『世話になった』
長尾狐っ娘は魔女に頭を下げた。
「なに、大したことはしてないさ」
それに、と話を切り、魔女は隣を見た。
「むしろこっちは迷惑をかけたねぇ……」
「う、うう……もう許してください〜」
魔女の隣には鋭利な
「ダメだ。お前は当分そのままでいなさい」
魔女の無慈悲な言葉にメイドエルフは泣いた。
しかし、長尾狐っ娘と魔女は無視した。特に長尾狐っ娘はとても冷ややかな目で見ていた。
「本当にすまなかったね。まさか、魔法の結界を突破して夜這いを仕掛けるとは……」
『まったくだ……』
疲れたような二人のため息が重なる。こうなったのは昨晩の出来事が原因だった。
魔女の調査によって課せられた使命の手がかりを掴んだ長尾狐っ娘は翌日――つまりは今日――に出発すると魔女とメイドエルフに伝えていた。
しかし魔女の隠れ家たる鏡の中の空間で幾千年もの時を過ごしたメイドエルフは自身の奥底に押し込めていた少女に対する愛欲を長尾狐っ娘とのを出会いをきっかけに表に噴出させた。
当然、魔女も長尾狐っ娘も警戒と対策を施していた。これによりメイドエルフは欲を爆発させることはなかった。
だが、長尾狐っ娘が隠れ家を去ることが伝えられた時、メイドエルフは思った。
これが今生の別れになるのでは?
そう思うとメイドエルフは止まれなかった。
まだ抱きついただけだ。
抱き締めただけだ。
嫌だ。
もっと先のことをしたい。
もっと触れ合いたい。
そんなこんなが彼女の背を押して、現在の醜態に至る。
別に気が触れたわけではない。
ただ単に欲をためすぎただけだ。
何が悪いと言えば、環境が悪かった。
もっとも長尾狐っ娘と魔女としては知っちゃこっちゃないことだが。
「ところで、餞別の方はどうだい?寸法はあっていると思うが」
『悪くない』
魔女の餞別――ブーツのような靴――を検めながら長尾狐っ娘は頷いた。
この靴、素材はわからないが見た目以上に頑丈そうであり、靴底には踏み抜きを防止するために細工が施してあるようだ。そのうえ軽い。
「そりゃ良かった。……気を付けてな」
『ああ』
長尾狐っ娘は頷いて、魔女に背を向けた。
隠れ家の玄関扉に手をかけ、押し開く。
扉の向こうは霧が立ち込め、先が見えない。
けれど、彼女は臆することなく踏み込んでいった。
「お前さんの旅路に太陽と月の加護があらんことを」
魔女は少女を見送った。
とても重く、残酷な使命が課せられた少女を。
歩くたびに揺れる尻尾が見えなくなるまで。
そして、扉はひとりでに閉まった。
「ああ……行ってしまいました……。せめて最後だけでもハグしてほしかったなぁ……」
「まぁだ懲りてなかったんかいお前は」
石の上に涙を落としながら未練がましく言うメイドエルフに呆れる魔女。
これは、重力の魔法でもっと石を重くしてやらねばなるまい。
「そういえば、魔女様。迷い人様の課せられた使命とは何だったのですか?」
魔女がさらなる制裁を考えていることなど露知らずメイドエルフが首を傾げて尋ねた。
「……まだ確定したわけではないが」
魔女は言葉を切った。すべて詳細に話すべきか迷ったからだ。
長尾狐っ娘に課せられた使命は3つあり、そのどれかを達成したとしても、彼女本人は……。
「とても、とても重大な……世界に関わるような使命だよ」
魔女は曖昧に説明した。
少女好きのメイドエルフのことだ。
これを聞けばここを飛び出して止めに行きかねない。
「そうなのですね。それは素晴らしいことです!」
なぜ暈すのか。
メイドエルフは疑問に思ったが知られてはいけないことなどだと、感じそれ以上は聞かなかった。
迷い人様に太陽と月の加護がありますように!
彼女の使命の達成と願わくば再会できるようメイドエルフは心中で願った。
◆
霧を抜けると長尾狐っ娘は森の廃屋の中に立っていた。
周りを見た限りでは、鏡の中に入る前と変化したところはない。
おとぎ話のように帰ってきたら数百年経っていたということなさそうだ。と長尾狐っ娘は少し安堵した。
廃屋の扉を潜り、外へと出る。
ひとまず、森から出なければならないが自分はどちらから来ただろうか。
腕を組んでここへ来たときのことを思い出そうとする長尾狐っ娘。すると、そんな彼女に歩み寄る存在がいた。
『ん?お前か……』
――ヒヒンッ!
白く長い体毛に覆われた4足の獣。
額から美しい水晶の角を生やした白き一角獣が嘶いた。
『待っていたのか?』
通じるかはわからなかったが、長尾狐っ娘は話しかけた。
白き一角獣の頭が上下させ、そうだと認めた。
『そうか……』
長尾狐っ娘はその仕草を確認したあと、また思案に耽った。
しかしなかなか思い出せない。
どうしたものか。
いっそのこと適当なこと方角にまっすぐ進めば出られるだろうか?
