ようこそ狂愛主義者のいる教室へ   作:トルコアイス弐号機

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7話

 入学から2週間が経った。

 最初は急変した環境にどこか戸惑いを見せていた生徒たちも、次第に新しい学校生活に慣れ始める。私のいるDクラスでも、入学当初の友達作り期間は実質終了、すでにいくつかのグループが出来上がっていた。

 女子で言えば、まず軽井沢さん率いる女帝チーム。女子の約3分の1はこのグループに属していて、イケイケなギャルが集まっているのがこのグループだ。対抗馬になるのは篠原さんあたりが属しているワイワイチーム。ノリがよくて面白い人が多いのが特徴で、私とも仲がいい人が多い。

 もちろん、軽井沢さんたちとも仲良くさせてもらってるけどね?

 最後のグループがみーちゃんとか私がいる仲良しチーム。優しくて争いごととかが苦手な人が多いけど、一緒にいて疲れない穏やかなグループだ。ちなみにまだグループに属していなくて比較的1人でいることが多い女子が、佐倉さん、長谷部さん、堀北さんの3人だ。名前の出てない櫛田さんはほぼ全員と仲良くしてる。どのグループにも属していないというより、全てのグループに属していると言った方が正しいと思う。

 男子で言えば、まず3馬鹿トリオの名前が挙がる。池君、山内君、須藤君の3人のことで、この3人は特に仲がいいらしく、いつも一緒にいるのをよく見かける。ここにたまーに綾小路君が加わっているから、最近では4馬鹿カルテットに改名しようという風潮が一部の女子にある。綾小路君、気づけ。

 そして平田君は相変わらず女子に集られているようで、見かけたと思ったら十中八九女子が近くにいる。あとはまぁ幸村君とか三宅君といった生徒は1人を好むようで、そんなにつるんでいる姿は見かけない。とはいえ男子は主に3馬鹿トリオが平田君を僻んでいる点を除けば、わりと全員仲がいいと思う。この傾向は男女の違いというのが露骨に出てるんじゃないだろうか。女子なんか、携帯のグループチャットで特定の誰かがいないグループを作ったりしてるからね、やっぱり恐ろしい生き物だよ女は。

 ちなみに池君と山内君にはなぜか恐ろしい女という印象がつけられた。水泳の時に注意しに来たのがトラウマになったらしい。そんなキツイこと言った覚えないんだけどな。

 それと男子で言えば最近「イケメンだと思う男子ランキング」なるものが作られた。これはなんとDクラスに限らない、1年の女子のほぼ全員が参加しているようで、今もなお推しを1位にするべく、熾烈な合戦が繰り広げられている。Dクラスからは平田君が5位に、綾小路君が8位にランクインしていた。まだこのランキングはできたばかりなので、まだまだ順位は変わっていくだろうな。なお、綾小路君は「根暗そうな男子ランキング」でも堂々の3位を陣取っている。哀れなり綾小路君。

 さて、他のことに目を向けるなら、クラスの授業風景が見違えるものになったことだろうか? 

 私の演説は一応効果があったようで、あの日以来みんな授業中の私語や携帯を慎むようになってくれた。池君と山内君は代わりにボーッと過ごしているようで、授業中に喋れなかった分を取り戻す勢いで休み時間はしゃぎまくる。まぁこれは責めることでもないし、教室が明るくなるので問題はない。

 問題があるとしたら須藤君だ。私の演説後、彼だけは授業態度を改めることなく、ほとんど最初から最後まで居眠りしている。私が声をかけに行くと不機嫌になり、見かねた平田君が声をかけに行けば威嚇し、代わりに櫛田さんがやんわり注意すると、渋々従いながらもやっぱり居眠りする。そんな日々を彼は送っている。彼があのままだとどうせ意味ないと、他の生徒の授業態度が悪くなるのも時間の問題なので、早く何とかしないといけないと焦っているところだ。ポイントが減る可能性を示唆しておいて、このまま来月まで解決しないのが最悪のパターンなので、遅くとも今週中には解決したい。

 

「さて行くか」

 

 4月も残すところあと半分。私の保有するポイントも半分近くになってきた。来月いくらもらえるかわからない以上、これからはより一層倹約していくべきかもしれない。

 

 ◇

 

