シルヴァーハートと魂の咆哮 ~Heart's Cry~ 作:軽石らいと
「君が編入生さん?食べます?」
突然の尋ね者に驚きもしないで応対する彼女を不思議に思いながら、言われるがままにその一個を受け取りかじりつく。彼女が「おいしい?」と聞くので美味である事を伝えると、爽やかな笑みを浮かべ「良かった」と呟いた。
「君、名前は?」
「……ハーツクライ。」
「そっか。じゃあハーツちゃんだね。私は古山春香。よろしく~」
「よ、よろしくお願いします……。」
彼女のペースに乗せられて思わず挨拶を交わす。
彼女はあっさりとした自己紹介を済ませると、再びドーナツを頬張り始めた。こちら側が聞かなければ延々と彼女の食事を見続ける事になってしまうだろう。
「えっと……何してるんですか?」
「見ての通り、ドーナツを食べてます。」
「そうではなく……どうしてこんな時間にここに居るのですか?」
「んー……まぁちょっとした休憩時間ですよ。そろそろ15時だしジョーさん達に差し入れようと思ってるし。」
そう言いながら、彼女はもう一個、二個、三個と次々に口の中に放り込んでいく。その光景に圧倒されながらハーツは疑問を投げかける。
「ところで、あなたは北原トレーナーとはどういう関係なんですか?貴方もトレーナーなんでしょうけど……」
「うーん。『先輩と後輩』っていうやつかな。ジョーさんが『後輩』で、私が『先輩』。でも年齢だと当然ジョーさんの方が十何歳も年上だよ。」
彼女はそう言うと、最後の一口を頬張った。
北原はあの名バオグリキャップを育てたベテランだがそれは地方時代の話。地方での経歴を含めれば明らかに彼の方が先輩に当たるが、中央の経歴で言えば彼女の方が一足早かったようだ。
「私も地方から中央に上がったタチだから、あの人とは中央資格試験の会場で出会ってさ。向こうはカサマツでこっちはサガ。向こうは大ベテランでこっちは新米のひよっこ。最初こそ緊張してまともに会話できなかったんだけど、いざ話してみるとすごく気さくで優しい人ですぐに打ち解けちゃって。それからはずっと仲良くさせてもらってます。」
懐かしむように語る彼女の表情は明るく、とても幸せそうだ。
「……すごいですね。」
「ん?何が?」
「北原トレーナーとそこまで仲が良いなんて。俺なんかより全然凄いです。」
「そんなことないと思うけどねぇ。だってあの人は私の目標なんだもん。」
「えっ?」
「ふふ、驚くよね。でも、これは本当だよ。あの人がおくり出した『怪物』に負けた、『シルバーコレクター』としてね。」
そう言って彼女は笑う。
しかしその笑顔はどこか悲しげで、どこか寂しさを感じさせた。
そんな彼女の言う『シルバーコレクター』の9文字が、ハーツの脳内に引っ掛かる。
勝者が必ず敗者を作るように、金メダリストは必然的に銀メダリストを生み出す。
世界一に匹敵する天才達が競い合うこの中央でのNo.2は相当な実力者と言えるだろう。しかし、それなのに彼女はまるで自分の無力さを嘆くかのように言った。
「失礼かもしれませんが、俺も通じる所があるかもしれません。素質や才能を評価する人がいたとしても、いつも勝ち切る事が出来ない。北原トレーナーには『勝利したいという意志』が足りないとおっしゃっていましたが、俺に足りないのはそれだけでないと思うんです。現に募集枠に落ちてしまって……俺はまだ、弱いんだなって。」
ハーツはためらいがちに自身が秘めていた気持ちを口に出し始めた。
「中央に入る前からそうだった。俺の走りには何かが欠けている。それがわかっているのに、その欠けたものが何なのかわからない。そんな自分にイラついて、焦って、それでトレーニングに集中できない。このままでは勝てないとその感情に蓋をしながら、逃げるようにやってきたんです。」
初対面の人間にここまで話すなんて自分自身でさえ不思議な感覚だった。彼女が自分と同じ匂いがしたからだろうか。
古山はそれを静かに聞いていたが、そうかと重く返事をしながら立ち上がった。
「『2get』って知ってる?」
「え?」
「『2get』。いつも善戦してばっかりの私に世間が与えた、いわば私の『あだ名』だよ。一応二冠馬と女王のトレーナーなんだけどさ……好き勝手言ってくれるよね……」
彼女はやれやれと言うように少し困ったような笑みを浮かべた。
「でもさ、私はそう呼ばれる度に思うんだよ。確かに自分は凡才だけど、それでも負けたくない相手がいるんだって。」
