走り出したら止まれない/Runaway Baby 作:Avigale
水橋トレーナーはお酒を飲んでいること以外は非常に敏腕なトレーナーだった。
でなければ、僕たちが重賞をとれている理由がわからない。
けど、理由がわからないのはそれだけではなかった。
「僕はもう走りたくありません」
唐突だけど、僕は彼女たちにそう言った。
ロードさんは目が点になっていた。水橋トレーナーはフーンといってお酒を飲むのをやめた。
僕は走る理由がわからなくなっていた。
なぜならば、あまりにも速すぎたからだ。
僕は考えてみた。何故走ることに明確な目標がない僕が、こんなにも成績を残しているのだろう。
確かに僕はウマ娘なのだから、人並みに走ることが速い。
それにしても出来すぎているのだ。
過去の成績は、1着以外を取ったことがない、といえば、どれだけおかしいのかわかるだろうか。
僕はそれが、少し申し訳なかったのだ。
「確かに僕は重賞をいくつか取り、有馬記念と言う名誉あるレースに出場することになりました、でも辞退したいと思います」
「そろそろ面倒になりました」
「来年から受験が始まりますし、もういいかなって思います」
水橋トレーナーは「そっか」と言った。それだけ。
「おい、待て、ワガハイは認めないぞ」
ロードさんは僕の裾をつかんで捉えて離さない。
「何故だ、ここまで一緒に走ってきたじゃないか」
「いや、もういいかなって」
「何でそんなことを言うんだ!」
「別に、走りたくないわけじゃないですよ、ただ、あまりにも申し訳ないなって」
「勝ちすぎていることに」
「……ふざけるなよ」
ロードさんは僕のことを殴った。
「オマエには才能があるんだ! 才能があるなら、才能のない奴の分までちゃんと苦しめ……!」
ロードさんの言葉には重みがあった。
ロードさんは僕とは違って、入着を逃すこともあったから。
僕がおかしいんだ。
「才能があるからと言って、望んでいたわけじゃないです」
「……世の中には、OP戦すら勝てない奴だって掃いて捨てるほどいるんだぞ、なのに、貴様は、なんてことを言うんだ」
「ロードちゃん」
水橋トレーナーは彼女の肩を抑えた。
「いいよ、サードちゃん。休暇をあげる。それで、また走りたくなったらおいで」
「ありがとうございます」と僕は述べて、トレーナー室を出た。
出ていく際のロードさんは、泣いていた。
僕も泣いていたかもしれない。目頭が熱かった。
数日した後に、僕はある人と出会った。
出会ったと言っても、介抱しただけに過ぎない。
彼女は僕と同じくトレセン学園に通っていた。いたというのがミソだ。
彼女は休学しており、街を泣きながらふらふらと歩いていたところを僕が介抱した。
「……大丈夫ですか?」
と言ったら、彼女はワンワン泣き始めてしまった。
僕はさっき買った新品のハンカチを取り出して、彼女に差し出した。
「助けてください~~~!!!」
やめてくださいよ。そんなこと言われたら。
「いいですよ」
助けてあげたくなるに決まってるじゃないですか。
彼女が一通り泣き止んだ後、僕は彼女を近くの喫茶店に連れて行った。
僕の制服のお腹の所が、彼女の涙で濡れている。
何か飲み物でも飲めば、落ち着くかと思ってそうやった。
「飲みたいものあります?」
「……ココアがいいかな」
「僕はアイスコーヒーで」
「カフェインは毒ですよ~?」
「……じゃあカフェオレで」
「それも毒!」
「牛乳が入ってるからいいじゃないですか」
僕たちはそれぞれ飲み物と軽食を頼んだ。
「……私はエノキノミソニって言います。助けてくれてありがとう」
「当たり前のことをしただけです」
「その当たり前のことって、できる人少ないと思うんですよね」
「何時間も泣きながら歩いてたけど、誰も助けてくれなかったし」
「私思ったんですよ、あなたが助けてくれた時、頭のチェーンが天使のわっかみたいに見えて、神様に出合えたと思っちゃった」
