盗作・魔法少女マジカルかりん   作:ノッシーゾ

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第八話 主治医

 

 彼は里見先生と呼ばれている。

 

 彼は医者である。

 それも神浜最大の病院、里見メディカルセンターの院長も務める優秀な医者である。

 

 彼は里美灯花の父親である。

 この天性的な頭脳を持っているが、いくらか性格に難のある娘を、その難も含めて愛している。

 

 彼は娘が魔法少女であることを知っている。

 事前に弟から「魔法少女」なる物の存在を聞いていた彼は、娘が魔法少女になると、すぐそれに気づいた。

 健康に問題はないのかと、ありとあらゆる検査もした。

 ゆえに、魔法少女に対する医療――魔法少女医療――なんてものがあったのなら、その知識・経験において、彼の右に出るものはいないと言えた。

 

 そんな彼は、アリナ・グレイの主治医でもある。

 

 

 

 里見医師がアリナ・グレイを初めて認識したのは、彼女が投身自殺をはかった時だった。

 その蛮行が行われたのが他でもない、里見メディカルセンターだったからだ。

 

 彼は忘れることができない。

 あの、色とりどりの花畑の中に横たわった、赤と緑のグロテスクな半死体のことを。

 

 おそらく一生覚えているだろう。

 その半死体が自分の投身自殺をビデオカメラで撮影し、それを芸術として残そうとしていた事実を。

 

 そういうわけで、里見医師から見たアリナの第一印象は、こうだ。

 

 理解不能の化け物。

 

 自分の患者に向ける感想ではないが、本当にそう思ったのだ。

 彼はアリナを人間だと思うことができなかった。

 それほどまでに、いや、そんな言葉ではまだ表現しきれないほど、彼はアリナを

 

「自分とは違う存在」

 

 と理解した。

 半ば以上、拒絶していた。

 

 

 

 

 アリナの内面を多少なりとも知るのは、娘から

 

「アリナの作品を見に行きたい」

 

 と、ねだられたのが切っ掛けになった。

 

「アリナ、くんの作品か……」

「いいでしょう、お父様? 神浜の美術館で公開されてるっていうし、ねぇ、お父様」

 

 最初、彼は渋った。

 あのモンスターの作品を見せて良いのか。

 娘に悪影響を与えはしないか。

 そんな考えが、彼の優秀な頭の中で渦を巻いた。

 しかし、娘にねだられているうち、自分の中に拒絶以外の感情を発見した。

 

 興味である。

 

 もちろん優秀な医師である彼の胸中の八割は、命を粗末にするアリナへの忌避感と嫌悪感で占められていた。

 だが同時に、作品のために命を捨ててしまえる人物の作品を、その目で見てみたくもあったのである。

 

 そんな感情があったからだろう。

 興味の偏りがちな娘が、新しい分野に興味を示しているのを止めることはないとも考えた。

 結局、彼は押し切られた。

 

「なら、今度の休みに行こうか」

 

 次の日曜日。

 娘と娘の親友を連れて美術館を訪れた。

 

 そしてそこで激しい後悔に襲われた。

 

 繰り返すが、彼は医者である。

 経験豊富な医者である。

 幾多の死を見てきた人間である。

 

 そんな彼にはアリナ・グレイの作品に込められた、生と死というテーマを正確に読み取れてしまった。

 

 当時は娘が魔法少女になる前。

 遠くない未来に訪れる死に、少なからず怯えていた時だ。

 

 彼は思った。

 きっと娘は、この作品を怖いと思っただろう。

 可愛い娘に、こんな物を見せるべきではなかった。

 すぐにこの場を立ち去るべきだ。

 

「灯花、やっぱり帰ろう」

 

 しかし意外だったのは娘の反応である。

 

「待って、お父様!」

 

 娘を気遣った彼に帰ってきたのは、娘からの拒否だったのだ。

 

「……灯花?」

「もうちょっとだけ」

 

 その時の娘の表情を言い表せる言葉を、彼は知らない。

 それでもあえて言葉を探すなら"無表情”というのが一番近いだろう。

 しかし"無表情"も、あくまで一番近いだけであって、とても言い表せてはいない。

 

 口元、目尻。

 人間の顔の中で特に感情の出やすい二カ所は全く動いていない。

 その点は確かに"無表情"なのだ。

 ただ、それでも何か強い感情が生まれているのがわかる、そんな表情だった。

 

 そういう表情でアリナ・グレイの作品をジッと見つめていた。

 仕方なく気が済むのを待っていたら閉館の時間になってしまったほど、娘はアリナの作品をただジッと見つめていた。

 

