環いろはとアリナ・グレイのやりとりは淡々としていた。
少なくとも、そう見えた。
「アリナさん、これ……」
「ん……センキュー」
「どこか移動するんですか?」
「スクールの屋上」
「わかりました」
アリナの家の玄関先で交わした会話も、それだけだ。
会話のあと、栄総合学園の屋上に移動したあとも淡々としていた。
もっとも情緒的だったのは、道中。
やちよが口火を切った、この会話だっただろう。
「アリナ、質問していいかしら?」
「なに?」
「どうして学校の屋上なの? マジカルきりんのゆかりの場所とかの方が……」
「フールガールならマジきりを血で汚そうなんて思わないカラ」
アリナはさらに続けた。
「他の場所も考えたけど、あんまりファミリーと離れるのも嫌だろうし、静かすぎるより、賑やかな方がいいだろうし。あと、意外と見晴らしも悪くないんだヨネ、あそこ」
「……そう、ね」
なお顔の晴れないやちよに、いろはが声をかける。
「やちよさん、大丈夫ですよ」
「いろは……」
「ここはアリナさんに任せましょう。それより私はやちよさんの方が心配です。まだ何か隠してたりしないですよね? してたら、今度こそ許しませんからね?」
「この期に及んで隠し事か? 見苦しいぞ、七海」
「あなたはどうして安全圏にいるの? いま私、それが一番納得できてないのよ」
しかし、その情緒も和気藹々としたものだ。
仲間を殺しに行く悲壮感など、どこにも感じられない。
なぜ、そうなのか。
この場の全員が理解していた。
彼女たちの頭の中には、一作の漫画作品がある。
『盗作・魔法少女マジカルかりん』
あの作品を読んで、すでに御園かりんとの別れは済んでいた。
だから、これから起きることは、ただの儀式に過ぎない。
「じゃ、準備はいい?」
屋上に着くと、アリナは言った。
「はい」
「ええ」
「うむ」
「だ、大丈夫ですっ!」
アリナは自身の能力で作った結界を解放する。
すぐに内部から、魔女の結界が現れて、5人を取り込んだ。
「一応、変身だけはしておきましょう」
そう言った、いろはの声はやはり淡々としていた。
七海やちよは思った。
(……これが御園さんの魔女なのね)
いつか見た、かりんのドッペルによく似た姿。
不気味な、自分もいつかこうなる可能性があるとは、できれば信じたくない姿。
ただ、それを前にしても不思議と冷静だった。
「アリナ、あなたに任せるけど、危なくなったら私も出るから」
「ハイハイ」
面倒くさそうに返事をしながら、アリナが前に出る。
そして、おもむろに持っていたバッグから
『盗作・魔法少女マジカルかりん』
を取り出して、それを魔女に差し出して見せたときも、割合に平静だった。
「ア、アリナさん!」
かえでのように飛び出して
「大丈夫だカラ」
と止められることもなかった。
「魔女って、生きている間に好きだった物に執着することがあるワケ。フールガールの場合は漫画だヨネ」
その言葉の正しさを証明するかのようだった。
魔女は目の前の魔法少女たちに構うことなく、アリナが差し出す漫画に腕を伸ばして、それを奪い取っていく。
漫画を顔と思われる部分の前で、ペラペラと捲ってみせる。
それはまるで……
「まさか、読んでいるの?」
しかし、やちよの口から漏れた言葉を、アリナは否定した。
「No. 読んでるように見えるだけ。魔女の考えは人間とはもう別物なんだヨネ。文字も、絵も理解できない。ただ本能で、生きてたころの真似をしてるだけ」
では、そんなことをしても意味がないではないか。
その疑問を、今度は十七夜が口にした。
アリナは淡々と答える。
「この作品はフールガールの人生を、フールガールの道具を使って、フールガールの絵柄で描いた、フールガールの作品なワケ」
魔女がマジかりの最終巻を奪い、それをまた顔の前で捲りだした。
