ようこそ狂愛主義者のいる教室へ   作:トルコアイス弐号機

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1話

「んぁ……」

 

 とろんとした声が口から漏れた。

 私の座っている席はちょうどよくお日様が当たる位置で、それが気持ちよくてウトウトしていたのは覚えている。学校に向かうバスの中、どうやら眠っていたらしい。

 始めてくる都会の景色をもう一度目に焼き付けようと、車窓に目を見やると、首が一瞬攣った。変な寝方をして首を痛めたらしい。軽くストレッチするために首をゆっくり回すと、車内はすでに人でいっぱいなのが見えた。

 始発駅から乗れるよう都内のホテルを予約しておいてよかった、よくやった私、グッジョブ。

 

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 

 すぐ近くで響く声。

 一瞬ドキッとしたけど、どうやら声をかけられているのは優先座席の座っている人のようだった。不機嫌そうな横顔をしたOL風の女性と、その真横には腰を曲げたおばあさんの姿。声をかけられている人は立っている人が陰になって見えないけれど、大方優先座席に座っているのは若い人で、おばあさんに席を譲るよう声をかけられたんだろうな。

 

「そこの君、お婆さんが困っているのが見えないの?」

 

 静かな車内で、正義感に溢れたその声は良く通り、周囲の人たちから自然と注目が集まる。

 

「実にクレイジーな質問だね、レディー」

 

 それはなんとも高校生らしからぬしゃべり方だった。

 いや日本人ならぬしゃべり方? なんでもいいけど、とにかく声の主が変人であるということは一口でわかった。

 

「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」

 

「君が座っている席は優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」

 

「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務はどこにも存在しない。この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ」

 

 そして変人らしからぬ小理屈をこねる。

 

「私は健全な若者だ。確かに、立つことに然程の不自由は感じない。しかし、座っている時よりも体力を消耗することは明らかだ。意味もなく無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを弾んでくれるとでも言うのかな?」

 

「そ、それが目上の人に対する態度!?」

 

 不遜な態度を続ける変人と、そんな態度が癪に障ったのか、どんどんヒートアップするOL女性の応酬に、車内の空気が不穏なものに変わっていく。

 変人の言うことは正しい。

 なんだか妙な言い方になったけれど、彼の言ってることは紛れもなく正論で、反論の余地などとてもじゃないけど見当たらないものだった。だけど、正論を武器として使う人は、果たして正しい人間と言えるんだろうか。私から見るお婆さんは立っているのもやっとといった様子で、もしかしたら目的地までもたずに倒れてしまうかもしれない。もしそうなったら、彼はなんと声をかけるんだろうか。

 腕時計で時間を確認すると、到着予定時刻まで十数分といったところ。結構な時間寝てたらしい。

 

「よかったら、ここどうぞ」

 

 立ち上がり、人を掻き分けながらおばあさんに話しかける。居た堪れなくなった私は結局席を譲ることにした。

 ありがとうありがとうと、何度もお礼を告げるおばあさんの体を軽く支えながら、先ほどまで座っていた席に案内する。座ったとたんホッと息を吐いて足をさする老婆を見るに、やっぱり立ちっぱなしはかなり辛かったらしい。

 バスで起きた、ちょっとした騒動が終わり、注意を向けていた人たちの意識も散開する。

 到着まで立つことになった私は、近くの吊革や持ち手は全部埋まっていたので、唯一空いた空間である、変人の前まで移動することにした。そうして初めて目にする渦中の人物は、あろうことか荷物を隣において優先座席を2つ占領するという、よく言えば豪胆、悪く言えば傍若無人な、というかこっちでしか表現できないだろうけれど、とにかく怖れ知らずな人柄が垣間見えた。どっかりと腰を下ろしたその人は、ガタイのいい金髪の男で、私と同じような制服を着ていることから、たぶん同級生であることがうかがえる。

 そしてその顔には見覚えがあった、まさかの大物だ。

 

「なかなか美しい振る舞いだったねえマスクガール」

 

 ニヤリと笑いながら、私に話しかけてくる。マスクガールとは私のことだろうか。

 そのちんちくりんな呼び方含めて、この変人とはあまり関わり合いにはなりたくなかったし、私自身まともな他人と話すのは久しぶりなので、相手をするのに少し躊躇した。久しぶりの会話相手が変人って……。

 

