ナイスネイチャ33歳概念から抽出しました。
ハッピーバースデーナイスネイチャ

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ハッピーバースデー

 ……またここに帰ってきてしまった。

 中央のトレーナーをやめてもう十年、逃げるようにトレセン学園の近くから引っ越して……商店街にはもう二度とこないとも思っていた。

 転勤でまたこの場所に戻ってくるとは……久々に歩く商店街は十年以上も経っているのに変わらないように見えて……少し懐かしい気がした。

 まだ彼女もここにいるのだろうか。

 転勤先の業務にも慣れてきたところで新しい上司と飲みに行くことになった。

 転勤祝いだそうだ、人当たりのいい優しい人で良かったとつくづく思う。

 

「この商店街で静かに酒が飲めるところはこの小さなバーだけでね……美人なウマ娘さんがミストレスだからね、きっと君も気に入ると思うよ」

 

 少し……嫌な予感はした。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 のんびりとした……聞き覚えのある声。

 目が合って少し驚いたような顔をした後、ゆっくりと落ち着いた表情に戻った。

 あの頃から変わらない優しい笑顔があった。

 元担当ウマ娘、ナイスネイチャ。

 名前の通り素晴らしい素質を持ったウマ娘だったが、俺は彼女を活かすことができない未熟なトレーナーだった。

 G1を取らせてやることができなかった。

 それが情けなくて、トレーナーを引退した。

 中堅とまで言われる実力はあったがそこでくすぶり続けて、最初に担当して最後に引退したのがネイチャだった、それだけだ。

 

「注文は?」

 

「……俺に合うのってあります?」

 

「わかりましたよ」

 

 クスリと笑うような微笑みを返された。

 昔よりも落ち着いた雰囲気があって、大人の女性になった……というべきだろうか。

 だが節々に昔と変わらない笑みを浮かべていて、目を合わせることはできなかった。

 ほどなくして薄い紫のカクテルが出される。

 ……甘い香りがする。

 

「バイオレットフィズです、爽やかで飲みやすいですよ」

 

 カクテルには意味があると聞いたことがある……が知識がないのでどんな意味があるのかもわからない。

 正直、そこまで酒が得意というわけではないからあまり自分でも調べないしな……。

 

「バイオレットフィズかぁ、確か『私を覚えていて』だったっけか、まぁ色合いで決めたんじゃないかな?」

 

「そんな意味があるんですね」

 

 ……覚えていてくれたことに喜びもあるが、少し気まずくなる。

 引退と同時に俺もトレーナー業をやめているし、トレセン学園近くからも離れていたのだ、そんなやつが今更戻ってきたんだ……なんと思われるか。

 

「君は今確か独身だろう?結婚してから独身がうらやましいと思うことがあるよ、こういうところにはなかなか来れなくなるからね」

 

 俺と合流する前から飲んでいたのか大分酒が回っているようで、大笑いしながらそう言われる。

 結婚か……トレーナー業をやめてから根無し草だったからあんまり意識してはいなかった。

 なぜかある後ろめたさを気にしないようにと思いながら酒を飲んでいく。

 ……飲んだカクテルの味は良くわからなかったし、アルコールが回ってきてあまり意識もはっきりしなくなってきた。

 酒を飲んでいる時に考え事をしていたせいか、カクテルが飲みやすいと感じていたのか勢いよく飲んでしまった。

 どうにもふわふわとした感覚が抜けなくて……俺は眠ってしまった。

 

 ……

 

 目の前でトレーナーさんが眠っている……正しくは元トレーナーなのだろうがそれでも私のトレーナーなのにかわりはない。

 これは夢なのだろうか?

 引退の後、トレーナー業をやめたと聞いて私はそのままトレーナーさんに告白しようと考えていた。

 昔ならトレーナーと担当ウマ娘だ、年齢差でみるとたいした差ではないけど、文字にすると途端に大きな壁になる。

 だから、引退したらってずっと思ってた。

 トレーナーさんは、なんというか隙が無い人だった。

 あんまり誰にも好意を見せないというか……誰にでも優しい人だった。

 特別扱いしないっていうのが正しい言い方なのかも。

 踏ん切りがつかなくて、引退したら絶対に告白するって、そこが最後のラインだからって決めていたけど……できないままトレーナーさんはいなくなった。

 トレーナーさんのことが忘れられなくて……バーを継いでから付き合ってほしいとか結婚してほしいっていう人がたまに出てきたりしたけど、全部断った。

 同期だったみんなからそういう恋愛話をされてちょっと苦い思いもしたりした。

 そうやってごまかしながら過ごしてきて……気が付けば三十三歳。

 結婚なんてって思う年になっていた。

 でも、忘れられないその人が、今目の前にいる。

 

「あらーここまで酒弱かったか……こりゃ申し訳ないことしたな、どうしたもんか……」

 

「なら、うちで預かりますよ、この人昔からの知り合いなんで」

 

 預かりますって……言い方絶対おかしい!