 3限目の体育、今日は水泳ではなくバスケットボールの時間だ。なんでも夏休みまでは定期的に水泳の授業を行うとのこと。あくまでもこの時期に水泳をするのは特別な理由があってのことなのかもしれない。そういえば体育の先生も『泳げるようになれば必ず役に立つ』って言ってたな。どういう意味か分からなかったけれど、体育祭とかで水泳とかが種目としてあるのかも──いやさすがにそれはないか。

 学校で指定されている体操服に着替えた私たちがやってきたのは第2体育館、中学校のそれの1.5倍くらい広く感じる。設備も豪華で、上の方にはモニターが複数枚設置されていた。

 

「何に使うんだろアレ」

 

 呟くように言ったのは隣に立つ櫛田さんだ。上を見て首をかしげている。

 

「あれはプレーの確認用のモニターだよ。練習のときとかにフォームの確認とかをするの」

 

「そうなんだ、よく知ってるね梨愛ちゃん。何気に博識だよね」

 

 おしゃべりもそこそこに、チャイムが鳴ったので先生の元に全員集まる。見るからにムキムキマッチョマンの先生は、私たち全員に座るよう指示すると、須藤君を呼び出した。Dクラス唯一のバスケ経験者かつ現役プレイヤーということで、私たちに手本を見せてみろとのこと。パスやドリブルといった基本中の基本が説明される。

 

「よし、これでシュートの説明も以上だ、またで悪いが須藤、やって見せてくれ」

 

「へっ、任せてくださいよ」

 

 張りきった様子で前に出てボールを受け取った須藤君が、見事にスリーポイントシュートを決める。ジャンプも高かったし、フォームも綺麗で、クラスの男女からちょっとした歓声が上がる。授業を真面目に受けない須藤君はクラスでの評価は高くないけれど、それでも声を挙げずにはいられない見事なシュートだった。

 

「さすがだな須藤。ひとまず今日は細かい指導はしない。時間を取るから、各々好きなように練習してくれ」

 

 そう言ってタイマーを押すと、生徒たちに好きなようにするよう伝える。須藤君はさっそく男子を誘って3on3をやるらしい。私はどうしよっかな。バスケは久々だし、適当にシュート練でもやっとくか。この時間を適当に流すことを決めた私はひたすらゴールにシュートしたり、パスを失敗するみーちゃんたちをほほえましく眺めたりして過ごす。昔はこうやって手を抜くことを知らなかったので、何もかも全力全開で取り組んでいた結果何度も潰れそうになった。

 結局基礎練の時間は大して取られず、早々にタイマーの音が響き渡る。全員が集まったのを確認した後、先生がまた指示を飛ばした。

 

「さて、いきなりだが今から男女別でゲーム練をやるからな。チーム分けするぞ」

 

 先生が手を叩いて生徒を集める。水泳の時もいきなりレースをしたけど、バスケもいきなりゲーム練か。初めてだからとりあえずって感じなのかな? 

 

「おっしゃ! 待ってたぜこの時をよぉ!」

 

 ゲーム練と聞いた須藤君のボルテージがみるみる上がる。Dクラスで運動神経がいいのは平田君や高円寺君、あとは三宅君が比較的運動できるけど、他はあんまりって感じなのが実情だ。あの様子だとゲームが始まっても1人で無双しそうだな。

 

「まずは男子からだな。キャプテンは須藤と平田にやってもらうか。呼ばれた奴は前に来てくれ。須藤、山内、鬼塚──」

 

 どうやらチームはすでに決められていたらしい。先生が淡々とした様子で名前を呼んでいく。ちなみにコートは複数あるけれど、あくまでも私たち女子はまず試合を見学しておけとのこと。審判できるのが先生1人しかいないからね。

 

「せんせー、今回はポイントとかもらえないんすか?」

 

 手を挙げて質問したのは池君だ。そういえば水泳の時は成績上位者に5000ポイントが支給されてたな。池君のチームリーダーは平田君で、若干分が悪いように思えるけど、ポイントのためなら全力を尽くすということか。

 

「残念ながら、今回はなしだ。まぁチーム競技だからポイント配分も難しいんでな」

 

「ちぇ、しぶいなー」

 

