秋の日はつるべ落とし、という言葉がある。
秋の日没は井戸に釣瓶を落とすように早く感じる、という意味の言葉だ。
時刻は、そこにさしかかろうとしていた。
「……」
だというのに、昼間にあれだけ意気揚々と病院に乗り込んだ少女は、まだアリナと会っていなかった。
「のおおおぉぉおぉぉぉぉ……」
彼女は悶えていた。
七美やちよたちの用が済むまでの待ち時間。
クールダウンする時間をもってしまったことで、自分を客観視する余裕が生まれてしまったからだ。
「のぉおおおおおおおおおおおっ!!」
鼻歌。
踊り。
高笑い。
アレを公衆に見られた。
翌日にはSNSで晒し挙げられてもおかしくない。
久しぶりにビルから身を投げたくなった。
そういう気分になってくると、漫画を見せるのも気まずくなってくる。
そもそもだ。
アリナ先生のような多忙な方に自分の漫画を見てもらう。
そんなこと、あまりにもおこがましいじゃないか。
たしかに「見たい」と言われた。
「この日に来て」とも言われた。
しかし、どう考えても立場を弁えて断るべきだった。
「のおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおっ!!!」
そんな少女を見つめる影が一つ。
「ノイジーガール……来ないと思ったら、そんなところで何してるワケ?」
「ひ、ひひゃいッ!!」
アリナ・グレイだ。
「早く来てヨネ」
そう言うと、アリナは背中を見せた。
ノイジーガールは覚悟を決めて後ろについていく。
「ほら、早く見せて」
アリナの病室につくなり、そう言われた。
少女が慌ててバッグから漫画を渡すと、ベッドに腰掛けてそれを開く。
真剣な表情だ。
きっと一騎打ちをする中世のサムライは、こんな顔をしていただろう。
「……」
ペラ、ペラ、ペラ、とページをめくる音だけが部屋に響く。
一方で、少女は死にかけていた。
神様のような人が目の前にいる。
それだけで脳内麻薬の過剰分泌で死にそうになる彼女だ。
その人が目の前にいるだけでなく、自分の作品を読んでくれている。
真剣に作品と向き合ってくれている。
まだ死んでいないのが不思議なほど幸せだった。
逆に不安でもあった。
アリナの表情は、さっきから少しも動かない。
つまらないと思っているのか。
すこしくらいは面白いと思ってくれているのか。
つまらなかったなら腹を切るくらいは覚悟している。
腹を切った後、私は幸せだったさえ断言できるだろう。
だから、つまらないと思われること自体が怖いわけではない。
しかし神の時間を無駄にさせたという罪は残る。
それが怖かった。
「……」
二十分ほどで、アリナは漫画を閉じた。
五十ページほどの漫画だ。
全部を読んだにしても、すこし長いくらいの時間だ。
それだけでもしっかりと読み込んでくれたのがわかる。
「……ん」
漫画を突き出されて、それを受け取る。
もとの鞄にしまって、再びアリナと向き合う。
アリナの手は、まだ何かを催促するように差し出されている。
「え、えっと……?」
「えっとじゃないんですケド。そのバッグ、まだ入ってるんだヨネ?」
「で、でも、さっきのが一番の自信作っていうか、ほ、他の作品はあんまり面白くないっていうか……」
「なに? アナタは読む価値がないものを描いてたワケ?」
そう言われてしまえば少女も創作者の端くれだ。
見せないわけにはいかない。
鞄からもう一冊取り出して手渡した。
アリナは再び読書の姿勢になる。
「ち、ちなみにあと何冊くらい……」
読むんですか?
心臓をバクバクさせながら少女は聞いた。
あわよくば読んでもらえないかなぁ……。
そう期待して、描いた物は全部もってきたのは事実だ。
ただ舞い上がっていたせいだろう。
持ってきてはいけない物も持ってきてしまっている。
オリジナルも、二次創作も。
そう、二次創作。
マジかりの二次創作も。
持ってきた漫画は11冊。
そのうち、オリジナルは5冊。
さっき読んでもらったものを抜くと4冊。
何としても、あと4冊で満足してもらわなければならない。
いや、どんなに悪くとも9冊だ。
絶対にアリナに読まれてはいけない物を1冊もってきてしまっている。
去年のクリスマスに描かれた、マジかりの特別エピソードである
『死神少女クリスマス・デス・カリブー』
を読み、
『あれ? なんかイケるんじゃね?』
というだけの理由で、デス・カリブーをアリナ本人に置き換えてみた作品
『私訳・死神少女クリスマス・デス・カリブー』
アレだけは守らなければ。
しかし、アリナの答えは絶望的なものだった。
「全部」
「えっ」
「だから、全部」
思わず、かばうように鞄を抱えてしまった。
それをアリナに見咎められた。
「please」
「え、で、でも……」
「よこせ」
「はい」
漫画の入った鞄を手渡すと、アリナは膝の上で抱え込んで、机のようにして使い出した。
もう取り返す術はない。
天国から一転、地獄がはじまった。
なんとか奇跡が起きて、アレに気付かないでいてくれないものか。
祈るべき神は目の前にいるが、口に出すわけにもいかない。
いつアレを手にしてしまうのか。
気が気ではなかった。
耳の奥で、自分の脈動がハッキリと聞こえる。
ペラ……ペラ……ペラ……。
時間の過ぎる音が部屋に響く。
アリナは相変わらず、表情を変えない。
マジかり二次創作──比較的に大丈夫なヤツとはいえ──を手に取ったのが見えたが、それでも眉一つ動かさない。
もしかして、大丈夫なのですか?
