「アリナ、さん?」
床に寝転がってしまったアリナに、いろはは遠慮がちに問いかけた。
「アリナさん? 風邪、引いちゃいますよ?」
さっきまで脅されていたとは思えない気遣いを発揮しながら、おそるおそるといった様子で近づいていく。
「……」
アリナは答えない。
いろはが顔を覗き込むと、煩わしそうに顔を顰めて、視線を明後日の方向に逸らした。
決して友好的とは言えない態度。
けれど、さっきのように攻撃しては来なかった。
「……ソウルジェム、返してもらっても良いですか?」
ハァ……。
ため息の後、桃色のソウルジェムがぽーんと放り投げられた。
それは綺麗な放物線を描き、いろはの手に返ってきた。
もう敵意はない。
そう解釈していいのだろうか?
いいのだろう。
「アリナさん? ベッドまで運びますよ?」
抱え上げても抵抗はなかった。
そのまま不機嫌そうな顔をベッドまで運ぶ。
運びながら、いろはが言った。
「アリナさん、まずは話をさせてください。納得がいったらソウルジェムもお返しします。だから、お願いします」
ベッドに寝かせると、まっすぐに眼を見つめて言う。
アリナは煩わしかっただろう。
けれど、たとえ無視しても、いろはは何日でも同じ姿勢でそこに居そうだと考えたのだろう。
ため息をついて言った。
「それって『納得がいかなかったら返さない』って意味だヨネ?」
「それは……まあ、そう、なんですけど……」
ため息をもう一つ。
「……じゃあ聞いてるから勝手に話しててヨネ」
いろはの顔がパッと明るくなった。
「ありがとうございます!」
「……」
アリナは寝返りを打って、いろはの反対を向いた。
それが今のアリナに出来る最大の意思表示だった。
いろはの顔に困り笑いを浮かぶ。
けれど、すぐに表情を引き締めて、言われた通り勝手に話をはじめた。
「ずっと考えてたんです。どうしてかりんちゃんを主人公にしたんだろうって」
「はじめは深く考えていませんでした。かりんちゃんを偲ぶためなのかなとは思いましたけど、それで納得してしまいました」
「けど、おかしいな、と思うところもあったんです」
「漫画の中のかりんちゃんが、本当に生きてた頃のかりんちゃんにそっくり過ぎたところです」
生きている人物をモデルにしたキャラクターたちよりも、かりんは明らかにリアルに描かれていた。
本当に生きているようだった。
まるで、アリナの頭の中ではかりんがまだ生きていて、その姿を観察した結果を漫画にしているような。
「もう一つ、ソウルジェムの濁りが早いのも、よく考えたらおかしいと思いました」
マジかりは漫画作品として、飛び抜けた評価を受けている。
読者層は世界中老若男女を問わず。
各界著名人からは激賞。
売り上げは漫画史上一位を記録。
最も厳しい評価を下すであろうアリナ自身すら、色々なインタビューでこう答えている。
『まあ、結構よく描けてると思うワケ』
可能な限り多くの読者に読まれ、評価され、愛されている。
自分自身でも納得いく作品が描けている。
「これでどうしてソウルジェムが濁っていくんだろうって」
漫画家の激務で疲れるからか。
そうではないだろう。
もともと魔法少女は激務だ。
学校から帰ったら遊んで寝るだけの普通の少女達とは違う。
魔法少女の本業は家に帰ってから始まり、夜通し続く。
遊ぶ時間も寝る時間もないのは元からだ。
それでもソウルジェムは簡単に濁ったりしない。
しかもアリナはファンから大量にグリーフシードをもらっている。
それを使って、魔女退治の時間をすべて執筆に当てている。
普通なら濁らないはずだ。
では、漫画の次の展開に詰まったからだろうか。
そうなったらストレスが溜まってソウルジェムが濁るかもしれない。
けれど、これも違う。
救急搬送される直前、アリナは二週連続で三話掲載なんてことをやっている。
筆が速いと言われる週刊漫画家の、三倍の速度で描けているのだ。
展開に詰まっているわけでもないだろう。
こう考えていくと、これらの疑問を解決してくれる、一つの仮説が浮かび上がってくる。
それはつまり、こうだ。
「アリナさんは、かりんちゃんが亡くなったことを、まだ認められてないんじゃないですか?」
そのとき、やっとアリナの表情が動いた。
その表情は、さっきまでの拒絶の顔ではなかった。
その心の中で、明らかに何かが動いていた。
けれど、その表情はいろはからは窺えない。