 毎度毎度ポイントを配ってたら予算がなくなっちゃうしね、そこは仕方がない。軽いルール説明が済んだので、いよいよ試合開始ということで各々がポジションにつく。ジャンプボールするのは須藤君と平田君の2人、身長的に平田君チームは高円寺君がやったほうがいいと思うけど、あろうことか彼は目をつむって不敵に微笑んでいる。思いっきりボールを顔面にぶつけて醜態を晒してほしい。

 

「平田くん頑張れー!」

「負けないで平田くーん!」

 

 相変わらず平田君人気はすごいな。件の平田君は、男子の羨ましがるような、嫉妬するような視線に苦笑いしつつも、こちらに爽やかスマイルを向けて手を振る。そんなことしたら女子の黄色い声がもっと大きく──ほら、鼓膜が破けるかと思った。

 

「よろしくね須藤君」

 

「はっ! 今日こそ叩き潰してやるぜ平田」

 

「頼むぞ須藤!」

 

 池君が須藤君を応援するけど、あなた平田君チームでしょ。

 いよいよホイッスルが鳴り、男子の一矢報いたい思いと、女子の期待をかけたジャンプボールが始まる。先生が高々とボールを放り投げ、2人がほぼ同時に飛び上がる。しかしその差は歴然だった。

 

「っ!?」

 

「うぉ! たっけえ!」

 

 池君が驚くのも無理はない。須藤君はその高い身長も相まって平田君より頭一つ分以上高くジャンプしていた。その有利を遺憾なく発揮し、ボールはあっさりと須藤君チームにわたる。そしてさすがは経験者、着地後のプレイもスムーズで、ボールを受け取った須藤君は迫る追っ手を次々と抜き去ると、そのままあっさりとレイアップシュートを決めてしまった。プレイ開始30秒も満たない早業である。

 

「おいおいこんなんじゃ全然物足りねえぜ!」

 

 挑発するように平田君を指さす須藤君は絶好調といった感じで、続くプレーでもあっさりとパスカットに成功すると、そのまま単騎でゴールまで迫る。

 

「このままだと授業になんねえからな、おらよ山内!」

 

「え、いや俺かい!」

 

 一応これが授業であることも忘れていないらしく、明らかに須藤君1人に任せきりにしようとしていた山内君にボールが渡る。結構な急速なうえに不意打ちだったけれど運よくキャッチする。

 

「須藤君すごいね」

 

 平田君に淡い恋心を抱くみーちゃんですら須藤君の方を見ているのだから、この場において彼がどれだけ圧倒的なのかがわかる。あくまでも自分以外の生徒にもプレーさせながら、いいところは確実にかっさらっていく。思うように平田君が活躍しないことを嘆く平田君ファンの声がみるみる大きくなる。勝っても負けても声援があるとか、須藤君たちが不憫でならないな。

 その後のゲームは須藤君のワンマンプレーとはいかずとも、それでも須藤君チームが圧倒的に優位な状況でゲームが進んだ。一応須藤君は手加減してあげているようだけれど、点をわたすつもりはないのか、平田君チームがシュートしようとすると即ブロックしてしまう。あれでは点など決められるわけがない。結局男子のゲーム練は須藤君チームの圧勝で終わった。まぁ須藤君がよほど手を抜かなきゃこうなるよね。

 

「ハッ、余裕だぜ余裕」

 

 鼻を鳴らした須藤君は物足りないとでもいうように拳と拳を突き合わせる。結構激しく動いていたけど、まだまだ余力を残していそうだ。

 

「強かったよ須藤君。本当にバスケが上手なんだね」

 

「平田も悪くなかったんだけどな? まっ相手が悪かったぜ。高円寺が真面目にやってりゃ勝負にはなったかもな」

 

 そう言って須藤君は高円寺君を一瞥するけど、彼は気にした様子もなくコートから出ていく。高円寺君、ボールに触るどころか走ることすらしてなかったな。水泳はちゃんと泳いでいたけど、本気を出す出さないに基準でもあるんだろうか?

