和泉十七夜の携帯が鳴ったのは、深夜というにも遅すぎる明け方の午前4時だった。
「……ん?」
魔女退治に勤しんでいた途中のことである。
もちろん起きていたが、こんな時間に携帯が鳴るのは珍しい。
いそいそと携帯を確認すると「七海やちよ」とある。
時が時だ。
すぐにアリナのことだと直感した。
逃げ出したのか、暴れ出したのか、はたまたソウルジェムを奪い返されたのか。
急いで電話に出た。
「どうした、七海?」
しかし電話をしてきた方は、それほど急いでいないようだった。
それどころか、まどろっこしさすら感じるほど歯切れが悪かった。
『ごめんなさいね、こんな時間に……』
から始まり
『べつに今からって話じゃないというか、放課後でも構わないのだけど……』
と前置きして
『実は……』
と言ったきり、言い淀む。
東西抗争でバチバチに争った時の、武闘派の顔を知っている身としては笑いたくなってしまうくらいの歯切れの悪さだ。
「実は、何だ?」
そう先を促してやって、やっと話が進んだ。
といっても、まだ結論は聞こえてこなかったが。
『実は今日、病院に来て欲しいの』
また先を促してやらないといけないようだった。
「自分が行くのは決行当日の予定だったはずだが? 何かあったのか?」
電話の向こうで『ぅん~……』と唸っている声がする。
言おうか言うまいか、迷っている様子だった。
「無理に教えろとは言わないぞ?」
『いえ、言うわ。どちらにせよ説明しなきゃいけないしね』
一呼吸分、間があった。
『さっき、アリナと話したのよ』
「何と言っていたんだ?」
また間があった。
『……御園さんのおばあちゃんに会いたいそうなの』
「……それで本当に祖母君に会いたいだけなのか、心を読んで確かめて欲しいが、自分がアリナと話したのは知られたくないから呼ばれたのは黙っていてくれ、か」
言われた通り、放課後に里見メディカルセンターを訪れた十七夜は、外で一人、自分を待っていたらしい七海やちよに言った。
「小狡くなったな、七海」
「うるさい」
やちよは、ふぅーっと深く息を吐いた。
「あなたも分かるでしょう? いろはは頑張ってるわ。本当に頑張ってる。なのに私が裏切るようなことをしてるなんて知られたくないのよ。それに……」
「アリナの気持ちも分かる、か。……これが裏切りにあたるかは別として、たしかに気持ちは分かる」
ふむ、とアゴに手を当てる。
「アリナに話は通っているのか?」
「ええ、あなたを呼ぶことも伝えてあるわ。もちろん心を読むことも」
「環君たちには、なんと?」
「『十七夜から、軽い体調不良で病院に来るって連絡があった。せっかくだからアリナのことも話しておきたいし、外まで迎えに行ってくる』……って感じね」
「では、口裏合わせはこんな感じになるか?」
迎えに来た流れで、先にアリナと会うことになった。
そこで読心の能力を使って、アリナの内心を調べた。
「その後は結果次第で……」
本当に祖母君と会いたがっているだけなら、アリナが外出できるように環君たちと交渉する。
アリナに何らかの害意がある場合は、そのまま何もしないか、アリナの本心を環君たちに共有して対策を考える。
「話が早くて助かるわ。付け加えると、現状でアリナがどうするつもりなのかも調べてくれると嬉しいわ」
「……なるほどな」
十七夜は、もう一度頭の中を整理してみた。
協力するのは、やぶさかではない。
もともと協力を惜しまない気でいたし、やちよの気持ちもわかる。
裏切るようなことをしてるというのは少し大げさだが、チームみかづき荘の保護者としては、わざわざ爆弾を掘り起こすような自分の行動が、そう映るのだろう。
本当にかりんの祖母に会いたいのなら、会わせてあげたいというのも共感できる。
アリナの心は読みにくいが、時間がかかるわけではない。
気になるのは嘘をつく必要があるという点だ。
しかし、これも飲み込めない程の問題ではない。