いろはは変化に気付かないまま言葉を続けた。
「そこから目を逸らすために、マジカルかりんを描いてるんじゃないんですか?」
アリナは答えない。
いろはは続ける。
「だから漫画の中で時間が進むごとに、かりんちゃんの死んでしまった日に近づくごとにソウルジェムが濁っていくんじゃないですか?」
「だとしたら、そんな漫画を描くのは間違っています」
「かりんちゃんも喜ばないはずです」
やはりアリナは何も言わなかった。
相変わらず、いろはの反対の方を向いて横になっている。
それ以上は、いろはも何も言わなかった。
ただ視線だけを、真っ直ぐにアリナの緑色の髪に向けている。
「……」
沈黙が支配してから、たっぷり5分はそうしていた。
沈黙を破ったのはアリナだ。
それも、この場に誰がいても予想できなかったであろう形で沈黙を破った。
「………………アハッ」
笑ったのである。
「アハハハハハハハハハハハッ!!」
先ほどまでの辛そうな様子が嘘のように。
まるで幼い少女のように。
その笑い声は、まるで憑き物が落ちたかのような。
いや、別の何かに取り憑かれてしまったかのような、大きな笑い声だった。
アリナは一頻り笑うと、勢いよく体を起こして、いろはと向かい合った。
しばらくぶりに見たアリナの顔は、満面の笑顔だった。
「ねぇ、環いろは?」
「……なん、ですか?」
あまりの豹変に体を硬くしながら聞き返す。
何が起きているのか、把握できなかった。
ただ、何かがよくない方向に動いているような気がして、アリナの顔色から何か情報を得ようと必死に観察した。
できれば、考える時間が欲しかった。
けれど、アリナの返答は先ほどとは打って変わって早かった。
「ノンノンノン、もうアタックするつもりはないから警戒しないで欲しいワケ。むしろアリナは、いまアナタにとっても感謝してるんだヨネ」
今にも踊り出しそうな様子とは、このことである。
大げさなほどの身振り手振り。
弾けるような笑顔。
ヘンな薬でも打ったのかと疑わしくなるほどだ。
その表情は健康だったときのアリナと比べても、数百倍は機嫌が良さそうに見えた。
それでも体調が全く戻っていないのは明らかだ。
紅潮した頬以外、顔色は依然として青白い。
力が入らないのも変わっていないのだろう。
起き上がろうとしているのか、しきりにベッドの上で膝を立てたり、手をついたりとしているが、ことごとく失敗している。
何秒かに一度は嘔吐いてさえいた。
ただし、笑顔である。
光輝くような笑顔である。
それがあまりにも不気味だった。
「それで環いろは? もしアリナがそれでも描くって言ったら、アナタはどうするつもりなワケ?」
いろはは何かを決定的に間違ってしまったことを感じた。
何とか軌道を修正しなければならないと思った。
けれど、大丈夫だ。
いろはは自分に言い聞かせる。
どう考えてもアリナは自分のソウルジェムを取り返せない。
だから、これ以上は無理をして漫画を描くこともない。
それに手札は、まだ残っている。
いろはは再度、深く呼吸をしてから考えてきた予定を語った。
「ソウルジェムは返しません。里見先生からは出版社に連絡してもらいます。今のアリナさんの健康状態を知っていて仕事をさせると、それだけでも罪に問える可能性があるそうです。あと、みんなにはSNSでアリナさんの容態が悪いと広めてもらいます」
アリナは笑顔だった。
実に楽しそうに笑って言った。
「アハッ! それ、たしかに佐藤がビビりそうだヨネ。けど、それでも描くって言ったら?」
その問いに対する答えも、いろは用意していた。
「フェリシアちゃんの忘却魔法を使います」
「フールガールの記憶を消せば、漫画を描く理由もnothingだろうって? さすがにそこまでされたらアリナも抵抗するケド? 一人か二人くらいは死ぬかもネ?」
「そのときは、みんなでアリナさんを取り抑えます。みかづき荘のみんなと十七夜さん、ひなのさん、プロミストブラッドのメンバーと、見滝原のみんなも手伝ってくれることになっています」
「ってことはマミと、あの黒髪のタイムストップガールもいるんだヨネ?」
「アリナさんを取り押さえるのに、一番有効な能力だと思ったので」
「そこまでやるワケ?」
「このままアリナさんの身に何か起きるより、何倍もいいと思っています」
「薄々思ってたケド、アナタって結構クレイジーだヨネ」
そう言うと、またアリナは笑った。
