何か』が失われそうだ。
これはあの人が罪を減らすため。
「…いつ、私は楽をしていいと言った?」
私に楽など許されない。逃げてはならない。答えを出さなければならない。
いつまで逃げたって、結果が全て。
3点の答えだろうが99点の解答だろうが『100点ではない』のだ。同じことである。
私に求められていることに対し的確に返答し、人を導く。
それこそが私の義務にして責任である。
「まだ生きてんだろ?レイヴン」
戸の向こうから声が聞こえる。
ああ、痛いな。
ずっとズキズキと痛む。きっとこれのずっと上の痛みを彼は受けている。
何もできない自分が憎い。平然を装える自分が辛い。
「死ぬこともないだろう?長年、空に蓋をした奴がそうへこたれるはずがない」
何より、自分がここにいてしまうことに悲しみが立ち込める。
それはまるで積乱雲のよう。
「返事をしろ!」
ぐしゃ、と音がした。
「まだ足りないのか?」
だん、と音がした。
「どこまでもちっさくなるなぁ、お前の体は!」
ざくざく、と続けて2つ。
「もっと小さくしてやるよ、お望み通りな」
ずしゅ、と音が響いた。
「これで完璧だな、随分と無様だ」
鉄臭い。梯子の塗装が剥げた後の匂いに混ざる独特な匂いとはまた違う匂い。
「こうやって切っても切っても再生するもんな、だったら」
グチュリと潰れる音。
今までとずっと違う、半固形のものが潰れた音。
「2つあんだろ、なら1つくれてもいいよな?」
ヒトに2つある器官。そう多くはない。但し、重大な欠陥をもたらす場合がある。
半固形。2つある。
もはや答えが1つに定まったような気がする。
「…つまんねぇの」
再生できるか。否、移植でも不可能だ。
「さっさと死んでくれればこっちも楽なんだが?」
特有のタンパク質で形成される部位だ、培養しても形成されるか怪しい。
「まぁ死んでもつまらねぇしいいや。飽きたし、じゃーな」
怖い。嫌だ。消えたくない。
何故だ。
あの人は、限界を超えているから。
だから何。
会いたくない。見たくない。捨てられたくない。
どうして。
どうして。
どうして。
ドウシテ。
「唯一の、存在…」
彼は私を『私』として見た。『フォーマルハウテの人』ではなく、『かわいそうな子』でもない、『
「私、怖いんだ。忘れられることが」
ヒトに会いたくなかった獣は誰よりもヒトを求めていた。
夢を喰らって。希望を捨てて。家を捨てて。記憶を忘れて。
結局得られたものはなかった。誰かに染まらなければ存在できなかった。
「あの人と真逆で、交わることなどなかったのに」
未来構築図に存在しない
だというのに、私は受け入れた形の図を新たに完成させた。
「…未来は、明るいといいのですが」
曇天も霹靂も貫ける覚悟さえあれば、その雲の先の大空を掴める。
どこまで飛ぶまではわからない。誰も保証できない。
それがピーキーで無茶苦茶なスペックだろうが私は知らない。それは究極を極めた結果でしかない。
要は、全て捨ててあの人を中心にできるかどうかだ。
私にその覚悟は。
ない。
それでも、守りたいものがある。だから私は、走った。
母のようになりたいと希ったから。
誰かに必要とされたいから。
誰かを自分の手で救いたいから。
何より。
自分の大事なものを守りたいから。
なら。
もう、迷わなくていいんじゃないだろうか?
「…へへっ」
駄目だ。表情を保てない。
「あったりまえじゃん、そんなこと」
口がにやける。感情がわからない笑い。
現実に対する悲観か、もしくは歓喜か、あるいは自分に対する嘲笑か。
ガタリと戸を押す。見事なまでの血の海が広がっている。
「…迎えに来ましたよ」
あちこちに触腕だったものが飛び散っていた。足だったものや腕だったであろうものも。それらに対し触手のような何かが伸びていく。
それは彼の身体から出ていて。
彼の眼は、1つ失われていた。
「間に合いますか?」
声は聞こえない。でも分かった。
「わかりました。手伝います」
聞こえなくとも。あるいは見えなくとも。わかる。
感覚が。直感が。感情が。
それは、耳を塞いでも聞こえる“音”。
「酷くやられましたね」
腕だったものを掴む。関節が丁寧に外されている。
「痛かったでしょう?」
触手が腕を捕まえる。それは肉を掻き分け入り込み、定着した後に傷口が修復されていく。
「足は…しばらく歩けませんね」
酷い折れ方をしている。治すにもここでは応急処置も無理だ。
「無茶はしないで。死んでもらっては困ります」
切り裂いた全てが戻っていく。潰れたものは戻っていないが。
もう戻らないものも山ほどある。それらはもうどうしようもない。
「片方は視力が死んでいる状態です。まともに歩けないと思うのが普通ですが」
肘と肩を回して支えつつ金属に魔力を纏わり付かせて拘束を解く。
