翌朝、いつもの朝練を終えた私は、今日は須藤君に先に学校へ行ってもらい、寮のエントランスである生徒を待ち続けた。というのも、昨日の放課後、佐倉さんのカメラを壊してしまった件を謝りたかったのだ。打算ありきで声をかけた挙句、その人の持ち物を壊してしまうのはさすがに申しわけなく、とはいってもクラスのみんながいる教室の中で声をかけると佐倉さんはまた私から逃げ出してしまう。
幸いにも佐倉さんはいつも遅れて教室にやってくるので、早めに部屋を出て待ち伏せていれば必ず出会える。突っ立ってエレベーターから降りてくる生徒を確認していると、いつも通り猫背の佐倉さんがやってきた。俯いている状態なので、近づく私に気づく様子はない。
「あの、佐倉さん」
「え!? な、なんですか?」
まさかの出待ちに明らかに動揺する佐倉さん。私を見て、クラスを騒然とさせている事件の件だとすぐに直感した様子。すまんね、私は善意を施すタイプなのではなく、押し付けるタイプなんだ。
「違うの! その、壊しちゃったカメラの件で声をかけたの」
なぜ佐倉さんが逃げるのか。その理由を悟っていることを伝えながらも、あくまでも今回は別のことで声をかけたと告げる。これで騒動に巻き込まれたくないという感情が罪悪感や後ろめたさを上回っていれば、佐倉さんは足を止めずに教室へ向かう。が、結局佐倉さんは私を振り返ることまではしなくとも、歩くことはやめた。
「壊しちゃったとき、だいぶショックを受けてたみたいだからさ、弁償したいの。どうかな」
ポイントは全然持ってないけど、修理代ぐらいは払わせてもらう。
「いえ……あれは私が悪いので……」
「ダメ、かな? この場で修理代だけでも払わせてほしいんだけれど……」
粘る私に、考え込むような仕草を見せる佐倉さん。どう断れば私が折れるか考えてるのかもしれないけど、そうそう退く気はないよ。
「じゃ、じゃあ、土曜日に家電量販店までついてきてもらってもいいですか?」
断られるどころか、ショッピングのお誘いだ。予想の斜め上を行く返答にちょっとだけ動揺する。
「え? もちろんおっけーなんだけど、いいの?」
「あと、えーっと誰だっけ……あっ、綾小路くんにも一緒に来てほしいんですけど……」
「綾小路君? いいよ。私から連絡しておくね」
なぜここで綾小路君の名前が出てくるのかさっぱり疑問だけれど、別に問題ナッシング。
私を避けている佐倉さんに気を使ってポイントの支払いだけで済ませようと思っていたんだけど、まさか修理のためだけとはいえ休日の買い物に誘われるとは思ってもみなかった。
このまま別々に分かれて教室に行くのも後で気まずいので、2人で無言のまま教室に向かう。佐倉さんが私と何か話そうと、口を開いては閉じるのが目の端に映っていたけれど、最後まで私から声をかけるようなことはしなかった。
◇
そして迎えた土曜日。
肝心の綾小路君は暇だったようで、二つ返事で了承してくれた。当の本人もなぜ自分も誘うように言われたのかは全く心当たりがないらしい。
肌を焼く灼熱の太陽を浴びながらケヤキモール一階の待ち合わせ場所まで向かう。
「2人ともお待たせー」
待ち合わせは私がドベのようで、綾小路君も佐倉さんもベンチに座っているのが見えた。私が声をかけると、2人ともぎょっとしたようにお互いを見やる。一緒に私を待っていたにしては、違和感だらけの反応だ。
「お、おはよう……」
「ああ、おはよう」
「……もしかして隣に座ってたのに、お互いに気づいてなかった?」
指摘してやると、2人とも気まずそうに顔を見合わせた。
まぁ綾小路君が気づかなかったのも無理ないかもしれない。件の佐倉さんは眼鏡こそ普段と同じだけれど、今日はそれに加え帽子とマスクまで装備してきているのだ。ケヤキモール内は冷房が効いているけど、寮からここまでのクソ暑い道のりをマスクをつけたまま行き交うのはなかなかの苦行だ。
――そうまでして顔を隠したい理由があるということ。
「さすがに不審者っぽいですよね……」
「不審者っていうより、身バレを防ぎたい有名人に見えるかも。屋内なのに帽子被ってるし」
「えぇ!? うそ!?」
「そんなに驚く? 大丈夫だって。外部との連絡が禁止されてるこの学校に、メディアに露出するタイプの有名人がいるわけないし」
「うぐっ」