 

「ほら大の大人一人介護しながら帰るの大変でしょ?うちで寝かすだけなら楽だしさ!」

 

「うーんでもそれだと迷惑じゃないかい?あんまり……」

 

「大丈夫大丈夫!どうせ夜からしかやってないし!それよりもこの人の仕事は明日どうすればいいかだけ教えてくれれば伝えるから!」

 

 ここ数年出したことがないくらいの声出てる気がする……。

 十中八九怪しまれるなこれは。

 

「わ、わかったよ……支払いは俺がしておく、あと明日は元から休みだからしっかり体を休めるようにって伝えといてくれ」

 

 勢いに負けたのか、納得したのか……おそらくは前者だろう。

 会計を済ませて店から出るのを見送ってからトレーナーさんに目を向ける。

 昔に一度だけしか見せたことのない寝顔、あの時の寝顔は私の出走とかの調整で徹夜したからだっけ。

 

「トレーナーさーん?起きてますか?」

 

 ……うーんといううめき声がするだけで目を覚ましそうにない。

 思い付きで行動したのはいいけどここからどうしよう。

 ここに泊める?いや、横になれるような場所がないここじゃ休めないし、少し肌寒い季節に毛布を掛けるだけにしてしまっては風邪をひくだろうし。

 どこかの宿泊施設……今からじゃ遅いし、少し遠くになる。

 ……自室ならなんとかなる?

 来客用の敷布団もあったはずだし、これが一番丸く収まるよね?

 起こさないように……っと意外と軽い。

 不格好だけどお姫様だっこの方が一番安定するでしょ。

 ……少し顔が痩せこけてみえるのは気のせいかな。

 記憶にあるのが十年も前の姿だからむしろここまで顔が変わらないトレーナーさんの方が不思議なのかも。

 二回の居住スペースに連れて行って一度ベッドに寝かせて……よし。

 後は自分が寝るのに敷布団を……。

 トレーナーさんは寝てるんだよね……少しならいいかな……。

 布団を少し広げて、いや!ダメでしょ!

 私お酒飲んでたっけ……よくないな。

 ん?なんでトレーナーさんに腕が掴まれて……うわぁ!

 

「と、とぉ、っととトレーナーさん!?」

 

 布団の中に引きずりこまれる!体制崩しちゃったから抵抗もっ!

 あっという間に布団の中に引き釣り困れて背中から抱き着かれる形になる。

 いやいやいや……でも無理やり起きればトレーナーさんが起きちゃうかもしれないし……。

 お酒の甘い香りと、昔と変わらないトレーナーさんの優しい匂いがする……。

 あ、ダメだ、眠たくなってき……た……。

 

 ……

 

 あれ……俺いつの間にか寝て……ここ何処だ?

 酒の匂いと……なんだか甘い香りと……味噌汁のいい香りがする。

 

「トレーナーさん起きたんだ、味噌汁できてるけど、飲む?」

 

「……ありがとう、もらうよ」

 

 ネギと豆腐の入ったよくあるタイプの味噌汁……優しいっていう表現が一番いい味だ。

 

「俺、昨日寝ちゃったんだよな?なんかやらかしたりしてないか?」

 

「う、ううん!なにもないですよ!」

 

 これはあったな……申し訳ない。

 ……味噌汁をすする音だけが部屋に響く。

 会話が続かない。

 

「ふー……ごちそうさま、おいしかったよ」

 

「お粗末様です」

 

「……ここにいつまでもいちゃ、あれだし流石に帰るよ、今度なにかお礼をさせてくれ」

 

 そそくさと階段を下りて店の裏手の扉に手をかけて……。

 

「あ、あのっ!トレーナーさん!」

 

「……どうした?」

 

「……や、やっぱりなんでもない!ごめん」

 

 ネイチャは言いたいことがある時は目を合わせない……今も変わらないみたいだ。

 

「俺の連絡先、交換しよう……次の休みに二人でまた」

 

 すこし驚いたような喜んだ顔をしている。

 ……今でも慕ってくれているのはうれしいが、少し重荷になりそうだ。

 裏手から出て表にでると、少し冷えた風が吹いてきて……少し、むずがゆい感覚がした。

 

 ……

 

 トレーナーさんの連絡先……!

 意識的に尻尾が揺れるのを止められない。

 ……ベッドのこと気が付かれてないよね?

 結構長いこと眠っちゃったけどトレーナーさんが起きなくてよかった。

 次の休みがいつになるかわからないけど……ちょっと楽しみが増えた。

 聞きたいことはたくさんある、なんでトレーナーをやめたのかとか、やめてから今までなにしてたのとか。

 話せたらいいな……二人で。

 なんでこんなにドキドキしてるんだろ……年甲斐もないなぁ。

 いつかまた会えるなんて希望をもって十年以上、ここに帰ってくることなんてきっとありえないと思ってた。

 今度は……なんて考えるのは本当にいいことなんだろうか。

 コンコンと裏手のドアが叩かれる

 

「ネイチャー!」

 

「テイオー?」

 

 扉を開けるとそこにいたのは、トウカイテイオーだった。

 この店に結構な頻度で来る常連客の一人で……私と引退まで競った、大切なライバルだ。

 

「この時間は珍しいね、なにかあったの?」

 

「いやぁたいした理由じゃないんだけど……さっき裏手から出てきたのってネイチャのトレーナーだったよね?」

 

 あ~……見られてたか。

 気になったことはすぐ聞かないとずっと聞いてくるだろうしなぁ。

 

「こっちに来てお酒飲んで酔いつぶれたのを一晩寝かせただけだよ、何もなかったって」

 

「ふーんそうなんだ、ネイチャのトレーナーって引退からずっといなかったよね……今更帰ってきたんだ」

 

 今更……か確かにそうなんだけど。

 

「なんでここからいなくなってるか聞いたの?」

 

「ううん、聞いてない……次会う時は、聞くつもりだけど」

 

「……今度こそできるといいね?告白」

 

 うぐ……私がトレーナーさんに好意を向けているのは周りにはバレバレだったようで昔から言われていた。

 