だが、もし出られなければ途中で倒れるかもしれない。
『ふむ……』
ふと、長尾狐っ娘は白き一角獣を見た。
この獣はある程度こちらの言葉を理解しているフシがある。
であれば、聞けば道がわかるかも?
『太陽にもっとも近い霊峰……を知っているか?』
自分の至った考えに半信半疑になりながら、長尾狐っ娘は白き一角獣に言った。
ヒヒンッ!
白き一角獣は嘶いて頭を上下に振った。
『案内を頼めるか?』
長尾狐っ娘がそう頼むと白き一角獣はまた頭を振った。そして、器用に長尾狐っ娘の服を咥えると首の力のみで彼女の体を持ち上げ、上に放り投げるようにして自分の背中に乗せた。
突然のことに長尾狐っ娘は少々驚いたがなかなか器用なことをするもんだと感心した。
ヒヒンッ!
『っ……うっ……!』
準備はいいか?
そう問うかのように嘶きを一度あげ、白き一角獣は次の瞬間には一陣の風になった。長尾狐っ娘は白き一角獣にしがみ付くようにして、振り落とされないように一角獣の体毛を掴んだ。
速度を維持したまま、白き一角獣は木々の間を駆けていく。前から迫る木が次から次へと後ろへ流れていく光景に長尾狐っ娘はいずれぶつかるのではと思った。しかし、それは杞憂であり、白き一角獣は薄暗い森を走破し、長尾狐っ娘にとっては久方ぶりに感じる草原へ躍り出た。
『わぁ……』
この時になると長尾狐っ娘は白き一角獣の速度に慣れ、少しばかり余裕が出来ていた。いつもよりも高い視点、突風のような速度、高速で流れる風景。それらの要素が相まってさながら自分が鳥になったかのように彼女は感じ、少し童心に帰っていた。
草原を駆け、小川の水面を駆け。草ばかりだった風景に石や岩が散見するようになると長尾狐っ娘と白き一角獣の前に道と思しきものが見えた。
人か獣かあるいはそれ以外の何某かが往来して出来たであろう道を白き一角獣は道なりに進んでいく。
『……高いな』
長尾狐っ娘の視線の先には天高く聳える霊峰。森から出たときには既に見えていて離れていて巨大に感じていた霊峰はやはり巨大だった。山に興味がなく登山の経験もなかった彼女ですら、この霊峰は地球上のどの山よりも高いと感じさせられた。
『?……止まってくれ』
視界に気になるものを捉えた長尾狐っ娘は白き一角獣を停止させた。そして、目を凝らして見てみればそれはうずくまった人だった。
『近づいてくれないか』
白き一角獣にそう願い、うずくまる人に近づく。ある程度、距離が近くなると長尾狐っ娘は一角獣から降りて、ゆっくりと歩み寄った。
『どうかしたのか?』
「えっ?」
長尾狐っ娘が声をかけるとうずくまっていた人物は顔を上げた。蜂蜜色の美しい髪を生やした美しい女だった。声をかけられた女は驚いたように長尾狐っ娘を見やり、ホッとしたように安堵した。
「……何でもございません。ただ、歩き疲れて休んでいただけでございます」
そして、視線を地面に落として力なくそういった。その様子になにか隠していると感じた長尾狐っ娘は女が足を気にしているのに気づいた。
『足を痛めたのか?』
「……はい、そうでございます」
服の裾を捲り女は足首を晒した。その足首はひどく腫れていて、青黒くなっていた。
『……ひどい捻挫だ。家は近いのか?良ければ送るが』
「……大丈夫です。直に治りますから」
女はそう言ったが長尾狐っ娘はそうは思わなかった。早く治療しなければ、治ったあとも障害が残るかもしれないからだ。
『これを飲め』
「これは……?」
思案した後、長尾狐っ娘はポーチから傷を癒やす水の入った水筒を女に渡した。彼女がどういうものか女に説明すると女は半信半疑でそれを口にした。
「っ……これは」
たちまち足首から感じていた痛みが引いていき、腫れもなくなって足が元通りになった。そのことに女が驚いていると『それは傷を癒やす不思議な水だ』と長尾狐っ娘は説明した。
「……そのようなものがあるのですね」
女は水筒をしばらく眺めたあと、長尾狐っ娘に返した。そして、立ち上がり彼女に頭を下げた。
「ありがとうございました。これでなんとか歩くことができます」
『良ければ送っていくが?』
長尾狐っ娘がそう言うと女は首を振った。
「いえ、大丈夫です」
女はそう言うと霊峰とは逆方向に歩いていった。長尾狐っ娘は女の背を眺めた後、一角獣に乗って霊峰に向かっていった。