いるとしたらモデルとかかな。アイドルとか子役タレントは卒業後の進路に露骨に影響あるしさすがにいないでしょ。自分の身なりが気になるのか、佐倉さんは結局マスクと帽子を外してしまった。それされると、常にマスクつけてる私も不審者に見られてる感じがするのでちょっと気まずい。
「確か、カメラみたいな電化製品の修理はジョー〇ンでやってたはず」
なんか、そんなことが書かれたパンフレットを入学当初読んだ気がする。
外部とのあらゆる連絡が禁止されているこの学校では、私たち生徒を含め、内部で暮らす人間が生活に不便しないように、あらゆるサポートが提供されている。生活必需品はもちろん、イヤホンとかカメラみたいな趣味の領域に入る製品もいろんな種類が取り揃えられている。
さすがに需要者の数が数なので、店舗面積はそんなに広くないけれど、それでも私たちが利用する分には十分すぎる規模の店舗だ。
「あったあった。あそこだ修理受付」
「あ……」
私と綾小路君はさっそく受付しようと歩き出すけれど、佐倉さんだけは動こうとせず、ただじっと修理受付を見つめている。その目には嫌悪感とか恐怖心とか、そういった負の感情で満たされていた。その視線の先にあるのは1つだけ、いや1人だけって言った方が正しいか。佐倉さんは明らかに修理受付にいる男性の店員を警戒している。
「どうした? 佐倉」
「え、えっと……なんでもないです」
綾小路君も佐倉さんの様子が気になったらしく、気遣うように声をかけたけれど、佐倉さんは特に何も言うことなく、ゆっくりと修理受付に向かう。
隣に立った佐倉さんは若干息が荒く、顔色も悪いように見えた。明らかになんでもないって様子じゃないけど、大丈夫かな。
修理の依頼自体は当事者の私と佐倉さんでするので、その間綾小路君は手持ち無沙汰になる。どうやら綾小路君はこの家電量販店でいろいろ見たいものがあるらしいので、ここで一旦分かれる。
「あの、すみません。カメラの修理をお願いしたいんですけど、かまいませんか?」
「もちろん構いませんよ。それでは――」
何やら作業をしていた店員が答えながら私たちへと振り返り、まず私に、そして次に佐倉さんに視線を送り、その瞬間呆気にとられたように言葉を詰まらせた。
なぜかはわからない。わからない、けど、店員のおかしな反応の原因が佐倉さんにあるのは間違いない。店員が佐倉さんを見つめるその目は、見覚えのあるドス黒い感情で彩られていた。思わず、鳥肌が立つほどゾッとしたけど、隣に立つ佐倉さんはそれどころじゃなく、明らかに怯えた様子で委縮してしまっている。
間違いない。この男は佐倉さんのストーカーだ。
綾小路君を呼ぶように私にお願いしてきたのは、同じクラスメイトの綾小路君なら『もしもの時』の相談相手になるかもしれないから。彼と別れたのは失敗だったかもしれない。
「あの?」
「ああ、申し訳ありません。カメラの修理とのことでしたが、どちらのお客様のものでしょうか?」
「……この子のです」
カメラの持ち主が佐倉さんだと判明しても、店員のリアクションは乏しいものだった。異常者のくせに、まともな人間にうまく擬態するタイプのストーカーだと判定する。この手のタイプはなかなか尻尾を出さない癖に、暴走したときは手が付けられないほど凶暴化するので、女子にとっては特に危険だ。
一通りカメラが壊れるまでの状況を説明すると、カメラの状態を確認したいとのことなので、持ってきていた壊れたカメラを店員に渡す。私たちの前でカメラを開け、中身を確認していたけれど、どうもパーツの一部が破損しているらしく、電源がうまく入らないようになってしまったとのことだった。
修理代だけれど、こういう電化製品はたいてい保証書がついているらしく、佐倉さんのデジカメもそれがあれば無償で修理できるらしい。
幸い佐倉さんはしっかりと保証書を持ってきていたので、ポイントを支払う必要はなくなった。あとは必要事項を記入して終わりのようで、店員が一枚の紙を差し出してくる。
一見、マニュアル通りに応対する店員と生徒の何の変哲もないやり取り。あとは震える手でペンを握った佐倉さんが必要事項を――氏名、電話番号、寮の部屋番号を書けばそれで無事やり取りは終了。
「ちょっといいか?」
「えっ?」
