地平線の近くにあった太陽が頂上近くにまで昇った頃、長尾狐っ娘の視界にようやく森が見えてきた。あれが老ゴブリンが言っていた魔女のいる森だろうか。
目的の場所が見えたからか長尾狐っ娘の足に力が入る。実のところ、歩き続けても一向に森が見えないことに億劫になっていた。ようやく歩かなくて済むと長尾狐っ娘は安堵するが魔女がいるとされる場所は森の奥深く。まだまだ森の中を歩かなくてはならないことを長尾狐っ娘は失念していた。
森の手前まで来ると、長尾狐っ娘は何者かが使ったであろう焚き火跡を見つけた。いいものを見つけたと長尾狐っ娘は思った。老ゴブリン曰く、大陸の各所にこういった誰が作ったのか分からない焚き火跡が点在していて、不思議な事に雨が降ろうと嵐に晒されようと火が消えないという。
長尾狐っ娘が見つけた焚き火跡も火こそ見えないが、灰の山に手をかざすと暖かさを感じた。長尾狐っ娘は落ちていた木の枝で灰の山を突き、かき混ぜた。すると、灰の中から炎が噴き上がり、木が弾ける音を立てながら、燃え始めた。
事前に聞いていたとおりとはいえ、実際に目の当たりにすると流石に驚いた長尾狐っ娘。しばらく火を眺めた後、焚き火のそばに腰を下ろして、ポーチの中から赤い肉を取り出した。その肉はここまで来る道中、襲ってきた犬から削ぎ落としてきたものだった。長尾狐っ娘はそれを木の枝に刺し、炎の中に突っ込んだ。
炎の中で肉が色を変えていき、肉の焼ける匂いが長尾狐っ娘の食欲を刺激した。炎から取り出し、食べごろだと思った長尾狐っ娘は焼いた肉を口に入れ、咀嚼し、顔をしかめた。
犬の肉は硬く、臭く、不味かった。自然と期待で揺れていた尻尾もこれには力なく地に伏した。だが、仕方がないことだ。この大陸で生きていく以上、味など二の次だ。腹が膨れるだけマシといえよう。
だが、あれだけたまらぬ匂いでこちらの欲を煽っておきながらこれはないだろう。と、長尾狐っ娘は不貞腐れた。
満足とは呼べない食事を終え、いよいよ長尾狐っ娘は森へと足を踏み入れる。
森の中は木々が太陽の光を遮って、薄暗く、どこからか鳥や動物の鳴き声が聞こえて少々不気味だ。
地面には、背の低い草が少々生え、地面の大部分は落ち葉で敷き詰められていた。
落ち葉を踏みしめながら、森の奥へとまっすぐ歩く。道中の木にナイフで傷をつけるも忘れない。こうすることで帰る時に切り付けた木が道標になるからだ。
ふと、木々の間から白いものが見え、長尾狐っ娘は足を止めた。目を凝らして見てみると、白い四足の獣に見えた。
音を立てずにゆっくりと近づく、そして木の影からもう一度、確認するとその獣は白く長い体毛を生やし、額に青い結晶のような一角が馬のような獣だった。よくよく見れば、白き一角獣の右後ろ脚に根のようなものが巻き付いている。
そういえば。と、長尾狐っ娘は思い出す。草原にあった草縛りと同じく森の中にも同じような亜種が植生していると老ゴブリンに聞いていた。
その名も根縛り。木の根に擬態し、動物の足に絡みついて養分を吸う植物。放って置けば、衰弱して死に絶えるだろう。もしくは、肉食の獣に襲われ食われてしまうだろう。
長尾狐っ娘には、白き一角獣があの草原にて草縛りに遭い、命の危機にあった自分と重なって見えた。あの時は、老ゴブリンに助けられた。なら、次は自分が助ける番だと長尾狐っ娘は思い、縛られた獣に近づいた。
「ブル……ッ!? ブル、ブルルッ!」
白き一角獣を驚かせないよう長尾狐っ娘はゆっくりと近づいたつもりだったが枝を踏んで折ってしまい、その音で白き一角獣は気づかれた。驚き、暴れる白き一角獣に長尾狐っ娘は両手を上げて何も害することはないと伝えようとしたが、白き一角獣には伝わらなかった。仕方なく、白き一角獣に蹴られないよう注意しながら素早く近づいて、ジャマダハルで根縛りを切った。
「ブルル……ッ!」
自由になった白き一角獣は右後ろ脚に根の一部を付けたまま森の奥へと走り去っていった。あれだけ動けるのなら、足は大丈夫そうだと、長尾狐っ娘は安堵した。
奇遇にも白き一角獣が走っていった方向は長尾狐っ娘が向かおうとしている方向と一緒だった。もしかしたら、また会えるかもしれない。と、思いながら長尾狐っ娘は奥へと歩みを進めた。