実に楽しそうだった。
「……」
いろはは焦った。
さすがにもう手札がなかった。
なのに、アリナは笑っている。
何かをしようとしている。
『うい……? うい、聞こえる?』
最後の手札を切ろうと、最愛の妹に呼びかける。
『お姉ちゃん! 大丈夫だった!?』
『うん大丈夫、それよりアリナさんのソウルジェムはどう?』
『さっきまで何だか凄い速さで濁ってたけど、今はすごく安定してるよ? お姉ちゃんの説得が成功したんだよね?』
『それが、そうでもなくて……それで、お願いがあるの』
『お願い?』
『すぐに他のチームのリーダーに連絡を取って欲しいんだ』
『いいけど、なんて言えばいい?』
『開始を三日後から明日からに前倒しできないかって』
『……』
『お願い、嫌な予感がするんだ』
『……わかった』
念話が終わると、アリナに意識を戻す。
聖母のような笑みがいろはを見ていた。
「妹との相談は終わった?」
はい、と頷く。
「出版社への連絡と、SNSへの拡散を明日から始めてもらうように言いました」
アリナも頷く。
「じゃあ佐藤に連絡して、SNSに拡散して、アリナを……って流れを、それぞれ確認しながらやったら三日後って感じだヨネ」
その三日後に何が起こるか、アリナはちゃんと理解しているはずだ。
それはアリナにとっても重大なはずだ。
なのに、アリナは笑顔だった。
あまつさえ
「楽しみにしてるカラ」
と言った。
ここで引いてはいけない。
戦いの経験が、いろはに警鐘を鳴らす。
けれど、もう本当に手札がない。
「あの、アリナさん」
「なに?」
「まだマジカルかりんは描き続けるつもりですか?」
半ば縋るような問いに、アリナは「ふぅん?」と首をかしげた。
「うーん……どうかな。なんか描く理由もなくなった気がするケド、良いものが描ける気もしてきたんだヨネ」
アリナは笑顔だ。
いろはが病室に入ってきたときとは比べものにならないほど上機嫌だ。
なら、大丈夫なのだろうか。
いや。
おそらく、このまま行けばとんでもないことになる。
そう確信させるだけの何かが、今のアリナの笑顔にはあった。
しかし、いろはも消耗していた。
「……とにかく、すぐに描きたいっていうワケじゃないんですよね?」
「まあ、アナタがソウルジェムも返してくれないし、どっちにしろ三日くらいは言う通りに大人しくしてあげようと思うワケ」
ユニオンのリーダーとしての責務を果たし。
それが終わるや、かりんの魔女化があり。
その魔女を見つけることができず。
そうしている間にアリナの問題に頭を悩ませることになり。
今日の、ほとんど戦いのような会話があり。
現状、すぐに打てる手が残っていない。
しかも、どう考えてもアリナに打てる手はないはずなのだ。
ソウルジェムは、ねむと灯花がしっかりと握っている。
病院から出ることも出来ない。
里見医師から連絡が行けば、出版社は刊行を躊躇うだろう。
それでもダメなら魔法少女たちが一斉にSNSへアリナの容態を書き込む。
全員のフォロワーを合わせれば、現役アイドルの史乃沙優希、モデルのやちよ等を筆頭に、二十万人は越える。
大きな話題になるだろう。
そうなれば
「こんな状態の人間に描かせていたのか」
と、出版社へ批判が行く。
さすがにアリナの回復を待ってという判断になるはずだ。
ならないわけがない。
それでもアリナが出版社を押し切って描けたとしても、だ。
最後の手段、実力行使が残っている。
神浜最強のやちよと十七夜。
みかづき荘のメンバー。
対人慣れしたプロミストブラッド。
さらに見滝原から拘束のスペシャリスト巴マミ。
時間停止能力を持つ暁美ほむら。
おまけにアリナは、こちらがソウルジェムは握っているから結界魔法を使えない。
だから大丈夫なはずなのだ。
そういう諸々の積み重ねが、元来の気の弱さ、彼女の素を露出させた。
ほんの少し見えた、大丈夫かも、という楽観に手を伸ばさせた。
「わかりました」
いろはは立ち上がった。
「けど、さっき言ったことは、早ければ本当に明日から実行します。いいですよね?」
アリナはひらひらと手を振って応える。
その様子も返答の内容も、事の重大さに反して、あまりにも軽かった。
「それより、いまアリナはイチゴミルクの気分だから、帰る前に買ってきてヨネ」
いろはは聞き返す。
「イチゴミルク、ですか?」
「そう、ここの自動販売機で売ってるやつ」
「……? わかりました」