じゅじゅあくたあじゅ 作:しゃんぷ〜
「役者になりたい?」
「うん」
「これまたいったい、どうして?」
「ほら、花子さんに負担かけちゃ悪いし」
「言ったじゃないですか、お母さんからお金はいただいていると」
「でも昨日みたいに、トミカとか人形とか、おもちゃの分までもらってるとはとても思えないんだけど」
「今月は交際費何円まで、趣味代は何円まで、って予算を決めてきっちり家計簿を付けてる人なんて当たり前ですよ。お母さんもその辺は織り込み済みなわけです。心配しないでください」
「そう、なのかしら?」
「はい」
花子さんは換気扇を仰ぐように見つつ、菜箸でフライパンの上の芋を転がしていた。にんじんや玉ねぎ、豚肉、魚肉ソーセージの細切れが鍋の中でカレーに塗れている。固めで芋を食べたい気分だから、今日は煮崩れしないように後で入れることにした。
「でも、働きたいとは思ってるの」
「生活のための必要性だけで言ってるなら、何度も言ってるように問題ないとだけ。それ以外に理由があるなら話を聞きます」
「ええっと……」
間違えたかもしれない。黙って勝手にオーディションに応募してしまえばよかったんだ。見定めるような視線が私を射抜いていた。そのまま換気扇を見ていてほしかった。私がかき混ぜてる鍋から上る蒸気が、花子さんのメガネをいつしか白く曇らせる。笑っちゃうような光景だと普段なら思えるけれど、ことこの瞬間においては私に威圧的に働いた。
うまく答えられないかもしれない。けれど頭をなんとか捻りつつ、これだという答えを放り出す。
「そう!映画とか、私よく見てるじゃない?だから俳優っていうの、気になってたのよ」
「そうなんですね」
「ええ」
花子さんはメガネを外して、曇ったのを拭きながら、
「じゃあ受けてみたらいいんじゃないですか」
メガネを台に置きつつさらっと、そんなことを言った。
「えっ?」
カチッと、花子さんがコンロを切ってフライパンから鍋に芋を移した。芋はいい感じに焦げが入っていた。
「いいの?」
「ダメなんですか?憧れの職業、みたいな感じですかね。なりたいんですよね、俳優。やろうとしなければ何もできませんよ。とりわけ俳優なんていう、誰にだってできるわけじゃないことは。鍋、私が混ぜますね」
「え、ええ」
弱火の炎を受けながら鍋の中のカレーはクツクツと音を立てている。おたまで掬って小皿にとったカレーはまだ少し辛くて、これじゃあルイとレイには合わないから冷蔵庫から取り出した牛乳を加えた。それを花子さんが混ぜる。
湯立つ音と換気扇の回る音だけが響いていた。2階から、微かにルイとレイがはしゃぐ声が聞こえるけれど、床一枚隔ててしまえば別世界。元気で何よりだ。
「役者って言っても」
数分の沈黙の後、徐ろに花子さんが喋りだした。
「スターズみたいな大きなところのオーディションもあれば、劇団に所属するっていう道もあります。景さんはどういう役者になりたいんですか?」
「ええっと、それは……」
何も考えてなかった。なんて言えない。単純にお金ほしさだったから、高額な大賞賞金が出たりするオーディションを漠然と考えていた。
「役者になれればなんでもいいわ。映画に出てみたいってところかしら」
無難な解答ができたと思った。それにこの気持ちは嘘なんかじゃない。
花子さんは箸で芋を突いて少しだけ頷くと、鍋の火を完全に消し、よし、ご飯にしましょうか。そう言って、メガネを掛け直して鍋を持ち上げ、食卓に運んだ。卓に置く前に、私が鍋敷きを差し込むと、そこに花子さんがゆっくりと鍋を下ろした。
「ルイ!レイ!ご飯よ!!」
2階に大きく叫ぶとドタドタと元気な足音が鳴った。
「ご飯の後で話しましょうか」
降りてくる2人を見ながら花子さんが席に着いた。
「「やった、カレーだ!!」」