「ならフールガールだった魔女にも、それを読む権利くらいはあるヨネ?」
魔女が漫画を捲り終える。
そこでやっと目の前の魔法少女たちに気付いたように、意味を成さない、異音の羅列を叫びはじめる。
「────ッ! ────ッ!」
もう御園かりんは死んだのだと、突きつけてくるような人外の言葉。
その魔女を緑の光が照らした。
キューブが放つ、魔力を伴う美しい光。
「本当はマジきりも読ませてあげたかったケド……」
キューブが分裂していく。
立方体は縦横で3等分にされ、27個のキューブに変わる。
「まあ、それはヘブンの楽しみに取っておいてヨネ」
アリナがキューブを放った。
それが放つ緑光が魔女を取り囲む。
四方八方。
上下左右。
逃げ場もないように。
処刑執行人のように容赦なく。
「────ッ! ────ッ!」
魔女は狼狽えているようだった。
しかし、どうすることもできない。
「……ッ」
アリナが合図をするように手を動かす。
27個のキューブが一斉に魔女に迫る。
そして。
「……バイバイ」
花火のように美しく。
ギロチンのように慈悲深く。
一瞬で魔女の命を刈り取った。
しかし、まだ終わりではない。
魔女が霧散していく。
その真ん中の辺りに、落ちてきた物がある。
魔女の卵。
グリーフシードだ。
そこにアリナは歩いてく。
それを拾い上げる。
銀の装飾のされた、黒い宝石のような絶望の種。
その一種の美しさのある物体を、アリナは右の掌に乗せて、愛おしそうにひと撫でして。
強く握り潰した。
終わった。
結界から栄総合学園の屋上に戻ってきた和泉十七夜を、そんな感慨が襲った。
終わった。
御園かりんも。
その魔女も。
盗作・魔法少女マジカルかりんも。
これで終わった。
「……ふぅ」
十七夜は深く息を吐いた後、一緒に来た4人の顔を見回した。
4人のうち、3人はどこか晴れやかな表情をしていた。
やちよも、いろはも、かえでも、表情の済みに哀愁を感じさせつつも、やはり笑顔を浮かべている。
しかし、最後に目に映った、アリナは違った。
「……」
一言で表すなら、虚無だ。
以前、アリナの心象世界で見た、アリナの胸に開いた穴よりも、さらに空虚な顔で空を見上げていた。
十七夜は気を入れ直した。
そうだ、まだ終わっていない。
自分がこの場に来た理由は、御園かりんを終わらせてやるためだけではない。
まだ終わってはならないものを、終わらせないためでもある。
そっとアリナに近づくと、その肩に触れる。
能力を発動した。
その瞬間だった。
十七夜は咄嗟に能力を止めた。
止めざるを得なかった。
いま、このたった一瞬で流れてきた感情は……。
止めなければならない。
十七夜は再び変身しようとして、ぽん、と肩を叩かれ、中断した。
振り返ると、いろはだ。
そうだった。
この少女には、今しがた流れ込んできた、アリナの感情を伝えなければならないだろう。
「環君、アリナは……!」
しかし、いろはは十七夜を遮って、言った。
「大丈夫です」
強い確信のある目だった。
十七夜は言葉も止めざるを得なかった。
いろはは繰り返す。
「大丈夫です。かりんちゃんが悲しむことを、アリナさんがするはずありません」
その老婆のところに、アリナがやってきたのは夕方のことだった。
いつも老婆とアリナが会う公園。
打ち合わせをしている訳でもないのに、そこに集まり、話をする。
アリナが持ってきた漫画を老婆が読む。
二人にとっては、もう見慣れた光景だ。
「ん」
老婆──御園かりんの祖母──は、アリナが差し出してくる漫画を手に取る。
それを開く。
最終話は前話に続く、きりん先輩との戦いから始まった。
第二部で滅びの魔女に魅入られてしまった、きりんを助けるための最終決戦。
「人は滅びを求めている。だから滅ぼそう」
そう主張するきりんに対して