彼女はそう言いながら、ハーツの瞳をじっと見つめる。
その視線はまっすぐで、ハーツはその眼差しから目を逸らすことが出来なかった。
そして彼女はこう告げた。
『私のチームに入らない?』
ハーツはその言葉を飲み込めず一瞬固まったが、理解した途端に堰を切ったように質問した。
「でもトレーナー。俺の走りを見ていないっていうのにどうして……」
「こっからよく見えるんだよね。ここからなら君のフォームが良く見えてさ。君がどんな風に走ってるか、何を考えてるのか、何をしたいのか。なんとなくわかる気がするんだ。」
彼女が指差す窓には、確かにグラウンドがよく見えた。
「あ、もちろんまだ君の事を知らないし、君の才能を見抜けてないかもしれないけどさ。でもなんというかさ……君は私が手掛けた『あの子』と同じ雰囲気がするんだ。」
「同じ雰囲気……ですか?」
「うん。なんだろうね、うまく言えないけど……強いて言うならば……『世界』が見えた。」
彼女はそう言いながら、先ほどまで座っていた椅子に再び腰かけた。
「君が望むなら……私はいつでも歓迎だよ。」
そう言って彼女は微笑む。
優しくもあり、力強くもあるその表情。
ハーツが少し考えた後、その提案を受け入れた。
「これからよろしくお願いします。トレーナー。」
「こちらこそ!改めてよろしく!」
彼女は嬉しそうに握手を求める。
ハーツはそれに応えるように、しっかりと握り返した所で、突然引き戸がガラガラと開け放たれた。
「失礼します!ハルさん、こちらにハーツクライという栗毛の新入りウマ娘を見ませんでしたか?!」
乱れた息を整えながらやって来た声の主はユートピアだった。どうやら彼女を探していたらしい。
今までの経緯をハーツから聞くと、ホッとした表情を浮かべ言葉を続ける。
「まあ良かったじゃねぇか。『千里のウマは常にあれども伯楽は常にはあらず』って言うもんだ。お前にもちゃんとトレーナーがついたんだろ?これで一安心だぜ。」
ユートピアはそう言うと、彼女の肩に手を置く。
「あっ、ユーちゃんも食べる?一人一箱、差し入れに買ってきたんだ」
古山にドーナツを勧められたユートピアであったが、「そのうち北原さん達が来るんで待ちます」と答えた。そして彼女は携帯を取り出し電話をかける。ハーツと落ち合えた事の報告だろうか。
北原率いるチームアルニタクの到着は数分後だった。
彼らと数時間ぶりに再会したハーツは古山と契約を結んだ事を伝えると、北原は大層喜んでくれた。
「規則とはいえ優秀な君を落としてしまって申し訳ない。でもハルさんの手に掛かるとなれば安心だ。本当におめでとう。これから頑張ってくれ。」
北原はそう祝福の言葉を送る。
「ありがとうございます。頑張ります。」
ハーツは深々と頭を下げ、感謝の意を示した。
「じゃあ皆集まった所で、これでも食べながら休憩といたしましょうか!」
古山はそう言いながら机の上にドサッと荷物を置いた。さっきからずっとあった物だが、やはりその量は多すぎると思う。
「いやー、すみませんね北原さん。わざわざ来てもらって。」
「いえいえ、とんでもないです。それにしても随分沢山買いましたね……」
「いやぁ、無性に『大人買い』したくなる事ありません?なんか無性に食べたくなっちゃって……つい。」
「それわかります。特にこの季節になると無性にアイスとかかき氷を食べたくなってしまって……」
「そうなんですよ〜。この衝動を抑えられる人なんていないですよ〜」
2人は和気あいあいと話し始める。それを中心にチームメンバー達も次第に盛り上がってきたようだ。
「おっ、いい匂いですね!私にも一つ下さいよ!」
「んっふっふっ……それはダメだよドンちゃん。これは私のお楽しみなんだからさ……」
「えぇ、そんな殺生な……」
進学校だった佐泰別では無かったこの賑やかさも悪くない。ハーツはその輪の中に入ろうとしたその時、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「これで正真正銘のライバルになったわね。」
1年にして王者の風格を見せる少女、キングカメハメハだった。
「ああ、ダービーの座は譲らせないぞ。キングカメハメハ!」
「今度からはカメハとお呼び。」
2人はお互いに向き合うと、固く握手を交わした。
突如として現れた天才か、世代を越えたダービーの血か。栄冠を賭けた一大勝負の行方は、クラシック戦線に持ち込まれる事となった。