「…まぁ普通だったら、ですし。大丈夫ですね」
疑問ではなく確信。もう常識は捨てた。時には環境に合わせることも必要だ。
「行きましょうか、最短で」
文明の粋の塊。これを使えば最短で結べる。
まさかの形ではあるが、これはこれで対応はできる。
「3番装填確認、次弾4番確認」
チャンバーとマガジンの頭を確認する。
「大丈夫ですよ。心配するようなことは起こりませんから」
そこまで言って気付く。
「角度…どうしましょう?」
頭では瞬発的に数字が出される。但し、数字だけ。
そこに助言と共に判別し撃ち込む。
「3番、点火」
専用弾3番、貫通弾。
その魔弾の発射音は至って軽い音。しかし、速度は余裕で音速を越えられる。
『多薬室方式』とかいう脳筋システムによって生み出された賜物。
当の本人は気象観測機具の打ち上げにどうにか足りるとか言っていた気がする。
ちなみに作用・反作用については言わないでおいた。物理法則が守られれば地面が抉れるだろう。クレーターを作る前に気付いてくれるといいが。
とにかく。
積層構造になった装甲を一撃で貫き切る。
後にも先にも、こんなことに使う奴は私だけだ。というか私だけであって欲しい。
「4番、点火」
弾は直線を描いた。
ならあとは糸を通すだけ。
専用弾4番、ワイヤー。
トラップ作成を主として設計した。が、まぁ使えるからいいのだ。
ちなみに素材はクモ糸組成の特殊糸である。不思議なことにヒトの歴史と共にある
3番の欠点。
それは運動エネルギーが強すぎること。周りを崩しつつ破壊してしまう。
今回は欠点を利用したため、ヒトが通れる。今の問題はそれが長くは持たないこと。
「ここからは自力勝負、ですか」
最低限の穴を怪我をしたヒトを抱えて通る。
1番の難所である。異論は認めない。
彼を持ち上げる。だいぶ軽い。筋肉量が減っているようである。
動けなければそうなるとは思うがかなり酷い状態だ。
かなり低い体温を感じつつワイヤーを巻き上げる。
あの出口までは直線である。短くはない。ただ、見えるだけマシだ。
「少し加速が入りますよ、耐えてくださいね」
一気に巻き上げて地上へ引き上げる。瓦礫のスレスレを通っていく度に背筋が凍る。
巻き上げた先には狐がいた。
「ド派手にやった上に遅かったな」
「いろいろあってね」
「…向こうへ送る。ツテを伝えばどうにか治療できるだろう」
「どこ?」
「医者より腕がいい医者もどきのところだ、来るか?」
「ええ、精密に見れるでしょうし」
「先に帰って重要な荷物だけまとめろ。書類と服で十分だ」
「…ごめんなさい、もっと早ければ」
「それの続きはコイツが起きてからな」
そうだ。私がやるべきこと。
「…バルバトス、どうにか動いて欲しいけど」
彼が遺したものを回収する。
そして。
より良い未来を。
となるのは絵本の中だけだった。
もう既に間に合っていない。それは分かっていた。
だから行きたくなかった。苦しむ声を聞きたくなかった。
準備もせず、1日が流れていく。
退廃的になればなるほど、心が楽になっていく。
狐は来なかった。幸いにも毎日は変わらない。
久しぶりに学校に行った。いつも通りに接してくれた友達が嬉しかった。
それから数年後。
世界は平和になった。色んな政権とカルト宗教の繋がりが指摘され、やみくもになって、結果全ての国家が潰された。いつのまにか新たにできた国家『幸福國』にさえいれば安全らしい。
世界は私たちが考えるより単純で、簡単に扱えるものだった。どんなにバカで、アホであったとしても、画期的に見える指導者のもとにいればよかったのだ。
そこで生まれた『幸福國憲法』によってこの国家は完成した。
国家にいる資格。簡単で、ある施設に金を送り、決まったドローンに礼拝を捧げ、1日中文句を言わずに笑って過ごす。それだけだ。守らなければ『天罰』が降る。
辛くもなんともない生活。
私は、今がすごく楽しい。何故かあった大きな機械も、研究で人類の治療に使われる機械の一部となり、研究のはばも広まった。
このままでいいのだ、私は。
平凡で、未熟で、醜い私など誰も望まない。なら、隠して生きればいい。
中の私など、誰も知らなくていいのだ。
今日も戸が叩かれる音が怖い。
曲が止まったとき、神様は気づきました。
自分の行いが世界を全て変えるほどに影響を与えてしまったことを。
全ての計画が潰れてしまったことを。
そして、
しょうがない、と思いました。でも神様は欲が出てしまいました。
彼らを戻そう。
そうしてもう1度、再生ボタンを押しました。
今度は大丈夫。オートリバースもついています。
そして流された音楽。
その名は、運命。
その音は重く、それでいて晴れやか。
不思議なことに、輪舞曲は2度と流れることはありませんでした。