アリナ先生は二次創作をされても大丈夫な神であらせられるのですか?
一瞬、希望を持ちかけたが、すぐに打ち消す。
さすがに無理だ。
どこぞの馬の骨に自分をキャラクターとして使われた。
それに嫌悪感を抱かない人間が、この世のどこにいるのか?
しかも決めポーズをとらせた。
決めゼリフも言わせた。
『メリークリスマス・オブ・デス!』
万死に値する。
お願いだから気付かないでください。
敬虔なる祈りの視線も空しく、神は最後の最後でソレを引き当てた。
微動だにしなかった表情が動いた。
顔をしかめ、自らの信徒を見た。
そして、言った。
「ノイジーガール、手を見せて」
えっ。
予想外の言葉に戸惑いつつ、言われた通り手を見せる。
表と裏、なにも隠してないと証明するため、くるりくるりと回して見せた。
「……」
アリナはその様子を凝視している。
何かを探しているようだった。
視線を追ってみると、指の付け根あたりを見ているようだ。
なんだろう。
指輪か何かを探しているのだろうか。
そんなオシャレアイテムは付けたこともないのだが。
「……もういいカラ、下ろして」
しばらく手を見たあと、アリナは言った。
何だったんだろうと思いつつ、再びアリナを見る。
もうすでにアリナは漫画に視線を落としている。
変わらない、真剣そのものの表情だ。
そこに自分が描かれていることに対する嫌悪感は窺えない。
また、……ペラ……ペラ……とページを捲りだし、それが三十回ほど繰り返されたあと、顔を上げた。
「アナタ、やっぱり少しだけフールガールに似てるヨネ」
「ふ、フールガール……?」
「妙に鋭いところといい、好きな漫画をパクりまくるところといい……」
「はうッ」
鋭いかはわからないが、好きな漫画をパクりまくるのは、たしかに自覚があった。
やはり、それでは漫画家にはなれないのだろうか。
少女の気分は沈みかけた。
しかしアリナの次の一言が、見事に救い上げた。
「まぁでも、悪くはないワケ」
「えっ……」
「お話の勘どころはわかってるみたいだし、ユーモアも意外と面白かった。……まあ、絵はクソだったケド」
「グハッ!」
上げられて、落とされる。
これは結構“効く”。
しかし、それでも少女にとってはプラスだ。
曲がりなりにも褒めれた。
アリナ・グレイに。
『盗作・魔法少女マジカルかりん』の作者に。
その事実があれば一生幸福に生きていける。
いや、漫画を読んでもらっただけでも過分だ。
その上で褒められた。
お礼を……!
「あ、ありが……ッ」
「シャラップ!」
「っ……」
突然、遮られて口をつぐむ。
今度は何だと思っていると、アリナはボソボソと言った。
「この……七海やちよと和泉十七夜……みふゆもいるワケ……?」
なんだなんだと混乱している内にアリナはさらに言った。
「ノイジーガール、少し隠れてて」
「か、隠れる?」
隠れると言っても、急に隠れ場所は見つからない。
第一、どうして隠れなければいけないのか。
「ベッドの下でもどこでも良いカラ! 急げ!」
「あっ、はい!」
言われた通り、ベッドの下に潜り込む。
アリナが漫画の入った鞄を落としてきたので、それも受け取った。
一体、なんなのか。
七美やちよ。
泉十七夜。
みふゆ。
その三人の名前が聞こえたが、急に何だというのか。
まさかアリナ先生は千里眼の持ち主だとでもいうのか。
だから、これから来るのがわかったとでもいうのか。
いや、そんな馬鹿な。
しかし、しばらくすると、本当に来た。
ベッドの下からなので足しか見えないが、たしかに七美やちよと泉十七夜の足だ。
もう一組の、二人に負けず劣らず綺麗な足が、たぶん“みふゆ”なのだろう。
「ほら」
七美やちよの声だ。
急かすような、責めるような。
七美やちよの足の前にあった、暫定“みふゆ”の足がよろめいて、前に出た。
どうやら背中を押されたらしい。
なんだなんだ、何なんだ。
何がはじまるんだ。
“みふゆ”と言えば、マジかりの梓紗みふゆが思い浮かぶ。
まさか彼女もモデルになった人物なのだろうか。
「あの、アリナ。言おうか迷っていたんですけど、やっぱり今日は言わないとダメだと思って……」
初めて聞く声だ。
でも、わかった。
やはり彼女は梓紗みふゆだ。
原作と同じ声だ。
「なに?」
これはアリナの声。
それに応えて、もう一度、梓紗みふゆの声。
「かりんさんの魔女の居場所についてです」
ベッドの上の人が、ガタッと動いたのがわかった。