走り出したら止まれない/Runaway Baby 作:Avigale
水橋トレーナーと付き合っていて分かったことがある。
彼女は他人の走りをエンターテイメントだと思っている節がある。
曰く、「ウマ娘が苦しんで走ってると飯が旨い」らしい。
事実、こうやって無理難題を僕たちに与えて、彼女はビールを飲んでいるのだから、僕は彼女の事を信用できていない。
「ほら~! 1分でここ登れなきゃ一生芝の上走らせないよ~!」
彼女は珍しく、お酒を飲んでいる方が性格が優しくなる。
正直、酒臭いのでやめてほしいと思う。
「ゼェ…… おい…… いくら何でも…… 無理だこれは……」
20度の坂を1分。よくもまぁこんな坂があったものだ。
昔、深夜に全力で坂を上る番組があったのを思い出す。
「無理じゃないって」
「アタシの事スキって言ったんだから、全力で坂登って、”愛してるゼ”ってアタシの事抱きしめてくれよね~!」
水橋トレーナーはキスの口を作ってちゅっちゅーと擬音を立てた。
ロードさんは水橋トレーナーの息を吸って嘔吐した。
「コラ吐くんじゃない」
彼女が最初に科したトレーニングは、この坂を1分で攻略することだった。
「でさ~」
「何でしょうか」
「何でサードちゃんは一発で登れたの?」
「そういった質問には答えかねます」
「いや、解剖学的知見から言うなら理解はできる」
「サードちゃんは走るための筋肉が、つまり腸腰筋が異常に発達している。尻がでかいのはそのせい」
水橋トレーナーは僕の尻を叩いた。それセクハラですよ。
「だけど、何で走りたくないサードちゃんができて、ロードちゃんができないわけ?」
「だから言ってるじゃないですか、分かりかねます」
「サード、頼むからケツを分けてくれ……」
「嫌です……」
「ロードちゃん、もう一本!」
ロードさんは泣きながら坂を下りて行った。
僕は頬杖を突きながら地面に腰を下ろし、彼女の走る様を眺めた。
「サードちゃんさ」
水橋トレーナーは話しかけてくる
「模擬レースで走ったときどう思った?」
「どうも思いませんでした」
「そんなわけないじゃん、人が理由なく走ることなんてないんだから」
「そうですかね」
「何か、感情みたいなものが芽生えたんじゃない?」
「感情ですか」
僕は模擬レースの事を思い出した。
あのドチビと戦って、確かに、負けたくないと思った。
「確かに、あの一瞬だけは、闘争心のようなものが芽生えた気がします」
水橋トレーナーはちょっとビールをあおって呟いた。
「良くないなぁ」
「何故ですか? レースは競争なのに」
「レースは競争だけど戦争じゃないんだよね」
「黒い感情で走ると、絶対悪いことが起きる」
「だからさ、やめよう、そういうの」
僕にはその意図が分からなかった。
目の前をロードさんが駆け抜けていき、ストップウォッチがなる。
「1分2秒、はいもっかい」
「2秒くらいまけてくれよ……」
「駄目に決まってんでしょ。次、いってみよー」
「クソ!」
僕のタイムが52秒だったことを考えると、ロードさんは疲れているのかもしれないと思った。
彼女が僕より遅いなんてことはないだろう。
__________
______
___
「もう二度とやらないからな」
「あれ、二週間に一回やって、1分切れなかったらずっとやるから」
「何だと……!」
僕たちはコンビニに寄っていた。寮に帰る前に、飲み物を買っておきたかったからだ。
僕はスポーツドリンクを手に取った。もちろんポカリスウェットだ。
何の気もなしに僕はこんな質問をした。
「ロードさん、スポーツドリンクと言ったら何派ですか?」
「アクエリアスだな、よく見かけるし」
「何言ってるんですか? ポカリ以外のスポーツドリンクは毒ですよ毒」
「貴様の方こそ何を言ってるんだ」
「アタシはOS-1かな」
「第三勢力」
「おい待て、サード、ファイティングポーズをとるな」
「ふふふ」
僕たちはなんだかんだ言って気が合うみたいだ。
スポーツドリンクの銘柄は違えど、皆笑いあっている。
「漫画買う?」
「ワガハイに言ってるのか?」
「うん、こういうの好きかと思って」
水橋トレーナーは週刊のコミック雑誌を彼女に渡そうとした。
ロードさんは手で払いのけた。
「ワガハイにはコミック雑誌なんていらない。周りが漫画みたいなものだからな」
その発言は僕に向けられたものだった。彼女は僕の目を見て言った。
ちょっとバカにされたと思って、彼女の事を持ち上げた
「あんまりバカにすると高い高いしますよ」
「降ろせ~! ワガハイは赤ちゃんじゃない~!」
水橋トレーナーはそれを見て笑っていた。
なんだか、人と触れ合っていて楽しいと思えたのは久しぶりだ。
僕たちはそのまま寮に戻って、一日を終えた。