「美しい振る舞い?」

 

「そうとも。君は何の打算もなく、ただ厚意で老婆に席を譲っただろう? 無償の善意とは愚か者のすることだが、醜いものでもないからねえ」

 

 無償の善意は愚者がすること……か。

 まぁ言わんとすることは理解できる。おばあさんがどうかは知らないけれど、人の善意や親切に慣れてしまった人は、我儘で自分勝手な人間に成長してしまう場合があるからだ。実際私が小学校の頃はそういう友達が結構いたので、矯正するのが大変だったのを覚えてる。まぁ原因はほかならぬ私だったわけだけど。

 

「私としては、あなたが席を譲らなかったことが意外だったけれどね。財閥の御曹司さん」

 

「ほう? 私のことはどこで知ったのかな?」

 

 目の前の男子生徒──高円寺六助のことを知ったのは中学校3年の時だ。私と同い年にして数千万円の資産を得たとしてニュースになっていたのをテレビで見かけた。私の家は貧乏だったので、一家そろって羨ましさに指を嚙みながらそのニュースを聞いていたものだ。まさか、同じ高校に通うことになるとは、あの時の私が知ったらどう思うかな。そのことを高円寺君に伝えると、堂々と胸を張った。

 

「いかにも、私こそ高円寺コンツェルンの一人息子、高円寺六助さ。それでマスクガール、なぜ私が席を譲らなかったことが意外なのかな?」

 

 え、なんでこんなに話が続くの。

 席を譲った心優しき少女に、正論でもって頑なに席を譲らなかった変人が絡むという絵面に、周囲から痛ましげな視線が突き刺さる。同情するなら助けてよ。

 

「えっと、なんでそんなに気になるの?」

 

「私は凡人には興味はないが、未知を既知としたい欲求くらいはあるのだよ。小さな時から社会の荒波に揉まれてきた私は、多くの人間と出会ったが、君のような人間は初めてでねえ。少し言葉を交わしたいと思ったのだよ」

 

「ええ……」

 

 コイツ、さり気に私のこと凡人とディスったぞ。

 初対面の、名前すら知らない人間を凡人だなんて表する彼の神経の太さにいっそ感服する。

 

「あなたって大人になったら財閥を継ぐんでしょ? そんな風な態度でいたら、印象も悪くなるし、人もついてこなくなるしで困るんじゃないかなって」

 

「心配はナッシングさマスクガール。凡人たちからの印象などどうでもいいが、仮にそれが必要だとしても、結果でいくらでも覆せるからねえ。そして、無類のカリスマ性の持ち主である私のことを慕うものはすでに数多い。君もこの学校生活でそれを知ることになるさ」

 

 暖簾に腕押し、豆腐に鎹。

 私の懸念などさらりと聞きながし、最後に前髪をファサッとかきあげて言葉を締める。理屈は意味不明だったけれど、自分に絶対の自信を持っていることはわかった。

 

「慕う人が多いって、財閥の人? 全員じゃないんだね」

 

 それだけ自信満々なら、全員ひれ伏してるとか言ってもおかしくないと思った。

 

「確かに一部の人間は私の素晴らしさを理解してないねえ。しかし問題ないとも。すぐに私を認めざるを得なくなるだろうさ」

 

「ふぅん」

 

 適当に相槌をうち、これで会話を終わらせることにした。周囲の視線が痛いし、なによりこの変人と会話してると私にも変人が移りそうだ。そしてさらになによりも変人と話すのは常人のそれの3倍以上の労力を必要とするのが心配だった。要するに疲れた。

 

「なにか言いたそうだねえマスクガール」

 

 え、続けるの? 凡人には興味ないのでは? そりゃないことはないけど、これ言ったら怒りそうだもん。

 

「結構失礼なことだし、黙っときます」

 

「レディーの失言を責めるほど、私の器は小さくないよ? 話してみたまえ」

 

 そうやって話を促そうとする高円寺君は、こちらをバッチリ見据えて全然逃がしてくれる気配がない。

 まぁ最初に私のことディスったのは向こうが先だし──。

 そう開き直った私は素直に話すことにした。

 

「高円寺君ってお父さんと仲悪い?」

 

 何気なく言った後、やっぱり初対面の人間に家族との関係を指摘するなんてやっぱりライン越えすぎかなと後悔する。件の高円寺君には私が言った内容が衝撃的だったらしく、目を丸くしていた。