 いや、それは今はいいか。

 私は試合終了後で満足そうな須藤君に目を向ける。試合中の須藤君は本当に楽しそうだった。試合後は険悪ムードだった平田君とも普通に話していたし、もしかしたらこの時期にバスケの授業があったのは重畳かもしれない。

 

「次は女子だな。キャプテンは堀北と小野寺にやってもらう。名前を呼ばれた生徒は前に出るように。堀北、櫛田、佐倉──」

 

 チーム分けの結果、私は小野寺さんのチームになった。堀北チームには佐倉さんやこころちゃんみたいなほとんど運動ができない子もいるけど、堀北さんと櫛田さんの2人がいる。小野寺さん1人だけじゃ分が悪いかもしれないな。

 

「ジャンプボールはやっぱり小野寺さん?」

 

「あ、私がやっていい? ジャンプには自信あるんだ」

 

 私は身長も女子にしては高い方なため、特に文句が出ることもなく私がジャンプボールをすることになる。堀北さんチームは結局堀北さんがジャンプボールをするらしい。まぁ向こうで1番運動できるのは堀北さんだし、身長もそんなに変わんないしね。

 コートで整列して互いにあいさつした後、センターサークル内で堀北さんと向き合う。

 

「よろしくね~堀北さん」

 

「あなた、マスクをしたままするつもりなの?」

 

「もしかして心配してくれてるの? こう見えて私運動神経めちゃくちゃいいから、油断しないほうがいいよ?」

 

「それはこちらのセリフよ。マスクをつけたままでは、満足に呼吸もできないでしょう? それでよく挑発なんてしようと思ったわね」

 

 私の挑発をさらりと受け流した堀北さんは、それ以上何も言わずに、ジャンプボールに集中するように息をひとつ吐いた。

 男子の時と同じく、先生が笛を吹いた後ボールを上に高く放り投げる。

 その場でジャンプしようとする堀北さんに対し、私は一歩だけ助走し、そして勢いよく腕を振り上げて一気に飛び上がった。

 

「なっ!?」

 

「あいつすげえ!!」

 

 驚く堀北さんの顔が目に入り、須藤君の興奮する声が耳に届いた。昔の私は1メートル以上高くジャンプできていたので、鈍った今は80センチぐらいかな? けどまぁ初心者たちの戦場ではそれで十分、というかプロがいても驚くはずだ。余裕をもってボールに触れた私はそのまま小野寺さんの方にボールを飛ばす。

 

「ナイス黒華さん!」

 

 運動神経に優れた小野寺さんは素早く私のボールに反応し、初心者とは思えないきれいなドリブルでゴールに迫る。とはいえ、さすがに須藤君のような無双プレーはできない。櫛田さんが前に立ちふさがり、体勢を立て直した堀北さんが迫る。

 

「こっち頂戴!」

 

 しかし堀北さんチームで動きがいいのはせいぜい堀北さんと櫛田さんの2人だけ。言い方は悪いけど他はせいぜい雑兵だ。しかも櫛田さんは小野寺さんや堀北さんには及ばず、また堀北さんは小野寺さんばかりを見ている。つまり私はどフリーだ。気づいた時にはもう遅く、一度後ろに迂回してから回したパスはあっさりと成功し、そのままゴールまで急接近した私はレイアップシュートを決める。最初に須藤君がゴールを決めたときと同じ形だ。

 

「黒華、お前経験者だったのか? そんな報告なかったがな」

 

「部活自体はやってませんよ。一時期練習してただけです」

 

 もし今のバスケの練度で経験者レベルなら、私は『ほぼすべてのスポーツで』経験者ということになってしまう。チームのみんなとハイタッチしながらポジションに戻り、次のゲームに備える。相手チームはやはり堀北さんが主体となって攻めるらしく、スタートと同時にすぐにボールが彼女にわたり、ゴールに迫ってくる。

 初心者としては悪くない動きだけれど──。

 

「っ!」

 

 前に立った私を抜くためにフェイントをかける堀北さんだったけど、読んでた私は苦も無くボールを奪い、ストップをかけようとする生徒も全員抜き去る。さすがに堀北さんや櫛田さんは追い付いてくるけど、初心者につかまる私じゃない。私は余裕をもってジャンプシュートをスリーポイントラインから決める。

 

「す、すごいね梨愛ちゃん。全然追い付けないや」

 

「まだよ、彼女にボールを渡さなければ勝ち目はあるわ」

 

