その日、環いろはが最初に
(何かがおかしい)
と感じたのは午前10時のことだった。
それまでは普段通りだった。
違いと言えば、いろは自身がいつもより早く目を覚ましてしまったくらいだ。
アリナは完全にいつも通りに見えた。
目を覚ましたいろはが、いつも通りアリナの様子を見に行ったときも、アリナはいつも通りにまだ眠っていた。
その後、いつも起きるくらいの時間に行ってみた。
やはりアリナはいつも通りの時間に目を覚ましたようで、ベッドから起きて、体をグッと伸ばしているところだった。
「おはようございます、アリナさん」
「グッモーニン、環いろは」
「アリナさん、今日の正午に……」
「わかってるカラ。心を読んで、アリナの記憶を消すかどうか決めるんだヨネ?」
「はい」
「そう。じゃあアリナはこれからシンキングするカラ、早く出てってよね」
口調からも、とくに変わった様子は感じられなかった。
これからどうするか考えるというなら、邪魔をする理由もなかった。
「では、また正午に」
それからは少し忙しくなった。
協力してくれる予定のプロミストブラッド、見滝原チーム、ひなのと十七夜に連絡し、最終打ち合わせをしなければならなかった。
チームみかづき荘のメンバーとも、もう一回話す必要があった。
場合によっては、さらに世話になる、里見院長にも挨拶しなければならない。
それらも終わって、一息ついていたのが午前10時だ。
その頃にやってきた十咎ももこが
「何か手伝えることないかと思ってさ」
そう言ったあと、こう続けたのだ。
「ちょっと気になったんだけど、他の街の魔法少女が集まってきてない?」
来る途中、何度か覚えのない反応を感じたのだという。
次に異変を感じたのは、巴マミからの連絡だ。
「ごめんなさい、電車が止まってしまってるみたいで……」
神浜・見滝原間は結構な距離がある。
魔法少女の身体能力なら走って来れないこともないが、白昼青天の下を自動車のような速度で走る女子中学生を目撃されるわけにもいかない。
それで電車移動になるのだが、止まってしまった。
正午には間に合うが、それもギリギリになるとのことだった。
これを聞いたとき
(アリナさんの仕業なんじゃ……)
という可能性に思い至った。
しかし、すぐに打ち消した。
アリナは外部と連絡が取れないはずなのだ。
携帯電話も家に置いたままのはずだし、ういの能力で念話も使えない。
もちろんソウルジェムは院内にあるから外にも出られない。
病院のスタッフには、アリナの病室に近づかないように里見院長が徹底してくれている。
みかづき荘メンバーが不定期に、何度もアリナの様子を見に行っているが、誰かと話している様子もない。
どこかの魔法少女に電車を止めさせるなど、できないはずだ。
「わかりました……気をつけてくださいね」
「ええ、環さんも」
その電話のすぐ後で、やちよが言った。
「……すこしアリナの様子を見てくるわ」
きっと自分が考えたような可能性を、やちよも考えたのだろう。
そう思って、いろはは見送った。
次の異変もすぐにやってきた。
「……?」
急に病院全体が騒がしくなりはじめたのだ。
通りかかった看護師に話を聞くと、テレビ局やら雑誌の記者やらが押しかけてきたらしい。
「わたし、ちょっと見てくるよ!」
そう言って病室を出て行った鶴乃は、すぐに帰ってきて言った。
「みんな『アリナ・グレイを出せ』って言ってる。数も100人とか200人じゃない……ちょっとまずいかも」
いろはは考え込んだ。
もうどこかから情報が漏れたのは間違いなかった。
問題は、この後どうするかだが、予定のメンバーは集まっていない。
いるのは、ねむと灯花、偶然来てくれていた十咎ももこ、みかづき荘のメンバー。
一応、戦闘になっても九対一という状況ではある。
ただ勝てばいいのなら間違いなく勝てるだろう。
しかし誰も傷つけないとなると、なお微妙だ。
そういう視点では見滝原チームを待ちたい。
別の視点で言えば、十七夜も待ちたい。
彼女が来なければアリナの確かな内心はわからないからだ。
何の確証もないのに記憶を消すのは、あまりに酷だ。
といって、待っていたら押しかけてきた人たちが院内に入ってくるかもしれない。
そうなったら記憶を消すのは延期にするしかない。
人前で魔法を使ったり、魔法少女の存在を広く知らしめるような行為は“宇宙の意思”の反発を招く。
その恐ろしさは骨身に沁みていた。
しかし、今日じゃなければいいのかといえば、そういうわけでもない。
現時点でも、里見院長だとか、マジかりの出版社だとか、大人の社会に並大抵でない迷惑をかけている。
これ以上、迷惑をかけるわけにもいかない。
いろはたち自身の事情もあった。
集団食中毒で入院中という体にしているとはいえ、あまり長い間、使える言い訳ではない。
今日、集まってくれるメンバーも学校をサボって来てくれるのだ。
人の命がかかっているとはいえ、何度も何度も集まってくれといえるものでもない。
(やっぱり、やるなら今日……)
そう決意したとき、昨日の会話が思い出された。
『ぶつかってみることねぇ……』
そうだ。
十七夜の能力がなくても。
たとえ不完全であるにしても。
人の内心を知る方法はある。
まだ漫画を書くつもりなら、そのときは……
そう思っていたが、それが少し早くなるだけのことだ。
その間に、予定のメンバーも揃うかも知れない。
よし。
いろはが意を決し、顔を上げた、まさにその時だった。
「いろはっ! マズいわ……!」
やちよが顔色を変えて病室に飛び込んできたのだ。
いろはは口を開き損ねた。
頭の中が嫌な予感で溢れて、口を動かすところまで頭が回らなかったのだ。
そんないろはに代わって、鶴乃が問いかけた。
「な、何があったの?」
やちよは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「アリナの病室に魔法少女が集まってる……たぶん十人以上いるわ」