「そ、そんなにわかりやすかった……?」

 

「顔に書いてあるからね」

 

 そんなにわかりやすかったと思っていなかったのだが、表情や抑揚、尻尾ですぐに気が付いたって言われたときはまぁまぁショックだった……多分トレーナーさんにもばれてるってことだろうし。

 

「……ネイチャ、これから予定ある?」

 

「えーと……ある程度はまとめて終わらせてるし、店の清掃ぐらいかなぁ」

 

「それなら手伝うから、少し出かけない?」

 

 少し浮ついてるし、気分を変えるにはいいかもしれない。

 

「いいけど……なにするの?」

 

 不敵な笑みを浮かべたテイオーはすでに表に向かっていて、有無をいわさずといった感じだった。

 テイオーを急いで追いかけて、横に並んで歩く。

 会話は無く、黙ってついていくうちに気が付いた。

 

「ねぇテイオー、この道って……」

 

「気が付いた?そう、トレセン学園への道だよ」

 

「なんでまた「いいからいいから、ついてきなって」

 

 いつも通りの表情のままずんずんと進んでいく、一応私とテイオーはOGだから簡単に通ることができる。

 というかテイオーは今の旦那さん……テイオーのトレーナーと二人三脚でウマ娘達のトレーナーをしているし。

 本人曰く『なんども骨折した私みたいに諦めないってことを伝えたいから……それが師匠から教わったことだしね』って。

 テイオーはなんというか、今も昔も変わらない……キラキラに輝いて自分自身がここにいるって証明してるみたいで……少しうらやましい。

 

「あ!テイオーさんこんにちは!」

 

「こんにちは~、足は大丈夫そう?」

 

「はい!トレーナーも私用にトレーニングメニュー作ってくれてるので、かなり良くなってきてます!」

 

 元気そうな子がテイオーと話してる……慕われてるんだなぁ。

 

「……はーい、じゃあね!ちゃんと治ったらまた走ろう!……なんでそんなしみじみって感じで見てるの?」

 

「いやぁテイオーもちゃんと仕事してるんだなぁって」

 

「なんだよそれー、失礼だなぁもう!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 やっぱりなにも変わらないように感じる。

 すごいなぁテイオーは……。

 

「で、なんでトレセン学園に連れてきたの?」

 

「それはねー、あっトレーナー!あれ準備してある?」

 

「来たかテイオー、準備してあるぞ、更衣室に置いてもらってる」

 

 準備してある?更衣室?

 ……なんとなくは察してきたけど。

 連れられるままに更衣室に向かって……あったのはトレセン学園のジャージとシューズ、サイズはぴったりだ。

 

「……私、現役時代みたいには走れないよ?」

 

「トレーニングは欠かしてないみたいだけど?」

 

 トレーナーとして働いてからちゃんと見るようになってるのか。

 確かにトレーニングは欠かしては無いけど。

 

「そんな見てわかるもんなんですかね」

 

「トレーナーとして仕事してたらね、否が応でも覚えるってトレーナーは言ってたし、実際そうだったよ」

 

 連れられるがままにターフに立つ……現役引退から十年、ここに立つのは久しぶりだ。

 目を閉じて胸いっぱいに空気を吸い込む……足から伝わる心地よい感覚が麻痺していたウマ娘としての本能を刺激して……変わる。

 

「ってテイオーも走るの!?」

 

「慣らしてから、競争しよう、NOとは言わせないけどね」

 

 そういって走り出す、現役のころから変わらないように見えたフォームはところどころに改良が見られて……とても引退したウマ娘の走りとは思えない。

 見惚れている場合じゃないな、私も走ろう。

 ゆっくりとスピードを上げて走り出す。

 踏みしめるたびに帰ってくる感触と流れる景色を見て、なまっていた感覚が徐々に目を覚ましていく。

 

「……迷い、晴れそう?」

 

 横に並んだ時に不意に声がかけられる。

 

「ネイチャ、帰ってきたトレーナーさんに悩んでるでしょ、トレーナーさんに対してもだけど……自分の感情に」

 

「……テイオーにはかなわないなぁ」

 

「引退まで競ったライバルだからね、私の前で隠し通せると思わないことだー!」

 

 ……この好意が、トレーナーさんに迷惑じゃないか。

 聞きたいこともあるし、私の気持ちも伝えたい。

 でもトレーナーさんが私のことをどう思ってるかなんて現役のころ聞いたこともなかった。

 子供の感覚なんだろうけど、一緒に歩んで、一緒にゴールして、隣にいるのが当たり前なんて考えてたから。

 引退と同時にいなくなって、私のことをどう思ってるんだろうって。

 なんて考え事をしていたらもうスタートのところまで戻ってきていた。

 

「よし、じゃあ次は本走りね」

 

「あはは~マジですか?」

 

 冗談か問うように聞いたけど、私の本能は足の底からうずうずと走りたい!と叫んでいるのを確かに感じていた。

 テイオーの目が鋭く、雰囲気は現役さながらの圧力を放ちだした。

 ……その肌に刺さるような感覚に、思考が追いつかなくても本能が呼応する。

 お互いに見合って……視線を前に戻す。

 

「トレーナー!合図お願い!」

 

「よーい……ドン!」

 

 思いっきり足に力を込めて、スタートを決める。

 ゲートは無い、だけどそこにゲートがあれば間違いなくいいスタートができたと確信できる。

 だけどそれはテイオーも変わらない。

 二人だけのレース、距離も短距離よりちょっと長いぐらいで短めだ。

 でも立ち位置は現役から変わらない、テイオーが先行の位置、私は差し。

 テイオーの少し後ろを位置取り機会をうかがう……けどいつも追いつけない。

 先行だというのにテイオーはぐんぐんとスピードを上げていく、じわじわと差が広がって……。

 

『ネイチャ、顔を上げろ!』

 

 よく言われてた一言が思い出される。

 なんども聞いた優しくて力強いあの声。

 

『顔を上げて前を向け、欲深く虎視眈々と一着を狙うんだ』

 

 視線が上がる、テイオーの背中は離れてはいるが……まだ届く!