「そんな大層なものではありません、僕は堕天使だと言われました」
どの重賞を取ったときの新聞の売り文句だったか忘れたが、そんなことを書かれた覚えがある。
「もしかすると、僕は色々な人を引き込んで一緒に沈む沈没船なのかもしれない」
そんな風に話していると、飲み物が届いた。
僕はこの店の出の速さが好きだった。
「差し支えなければ、何かあったのか教えて頂けませんか?」
「……私、トレセンを休学することになったんですけど」
「そのことをトレーナーに伝えたら言われたんです。”お前はもういらない”って」
「それが、多分悲しくて」
「なるほど」
僕はその彼女に同情した。
「……人間は、死なないと言います。休憩するだけ。その休憩が、いつまで続くかわからないだけなのだと」
「だから僕は、好きなだけ休んでしまえばいいと思いますよ」
それは、僕自身に向けた話でもあった。
「……ヘンな話」
彼女はクスリと笑ってそう言った。
「サードディグリーさんですよね、次、有馬記念に出る。なぜこんなところに?」
「有馬記念には出ません、事情があって」
「もう走らないつもりです」
「……覚えてますか? OP戦で一緒に走ったこと」
僕はそんなことを覚えていなかった。そんなことなんて言うのも申し訳ないけれど。
「あの時の走りで、私はあなたが大成するって分かったんです。私は成績を残せなくて、で、あなたはそれから絶対的に1着を取った」
「お願いがあるんです」
彼女は一息置いて、話し始めた。
「多分あなたは、このままやる気のない自分が勝ち続けていいのかって思って、走るのをやめるんですよね」
僕は頷いた。
「あなたは、勝者と言う責任を背負ってるんです。あなたは、今まで自分が倒してきたウマ娘たちの死体の上に立っている。あなたは、彼女らに報いる必要がある」
「だから走ってください、勝ったと言うのなら、血反吐はいて苦しんでくださいよ。じゃないと、私たちみたいな負け犬たちが、可哀そうじゃないですか」
そうかと僕は思った。
僕は勝者という罪人なんだ。
この世で一人しか現れない。最も重い罪人。
「そうですね」
「僕は勝利という十字架を背負っている」
「ならば、裁かれなければならないのかもしれません」
彼女はゆっくりと頷いた。
今まで傷つけてきた、殺してきた、打ち負かしてきたもののために僕は走る。
走れなくなるまで、幾らでも、どこまでも走ろう。
「僕には分からなかったんです。どうして走るのか」
「やっとわかりました。僕は、償いのために走ります」
「勝つためではなく、目標のためではなく、償うために」
エノキノミソニさんは笑った。
「今の話で、そうなる人、多分あなたくらいだと思います」
「でも、それでいいなら、それがいいんだと思いますよ」
僕たちはそのあと軽く話してその店を後にした。
ハンカチは彼女にあげることにした。
僕にはもう、涙を拭く必要はなかったからだ。
僕は、1週間の最後の日に、トレーナー室に戻った。
ロードさんも、水橋トレーナーもそこにいた。
「どうする?」
水橋トレーナーは聞いてきた。
「……僕は裁かれることにしました」
「走るってことだな?」
「走ることは苦しいことです、苦しんで死ぬまで、僕は走り続けようと思いました」
それが僕の償いだ。
「……オーケー。じゃあ、予定通り出るんだね?」
「有馬記念、出ます」
「そ、なんか欲しいものある?」
僕は少し悩んだ。でも、僕に欲しいものは何かあっただろうか?
ああそうだ、僕は小さいころ、空を飛びたかったんだ。
自由に、空を飛んで、皆とは違うってことを知らしめたかったんだ。
「翼が欲しいです。できるだけ大きい。そして、速い翼が」
水橋トレーナーは笑った。
「君はもうすでに持ってるはず、世界まで届く翼を」
有馬記念の話?
言わせないでくださいよ。勝ちました。
何故かって?
僕には、今まで負かしてきた人たちのために、勝ち続ける必要があるから。