じゅじゅあくたあじゅ 作:しゃんぷ〜
『真意』は、雑誌「近現代」に私が芥川賞をいただいたxxxx年からxxxx年のおよそ2年に渡って連載した作品だ。
芥川賞受賞作もそうだが、私はイドに身を委ねた作品づくりを信条とし、これを曲げることなく長年制作を行ってきたため、初めはお断りしようと考えていた。
連載という形式は与えられた、限り、の中で表現を行うことと認識していた。私には向かないだろうと。
担当編集のS氏には大変迷惑をかけた。我が儘な私は再三の要請にも取り合わなかった。
いくら受賞者とはいえ所詮は新人賞。ここから先、芽も出ずにフェードアウト。あんな作家もいたねなんて世間では陰口叩かれる。ありがちなパターンの一つだろう。
構わなかった。
一度でも誰かの甘言に身を委ねれば汚れるのだと、既に私は知っていた。
かつて塗り込まれた汚穢が、今の私の原動力だった。今更一つや二つ不純が加えられ私の内部で混ざり合ったとして、どのような違いがあるのか。尤もだ。
けれど、
S氏からは今後のキャリア形成という点でも説得を受けた。
プレゼンテーション能力といったものは私からは欠けたものだったため、大変感心しつつ傾聴させていただいた。
優しくご説得いただいたこと。連載を拒否した私に対して「あと3回ほど説得の場をください。各回30分ほどで良いので」とできる限りの配慮をいただいたことは申し上げておく。
彼は私の被害者なのだから。
彼の心遣いに感謝しつつ、内心では早速の引退も辞さないかなどと愚かなことも考えていた。
私は彼に対する加害者だった。
ただ勘違いをしないでほしいのだが、連載という表現方法に適した原石を見つけることができるのであれば、書きたいと考えていたということは強調しておく。
芥川賞という新人賞が出版界においてどれほどの意味を持つものかを理解できなかったわけではない。折角足を踏み入れた文学界に貢献できるのならこれ以上のことはない。
その考えは懇切丁寧に対応してくださったS氏を思えば募るばかりだった。
S氏には大変苦労をかけたが、「近現代」で連載をし、さらには単行本化まで漕ぎ着けたという事実はここまで読んでいただいた読者には明らかと思う。
S氏による3回目の説得の直前で私は幸いにも原石を見つけることができたのだった。
その原石を私なりに磨いてみたり汚してみたり、ある一面を切り取ってみたり、様々な加工を施して『真意』という作品として発表した。作品の評価については、このページを目にしているあなたに委ねたいと思う。
さて、単行本にあとがきを入れるということは一般的ではないが、無いわけではない。著者にとってこの作品にあとがきが必要だと判断された場合にのみ挿入されるのだと理解している。
つまりは本作には、あとがきが必要であると判断した背景があった、ということだ。その背景について簡単に説明していこうと思う。
今後も気が向いたら編集していきます。
結構展開を変える予定なので、これまでの文章はほとんど残らない予定です。この話も後で読み返して気に食わなかったら無かったことにするかもしれないです。
とはいえ、次が1、2年後。完全にエタる可能性もあります。あと3人称にするか1人称にするか。なども悩んでおります。
現状、章始まりに作中作品のあとがきの断片を挟むという構想です。