 足に力を入れて加速する、距離は短いからタイミングは完璧だ、トレーナーさんならここで仕掛けろと言ってくる!

 欲深く、先頭を!

 横に並ぶ直前に……テイオーの体がゴールを通過した。

 

「僕の……勝ち!」

 

「……悔しいなぁ」

 

 お互い息も絶え絶えだけど、昔と変わらない自信満々の笑顔だった。

 

「……多分だけど、普通の距離なら負けてたかも」

 

 急に自信を無くしたようにテイオーの顔から笑みが薄れる。

 いや、事実自信がなくなっているのかもしれない。

 

「……どうして?」

 

「ぼ……私さ、現役ほどのトップスピードがもうでないんだ、衰えももちろんあるけど……色んな走りかたを学んでいくうちに自分の走り方がわからなくなってた」

 

 走り方は改良されたんじゃなくて、混ざった結果だったのかもしれない。

 体の柔軟さを活かした走りじゃなかったのはそういうことだったんだと妙な納得をしていた。

 

「だから……ネイチャと走れば何か戻るかもしれないなんて考えてた」

 

「私と走れば戻る?」

 

「ずっと走り続けてきた……ライバルだからね、今日はどっかで走る予定を無理にでもつけたかったから直接会いに行ったんだ、そしたらネイチャのトレーナーがいて……ネイチャが悩んでる顔してたから無理やり連れてきちゃった」

 

 行き当たりばったりなのは変わらないのに、トレーナーをするようになってからテイオーはよく悩むようになってた。

 抱えるものが大きくなったのもあるかもしれない。

 

「ありがとう、テイオー」

 

「私は無理やりネイチャのこと連れてきて走らせただけだからなぁ、感謝するのはこっちだよ」

 

「迷い……少し晴れたよ、自分に自信が持てないからなんて言ってたらトレーナーさんに怒られるところだった」

 

 なんどもくじけないように助けてもらったのにまたくじけるところだった。

 

「テイオーは……どう?」

 

「まだ……わかんない、でも心から熱くなる感じがする、勝ち方を知った走りじゃなくて、勝ちたいって願う走りを、また見つけられるかも」

 

「なら一緒に走ったかいがあった」

 

 二人して笑って、ターフを離れる。

 今度も一緒に。

 軽くシャワーを浴びて着替えを済ませてバーに戻るころにはそれなりにいい時間になっていて、急いで清掃を終わらす羽目になったのは大変だった。

 テイオーが手伝ってくれたからなんとかなったけど。

 テイオーは私にとって、親友で、憧れで、ライバルで……一生かなわない存在だ。

 

 ……

 

 休みがなかなか取れないまま日数だけが経過している。

 ネイチャとの時間を作りたいが、回ってくる仕事が多くて休みが取れない状況が続いている、きちんと給料と残業代がでるのはありがたいが。

 連絡は取ってはいるが、書き方からお互い本音はあまり混じっていないように感じる。

 ……やはり会って話すべきなんだろうな。

 

「ちょっといいかな」

 

 パソコンから顔を覗かせて呼ばれる。

 名前で呼ばれない時は大体なにかある時だ。

 ……また今日も残業かもしれないな。

 ため息をごまかしながら向かう。

 

「こことここの修正をお願いね……ここが終わればひと段落だ、久しぶりに休みだよ」

 

「わかりました……これの修正以外は大丈夫なんですか?」

 

「君が必死にやったのもそうだし、みんなで必死にやったおかげで仕事に一区切りつけられそうなんだ……休みを与えられなくて本当にすまなかった」

 

 やっと休みか……ネイチャとの予定が合えばいいんだが。

 

「とりあえずそれを終わらしてしまおうか」

 

 よろしく頼むよ、一言付けてさっさとパソコンの方に視線を戻す。

 ……休みが取れていないのは俺だけじゃないんだ、頑張らないとな。

 

「つっかれたぁ」

 

「ご苦労様、いやぁ本当に無茶をさせて申し訳ないね、俺も君も若くないのに」

 

「若者ばかりに苦労をさせるわけにもいきませんからね」

 

 談笑を終えて会社から出るとメールに連絡が来ている。

 休みの日を教えていたからそれに対しての返信みたいだな。

 店の予約をしておいてもいいかもな。

 

 ……

 

 髪型も服装も、普段よりもおしゃれにしている。

 妙な緊張感があってそわそわと落ち着けなくて尻尾は右へ左へと動き回っている。

 間違いなく早く来すぎた。

 集合予定にしたのは十一時、今の時間は……十時半。

 ただ……早く来すぎたのは私だけではないようだ。

 休日だから人混みができて誰かを探すには大変だけど、ちらっと見えたあの姿は間違いなくトレーナーさんだ。

 キョロキョロと当たりを見まわしていたがこちらを見つけると走り寄ってきた。

 

「……待たせたかな」

 

「い、今来たところですから」

 

 お決まりなやり取りを挟んで移動をする。

 これはデート……って思ってもいいのかな。

 ご飯を食べた後に映画館ってありがちな予定、これでよかったんだろうか?