森の中を歩き続け、長尾狐っ娘は開けた場所に辿り着いた。そして、そこには古びた家が建っていた。壁は一部が崩れ、蔦が生い茂っており、屋根も崩れていた。あれが、魔女の家だろうか? と、長尾狐っ娘は古びた家に近づいた。
その時、黒い羽のついた矢が長尾狐っ娘の眼の前の地面に突き立った。突然、飛んできた矢から飛び退き、周囲を警戒する長尾狐っ娘。
「そこの者、この魔女の家に何用か」
声のした方を見ると、魔女の家の近くにある木の枝の上に頭巾と布で顔を隠した黒装束の女が弓に矢を番え、長尾狐っ娘に鏃を向けていた。
長尾狐っ娘は魔女に会いに来たと、黒装束の女に言った。
「その、異国の言葉……貴様、迷い人か。ならば、ここで死ぬがいい!」
その言葉と同時に黒装束の女は矢を放った。長尾狐っ娘は転がって避け、黒装束の女を睨んだ。
長尾狐っ娘にはなぜ、黒装束の女が迷い人を殺そうとしているのか分からなかったが敵であるのなら容赦をしてはいけない。老ゴブリンの教えの一つだ。
ジャマダハルを抜き、腰を落として構える。黒装束の女が矢を次々と放つ。長尾狐っ娘は
「ちっ……小癪な迷い人め」
このまま埒が明かないと、黒装束の女は枝から飛び降り、腰から曲刀を抜いて、長尾狐っ娘に接近した。それを見た、長尾狐っ娘の口角がわずかに上がる。間合いの外から矢を射られ続けるよりは近づいてくれた方が遥かに良いからだ。
黒装束の女が振るう曲刀を長尾狐っ娘は受けずに避け続ける。まずは相手の手を伺い、動きを知れ。という、老ゴブリンの教えからくる行動だった。
間合いのギリギリを探り、隙を見つけ、一撃で仕留める。それが力、間合い、重さが劣る獣人の子供である長尾狐っ娘に許された戦術だった。
「この、ちょこまかと……ッ!」
苛立ちげな声をあげ、黒装束の女の曲刀を振るう腕に力が入る。しかし、その分攻撃は大振りなものになり、黒装束の女の息が切れ始める。
ここだ。と、長尾狐っ娘は大振りな横薙ぎを下がって避けると飛び込むようにジャマダハルを黒装束の女に突き出した。
「ぐ、ふ……っ」
ジャマダハルの笹葉のような刀身が黒装束の女の胸を貫いて、背中から飛び出した。黒装束の女が吐き出した血が口元を覆う布を伝って、ジャマダハルを持つ長尾狐っ娘の手に落ちた。長尾狐っ娘は黒装束の女を足で押してジャマダハルを引き抜いた。
殺してしまった。黒装束の女の死体を見下ろしながら、長尾狐っ娘はそう思った。
襲われたとはいえ、本当に殺してよかったのだろうか。殺さない道はなかったのか。そんな問答が長尾狐っ娘の中で繰り返された。だが、この先、この大陸を生きていく以上、このような事は多々ある。そのことを老ゴブリンから教えられている。そして、その判断に戸惑い、迷えば、自分が殺されるのだ。
「うおぉぉぉぉおおッ!!」
この大陸において、もっとも無駄なことを考えていた長尾狐っ娘を別の黒装束の女が強襲した。反応が遅れた長尾狐っ娘は振り下ろされた曲刀をジャマダハルで受けるという悪手を選択する他なかった。
「はッ!」
がら空きの長尾狐っ娘の腹に黒装束の女の蹴りが入り、長尾狐っ娘の小さな身体が蹴り飛ばされる。
蹴り飛ばされ、ジャマダハルを手放し、転がった先で長尾狐っ娘は嘔吐した。そして、腹を押さえて蹲る長尾狐っ娘に黒装束の女が曲刀を手に近づく。
「おのれ、迷い人めッ! 殺してやるッ!」
怒りを露わにし、曲刀を振り上げる黒装束の女。対して武器を失い、腹の痛みで禄に動けない長尾狐っ娘に為す術はなかった。
「が……ッ!?」
その時、白い突風が黒装束の女を吹き飛ばし、魔女の家に叩きつけた。黒装束の女は首がありえないような角度に曲がり、布が外れ、露わになったその顔は驚いたまま目を見開いて死んでいた。
「ブルル……」
黒装束の女を吹き飛ばした白い突風は長尾狐っ娘が助けた白き一角獣だった。白き一角獣は顔を近づけて、長尾狐っ娘を気遣うような仕草をした。
ありがとう。長尾狐っ娘は白き一角獣に感謝しながら顔を撫でた。そして、ポーチから傷が治る不思議な水が入った水筒を取り出して一口飲んだ。すると、腹から感じていた痛みが引いた。
長尾狐っ娘はゆっくり立ち上がり、ワンピースに付いた土を手で払い、ジャマダハルを拾って腰に戻した。そして、もう一度、白き一角獣に礼を言いながら身体を撫で、長尾狐っ娘は魔女の家の戸を開けた。