「そうかもしれないけど希望も求めてるの。先輩の漫画だって、いつも希望で終わるの。これは希望を求めてるからなの!」
かりんはそう言い返す。
「ハッキリしない」
そう言われれば、こう言い返す。
「ハッキリしないものなの! ハッキリしないのが人間なの! 白黒じゃなくてグレーが人間なの!」
そしてついに、かりんは勝つ。
きりんを倒し、彼女から滅びの魔女の呪いを取り去ってみせる。
「これから『きりん先輩改心計画』に付き合ってもらうの!」
そんなことを言いながら、きりんを仲間たちの方に引きずっていく。
そちらには、別の場所で滅びの魔女と戦っていた、仲間たちの姿。
みんな笑って勝利を噛み締めている。
大団円だ。
そのあと数ページに渡って、仲間たちのその後の姿が描かれる。
きりん先輩は、正義の怪盗マジカルきりんとして世界を飛び回り。
玉木いろははマギアユニオンのリーダーとして忙しい日々。
七美やちよは年長者としてそんな玉木いろはを支え。
泉十七夜はメイド道に邁進し、街の名物刑事になる。
秋乃かえでは仲間たちと仲良く学生生活を満喫し、幸せな人生を送る。
土岐女静香も、紅葉結奈も、藍加ひめなも、日室ラビも、みんなそれぞれの道を行く。
そして最後。
ここで主人公、御園かりんが描かれる。
夜空の下にポツンといる、かりんだけが描かれる。
まずは、遠くの方にいるかりんの小さな背中のコマ。
次は、かりんが手前の誰かに気付いて振り向くコマ。
ニコニコ笑いながら、こちらに手を振るコマ。
不意に表情を消し、向こうに向き直るコマ。
彼女の武器の大鎌に跨がるコマ。
かりんが飛び立つコマ。
背中が小さくなっていくコマ。
さらに小さくなっていくコマ。
遠くへ、遠くへ、空の星のように小さくなっていくコマ。
最後のページ。
このページには、いっぱいに夜空が描かれている。
もうかりんの姿はどこにもない。
ただ一つ。
夜空の星の中に
「バイバイ」
という吹き出しだけが浮かんでいる。
これで『盗作・魔法少女マジカルかりん』は、お終いだった。
「もう、会えないのねぇ……」
読み終わり、顔を上げた彼女は震えた声で言った。
そんな彼女に、アリナは「ん」と何かを突き出す。
銀色の、ひしゃげた装飾品のような物。
それはマジかりでも度々登場していた物に似ていた。
アリナはそれを「遺骨」と言った。
「アナタが持ってた方がいいワケ」
とも。
「本当に、ありがとうね……っ」
彼女の言葉にアリナは頷いた。
立ちあがって、行ってしまおうとした。
「まってっ!」
老婆はそれを引き留める。
「アリナちゃん……死んじゃったり、しないわよねっ?」
アリナは振り返る。
「アリナのことより、アナタのことだヨネ」
「フールガールは『マジきり』の続きを楽しみにしてるワケ。アレを最後まで読み切って、ヘブンでフールガールに読み聞かせるのは、アナタの役目だカラ」
「まあ、まだまだ続くらしいから、せいぜい長生きしてヨネ」
そう一方的に捲し立てて、今度こそ歩き出してしまった。
老婆は立ちあがろうとしたが、歳が歳だ。
早くは歩けない。
「まって、アリナちゃん!」
今度は振り返らなかった。
返事もせず、そのまま歩き去ってしまった。
その後、すぐのことだ。
自宅に帰ったアリナは、作業机につくと自分のソウルジェムを取り出した。
マジかりを描いていた作業机の上、左手で緑色の宝石をもてあそぶ。
「……」
右手にはペンが握られている。
マジかりを描くのに使った、かつてはかりんが使っていたペン。
それはおそらく、脆く出来ているソウルジェムよりは遙かに硬度の高い物だ。
コロッとソウルジェムを転がした。
魂の宝石は、人体の構造上、何かを叩きつけるなら最も力を入れやすそうな場所でピタッと止まった。
ペンを握った右手を頭上に振りかざした。
その右手を、さらに上から包み込むように左手でも握り込む。
そして……。