 あらかじめトレーナーさんが予約しておいたらしい場所に向かうことになった。

 ついていく形でついたのはおしゃれなレストランだった。

 なんというか……トレーナーさんは大人だ。

 実際私とトレーナーさんの年齢は離れてはいるけど、数字以上に感じてしまう。

 そわそわとしてしまう自分とは対称的に落ち着いた雰囲気のトレーナーさん。

 ……テーブル一つ挟んだ距離がとてつもなく遠くに感じて、少し嫌な気分になってしまった。

 場の雰囲気にのまれたままで、出されたコース料理は味がほとんどわからなくて……。

 レストランを出るころにはすっかり気が滅入ってしまっていた。

 ため息とか、わかりやすいのはなんとか出そうとしないようにしなきゃ。

 

「……ネイチャ、ちょっとここで待っててくれる?」

 

「え?は、はい」

 

 そそくさとその場からトレーナーさんが離れていく、なにかあったのだろうか?

 近くのベンチに座ったところで我慢していたため息が漏れだして、視線が体勢ごと下を向く。

 頑張ろうって思ってもやっぱり自分じゃトレーナーさんと釣り合わないような気がしてくる。

 トレーナーさんにはきっといい人が見つかるんじゃないかって。

 もういっそ、ここで逃げてしまおうかな……。

 

「ネイチャ」

 

「ふぇっ?」

 

 慌てて視線を上げると目の前につくね棒が出てくる。

 ……よく食べてる商店街の。

 

「レストラン、あんまり楽しくなさそうだったからね、申し訳ないよ」

 

「あ、ありがとう」

 

 ばれてるとわかったとたんに恥ずかしさがこみあげてきて顔が熱くなる。

 うぅ……そんなに私はわかりやすいのかな……。

 テイオーといいトレーナーさんといい、ここまであっさり見透かされるとさすがに少し凹みそうになるなぁ。

 二人共かなり付き合いが長いせいでばれてるだけだって信じたいけど……。

 ごまかすように受け取ったつくね棒を食べる。

 なんども食べてきた好きな味だ。

 うん、おいしい……。

 食べきったところでもう一本出されてくる、砂肝だ。

 気を使われているのはわかるけど、なんていうか……。

 まぁ受け取って食べる私も私か。

 

「もっと普通な感じのお店の方がよかったね」

 

「いやいや、こっちが勝手にテンパってただけだから!」

 

「笑わないで聞いて欲しいんだけどね……実のところ背伸びしてああいう店を選んだせいか、俺の舌には合わなくてね……なんの味がしてたのか覚えてないんだよ」

 

 思わずきょとんとしてしまう、数秒の間があってからクスリと笑いが込み上げてくる。

 なんだ、トレーナーさんも同じだったんだ。

 

「笑わないでくれって……」

 

 情けなさそうなトレーナーさんの声で妙に落ち着く。

 あれだけ落ち込んでいたはずなのにすでに暗い気分はどこかに行ってしまった。

 

 ……

 

 ネイチャの気分がよくなったようでよかった。

 ……あまり背伸びはするもんじゃないな、コース料理なんて馬鹿舌にはわからなかった。

 別に浪費癖があったわけでもないし、贅沢できるだけのお金はトレーナー時代の貯蓄を未だに崩してないからある。

 ただ、勝たせてやれなかったことを悔やむ自分がいて、中央のトレーナー時代に稼いだお金に触れられないでいた。

 ……朝からずっと悩んだままだった、ネイチャになんで姿をくらましたのかと聞かれたら、情けないことしか言えないという事実に。

 今のところ聞いてくる様子はない。

 ただ、その質問が来たら逃げてはいられないのいう焦りだけが心の内で暴れていた。

 

「さ、落ち着いたら、映画館行こう」

 

 ゆっくり立ち上がってネイチャに手を差し出す。

 少し照れくさそうに手を取ったネイチャを立たせる。

 

「似合わない?」

 

「……うれしいとは思いましたよ」

 

 似合わないか……悩んでいることだけは表面に出さないように、ギザに振る舞うことに自己嫌悪しながら映画館に向かう。

 

「そういえば何の映画を見るんだい?見たい映画があるとはいってたけど」

 

「あ~……着いてからのお楽しみってことで!」

 

 俺は映画というものがあまり得意ではないし、最近の映画には疎い。

 間違っても眠ったりしないようにしなきゃな。

 

「……でネイチャさん、見たい映画というのはこれだったりしませんか」

 

「あはは~……ばれた?」

 

 桜がでかでかと書かれたポスター……話の内容はトレーナーとウマ娘の恋愛もの。

 それを元とはいえトレーナーと担当ウマ娘でみるのか……。

 少し恥ずかしいものがあるな、というか元トレーナーと担当ウマ娘という関係じゃなくても年齢を考えたら込み上げる恥ずかしさがあるんだが……。

 ……まぁネイチャが楽しめるならいいかもな。

 

「ポップコーンはどうする?買っておくか?」

 

「色々食べたし飲み物だけで!トレーナーさん買ってもらってもいい?私はチケット方に並ぶから」

 

