「あとのことは貴女に任せるわ。ただし、何もなければ貴女から御園さんの記憶を消す……じゃあね」
そう言い残して、七海やちよが出て行った後、病室は物音一つしなくなった。
息を潜めて隠れていろと言われた少女も。
そう命じたアリナも。
一切、音を立てなくなった。
「……」
少女は混乱していた。
三人とアリナの会話は、彼女にとってあまりにも非現実的だった。
それなのに真に迫ってもいた。
どう解釈していいか、さっぱりわからなかった。
話によると、三人もアリナも、マジかりの設定通りの魔法少女らしい。
ソウルジェムももっている。
日夜、命をかけて魔女と戦ってもいるらしい。
ソウルジェムに穢れが溜まると魔女になってしまうのも、マジかりの設定通りだ。
そしてマジかりの主人公、御園かりんにもモデルがいて、その少女はアリナの学校の後輩で、すでに魔女になってしまっているらしい。
そんな、バカな。
そう思うが、さっきの話の口調はどうだ。
空想や妄想を語っているとは思えない、真剣味のあるものだった。
「……」
聞いてみよう。
かなり長い時間のあと、少女は決意した。
ベッドの下から抜け出して聞いてみた。
「あの、アリナ先生……さっきの話は……」
「うるさい」
「はい、ごめんなさい……」
再び沈黙が満ちる。
窓の外は完全に暗くなっていた。
面会時間も、とっくの昔に終わっていた。
「人の気持ちなんて、考えても仕方ないと思うワケ。どうせ正解なんてわからないカラ」
アリナがそう言ったのは消灯時間すら過ぎたころだ。
まだ少女もいた。
さすがに帰らなければマズいと帰ろうとしたら
「待て」
と言われて以降、直立不動で待っていた。
そんな彼女の頭の中は疑問でいっぱいだ。
いまのアリナの言葉に、なんて答えたらいいのか。
魔法少女云々について質問して怒られたばかりだ。
下手に口を開いて怒られたくない。
そうして彼女が選んだのは沈黙だった。
そして、どうやら正解だったらしい。
アリナは沈黙を不快に思う様子もなく、言葉を続けた。
「だからタイムリミットギリギリまでシエスタして、頭がクリアになってからどうするか考えようと思ってたんだヨネ」
環いろはの言う通り、まともに考えられるコンディションじゃなかったし。
少女にとって、謎でしかない言葉の羅列が続く。
「でもアリナは思うワケ。考える気になったら、そのときが考える時なんだって」
そこだけはわかる気がした。
とくに漫画を描くときはそうだ。
思いついたネタは思いついた時に描かないと、忘れたり、下らない物に思えてきたりする。
「つまりは今だヨネ」
そうなんですか。
またしばらくの沈黙を挟んで、アリナが言った。
「ノイジーガール」
「はい、ノイジーガールです」
「さっきも言ったけど、アナタは少しだけフールガールに似てるワケ。だからアナタに選ばせてあげる」
それまでアリナはベッドの上に寝転がり、天上を見上げていた。
そのアリナが体を起こし、真っ直ぐに少女を見据える。
「良い作品を作るためならどんな物でも犠牲にする漫画家と、ルールとか道徳とかを大切にする漫画家なら、どっちが良い漫画家だと思う?」
翡翠色の、それ自体芸術的な美しさの瞳が少女を捕らえている。
生半可な答えではいけないと少女は思った。
考える。
どちらが良い漫画家なのか。
“良い”のは後者に決まっている。
正しいことを描き、正しいことをする漫画家。
間違いなく“良い”漫画家だろう。
けれど、それが“良い漫画家”なのか?
そうなってくると話は違う気がする。
いくら正しかろうと、それでつまらない漫画を描いていたら
『“良い”漫画家』
であっても
『“良い漫画家”』
ではないはずだ。
そのためならどんな物でも犠牲にするという点は、人間としては大問題だろうが“良い漫画家”はどちらかというなら関係ないだろう。
そういう“良い漫画家”は、少女の憧れるところでもある。
少女が崇拝して止まない、目の前の緑色など、その最たる例だろう。
「……」
「……」
決まった。
少女は口を開いた。
「私は"良い作品を作るためならどんな物でも犠牲にする漫画家”の方が良い漫画家だと思います」
それを聞くと、アリナは頷いて、その美しい瞳を瞼の奥に隠した。
「わかった。じゃあ……」
しかし、
「けど!」
という言葉が、再び翡翠の瞳を開かせた。
「けど……なに?」
煩わしそうな目だ。
これを聞いたのだから、お前はもう用済みだと言わんばかりだ。
けど、これだけは言わなければならない。
少女はアリナを見返して言った。
けど、かりんちゃんなら。
「かりんちゃんなら、自分の全てを漫画に捧げつつ、人の道は踏み外さない……そんな漫画家を最高の漫画家だと思うんじゃないでしょうか?」
アリナの瞳が、いっぱいに見開かれる。
怒られる、と少女は思った。
アリナ先生は御園かりんの生みの親だ。
いや、死んでしまった後輩の子がモデルだという話だったか。
しかし、そうだとしても自分なんぞより百倍も千倍も御園かりんをよく知っている。
そんな人に対して、偉そうに御園かりんを語った。
怒られて当然だ。
目をつぶり、アリナの怒声に備えた。
「……」
「…………」
「………………………………」
けれど、いくら待っても怒声は聞こえない。
「……」
「…………」
「………………………………」
もう一度、同じくらい待ってみても、やはり聞こえてこない。
生意気だと言って、掴みかかってくる気配もない。
「……」
おそるおそる目を開ける。
すると、数分前と同じような、手枕をしてベッドに寝転がり、天井を見上げている憧れの漫画家が目に映った。
「え、えっと……?」
少女の不安げな声も聞こえないようだ。
アリナはじっと天井を見上げている。
また少女は沈黙を強いられた。
時間は過ぎていく。
アリナがやっと体を起こしたとき、ついに日付が変わった。
「ノイジーガール、いくつか頼まれて」
それが新しい日付での最初の言葉になった。
その言葉には少女が予測したような怒りは少しも感じられなかった。
「あっ、はい、なんでしょうっ?」
少女の固い返事。
アリナは意に介する様子もない。
病室に置かれたカレンダーの今月分を破ると、その裏に何やら文字を書き出した。
そして、それが終わると
「ん」
と少女に突き出す。
見ると、何やら個人情報らしきものがたくさん並んでいる。
ぱっと見た限りだと、こうだ。
一番上に、住所。
その下に、玄関を入って右の~机の中の~、そうでなかったら~と、宝探しゲームのヒントのような文章が書いてある。
さらにその下に、女の子と思わしき名前と電話番号が十と何件か。
またその下に、佐藤某というマジかりストにとってお馴染みの名前と、電話番号が。
一番下には
『こう伝えて → 明日の正午、ここで記者会見をする』
との文字。
「あの、これは……?」
少女の問いに、アリナはテキパキと答えた。
「上はアリナの携帯の場所。今から取りに行って」
「真ん中はファンのマジカルガールの電話番号。携帯が見つかったら、それで電話して『明日の午前十時前には里見メディカルセンターに来い』って伝えて」
「で、下は佐藤の番号。一番下に書いてあるように伝えて。佐藤なら、それでわかるカラ」
急なことに頭のついていかない少女に、アリナは最後の追撃をした。
「それと、ノイジーガール」
「は、はいっ!」
「アリナのアシスタントになって」