「灯花、随分と熱心に見ていたけど、そんなに良い作品だったかい?」

 

 帰りの車中、彼は娘に問いかけた。

 頭の良い娘なら、理路整然とした答えを返してくれるだろう。

 そう期待して、その問いを投げた。

 だから彼は驚いてしまった。

 

「……良いっていうか、何というか……うーん…………」

 

 娘は天才である。

 優秀な医者である彼を遙かに凌駕する、理系の天才である。

 小学生の身で、その科学知識・理論の構成力を学会に認められる大天才である。

 そんな娘が答えられないほど、難しい質問だっただろうか。

 

 彼が驚いている間も、大天才であるはずの娘は

 

「うーん……」

 

 と唸り続けていた。

 そしてやっと唸るのをやめたと思ったら、彼女らしくない回答が返ってきた。

 その回答には、いつもの理論的な整合性がなかった。

 話しの前後の繋がりすら覚束なかった。

 けれど、なぜか納得してしまえるような、不思議な回答だった。

 

「……嘘をついてないって思った」

 

 

 

 それからしばらく彼の頭はモヤモヤしていた。

 アリナの作品がずっと頭の中にあった。

 あの不気味な作品たちをどう受け止めればいいのか、いや、自分が何を感じたのかさえわからなかった。

 

 しかし明確なことが一つあった。

 その日から娘がアリナを対等な人間として扱い始めたのだ。

 非常に珍しいことだ。

 

 この性格に難のある天才は自分の能力の高さを自覚していた。

 故に、大抵の人間は見下すという悪い癖があった。

 

 自分より上だと認めているのは未成年者の中では1人しかいない。

 対等だと思っているのも、環ういと柊ねむの2人だけだ。

 日本人の未成年者が概ね2000万人とすると、1999万と9997人は見下しているわけだ。

 そのたった3人の中にアリナが入ってきた。

 

 この変化はアリナの作品を見てから起こった。

 ならアリナの作品を認めたからなのだろうが、一体あの不気味な作品の何が娘の琴線に触れたのか。

 

 まだモヤモヤとしていると、しばらくして一緒に見に行った娘の親友、柊ねむのアリナ・グレイ作品に対する寸評が芸術雑誌に掲載された。

 

 作品一つ一つに対して何と書いていたかは、すでに記憶の彼方だ。

 しかしアリナ・グレイ本人を評した文章は、はっきりと思い出せる。

 

『死を前にすると人は嘘つきになる。ただ一人、アリナ・グレイを除いて』

『アリナ・グレイこそは、最も勇敢で、最も誠実な死の研究者だと言えるだろう』

 

 これを見て、やっと腑に落ちた。

 何に対して「嘘をついてない」のか。

 

 いつ自分が死んでしまうかわからない生活をしていた灯花は知っていたのだ。

 死を直視するのが、どれだけ恐ろしいか。

 それを受け入れて、絵として表現するのがどれだけ難しいか。

 

 だから灯花は色使いとかではなく、嘘をついていないことに言及した。

 そして死を直視して、死をありのまま表現してみせるアリナの勇気のようなものを感じ取り、それをもって自分と対等だと認めたのだ。

 

 それがわかると、もはや彼の中でもアリナは理解不能のモンスターではなくなった。

 あんなに恐ろしい死を書ける人が、死を怖がっていないなどありえるだろうか。

 ありえないだろう。

 

 アリナ・グレイは人並みに死を怖がっている。

 だが、そんな恐怖をねじ伏せられるほど勇気があり、死の恐怖すら言い訳にしないほど作品に誠実なのだ。

 ただ、それだけの、普通の人間の少女なのだ。

 そう思えるようになった。

 

 

 

 そして現在。

 里見医師は懐かしさに似た気分に浸りながら、ベッドの上で眠るアリナを見下ろしていた。

 

 アリナの症状は、極度のストレス反応によるものだ。

 おそらく魔法少女以外には、現れないような症状だろうと、彼は推測している。

 

 魔法少女は桁違いにタフな体を持っている。

 剣で切ろうが、突き刺そうが、拳銃で撃ち抜こうが、ソウルジェムを避ければ命を奪うことは出来ない。

 外傷を負っても魔力さえあれば治せる。

 内科的な治療のいる病気であっても例外ではない。

 

 魔女という感情エネルギーの副産物を処理させたいインキュベーターからすれば、そういう能力を与えるのは非常に合理的だと言えるだろう。

 しかしインキュベーターは体のある部分だけは手を付けなかった。

 