 わかったって答える前にすでにチケットの方に向かってしまった、はやいなぁ。

 ……恋愛か、多分どこかで見透かされているのかもな。

 五年も担当してたんだ、俺がネイチャに何も感じていないわけじゃない。

 ただ、自分に自信が持てなかったから、傍から離れたんだ、俺じゃネイチャの隣にいる資格はないって。

 ……暗い表情はしないようにしないとな。

 飲み物取ってネイチャを探すと、すでにシアターの入り口のところで待っていた。

 飲み物を渡してシアターに入ると映画の広告がすでに流れている。

 しばらく広告を眺めていると意外と早く時間がきてシアター内の明かりが消される。

 ……映画なんて何年振りだったろうか。

 なんというか、いい映画だった。

 恋愛映画と聞いてかなり身構えていたが、万人が見やすいというか……。

 三度の骨折を乗り越えて、有馬記念を勝ったシーンは効いた。

 

「なぁネイチャ、この映画ってさ」

 

「……うん、テイオーがモチーフだよ」

 

 なるほどな、それは見たいと思うわけだ。

 

「最後のシーンは俺もネイチャもなんども見たからな」

 

 しみじみとした感覚が胸に来る。

 映画のことを話そうってことでカフェに寄ることになった。

 感動したシーンや印象に残ったシーン。

 その場にいた俺たちしか知らないこととか、色々話した。

 時間があっという間に過ぎていく……懐かしい思い出ばかりだった。

 

「……ねぇトレーナーさん」

 

 少しネイチャが真剣な顔になる。

 輝かしい思い出話だけでは終わらないとわかっていたけど、いざ来ると思うとやはり怖くなる。

 

「やめてから今まで何してたの?」

 

 考えうるなかでは優しい質問だった。

 少し戸惑ってしまったが、これはやってたことをいうだけだから簡単だ。

 

「……トレーナー業をやめてからここから離れて地方の野良トレーナーをしてた、俺はトレーナーをやめきれなかったんだよ」

 

 一度深呼吸をして少しずつ思い出すように言葉を選んでいく。

 

「トレーナーをそのままやめようとも思ってたけど、俺はこの仕事で生きてきたからこれ以外の方法を全く知らなかった、だから地方で野良のトレーナーとして指導をして各地を転々として……できた時間で色々勉強してた」

 

 ネイチャが少し意外そうに話を聞いていた。

 多分、俺がトレーナー業をやめたとしか聞いてなかったからだろう。

 

「そこからサラリーマンになって長いことそこで働いてたんだが……転勤があってな、もともと根無し草だったから色々回されてたんだ、そしてここに戻ってきた」

 

 いい終わって、お互いの空気に沈黙が流れる。

 情けない自分を隠す方法が見つからない。

 ネイチャの口が動くのを待った。

 

「そうだったんだ」

 

 あっけない一言だった。

 

「なんにも思わないのか?」

 

「苦労してたんだなぁって」

 

 あっけらかんと言われて、ほんの少し気が抜けた。

 

「意外と薄いんだな、反応」

 

「気になったから聞いただけで、こうして戻ってきてくれてますからね」

 

 そこから沈黙が続いて……気が付けば別れる予定の時間が近づいて来る。

 

「……また、連絡入れるよ」

 

「うん……」

 

 姿が見えなくなるまで、長い時間に感じた。

 

 ……

 

 それから休みの日はネイチャと出かけるようになった。

 自分の中で出かける理由がネイチャに会いたいからなのか……今までの罪滅ぼしからか、わからないままで。

 ……休みが終わってしまえばまた仕事だ。

 もっと長い間時間を取りたいと思うが、忙しいが安定している今のうちに積み重ねておかないと。

 休憩時間……空っぽになった缶コーヒーを片手に部屋を出て新しいコーヒーを買う。

 備え付けのもあるが缶コーヒーの味が好きであまり使っていない。

 

「おーい、ちょっと話があるんだが」

 

「はい、何かありましたか?」

 

 部屋に戻る前に声がかけられた。

 面倒事な予感がする。

 

「いや、実はね……娘が君に会いたいと、まぁ平たく言うと縁談だね」

 

「娘さんが……え?」

 

 次の休みの日が……なくなった。

 

 ……

 

 あの日からなんども休みの日に会うようになっていた。

 だけどある日急に。

 

「明日、行けそうにない……次の休みも行けるかわからない」

 

 そう一言だけ連絡が来て、理由も聞けないままに休みに会えなくなった。

 ……結局休みの日に会った何回かの間でも告白も、辞めた理由も聞けないまま……。

 気持ちを伝えることや、問い一つでトレーナーさんがまたいなくなってしまうかもって考えると……その先に踏み込んでいく行為に寒気がして、考えないようにしてしまった。

 そうやってラインを作って踏み込まないようにしてても、やっぱり会っていたいと思ってしまう自分がいて……少し情けなくて、やるせない。

 また一人で過ごす休みの日が続いて……徐々に寒さも無い季節になってきていた。

 ……休みの日だというのに、会えないだけで気が滅入ってしまう。

 十年以上も耐えていたのに、いざ目の前に来るとずっと傍にいて欲しいなんていうのは……私自身の弱さなんだろうか。

 

「気分転換に散歩でもしようかな……」

 

 軽く歩きやすい恰好にして……外に出ると少し暖かい。

 あたりでは桜が開き始めていた。

 なんとなくで歩き続けて、目に入ったのは会えないと言われたトレーナーさんだった。

 

「トレーナーさ……」

 

 声をかけようとして目に入った。

 トレーナーさんの横で笑う……わかそうなキレイな女性。

 気が付いたら……元来た道を走り出してた。

 感情がぐちゃぐちゃになって、訳も分からない。

 部屋の中に戻って落ち着こうとして……涙がこぼれた。

 

「う、うぅ……」

 

 一度崩れてしまったらもう止まらなかった。

 こんなにも惨めで……滑稽で……あまりにも情けない結末。

 声をあげて泣いたのなんて久しぶりで、止め方も忘れてしまった。

 ……落ち着いたころには目は真っ赤で、気分は最悪だった。

 その日は……店を開くことができなかった。

 

 ……

 

「ネイチャー!」

 

 ……テイオー?