「わかった。引き受けよう」
十七夜が首を縦に振ると、やちよはホッと息を吐き出した。
「ありがとう。恩に着るわ」
そんなやちよの顔を、十七夜は何か言いたそうに見つめている。
「なによ」
「いや、なんだ」
十七夜は言った。
「やはり小狡くなったな」
「しつこい!」
二人は早速、アリナの病室に向かった。
当たり前と言えば当たり前だが、アリナも一人だった。
一人でベッドに寝転がり、天上を見上げていた。
「アリナ、入るわよ」
「邪魔をするぞ」
二人が病室に入ると、その姿勢のままアリナは言った。
「ちょっと遅いと思うんですケド」
十七夜が答える。
「それは悪かったな。何しろ、自分は七海たちと違って、集団食中毒で入院しているわけではないのでな。学校に行っていた」
アリナが怪訝そうな顔で身を起こす。
その視線が十七夜を捉え、すぐに興味がなくなったように元の姿勢に戻る。
「まっ、どうでもいいケド。それより心を読むんだヨネ? やるなら早くして欲しいワケ」
アリナは完全に力を抜いている。
抵抗するそぶりもない。
まさに、まな板の上の鯉といった体勢になった。
やちよと十七夜は互いに見合わせ、頷き合う。
十七夜がベッドまで近づいて、変身した。
「では、そうさせてもらうぞ」
手を伸ばし、アリナの頭に手を当てて、目をつぶる。
アリナの心が十七夜に流れ込む。
そこは夜だった。
暗い、月明かりもない夜だった。
この世界には何も存在しないかのように、ほとんど黒一色の世界だった。
ただし、少しばかりの灯りはあった。
蝋燭でもなく、電灯でもなく、おそらくは物体ですらないが、とにかく何かが光っている。
それが一つの方向に、ずっと続いている。
(すこし変わったな?)
以前にも十七夜はアリナの心を覗いたことがある。
入院するより前で、アリナが体調を崩しはじめた後のことだ。
そのときもアリナの世界は暗かった。
そして同じような、何の灯りなのか分からない灯りがあった。
しかし、そのときの灯りの配置は雑然としていて、こんな風に規則的ではなかった。
(といっても、足下は相変わらずゴチャゴチャしているが……)
絵やら、白紙のキャンパスやら、筆やら、ハサミやら、絵の具やら、何かの破片やら。
ありとあらゆる物が落ちていて、それらが足を動かす度に当たる。
場合によっては、刺さる。
よくこんな世界に住めたものだ、と痛みに顔を歪める前に感心してしまうほど、この世界は散らかっている。
(ともかく、あちらだな)
十七夜の経験上、短期間で変化があったものは大きな意味を持っていることが多い。
この場合は灯りの配置だ。
足下の物を退けながら、最も手近にあった灯りに触ってみた。
スッと十七夜の心に流れ込んで来るものがあった。
それは記憶の映像。
いつもアリナの視界の隅に映っていた少女に関する記憶。
『ご、ごめんくださいなの……』
『あなたがアリナ先輩なの? わたし、御園かりんっていうの。よろしくお願いしますなの』
暖かい記憶だった。
触れていると、何だか落ち着いた。
別の灯りに触れても同じだった。
『あっ! いちご牛乳飲んじゃダメなの!』
『今日はマジきりの発売日だから早く帰るの!』
一つ、また一つと手に取りながら、灯りが並ぶ向かう方向に進んでいく。
「むっ……」
残りの灯りもあと僅かとなった頃。
灯りに触れたあと、ふと周囲に意識を向けた時だった。
血が地面に巻き散っているのに気付いた。
ほんの数分前に誰かの体から吹き出たものと思われる、赤々とした血だった。
微かな灯りを頼りに近くの様子を探るが、流血元らしき何者かは見つからない。
仕方なく、また灯りの方に進む。
残りの数えるほどだった灯りにも触り、最後の灯りも今までとほぼ同じ物だと確認すると、進行方向の奥、灯りも尽きた闇の方に人影を見つけた。
人影は迷いのない足取りで、暗い闇の方に歩いて行く。
十七夜は人影を追った。