 堀北さん、負けず嫌いなんだな。私の動きに堀北さんチームの面々は絶望しているけれど、堀北さんだけは諦めていない。だけど残念なことに、私と堀北さんの間には絶対的な壁がある。ドリブルでは勝負にならないと判断した堀北さんはパスをうまく回して戦おうとするも、こっちのチームがうまくマークについているため簡単にはいかない。何度かパスが回されたけど、佐倉さんがキャッチをミスってボールがこちらにわたる。当然私には強烈なマークがつくけど、初心者のマークを撒くことなど容易い。フェイントに引っかかるのを見届けることもなく、パスを受け取った私は仕上げとばかりにゴールに飛びつく。

 

「あーさすがに無理―!」

 

 ダンクにチャレンジしてみようと思ったけど、高さが全然足りなかった。シュートに失敗してボールがまた堀北さんたちに回る。

 その後も私たちが圧倒的優位に立ち続け、あまりに勝負にならないからと、先生の独断で途中で小野寺さんとむこうチームの松下さんが入れ替えられたけど、それでも一進一退の勝負を続けて私たちのチームが逃げ切った。最後の方はわりといい勝負だったと思う。

 試合終了の笛が鳴り、改めてコートに整列すると、握手して試合を終える。

 

「完敗ね。まさか経験者とは思わなかったわ」

 

「あははっ、残念ながら、私が強いのはバスケだけじゃないんだよねこれが」

 

 激しく動き回って汗だくになった堀北さんが悔しがるように言った。未経験者なら勝てなくて当然だと思うけど、彼女の中ではあんまり納得いってないのかもしれない。

 堀北さんと握手を終え、コートを出るとすぐにお目当ての人物が興奮した様子で近寄ってきた。頑張った甲斐はあったらしい。

 

「まじすげえぜ黒華! お前はぜってえにバスケ部に入るべきだ!」

 

 須藤君は満面の笑みで、普段からは想像もつかないほど好意的に接してくる。無意識なのか、両肩を掴んでガクガク揺らすというボディタッチ付きだ。

 

「痛い、痛いよ須藤君」

 

「お、おう。わりいわりい。いやマジで最高だったぜ黒華。俺ちょっと感動したぜ」

 

 須藤君以外にも男女問わずに人が集まってくる。みんなが私の健闘を称えて、褒めてくれる。あの須藤君でさえだ。懐かしい、心から求めてやまなかった光景が垣間見えた気がして胸が熱くなってくる。

 そう、そうだ。私は本来『こうあるべきはず』なんだ。

 でも、今はそうやって感傷に浸っている場合じゃない。

 

「あ、あの……」

 

 私のプレーに大はしゃぎする須藤君に、あえて怯え竦むような目を向ける。目は口程に物を言うなんてことわざがあるけど、まさにその通りだとつくづく思う。マスクで顔の隠れた私はそれが特に顕著だ。表情が見えない分、私の感情を探るには目を見るしかない。

 須藤君もすぐに私の様子に気づく。

 

「あ……そっか、そうだよな……。クソっ」

 

 独り言のように呟くと、私の前から離れていく。私に対して凶暴な態度を取っていたことを思い出したんだろう。もしこれでも須藤君が私のことを嫌うというのなら、もはや私に解決方法は思いつかない。授業後、彼に接触してどのような反応をするかで、このクラスの命運が分かれるだろう。私はそこまで人心掌握術に長けているわけではないので、後は祈るだけである。

 

 ◇

 

 更衣室から出ると、なんと須藤君が私のことを待っていた。なんでも無下な態度を取っていたことを謝りに来たとのこと。

 

「更衣室で綾小路の奴に言われてよ。意固地になってるんじゃねえかって。確かに俺が悪かった。すまねえ」

 

 清々しいほどまっすぐ頭を下げる須藤君に思わず目をぱちくりさせた。ひとまず綾小路君には何らかの報酬を渡しておこうと決意する。

 

「お前マジで入らねえのか? 俺は女子バスケの練習も見てるから言うけどよ、今のお前なら間違いなく即レギュラーだぜ。スピードもあるし、身長もまぁ及第点だろ。それにあのジャンプ力は最高レベルだ、俺より跳んでたぐらいだからな」

 

 普段の須藤君では考えられないほど褒めちぎってくる。

 

「そもそも私バスケ部にいたことってないんだよね」

 

「いやいや、さすがに嘘だろ? あれで経験者じゃないってさすがに信じらんねえぞ」

 

「う~ん、なんていうか、一時期全部のスポーツをやってた時があるんだよ。バスケが上手いのはその関係。バスケだけじゃなくてサッカーもバレーもできるし、走ったらめっちゃ速いよ」

