シルヴァーハートと魂の咆哮 ~Heart's Cry~ 作:軽石らいと
メイクデビュー後の休憩もそこそこにして、イングランディーレとのトレーニングは昼下がりから始まる。まずはアップとして軽めのジョギングを行い、その後はダッシュを10本ほど行った。
しかしこれはあくまでもウォーミングアップ。本番の『最終兵器』はここからが見せ場だ。
「改めて紹介しよう、彼女こそがイングランディーレ。唯一無二の逃げウマ娘だ!」
古山がそう言った瞬間、ハーツは思わず目を見開いた。
逃げウマ娘はレースにおいて最も速いポジションをキープし続ける能力が求められる。脚力、スタミナ、瞬発力と、全ての要素でトップクラスでなければならない。それを、この目の前の少女が持っているというのだ。
「うちには追い込みが多くて逃げが少なくってね。彼女ならカメハ対策法が浮かぶかなって思ったんだ。それにハーツには試して欲しい『作戦』があるんだ。」
「作戦というと?」
「『直線一気』」
そう言って古山はニヤリと笑う。
「この前のレースで分かったよ。君の本当の素質は最終直線で光る。」
ハーツは少し考えたが、すぐにその意味を理解した。
確かに、今までやってきた走り方ではカメハには勝てないだろう。
戦術無しでの対決となればスタミナのある方が勝利する。スタミナ面で並大抵ではない量を持つキングカメハメハが相手となれば、ただ漠然と末脚を爆発させるだけでは勝てない。
「今のままではバイクとフルマラソン競走しているような物だよ」と言う古山の説明を、ハーツは食い入るように聞いていた。
「君の最高スピードは後半からじわじわとスピードを上げるというより、最終直線で一気にぶち抜くっていう感じだね。だからカメハちゃん相手でも、まあまあのスピードで流しておいてラストスパートで一気にありったけのパワーで抜き去るという感じで勝ち目があると思うんだよね…いや、勝つ!」
自信に満ち溢れた口調で言う彼女からは、確かな決意を感じた。
ここまでの間『勝利の条件』を模索してきたのは、自分だけでは無い。
自分も彼女を見習って頑張ろう。そう心の中で呟くと、彼女は早速古山の指示通りに戦法を変えてみる事にした。
スタート地点に立つと、少し遅れてイングランディーレがやって来た。
彼女はまるで品定めをするかのような目つきでハーツを見ていたが、「お手柔らかに」と短く挨拶を交わし前に向き直った。
ハーツクライは彼女に緊張感を抱きつつもゆっくりと息を吐く。
そして、次の瞬間、2人のウマ娘が一斉にスタートした。
その様子にチームメイト達は騒然となった。
銃口を飛び出した弾のように先陣を突き進むディーレ。その数馬身後ろを追走するハーツ。両者の距離はみるみるうちに離れていき、軽く5馬身差を超える差となっている。一見すると明らかに後者の方が不利だと思うだろうが、それこそが古山の作戦だった。
後方からの加速を得意とするハーツにとっては、中盤までは自分のペースを保ちつかず離れずの距離を置く展開になる方が良い。先頭に無理に追いつこうとせず、ラストスパートが届く距離を保つ方法だ。
古山はそれを予見していたらしく、トップスピードが速く前残りを起こしやすい逃げウマ娘と組ませたのである。
抜け出すタイミングを伺いつつ第4コーナーを過ぎた所で、外ラチの側に立っている古山が目に留まった。
彼女は「計画通り」と言わんばかりの自信に満ちた顔で静かに手を上げる。こちら側にはっきりと分かるように。
「ここか!ここで行けと!」
ハーツはそのタイミングの通りに、溜めておいた足を一気に開放させる。自分でさえ驚くくらい体力に余裕があった。
そして驚くべきスピードでディーレの背中を抜き去っていく。そのままゴールラインを駆け抜けると、少しだけ振り返り、肩で息をしながら力強くガッツポーズを取った。
イングランディーレは驚いていた。
目の前を走るウマ娘はかのような走りっぷりを見せてくれた。それは、この娘がレースで使う脚質に合わせてフォームを調整しているのか、それとも本当に元々そうなのかは分からない。どちらにしろ、このハーツクライには凄まじい素質を持っているのは確実だった。
「お疲れ様~2人とも凄かったよ!」
レースを終えた2人に、古山がストップウォッチ片手に駆け寄ってきた。上がり3ハロンのラップタイムを計測していたようで、データを嬉々とした表情で読み上げる。
「ディーレは39.5秒、ハーツは34.2秒。うん、良いね。」
34秒という速度はデビューしたての子では中々出せない速度であり、ハーツの完成度はとても高いと古山は伝えた。