 しかしそれも一瞬、すぐにとりなおすと、興味深そうに私に目を合わせてくる。

 

「なかなか穿った意見だねえ。どうしてそう思ったのかな?」

 

「ここまで話して思ったけれど、高円寺君って基本他人に興味ないでしょ。私のこと知りたいとか言っておきながらさっきまで目も合わせなかったし」

 

「異論はないよ」

 

「そんな高円寺君が、自分のことを認めない一部の人に『認めざるを得ない』なんていうのはちょっと違和感だったかな。そんな人は切り捨てるとか言われても驚かなかったかも。だから、高円寺君を認めないその人たちっていうのは、高円寺君にとって無視できない人なんじゃないかなって。それに」

 

 一度言葉を区切った。変人と話すのは疲れる。

 

「さっきニュースで高円寺君を見たって言ったけれど、あれ、一回しか見かけなかったし、なにより全然話題にならなかったんだよね。それって変じゃない? 中学生が数千万の資産構築なんて、日本社会の風雲児だ! とか騒がれて新聞の一面になっててもおかしくないでしょ。取材とかが殺到しそう。でも全然そんなことなかったし、高円寺君のことを露出させたくない誰かがいたのかなって。んで、そういった権利を振るえそうなのは実のお父さんとかぐらいかなって思って。そんなに優秀な跡取り息子がいるならライバルに対して牽制にもなるし、公表しない理由がないでしょ? だからそういった動きがなかったのは、お父さんは高円寺君のことあんまり認めてないのかなって思って。失礼になっちゃったのはごめんね」

 

 手を合わせて謝る。

 私が言ったのは全て単なる推測どころか妄想の類だ。向こうから催促したとはいえ、なんてことを言うんだと怒られても仕方がない。怒らないとか言ってたけど激昂するかもしれない。

 言い放った言葉を再確認してバツが悪くなった私だったけれど、話を聞き終えた高円寺君が唐突にパチパチと手をたたき始めた。

 

「ははは! あれだけの会話でそこまで想像を巡らせるとはねえ!」

 

 車内に響き渡る大声を出す。拍手も相まって目立ちすぎるからやめてほしい。

 

「なかなか面白い意見だったよマスクガール」

 

「私の妄想って当たってたりするの?」

 

「そのあたりはシークレットとしておこうじゃないか。身内の話など、ギャラリーの前ですることではないからねえ」

 

 それは確かに。昔ならこんなポカやらなかったけど、やっぱり鈍ってるな。しっかりしろ。

 

「ただし君の言った通り私へのマスコミの取材が打ち切られたのは事実さ。だから、私の存在を知れるのは自分で作ったHPだけなのだよ」

 

 そう言って携帯を取り出すと、少し操作した後私に画面を見せてくる。確かに高円寺君の顔写真が載ったHPだ。これまでの功績なんかが紹介されている。

 どうやって自分のことを知ったのか聞いてきた理由はこれか。高円寺の名前で調べないとこのHPに辿り着くことはない。私がどういう理由でこのHPを見つけたのか聞きたかったということか。

 つまり私が見たニュースは手違いで流れたもので、たまたま偶然の機会があっただけとのこと。

 高円寺君がやたらしつこかったのもこれが理由だったのだ。

 

「そういえば名前を聞いてなかったねえマスクガール。ぜひ教えてくれるかな?」

 

「黒華梨愛(くろは りあ)だよ」

 

「黒華ガールか、覚えておこう」

 

 そんな風に名乗った覚えはまったくないけれど、たぶん訂正を求めても無駄なので諦めることにした。私の名前を知って満足したのか、高円寺君は鞄からイヤホンを取り出すと耳に装着して爆音で音楽を聴き始める。前に立つ私にも丸聞こえだったけれど、もしかしたら話し疲れた私に対する配慮とかだったのかもしれない。

 いやそれはないな。もしそうなら荷物をどけて席を譲るべきだし、そもそも私に話しかけるべきではなかった。

 腕時計を見てみると到着まであと数分。

 

 まぁいい時間潰しにはなったかな。

 

 外に見える満開の桜を眺めながら、そんなことを思った。

よう実の詳細な時系列や特別試験のルール、設定などをまとめた資料を書くかどうか(詳細は1章幕間の後書き参照)

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