 

「ネイチャ大丈夫?昨日お店開いてなかったって聞いて慌ててきたんだけど、扉の鍵しまってなかったよ!?」

 

「そっか……ごめんテイオー、心配かけちゃって……」

 

 どうやらそのまま眠ってしまったようで……鍵も閉めずに全く情けない話だと、自分のことなのにそう思ってしまった。

 トレーナーさん……隣の人は誰だったんだろう。

 休みの日に来れなくなった理由があの人なんだとしたら……いや、きっとあの人なんだろうな。

 トレーナーさんは優しくてかっこいい人だから……。

 

「……チャ、ネイチャ!」

 

「はいっ!?あぁごめんごめん!……なんだっけ?」

 

 テイオーの話を無視してしまっていた。

 心配かけちゃったな……。

 

「もー……もしかしてトレーナーが忘れられなくて上の空になってたりしないよね?」

 

「い、いやいや!そんなことないですから!トレーナーさんみたいな優しい人には私よりいい人がとっくにみつかって……ますって……」

 

 頬に冷たい感触があって……それが涙だとわかるまで、そこまで時間はかからなかった。

 

「……何か、あったんだね」

 

 ゆっくりと頭をなでられて、気が付いたらまた泣き出してた。

 胸を借りて、嗚咽を漏らしながらあったことを言ってしまった。

 テイオーはしきりに相槌をうつだけで何も言わなかった。

 

「ごめんテイオー……せっかく来たのに」

 

「大丈夫だよ、私でよかったらいつでも相談に乗るから」

 

 何も言わずにずっとそばにいてくれたやさしさに甘えてしまった。

 

「それじゃあ私は帰るから……溜め込まないようにしなよ!」

 

「うん……ありがとう、テイオー」

 

 そうやって軽いやり取りをして手を振り返す。

 本当に……かなわないな。

 

「……トレーナー、少しお願いがあるんだけど」

 

 ……

 

 会社が終わる時間に携帯に通知が来る……。

 家族以外で唯一連絡先を教えていた相手……テイオーのトレーナーだ。

 

「……いつも通り、急だな」

 

 件名はつきあえ、中身は一言だけ、いつもの河川敷で、酒は缶を持ってこい。

 あいつらしいメールだった。

 

「よぉ、急に呼んで悪かったな」

 

「夜ならなんとか時間を作れるからな、だいぶ忙しさもなんとかなってるし、平気だ……お前はどうだ?」

 

「俺を誰だと思ってやがる……テイオーもいいトレーナーになってきたぜ、地頭はいいからな、感覚的に覚えるのが少々難点だが」

 

 カシュッという音が二回続けてなる。

 

「「乾杯」」

 

「いつぶりだろうな、こうやってここで二人で飲むのは」

 

「少なくとも十年以上だろ、お前がいなかったんだからな」

 

 思い出話、お互いが知らない出来事を酒のつまみにしてゆっくりと飲んでいく。

 火照った体には夜風は心地よかった。

 

「……さてと、お前のことだ、察しはついてるんじゃないか?なんで俺がお前を呼んだと思う?」

 

「……あの子は上司の娘さんだよ、縁談で……勧められた」

 

 なんとなく聞かれる気はしてたが、やっぱりこいつはオブラートに包むってのを知らないな。

 

「……どうだその人は」

 

「若い子だけどしっかりしてる、気遣いもできるしな」

 

「お前がいうなら、本当にそうなんだろうな」

 

 もう一口缶ビールを飲もうとして、もうすでに中身が空なことに気が付いた。

 

「お前……ネイチャちゃんどうすんだ」

 

「俺は……ネイチャの隣にはいられない、きっとネイチャには……もっといい人が見つかる、少なくとも自分に自信が持てなくて逃げ出すやつよりかは」

 

「……そうか、俺は優しいからお前の意見を尊重してやる、ただな……自分に嘘をつきすぎると本当はどうしたいのかわからなくなるぞ」

 

 自分に嘘を……か。

 

「……ありがとう、参考にするかは考えとくよ」

 

「まて」

 

「なんだよ、まだ何か……」

 

 缶ビールが投げつけられる。

 

「ここはおごってやるよサラリーマン、後な……まだ俺の嫁自慢が終わってねぇ」

 

 カラン、という音が聞こえて後ろから大量の空になった缶ビールが出てくる、酒豪め……。

 

「……お前、何本飲んだんだよ……仕方ねぇあと少しだけな」

 

「っとそうだ忘れるところだった、お前……ネイチャちゃんの誕生日パーティは来るよな?」

 

「さすがに行くつもりだよ……」

 

「そうか……なら、いい」

 

 ……

 

 ただ一言だった。

 誕生日パーティに来れそうにない。

 目の前が真っ暗になるっていうのがこんな感じなんだと、体験した。

 誕生日パーティに一人こないだけ、そういって自分をごまかそうとしたけど、気分は下り坂のままだった。

 

「ネイチャちゃん、あのアホどこにいったかわかるかい?」

 

「来れないとしかいわれてませんから、あはは……」

 