何度か地面に落ちているものに足を取られながらも追いついて、肩を掴んだ。
人影が振り返り、緑の瞳が暗闇の中に浮かび上がった。
瞳の主は十七夜の姿を認めると、軽い調子で言った。
「ああ、来たワケ?」
アリナだった。
いつもの、こっちを見ているようで、見ていないような。
何か別の世界を見ているような、ただこちらに興味がないだけのような。
そんな表情で十七夜を見ていた。
「……っ」
その十七夜は目を見開いて、絶句している。
まさに凍り付いたような表情で、アリナの胸の辺りを凝視している。
無理もないだろう。
なぜならアリナの胸に穴が開いていたからだ。
文字通りの穴だ。
乳房と乳房の間に風穴が空いている。
その穴の向こうの闇が、はっきりと見える。
そこからドクドクと血が溢れ出ている。
ここが現実世界で、アリナが魔法少女でなければ死は免れないであろう大きな穴だ。
「……痛く、ないのか?」
やっと絞り出した十七夜の問い。
それでやっと気付いたという様子で、アリナが胸を指す。
「ん? ああ、これ? 痛いと言えば痛いけど、まあ慣れだヨネ」
その口調は胸に穴が開いているとは思えないほど平然としていて、飄々とした印象さえ受けた。
心象世界だから痛みがない、というわけではない。
事実、足下のガラクタに傷つけられた十七夜の足は現実と変わらない痛みを感じている。
なによりアリナの胸から流れる大量の赤が、雄弁に痛みを叫んでいる。
痛くないわけがないのだ。
なのに、続けてアリナの口から発された声は、やはり平静だった。
「それより耳を澄ませてみてヨネ」
「耳を?」
「hurry up」
言われた通り、耳を澄ます。
すると、微かに誰かが泣いているような声が聞こえてきた。
女性の声だ。
それも、おそらくは老婆の声。
アリナが進もうとしていた方向から聞こえた。
「……これは?」
「フールガールのグランマの声」
十七夜はアリナに視線を戻す。
「これが祖母君に会いたいと言い出した理由か?」
「まあ、そういうことだヨネ」
「会って何をするんだ?」
「さあ? ただ、とりあえず話したいだけ」
十七夜は再び視線を移す。
アリナが進もうとしている方向に。
なるほど、暗い。
何も見えない。
先に何があるかなど、わかりそうもない。
「……」
十七夜は考え込んでしまった。
アリナの心を読みにくいのは分かっていたことだ。
普通なら、読心の能力を使うと、文字通り“本の文字を読む”ように相手の心情が理解できる。
しかし、アリナの場合は全てが抽象化されていて、それだけでも分かりにくい。
その上に、アリナは自分がどこにいくのかの予想すら立てていないのだ。
分かるはずがない。
「アリナ、いくつか聞く」
「オーケー、どうぞ?」
「祖母君と会ったあとは、どうする気だ?」
「さあ? このままマジかりを描くのか、別のことをするのか、大人しく記憶を消されるのか。 全然決まってないケド?」
「大人しく記憶を消される気があるのか?」
「消されるべきだって思えば、まあ、消させてあげてもいいのかもネ」
アリナの進む先は、まだ闇の彼方にある。
つまりは、わからない。
「では、祖母君に何か害を加える気があるか?」
「んー、今のところは気分じゃないワケ」
ふわっと闇が薄れた。
闇の奥に、一瞬だけ談笑するアリナと老婆の姿が浮かび上がった。
「……わかった」
十七夜は頷いた。
「祖母君と会えるように、環くんたちにも言ってみよう」
十七夜の姿が薄れはじめる。
能力を解除し、心象の世界から去りはじめたからだ。
「センキュー」
アリナの軽い調子の礼が耳に届いた。
届くなり、アリナは闇に向かって、かりんの思い出が指し示した方へ歩き出した。
歩く度に胸から吹き出す血が、アリナの足跡を赤く装飾していった。
「どうだった?」
現実世界に戻ってきた十七夜を出迎えたのは、やちよのそんな問いだった。
十七夜は答えた。
「問題あるまい。会わせてみよう」