 

 よほどマイナーでなければ、全てのスポーツを平均より遥か上のレベルでこなせる自信がある。

 

「中学ン時100m何秒だ?」

 

「12秒09」

 

「嘘だろ!? 俺と大差ねえじゃねえか!」

 

 さっきから仰天してばかりで全然信じてくれてない。無理もない話だけれど、全部事実だ。

 

「じゃあさ、信じさせてあげるよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「須藤君って朝練とかやってる?」

 

 ここからが本題だ。私から話しかけようと思ってたくらいなので、須藤君からアプローチをかけてきたのはむしろ好都合だった。この奇貨は必ずものにする。

 

「いや、高校じゃやってねえな。そもそもどの運動部もやってねえみたいだ」

 

「じゃ、明日から私と朝練しようよ。バスケに限らずジョギングとかさ。それとも朝早くに起きるのは無理? 須藤君いっつも遅刻してきてるもんね」

 

 詰るような私の物言いに少しムッとする須藤君。でも女子相手にそんなことでキレるのも情けない話である。特に苛立つ様子もなく飲み込むと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「いいぜ、やってやろうじゃねえか。黒華が自分で言うぐらい運動できるってんなら全然問題ねえ」

 

「決まりだね。朝6時にエントランス集合でいい?」

 

「おう、またな」

 

 ちょうど教室に着いたので須藤君と別れる。今日がバスケの授業で本当に助かった。須藤君に真面目に授業を受けさせる目途がこんなに早く立つとは。降ってわいた幸運を噛み締めながら、お弁当を回収した私はいつものメンツと席を囲んだ。

 

 ◇

 

 翌日の朝5時。久しぶりにこんなに早起きしたので目覚めがあまりよくない。耳元でうるさく鳴り響く目覚まし時計を半ば叩きつけるようにしてアラームを止め、盛大な欠伸をしながら洗面台に立つ。

 せめて7時くらいにすればよかった、6時から運動はさすがにちょっとハードだったかもしれない、主に時間の関係で。これが男子なら、着替えて顔洗って身だしなみ整えて、それで準備は終わりかもしれない。

 しかし淑女たる私にそんな甘えた朝の過ごし方は許されない。顔を洗うだけでなく、化粧はもちろん髪のお手入れなんかも欠かせない。私の場合はそれに加え朝食を作らなければいけないので、忙しさもひとしおだ。ジャージに着替えた頃には6時まで残り5分ほどとなっており、急いで残りの準備を終わらせる。エントランスに着いたのは6時ちょうど、ちなみに須藤君はいなかった。まぁ彼が寝坊するのは十分あり得たことなので、そのまま適当なソファに腰かけ須藤君がやってくるのを待つ。携帯を見てみると、どうやら5分前に起きたことを知らせるメールが来ていた。これだとそんなに待たなくても済むかも。

 

「悪い、待たせた」

 

 エレベーターから降りてきた須藤君は開口一番謝ってきた。かなりキレやすい人だけど、気に入らないこととかがなければ意外と素直な男の子なのかもしれない。相変わらず短く刈り上げた赤髪と、手にはバスケットボールを持っていた。ここで買ったものではなく私物なのか、いたるところに傷と汚れがついてて、お世辞にも綺麗な状態とは言えないボール。それがむしろ須藤君がバスケに捧げる情熱の強さなんだと、ありありと伝わってくる。

 

「ふふっ全然大丈夫だよ。さ、いこっか」

 

 なんでも屋外にも小さいけれど、ちゃんとバスケットコートがあるとのこと。歩いて7、8分くらいのすぐ近くにあるのは助かった。いざ見てみたバスケットコートは私の中学校にもあったほど小さいもので、いろいろと設備の豪華なこの学校にも、こういう古き良き時代というのがしっかりと残っているのがわかってしみじみとする。

 近くのベンチに荷物を置いて、早速準備運動にかかる。この辺はさすが運動部といった感じで、おざなりにすることなくしっかりと準備運動をする。けがをしたら元も子もないからね。

 

「なぁ黒華、お前はなんで俺なんかを朝練に誘ったんだ?」

 

「どうしたの? 藪から棒に」

 

「俺が怖くなかったのか? 自分で言うのも変だがよ、無意味にお前に嚙みついたろ」

 

