「最初にアリナが来たのが、去年の春だったわよね」
ところは、みかづき荘。
七海やちよは人数分のホットココアを入れながら言った。
「あのときは雰囲気もよくなってて、もう大丈夫かなって思ったんだけどね……」
続いたのは由比鶴乃。
手際よくダイニングテーブルを片づけている。
「何を話したんでしたっけ? かりんさんのことと、キモチの件や、プロミストブラッドとネオマギウスとの抗争の話も聞かれましたよね?」
やちよを手伝いながら、二葉さなも話に参加する。
「あとはユニオン設立の話とか、かな?」
環ういが補足する。
「一週間も続けて押しかけてきてな! すっげぇー面倒だった!」
と、深月フェリシア。
「……」
環いろはだけは、思い詰めた表情でテーブルの上を凝視していた。
彼女は今、考え事をしている。
アリナがマジカルかりんを描き始めたのは、みかづき荘で全員から話を聞き終わった直後らしかった。
はじめは良い傾向だと思っていた。
「すごい、かりんちゃんそっくり」
「御園さんよりも、御園さんらしいわね」
などと、みかづき荘のみんなでマジかりを回し読みして、微笑ましい気分にさえなっていたのだ。
さなだけは
「この作品……なんだか怖いです。うまく言えないんですけど、他のアリナの作品よりも」
と言っていたが、いろはには同じ物を読み取ることはできなかった。
後にして思えば、さなは同じ創作者にしか感じ取れない何かを感じていたのだと言えるが、その時はわからなかった。
マジかりに関して、いろはが一般の読者とは違うものを感じたとすれば、それは一つ。
学校で「『マジかり』の玉木いろはに似てる」と言われて困った、というだけだ。
それもいろはと同じように『七美やちよ』としてマジかりに登場しているやちよに比べたら、マシだった。
やちよは人気モデルだ。
半分は芸能人のようなものである。
そんな人物にそっくりなキャラクターが大人気漫画に登場している。
しかも作者と同じ神浜市に住んでいる。
これで話題にならないわけがない。
やちよはマスコミに追いかけ回されることになった。
あまりにしつこい追求に
「まあ、それくらいなら……」
と、アリナと面識があることを漏らしてしまった。
キャラクターのモデルになることを了承したとも言ってしまった。
そのせいで、一時期は
「マジかりのことは七海やちよに聞け」
とばかりに記者やライターからひっきりなしに電話がかかってきていたのだ。
最終的には『マジかり』の大人気キャラクター『泉十七夜』こと、和泉十七夜が働くメイド喫茶の情報を流して記者の注意を逸らすことに成功した。
それでも二日に一回は電話がかかってくる。
そんなやちよに比べたら自分への追求は可愛いものだ。
十七夜は「おかげで時給が上がった」と喜んでいたし、アリナも順調に作品を描けている。
だから、大丈夫。
いろはは、そう考えていた。
最初に何かがおかしいと思ったのは、第二部成長編がはじまったころだった。
学校が休みの日に、偶然アリナと鉢合わせたのだ。
「あ、アリナさん!」
「環いろは、何の用?」
「いえ、お顔を見かけたので……」
「ふーん、じゃあ、アリナは用事があるカラ。バイバイ」
そのときは、それだけ言葉を交わして別れた。
だけど、たしかに思ったのだ。
「アリナさん、何だか顔色が悪かったような……」
それからしばらく、いろは自身がアリナと会う機会はなかったが、他の人が「見かけた」という話はよく聞くようになった。
そのどれもが
「何だか様子がおかしかった」
と証言していた。
「なんだっけ、かりんが好きだった漫画……マジきりだっけ? アレ買って、なんかブツブツ言ってたぞ」
そう言ってきたのはフェリシアだ。
また様子を見に行った方がいいのかな。
やっと、いろははそう考えるようになってきた。
とはいえ、考えただけだ。
アリナの奇行は今に始まったことではない。
漫画の週刊連載は過酷だし、それで疲れているのかも、というユニオン内の意見もあった。
おかしい気がするというだけで、決定的な事件があったわけでもなかった。
いろは個人の感情としても、アリナがマジかりを描くのを邪魔したくなかった。
対応は先延ばしになっていった。