 テイオーのトレーナーさんが怒りを表に出して拳を振り回している。

 かなりの本数を一人で飲んだようで大分出来上がっていた。

 

「待ってよトレーナー、僕も殴るから」

 

 テイオー達が慰めてはくれるけど、それもなんだかみじめで……。

 最悪の誕生日になった。

 

 ……

 

 四月十六日。

 たまたま父さんにとって都合がよかっただけだったけど、勝手に食事が予約されていた。

 あの人はすごく残念そうな顔をしてから、いつもの優しい笑みに戻って……それを了承した。

 私は……あの人は好きだ。

 でも恋愛的な意味じゃない。

 あの人は憧れだ。

 私はウマ娘だけど生まれつき足が悪くて、とても走れるような状態じゃなかった。

 たくさんの治療をして走れるようになっても、決して速くなかった。

 競うことも苦手で、私よりすごい人がいるのがただひたすらに悔しくて、自分を下げることで逃げていた。

 そんな中で彼女を知った。

 ナイスネイチャ、私の憧れ。

 初めは私と同じように誰かの才能に嫉妬している、そんな人だと思ってた。

 だけど違った。

 彼女は努力していた、才能に負けないように。

 きっと表に見える分だけだなんて思って、調べるようになって……気が付いたらファンになってた。

 

「はは、こういう雰囲気は慣れてなくて……すいません」

 

 作られたと悟らせないように作った笑顔をこっちに向ける人は……ネイチャさんのトレーナーさんだ。

 ネイチャさんを知って、とても……惹かれた人。

 私はこの人が十年以上ネイチャさんに会ってなかったのも知ってる……。

 

「どうして、今日、私を優先したんですか?」

 

「優先?いやぁ今日は空いてましたよ、午後から休みにされてましたしね」

 

 一言二言会話をしたら、また沈黙が続く。

 この人は優しい人だ、嘘が付けないんだろう。

 私を見ているわけじゃない。

 多分このままいけば私はこの人結婚もするだろう。

 でも……きっとそうじゃない。

 

「どうして、ネイチャさんのところに行かないんですか」

 

 驚愕の表情に変わった。

 そんな顔は初めて見たと……少し笑いそうになった。

 

「私と話すとき、いっつも上の空で……ほかの人のこと考えてるんだってわかります」

 

「どうしてそれがネイチャだって、思ったんだい?」

 

「ネイチャさんが私の尊敬する人で、あなたがそのパートナーだから」

 

 テレビで見た時と違ってずいぶん老けてしまって、少し細くなっているけど、すぐに分かった。

 

「今日はネイチャさんの誕生日でしたよね、どうしていかないんですか?」

 

「俺が行ったところで変わらないだろうしね、それにもうすぐパーティも終わる時間だ」

 

「あなたはっ!ネイチャさんのことを優先しようとして自分のことを考えてなさすぎじゃないですか!」

 

 声を荒げてしまって、周りからの視線が少しする。

 でもこの人は多分言わないと自分の気持ちにだって気が付かないだろう。

 

「あんたはネイチャさんが好きなんじゃないですか!」

 

 言ってて胸が苦しくなってきて、下を向きそうになる。

 

「ちょっと……大丈「行ってください!」

 

 出口を指さしてにらみつける。

 

「ここにいるべきじゃないでしょうあなたは!」

 

 二人は私の憧れだから。

 

「……ありがとう、ごめんね」

 

 優しい声だった。

 出ていく背中を視線で追いかけて……。

 

「惜しいこと……しちゃったかな……」

 

 ……

 

 時間は深夜に近づいてきてる。

 夕方から始まるパーティだ、もうとっくに終わっているだろう。

 でも向かわなくちゃいけない。

 誰かのためじゃない、ネイチャのためでもない、自分自身のために。

 走って走って……店の中はまだ光が付いていたけど、静かだった。

 ゆっくりと扉を開ける。

 

「トレーナーさん……?今更どうして」

 

「俺は、君が好きだ」

 

「ちょ、ちょっとまって」

 

 なんてどう伝えればいいか、ぐちゃぐちゃになった思考が邪魔をしてうまく考えられない。

 

「君に……君に会わせる顔がないって、そう思ってたんだ」

 

 ネイチャとしっかりと目があって……思わず目を背けそうになるのを我慢しながら見返す。

 

「あれほど輝きたかった君を、輝ける素質があった君を輝かせることができなかった自分に自信が持てなかった……だから、その……逃げたんだ」

 

 初めは走りに惹かれただけだった。

 いつの間にか泥臭く努力をして、少しづつ歩みを進める君に自分を重ねて見ていた。

 そうやって、一緒に進むうちに……君の喜んで笑う顔が、悲しんで泣く顔が……色々な表情が頭から離れないほどに『ナイスネイチャ』を好きになっていた。

 

「あの日から逃げていたのは、俺じゃ君の隣に立つには役不足だと思ってたからなんだ」

 

 情けない、かっこ悪い、隠してきた本当の自分。

 言わなくちゃ進めないと思った。

 

 ……

 

「……私はね……トレーナーさんのこと役不足だなんて思ったこと一度もなかったんですよ」

 

 急だったから驚いたけど、あっさりと言葉は出てきた。

 

「私みたいな脇役のトレーナーになってくれて……一緒に努力してくれて」

 

 トレーナーとして声をかけてくれた時から、惹かれていた。

 きっとこの人しかないって、そんな気がしてた。

 そしてそれが間違いだったなんて思ったことも一度もない。

 

「だからトレーナーさん、返事は……」

 

 きっと今日は最高の誕生日に変わる。


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