 自分の雰囲気が刺々しいのはちゃんと自覚があるとのこと。なのに一見か弱い女子である私の方から須藤君に近づいてきたのが不思議だったそうな。

 

「ん~正直に言うと、仲良くなったら授業を真面目に受けてってお願いを聞いてくれるかもしれないから」

 

「マジで身も蓋もねえな」

 

「あとはまぁもったいないと思ったから?」

 

「もったいない?」

 

 須藤君がどんな答えが返ってくると思っていたのかはわからないけれど、気になった様子で聞き返してくる。

 

「うん、もったいないって。須藤君って毎日部活が終わった後も居残りで練習して、ちゃんと後片付けまでして帰ってるって小野寺さんから聞いたよ? 今日も遅れてきたことちゃんと謝ってたし、律儀なところもあるんだから、すぐにキレちゃう癖さえ直せば、もっと周りの見る目も変わると思ったの」

 

 今の言葉にはまだ続きがあったけれど、話している最中に準備運動が終わったので、途中で打ち切る。

 

「さて、なにから始める? 須藤君の練習だし、好きにメニュー組んでよ」

 

「そうだな……。まずお前の足が速いっていうのが気になったし、競争でもすっか」

 

 バスケットのゴールから適当に100mくらい距離を取り、同時に走り出して先に手をついた方の勝ちというシンプルなもの。バスケの練習にはならないけれど、昨日の私の話が余程衝撃的だったみたい。

 

「合図はどうする?」

 

「笛持ってきてっから、俺が適当なタイミングで吹く」

 

「おーけーそれで」

 

 笛まで持ってるって、ずいぶん準備がいいな。まぁ張りきってくれるならいいことだ。

 2人でゴールから離れた後、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 

 ピィッ! 

 

 まだ寒い4月の早朝の空気を切り裂くような笛の音が鳴る。瞬間、一気に2人が駆け出す。最初のスタートこそほぼ同時だったけれど、さすがに須藤君の俊足には敵わず、ゴール付近で追い抜かれてしまった。

 

「はぁ。いやいや、おまえ、マジかよ」

 

 須藤君は驚きを通り越していっそ呆れたようだ。変なものを見る目で私のことを見つめてくる。

 

「下手な男子よりよっぽど早えぞ。ほんとに女子か?」

 

「須藤君、さすがにそれは怒るよ」

 

 須藤君の腹筋を軽く小突く。きちんと鍛え上げられた男の人の身体の感触が拳に伝わってきた。

 

「ぐっ、冗談だ冗談。お前がすげえ奴だってのはわかった。お前こそもったいないって俺は思うけどな」

 

「はいはい、その話はあとでね。次はどうする?」

 

 その後は1時間ほどかけてバスケの練習をする。須藤君の実力はさすがの一言で、昨日相手にしてた堀北さんや櫛田さんとはレベルが違う。まぁそりゃそうか。シュートもかなり正確で、突っ立って眺めていたけど、フリースローでのシュート率は70%ほどだった。高校1年生としては十分すぎるように見える。ちなみに昨日私が挑戦したダンクシュートだったけど、須藤君も今は練習中らしい。ジャンプ力は私の方が上なので、コツを教えたりする。

 

「ちょっと疲れたね、ご飯食べる?」

 

「いいのか? お前のだろ」

 

「どうぞ遠慮なく、須藤君のも作ってきてるよ」

 

 持ってきたバスケットを開けるとサンドイッチが顔を覗かせる。私は素顔を見られるわけにはいかないので背中を向けて食べていたけれど、須藤君は女子の手料理は初めてらしく、興奮した様子でサンドイッチを頬張っているのが見なくてもわかった。

 サンドイッチを食べ終わると、休憩がてらちょっとお話しすることになった。

 

「須藤君って、なんでこんなにバスケに一生懸命なの?」

 

「なんだよ急に」

 

「いや気になってさ。須藤君もさっき急に聞いてきたでしょ?」

 

 だからお互いさまってことで。そういうと須藤君はゆっくり口を開いた。

 

「そうだな……。俺にはこれしかねえからだ」

 

「どういうこと?」

 

「俺は幸村みてえに勉強もできねえし、平田みたいにいい子ちゃんでもねえ。けど運動なら大抵の奴には負けねえし、バスケなら1年で一番やれると思ってる。俺は基本できることの方が少ないけどよ、バスケだけならやっていけそうな気がするんだ」