しかし、マジかりが第三部に入ると、そうも言っていられなくなってきた。
再び栄総合学園の生徒が
「またアリナさんの様子がおかしい」
と助けを求めてきたのだ。
今度は恵萌花だけではなかった。
由良蛍、真井あかりなど、学園に通うユニオンメンバーが全員同じ連絡をしてきた。
さらにはプロミストブラッドの智珠らんかまでもだ。わざわざリーダーの紅晴結奈に、いろはの携帯番号を聞いてまで電話してきた。
「さすがにアレはヤバいんじゃないの?」
いろはは急いで栄総合学園に向かった。
「アリナ……さん!?」
そして美術部部室に着いたいろはを出迎えたのは、ゾンビだった。
顔色は青白く、目元には青黒い隈。
目は虚ろで焦点があっていない。
そんなゾンビが、机に向かって漫画を描いていた。
「アリナさん!」
思わず、いろはは駆け寄ろうとした。
だが、その足は部室に足を踏み入れた瞬間、ピタリと止まった。
狂気すら窺える瞳が、いっぱいに見開かれて睨み付けてきたからだ。
さすがのいろはも何かがゾワっと背筋を走り抜けるのを感じた。
死というものが、部室中に充満しているような錯覚を覚えた。
「……っ」
ゴクッと唾を飲み込んで、アリナのソウルジェムを盗み見た。
それは思いの他に濁っておらず、むしろグリーフシードを使った後のように輝いていた。
なら、とりあえずは大丈夫そう。
一瞬、そう考えそうになった。
しかし、それはすぐに早とちりだとわかった。
見ているそばからアリナのソウルジェムは黒ずんでいくのだ。
ではどうして、さっきはあんなに綺麗だったのか。
当然浮かんだ疑問に対する答えも近くにあった。
ソウルジェムの手前に、かごのようなものが置いてあった。
その中にグリーフシードが何十個と入っていた。
ソウルジェムが濁る度、それを使って浄化しているのだと、すぐにわかった。
聞かなければならない。
いろはは思った。
その瞬間、アリナが言った。
「言っておくけど、別に疚しい方法で手に入れたわけじゃないカラ」
聞きたいことを先に答えられ、少し呆気にとられたいろはが言う。
「……じゃあ、どうやってこんなに?」
アリナの顔が煩わしそうにゆがんだ。
怒鳴られると、いろはは思った。
けれど、ここで怯むわけにはいかない。
気を強く持って、アリナを見返した。
アリナはため息をついて言った。
「ファンのマジカルガール。『グリーフシードは私たちが集めるから、アリナさんは漫画を描くのに集中してください』って送ってくるんだヨネ。それを使わせてもらってるだけ。understand?」
グリーフシードのかごを見ると、何かメッセージが書かれている。
目を凝らして読んでみると、こうだ。
『アリナさん、アナタの漫画にはいつも勇気をもらっています。お体に気をつけながら執筆頑張ってください』
かごの底にもファンレターと思われる手紙が無造作に敷かれていた。
嘘ではないようだった。
「わかったら、気が散るから早くどこかに……」
その瞬間、下校時間を示すチャイムが鳴った。
アリナは一瞬だけ考えるようなそぶりを見せた後、道具を自分のスクールバッグに放り込んで、教室を出て行こうとした。
慌てて、いろはは問いかける。
「アリナさん! あの、体調とか、大丈夫なんですか?」
アリナの答えは、いつも以上に素っ気なかった。
「no problem」
「でも……」
「構うなって言ってるんですケド」
そう言いつつ、足下は覚束ない。
そんなアリナを支えようとしたが、アリナはそれを睨み付けることで拒否して、背中を見せた。
その後ろ姿はフラフラとして、今にも転びそうだった。
時折、頭痛に耐えるように頭を抱えたりもした。
吐き気もあるのか、何度かうずくまって嘔吐いていた。
いろははただ、見送ることしか出来なかった。
翌日も、その翌日も、いろはは栄総合学園を訪れたが、その様子が変わることはなかった。
翌月には、アリナは死人を通り越して、地獄の餓鬼や幽鬼、悪魔だとか、そんな雰囲気さえ漂よってきた。
だというのに、アリナは速筆の評判通り、驚異的なペースでマジかりを描き上げていった。
2号連続3話掲載などという離れ業さえやってのけた。
そんなアリナが病院に緊急搬送されたのは、九巻が発売された翌日のことだった。