シルヴァーハートと魂の咆哮 ~Heart's Cry~ 作:軽石らいと
1月5日。新年を迎えて最初の開催が行われる京都レース場は、1ヶ月ぶりの観客達で溢れていた。今日は大きなレースが無くデビュー戦とオープン特別しかない日だが、新年最初の景気づけとして見物に来る人も多い。
天気は快晴。風もなく絶好のレース日よりである。
そんな中、ハーツは控え室で落ち着き払った様子で深呼吸をし、レースの開始を待っていた。
緊張しているわけでは無い。緊張するわけにもいかない。
自分の目標はまだ遠く離れた所にあり、これはまだ助走ですらないからだ。静かに目を閉じて集中していると、すぐ隣で突然声がした。
「いよいよだね。」
驚いて横を見ると、そこにはいつものようにニコニコとした古山の姿があった。
「入るんだったらノックして下さいよ……」
ハーツが呆れたように言うと、古山は悪びれも無く笑う。
「まあ最前席で刮目してるから。ゆるっと走ってきなよ。」
そう言うと、古山はひらりと手を振って出ていく。
ハーツはため息をつくと、再び精神統一を始めた。
ゲート入りの時間になると、各ウマ娘達が続々と入っていった。
ハーツは5枠9番の1番人気。初戦にしてこの期待度は血統の七光りという奴だろうか。
距離は2000m。中段よりやや前の位置につけて、先頭のウマ娘の様子を見るという事としよう。
そして、最後の1人がゲートに入り、ついにレースが始まった。
(よし、いいスタートだ……)
スタートは上々。ハーツは周りのウマ娘の様子を伺うと、このレースの展開がスローペースなのに気付いた。初めて走る中央の芝だから、あまり飛ばさずに探りを入れながら様子を見ているのだろう。追い込みながらも先頭集団の中の1人として好位置を保ち続ける。
先頭を突き進むエイシンメチスに続いてサンエムアトムが逃げを打って追走する。ハーツは彼女をマークするような形でレースを進めていった。
レース展開は順調そのもの。というより順調すぎるくらいだ。
「このまま進むと普通に勝ってしまうな。」
ハーツはそう思いながらも油断はしない。大切なのはタイミングだ。
既に前2人は体力の限界が来ているようで、序盤で見せたあの速度よりは格段に落ちている。そして自分の背後からは先程から猛烈な足音が近づいてくるのだ。
『間からリキアイサイレンス、ナムラリュージュ、更にはミヤタイセン!』
さっきまで後方で待機していた差しの子達が、まるで飛んできたかのように一気に追い上げてきた。
ハーツは警戒していたが、まさか本当に飛ばしてくるとは思わなかった。
そして3人の中からミヤタイセンがもう1回、更にスパートをかけて猛攻を始めた。
「メイクデビューの座はこの私に!」
「いや、俺こそが勝利に相応しい!」
彼女の気迫に押される事なく、残り400を切ったところでハーツは仕掛けた。
少しずつ、しかし確実に前にいる2人を抜かしにかかる。
すると、それに釣られて後ろから迫ってきていたミヤタイセンもスパートをかけてきた。
ラスト200メートル。そこでハーツは一気に加速し、追従する者を突き放した。
『ハーツクライ1着!2着はミヤタイセン……』
1 1/4の差をつけて勝利したハーツクライ。1番人気の期待に見事に応えられた彼女を出迎えたのは、数百の歓声だった。
柄に合わないが笑顔で手を振り返し答えてみせるハーツ。そんな彼女に、スタンドから大きな拍手が送られる。
「こんなんで良い気になっている暇はないな……待っていろよカメハ。」
そう呟くと、彼女はゆっくりとレース場を後にした。
京都レース場の外へ出ると、そこには見慣れた顔があった。
「おめでとう。」
そう言って古山は手を差し出す。
「ありがとうございます。」
そう言ってその手を握ると、古山は唐突に口を開いた。
「あのさ、カメハの事で何か分かった?」
「いえ、全く。ただ、今回のメイクデビューと違って、『スピード感』が全然違ったのは明らかです。」
ハーツの所見を聞くなり古山は「やっぱりそう思うよね」と呟き、腕を組んだ。
「私が思うに、彼女こそ『天才』なんじゃないかなぁって思うんだ。普通ジュニア級の子で2400mなんて走ったら、汗の1つや2つかくはずなのに、彼女は少しも疲れてない。持久力が恐ろしい程高い特異体質ってやつなのかな。」
そこまで聞くと、ハーツは少しだけ驚いたような表情を見せた。ユートピアとアルニタクの先輩達、アウストラリスのみんなと前戦での対戦相手……ここに来て多くのウマ娘と出会ったが、確かにカメハのような禍々しい『オーラ』を感じる人は誰一人していなかった。
だが、それが才能によるものなのか、それとも努力によって身に着けたものかまでは分からない。
そもそも、才能があるなら何故この程度のレースで満足しているのか。
疑問は尽きないが、ベテラントレーナーの古山は飄々とした態度を崩さずに話を続けた。
「まあ『天才』が百人現れようが取って食われるわけじゃないし、気負う事は無いよ。それにこっちだって『最終兵器』はあるんだから!」
古山はそう言うと不敵な笑みを浮かべる。
どんなものかを聞こうとしたが、古山を呼ぶ聞きなれない声で遮られてしまった。
「『最終兵器』は言いすぎですよ。トレーナー。」
噂をすれば影が差すとはこの事か。声の主は長身で線の細いウマ娘だった。
「聞いてたの?ディーレちゃん。」
「ダートの練習を一通り終えた後みんながここに居ると聞いたんで、折角だから京都まで来たんですよ。人混みに紛れてトレーナー達に出会えませんでしたけど、彼女のレースを見てましたよ。」
そう言ってディーレと呼ばれた少女はハーツの方を見た。
鹿毛の長い髪を靡かせながらこちらを見る瞳には、強い闘志が宿っているように感じられる。
「イングランディーレだ。よろしく。」
彼女は凛とした雰囲気で美しく微笑んだ。