 

「じゃあ、将来の夢はバスケのプロとか? NBAとか目指してる感じ?」

 

 私の言葉を聞いて、世界で活躍する自分を想像したのか、少し上を向いて笑う。

 

「そうなったらマジで最高だな。けど、簡単な道じゃねえぞ。並の努力じゃたどり着かねえ」

 

 私に向けての言葉というより、自分に向けての言葉のように聞こえた。

 

「わかってるんだ」

 

「ああ、俺は夢のためなら、どんなにキツイことでもやるつもりだ」

 

「ふぅん」

 

『なんでもやる』

 言うは易しの典型だ。須藤君の覚悟がどれほどのものか把握できない以上、さらに踏み込むのは難しいか。

 

「信じてねえだろ」

 

 向こうから踏み込む機会を与えてきた。

 

「だって須藤君授業真面目に受けないもん。キツイことから逃げてるじゃん」

 

「うぐっ。つってもよ、今更授業ちゃんと聞いても理解できねえし、そもそも必要ねえだろ」

 

 英語が話せないと困るだろうけど、概ね須藤くんの言う通りではある。

 

「そうでもないよ。勉強しなきゃ単位取れなくて、学校卒業出来なくなっちゃう。NBAドラフトは大卒じゃないと参加出来ないから、須藤君の夢も叶わないね」

 

 このままなら須藤君はただバスケが上手いだけの一般人止まりだ。ただがむしゃらにバスケを極めるだけで行けるほど、スポーツの世界は甘くない。

 しつこい私に須藤君はどんどん不機嫌になっていく。

 

「うっせえな。お前に関係ねえだろ」

 

「ある」

 

 もう帰るつもりか、立ち上がる須藤君の腕を掴み、やや強引に足を止めさせる。

 

「応援させてよ、須藤君の夢」

 

 まるで愛の告白のようなセリフに須藤君がギョッとする。

 

「いきなり何言い出すんだよ」

 

「実は、さっき須藤君が聞いてきたよね。なんで俺にかまうんだって。あれ、まだ続きがあるの」

 

 ひとまず私の話を聞いてくれるのか、歩き出そうとしていた足を引っ込める。

 

「嬉しくない? 自分のためになにかやってくれる人がいると」

 

 須藤君には、自分のために頑張ってくれる人が必要なんじゃないかと感じた。

 

「どうだろうな……俺にはそんなのいたことねえからわかんねえ」

 

 須藤君は、あまり『愛される』ことなくここまで育ったのかもしれない。もしそうなら、それはとても不幸で、悲しいことだ。そんなのはよくない。

 

「じゃあ私が須藤君の『その人』になる。『その人』がいることの喜びを教えてあげる」

 

 須藤君の目をまっすぐ見つめる。

 自分を『愛してくれる』人の存在が、どれだけ心を豊かにするのかを、須藤君に教えてあげる。初めて愛をくれる人に、私がなってあげる。

 須藤君の手を取って両手で包み込むと須藤君は身体をのけぞらせた。が、振りほどくようなことはしない、できない。

『私の身体はそういうことができるようになっていない』

 

「その代わりにさ、須藤君が私に感謝することがあったら、私を助けてよ」

 

 須藤君の手を解放すると、少し照れながらも深く考え込むような仕草を見せる。須藤君の大好きなバスケットボールの夢に、真摯に向き合おうとする私だからこそ言葉が届く。薄っぺらい上辺だけの感情では、彼を変えることなんてできない。だから──。

 

「俺みたいなバカでも勉強できんのか?」

 

「ふふっ、須藤君に良いこと教えてあげよう。私はたぶん1年生で1番頭がいい」

 

 おどけて言うとようやく須藤君の顔に笑みが戻った。こういうノリが彼には合ってるらしい。

 

「うっしっ。そろそろ練習再開すっか。付き合えよ黒華」

 

「はしゃぎすぎて、疲れて寝ちゃわないようにね」

 

 その後、無情にも1on1のゲームを求めてきた須藤君にボコボコにされながら、最初の朝練は終わった。

よう実の詳細な時系列や特別試験のルール、設定などをまとめた資料を書くかどうか(詳細は1章幕間の後書き参照)

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