自然と私も笑顔になる。横に座ってる花子さんも、なんだか少しだけ口元を緩めてるように見えるから、私の笑顔はさらに倍だ。2倍になった私の笑顔と、花子さんの笑顔、ルイとレイの笑顔を足せば、5倍。
「やったわ、5倍」
「?」
花子さんの笑顔がほどけてしまったから、私はつくり笑いをニコーっと花子さんに向けると、珍しく花子さんは吹き出してしまった。ルイとレイもそんな光景を見て吹き出しちゃったから、つまり、8倍?!なんてことを考えてる私をよそに、ルイとレイ、そして花子さんが顔を見合わせてクツクツと笑ったままだった。いい加減、3人が何に笑っているのかわからなくなってきて瞳で問いかけてみると、レイが
「だって、お姉ちゃんのつくり笑い、へたっぴ!」
と言って、また笑い出してしまった。真ん中に置かれた鍋は、もくもくと温かい空気を部屋に送り続けていた。
☆
さて、そんな私は今劇団天球という劇団のワークショップに向かっている。参加費の3000円を花子さんに持たされてしまったのはとても悔しく、私要らないわ、だったらワークショップなんて参加しない!って言ったのに、
この前ルイさんにトミカを、レイさんには人形を買いましたけど、景さんには何もないなとは考えてたんですよ。なんて、あれよあれよとワークショップに申し込まれてしまった。
試しに花子さんに私なりの演技を見てもらったあのカレーの日の夜、感情が残ったままで涙が止まらない私を心配そうに見つめつつ、「景さんのそれは誰かになることはできても、表現未満で止まってるように見えます。素人目ですけど。一回プロの人に見てもらった方がいいと思いますよ」と言われ、次の日、花子さんが色々と調べてきてくれた資料を見せてくれた。
様々な芸能事務所のオーディションや、様々な劇団の紹介ページ、ワークショップの開催日。その中で、ここ阿佐ヶ谷から離れていない高円寺で、ワークショップの開催日も結構近い「天球」という劇団を花子さんはイチオシしてくれた。その劇団の舞台演出家である巌裕次郎という人は、業界でも知らない者はいないらしい。
重鎮。すごそうな言葉の響きだ。
「ワークショップで目をつけてもらったら、劇団にスカウトされることもあるらしいです。まぁ、実際にそういうものがあるなら、ワークショップオーディションを開催するとかいう触れ込みの元でちゃんとした募集をかけるとは思いますが。なんにせよ、スカウトされるされないとか、景さんの目標の映画出演から最短距離かどうかは関係なしに、こういうワークショップに行ってみるのは悪くないと思います。どうですか?」
「それ、いいわね」
その巌なんとかさんがどんな人なのかはよくわからないけど、ワークショップで演技を学ぶ機会を得つつ、学んでるだけなのに勝手に高評価も得てしまうというのはまさに一石二鳥というやつじゃないかしら。つまりスーパーでウィンナー1袋を買おうと思ったら、今回に限って小袋もテープで貼り付けてあったようなお得感。
それが運の尽きだった。花子さんに負担を掛けたくない。なるべく自分で出したお金で、っていう計画は早くも破綻して、こうして財布の中の6000円を恨めしく睨む。
「だいたい過保護なのよ、花子さんは!」
いざ劇団へと家を発った私が、しばらく歩いてなんとなく財布を覗くと、参加費の3000円だけでなくさらに3000円も追加されていた。昨日手渡しでもらった3000円は自分の手で財布の中に入れた。いつの間に、3000円を……。
一回お金を返しに家に戻るか?戻ったら間に合うか?財布をじいっと睨みつつ、ついでくらいの気持ちで開いた小銭入れの中に付箋くらいの大きさの紙が入っていた。
「まずはワークショップに走るべし」
ぷっと吹き出した。
「もう、花子さんは」
ため息を吐きつつ、私は「SUGI〜〜」とデザインされた白シャツの姿で、勢いよく走り出した。