目を強くつむった佐倉さんが、意を決した様子でペンを走らせようとしたその瞬間、いつのまにやら戻ってきていた綾小路君が半ば奪うように佐倉さんからペンを取り上げ、自分の氏名などを必要事項として紙に書き記していく。
「ちょ、ちょっと! 困るよ君」
「この保証書はこのカメラの購入者がこの子であることを証明していますし、法的な問題はどこにもないですよね? 修理が終わったらオレのところに連絡ください」
有無を言わさず、店員に必要事項が記入された紙を差し戻す。
「それとも、彼女じゃなければなにか問題でも?」
「いや、そういうわけじゃないけどね……」
店員は不服そうだったけれど、綾小路君の言う通り代理人を立てることには何の問題もないため、私たちは堂々と修理受付から立ち去る。
肝心の佐倉さんだけれど、何とか危機を免れ、不安半分、安心半分といった感じで疲れ切った様子だったので、手近なベンチに座らせる。
一息ついたことで落ち着いてきたらしく、ほうっと深いため息を吐いた。
「ありがとう、綾小路くん、黒華さん」
「ううん。私は何にもできなかったから。私からもありがとうね、綾小路君」
「礼を言われるほどじゃない。それにしても、すごい店員だったな。男のオレでも正直ゾッとしたぞ」
「ちょっと気持ち悪い、よね?」
「ちょっとっていうか、100%キモイと思うけどね」
こういう時、女子はたいてい愚痴で盛り上がる生き物だけれど、佐倉さんはそういう生態ではないのであの店員の話はここで終わる。やることは終わったので解散してもいいけれど、せっかくの機会なので多少話してから帰ることにした。
「修理までは2週間って言ってたよね。その時も私たちも一緒に行こうか」
「い、いいの?」
「いいよこれくらい。佐倉さんみたいなレアキャラと仲良くなるチャンスだし。ねっ綾小路君」
「レアキャラ……」
「まぁそうだな。基本暇だしこれくらいは」
2つ返事で綾小路君も了承する。堀北さんと絡むときは何かと面倒がる彼だけど、こういった誘いは意外とすんなり引き受けてくれる。まぁ自分で言ってたように暇なんでしょうきっと。
「……ありがとう、2人とも」
感謝の言葉と同時に、私たちに頭を下げる。当初の敬語もいつのまにかなくなり、多少なりとも私たちに心を開いたみたいだ。実際、私のことを見る「目」も変わっている。
このとき、私は確信していた。今、佐倉さんに暴行事件の件を問いただせば、必ず答えてくれると。正直な話、佐倉さんが目撃者として名乗り出てくれるかどうかはもはやどうでもいい。どうでもいい、が、それとは別に、今回のケースは佐倉さんからの信頼度を稼ぐいいケースだ。私が佐倉さんをレアキャラなんて表現したのは、一番信頼を得難いタイプの人間だからだ。
女子は特にそうだけど、人は基本、群れる生き物だ。だから人はみんな高校に行く際、『高校 友達 作り方』と検索して一緒に過ごすことができる仲間を探す。
そういった人から信頼を得るにはどうすればいいか、簡単だ。親切で優しくて、一緒にいて楽しくて、それでいて頼りがいのある優れた人間を演じればいい。どれかが欠けていてはダメ。すべてをそろえている必要がある。その際自分の能力を抑える必要なんて一切ない。「出る杭は打たれる」なんてことわざがあるけれど、私に言わせればあれは一部間違いだ。人より多少優れているだけの人間は確かに嫉妬や反感を買うかもしれない。けどそれは「優れた」の程度が低いから、視野を広げればどんぐりの背比べに他ならないから。けど世にいう「天才」は違う。バカみたいに長い杭を打とうと思っても、最後まで打ち切ることは難しいし、そもそも手が届かない。圧倒的な個人が集めるのは嫉妬や反感ではなく「羨望」と「恭敬」だ。
もちろん中には本気で1人のほうが好きだという人もいるけれど、そういった人は少数だし、あくまでも個人で仲良くやれば簡単に信頼を得ることができる。根本的な方法は何も変わらない。
けれど佐倉さんのような、人付き合いそのものを拒絶してくるタイプは如何ともしがたい。接触それ自体を拒まれては、信頼も何もない。だから、こういったきっかけが必ず必要になる。だからこの貴重な機会を必ずものにしなければならないのだ。罪悪感に苛まれる佐倉さんの心を解きほぐし、暴行事件を颯爽と解決する。そうすれば、佐倉さんは完全に私に心を開く。生徒会の仕事なんかよりも、こちらのほうが何百倍も重要な仕事、いや、使命だ。