その記録をバインダーに挟んだ紙に書き込んでいた古山であったが、「じゃあ皆休憩としましょうよ!私はジョーさんの部屋に置いといた差し入れ持ってくるから!」と思い付いたように校舎へと戻っていった。
しかし、1つ疑問が残る。
このレースで見せた自分の走りは、確かに今までとは違った。しかし、それだけで勝てるのか? ここまで離された後に勝ったのはあくまでも突発的な物であり、過去の練習では一度も使った事のない切り札。そんな未知数な物をいきなり実戦投入しても大丈夫なのだろうか。
不安を募らせていたハーツを察するかのように、ディーレが口を開いた。
「君の抱えている悩みとライバルの事は既に聞いているよ。そして君のライバルの走りも見ている。その上で言わせて貰おう。」
一呼吸置いて、彼女は続けた。
「彼女はレベルが違いすぎる。彼女はクラシック級にしてシニア級を取って食ってしまう程の力があるだろう。」
「買い被りすぎじゃないですか?奴は確かに強いですけど、もっと鍛錬を重ねればあの背中を追い越せるはずですよ。」
「勘違いしないでくれ。君が勝てないとは言っていない。先行の精度の高さは彼女がトップクラスであるが、追い込みでは君の右に出るものはいない。『自分の戦いの場に巻き込んでしまえば』皐月賞もダービーも君のものだ。」
その言葉に対して、ハーツは力強い眼で答えた。
「絶対に勝ちますよ。あんな化け物になんか絶対に譲りません。」
今の自分は一本の剣だ。鋭い追い込みでその座を刈り取ってみせる。そしていずれは他の武器も最高に磨き上げてお前のような『英雄』に突き立ててみせよう。
「彼女が天才だからこそ、俺は奴を打ち負かしたいんです。」
ハーツはそう言うと、は歯を見せてニッと笑った。
◇◇◇
「あ?『出走しない』だと!?」
突然ライバルの口から放たれた爆弾発言にハーツは机に手を叩きつけ声を荒げた。多くの生徒が食事休憩を取る昼のカフェテリア。ガヤガヤとした雰囲気が一瞬にして静まり、激昂し席を立ったハーツには十数の視線が一気に集まった。バツが悪くなったので「すみませんでした。」と小さく謝り座る。
辺りの雰囲気はまた元通りになったのを確認してハーツは怒りを抑えつつ話を続けようとする。カメハの方はそれにお構いなしという雰囲気で、黙々と食事をしていた。
相席ついでに動向を聞こうと思ったんだが『出走しない』とはどういう算段なのか検討もつかない。強い癖にマイペースで掴みどころのない様子にハーツは呆れつつも、その理由を聞いた。
「『適正』っていうのかしら。私には中山には相性が悪いみたいなのよ。この前の京成杯で3着になっちゃってね。同じ環境の皐月賞で勝つのは厳しいかなって思ったの。」
「確かにG1となれば更に厳しくなるのは当然だな…… でもクラシックってのは一生に一度しか走れないんだぜ?試してみなきゃ勝てないか分からないだろ。」
「私にはこれっていう特性が掴めていないの。確かに色々模索してみるのもありだけど、『これなら誰にでも負けない』という特性を一つでも持ってないと。それには明らかな『外れ』は飛ばしていかないとダメでしょ?」
いつも気怠げな表情をしているが、どこか真剣な目つきになった彼女にハーツは何か感じ取るものがあった。やはり、コイツは違う。ハーツは彼女の中で既に勝敗は決まっているのだと確信した。
どんなウマ娘であっても、己の力をどこまで引き出せるのかというのは常に悩み続けている。自分の得意な事を生かすのか、それとも不得手な事に敢えて挑戦していくのか。それを幾つものレースの結果と突き合わせながら理解していくものだ。
だが、彼女の場合はそうではない。
こいつは最初から自分を完全に理解している。自分の何が弱点なのか、何を伸ばせば良いのか。それが分かっているからこそ、こんなにも落ち着いているのだろう。
そしてこいつに取ってレースというのは『元から持っている力を証明するために』走るものでしかない。それはハーツにとっては羨ましくもあった。
正直言って敵わない。
ハーツは悔しく思いながらも、同時に憧れを抱いた。
カメハは食事を食べ終え席を立ち、他人に聞こえないようにハーツに顔を近づけた。
「だから代わりに私はNHKマイルカップに出る。東京レース場の傾向も掴めて一石二鳥でしょ?」
「おい、それってクロフネ先輩と同じローテ……」
「じゃあまた、皐月賞楽しみにしてるからね!」
彼女は軽く手を振って颯爽と去っていった。
残されたハーツはポカンとしていたが、我に帰ると同時に自分のトレーを持ち立ち上がった。……そうだ、俺が次に戦う相手はあいつなんだ。
そして彼女が、姿形を変えて目の前に現れたクロフネの影のようなものであるという事。ライバルでも宿敵でも憧れの幻影でもある彼女を打ち倒すべく、ハーツは次の戦いへの闘志を燃やした。