 脳だ。

 インキュベーターは感情エネルギーを集めることを目的にしている。

 だが、肝心の感情を理解できない。

 だから感情の発生源である脳を作り替えることもできなかったのだ。

 

 つまり魔法少女の脳は、普通の人間と同じくらい脆弱なのだ。

 いや、魔法少女は命がけの戦いという強いストレスを宿命づけられる。

 それも勘案すれば、普通の人間よりストレスに弱いと言ってもいい。

 

 ここで一つ、エラーが発生している。

 普通、人間は極度のストレス環境に晒されると、鬱病になる。

 鬱病になり、脳が体を動かせなくすることで、結果としてストレスから脳を守ることができる。

 

 しかし魔法少女の場合は無理が利いてしまう。

 どれだけ脳がストレスを受けていようと、魔力さえあれば体を動かせてしまえるからだ。

 なのに、脳だけが普通の人間と変わらない。

 

 結果、どうなるか。

 症例が少なすぎるために断言はできない。

 だが、推測することは出来る。

 ちょうど今のアリナのようになるのではないか、と。

 

 アリナの顔色は酷いものだ。

 彼はアリナの顔立ちを芸術品のような顔と記憶していたのだが、それとは大きく違っている。

 肉は頭蓋骨の形がわかるほど削げ落ち、顔色は血が流れているのか疑わしいほど青白い。

 肌はカサカサに乾燥し、髪の根元を観察すれば何本かは白くなっている。

 眼球だけが「これこそ命の証」とでも言いたげに真っ赤な血を溜めているのが、逆に生命の危機を感じさせた。

 とても美しいなどと言える状態ではない。

 少なくとも、この顔を見て

 

「爪先から思考回路、顔面の造形に至るまで、全てが芸術のために生まれた天才」

 

 などと書き立てるメディアはなかったはずだ。

 下劣な週刊誌なら

 

「作者本人の顔に似た不気味な作品を作る変人」

 

 などと中傷を加えることもあり得る。

 しかし、彼はこんな状態のアリナを見ても、嫌悪感は感じない。

 むしろ彼はアリナを手伝いたいとすら思っている。

 数少ない娘の対等な友人の願いを、叶えてやりたいと思っている。

 

「……ん?」

 

 そのとき、ピクッとアリナの瞼が動いた。

 そろそろ目を覚ますだろう。

 

 彼は立ち上がった。

 アリナが目を覚ましそうなら呼んで欲しいと言われている。

 

 病室を出ると携帯を取り出し、電話をかけた。

 

「そろそろ目を覚ましそうだよ……ああ、そうだね。もちろん君が来るまで勝手に出て行かないように引き留めておくよ。……いや、君は灯花の大恩人だ。このくらいのことは喜んで協力させてもらうさ……そうだね、今度ゆっくり話せたら私も嬉しいよ」

 

 電話が終わると、彼は再び病室に戻る。

 その表情には、少しばかり笑みが浮かんでいた。

 

 彼は仕事柄、いろいろな人間を見てきた。

 特別「強い」人間も何人も見てきた。

 余命を宣告されても、静かにそれを受け入れてしまう人もいた。

 不安に震える子供を、たった一言で笑顔にさせてしまう人もいた。

 

 その中でもアリナ・グレイは、かなり「強い」人間だった。

 何しろ、自分の作品のために、自分を殺してしまえるほど「強い」人間だ。

 普通なら彼女を知った人間は、ほぼ百人中百人が彼女を「最強」だと考えるだろう。

 しかし彼には一人、アリナ・グレイよりも「強い」かもしれない人物に心当たりがあった。

 

 電話口で言っていたところによると、彼女は三十分で着くそうだ。

 口調からして、何かとんでもない覚悟を決めている気配があった。

 覚悟を決めているときの彼女は本当に「強い」。

 自暴自棄になりかけていた娘も、こういう彼女の「強さ」に救われたのだ。

 

「さて、あの娘とアリナくんがどんな話しをするのか……不謹慎ながら楽しみになってしまうね」

 

 彼は独りごち、病室に戻った。

 アリナ・グレイが凄まじい目で睨み付けてきた。

 

 

 




お待ちしてくださった皆様、大変長らくお待たせいたしました。
どうも自分の中で納得がいかず、何度も直してるうちに二か月近く経ってしまいました。
申し訳ありません。

完結までは残り5話くらいかと思います。
これからもお楽しみいただけると幸いです。

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