「じゃ、用事も済んだし、お開きにしようか」
立ち上がり、率先して今回のショッピングの終わりを告げる。考えていたこととまるで真逆の言動だけれど、これでいい。これがいいのだ。
「そうだな、帰るか」
綾小路君も立ち上がり、佐倉さんただ1人が座ったままの状況が出来上がる。私と綾小路君が佐倉さんを見つめる目、本人にはどう見えているんだろうか。
「あ、あの……」
勇気を振り絞って出した声。続きを促すようなことはしない。あくまで本人にしゃべらせる。
「須藤君のこと。わ、私にも協力できるかもしれない」
須藤君の暴行事件、その目撃者であったことを告げた。その告白に私と綾小路君は顔を見合わせ、上げた腰をまたベンチにおろした。
「つまり、佐倉が今回の暴行事件の目撃者だってことだよな?」
確認する綾小路君の言葉に、小さくうなずく。
「佐倉さん、無理しちゃダメって言いたいけれど、須藤君のためにも、クラスのためにも、目撃者を放っておくことはできない。佐倉さんが見たすべてを、少なくとも私たち2人に話してもらうことになる。いいよね?」
ただ親切なだけの少女を演じるつもりはない。私はクラスのリーダー、時にはなけなしの勇気を振り絞ってもらうことも仕事の1つ。
その後、佐倉さんが事件現場で見た光景をぽつりぽつりと語ってくれた。
写真を撮りに特別棟に行くと、須藤君とDクラスの男子生徒3名が揉めていることに気づいたこと。須藤君はあくまでもDクラスの挑発を無視しようとしていたけれど、私を出汁にした脅迫にキレて殴りかかったこと。Dクラスの生徒は須藤君にボコされるがままで、最後に「大変なことになる」そう言い残し消えていったこと。
須藤君の話した内容と概ね一致している。問題はなさそうだけれど、1つ気になることがある。
「写真を撮りに特別棟に行ったんだよね?」
「うん。そうしたら須藤君たちが……」
「揉めていたと。佐倉さん、須藤君たちが争いあってるところの写真とか撮ってない?」
仮にこのまま佐倉さんを目撃者として裁判に出頭させたとして、ただ口頭で「私は見た!」などとCクラスの生徒が主張しても、鼻で笑われるのがオチだ。監視カメラの映像を確認してもらえればわかるかもしれないが、特別棟は極端にカメラが少ない。頼りにするには少々心もとないのが現実なのだ。
「と、撮ってます。ほんとに、咄嗟に撮っておこうって」
「それはナイスすぎるよ佐倉さん。ちなみにその写真データは?」
「それが、あの……」
申し訳なさそうな佐倉さんの目が、私を捉える。
「この前黒華さんとぶつかったときに、壊れちゃったみたいで――」
「おっ――」
お前って言おうとしたのだろうか。綾小路君が複雑そうな視線を私に向けてくる。やめろ、そんな目で私を見るな。私だって今、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいなんだ。あれだけ佐倉さんからの信頼がどうとか考えておいて、このオチはあまりにも始末が悪い。
「――ごめんなさい! 佐倉さんに負担をかけておいて、こんなっ、こんな……」
「や、わたしは大丈夫なんだけど――。あの、写真がないとダメなの?」
「ダメってことはないが……。佐倉の証言を信じてくれるかはかなり怪しくなるだろうな」
「というか、間違いなく信用しない。堀北会長はそんなに甘い人じゃないし」
私がいようがいまいが、間違いなく有罪判決を下す。
こりゃ予定変更しなけりゃどうにもならないかな。一度生徒会を仲介した裁判を経ないと、必要な圧力が弱まるため、第一審は必ず受けたかったけれど、第一審が始まる=Cクラスの敗北がほぼほぼ確定してしまった、ほかならぬ私のせいで。
裁判は来週の火曜日、つまり3日後だ。それまでに何としてでもDクラスの訴えを取り下げさせる必要がある。それしか須藤君を無傷で守る方法は存在しないのだ。この事件の裏にいるであろう龍園君は相当な曲者だと予想されるけど、やるしかない。
「とにかく、ありがとう佐倉さん。けど、ここでの会話はとりあえず秘密にしておいてほしいの。佐倉さんが目撃者だって大々的に言っちゃうと、クラスのみんなからの負担も大きくなっちゃうし」
「黒華も多少なりとも責められるだろうしな」
余計なことを吐き出す綾小路君の口を空手チョップで黙らせ、今日のお出かけは終了した。