嵐城学園高校吹奏楽部は、結構な頻度で全国出場できるくらいのそこそこの強豪校だ。金賞を取れたことがあるかという問いかけには目をそらしたくなるものの、概ねガチで吹奏楽をやりたいという願いに応えてくれるレベルだとは思う。
──ただし、問題なのがこの部活の掲げる活動理念というか、大前提みたいなもの。
「部員全員で呼吸を合わせる。
これがウチの大きな指標となっており、また全国で優秀な成績を取る上での支障となっているのである。
極端な全体主義。目標の最後にある「HARMONY」の名の下に行われる連帯責任と謎の相互監視が今の極端な上下関係を生み出しているのだと俺は考察する。
「はぁ……」
「あの、先輩……ごめんなさい」
「いやいや、茜が謝ることじゃない」
「でも、私のこと見てたから」
「茜はまだ左右どころかどうやって立ってるかも怪しい状態なんだから、当然のことだよ」
茜と俺は中学が同じだから家からの最寄り駅は同じ。つまりは学校から駅までの十分の道のりも、そこから駅で電車に乗る方面も全てが同じだった。夜道を歩きながら、俺は隣で様子を伺う後輩に言葉を掛けていく。
「まぁ、祥平が女の子囲いたい気持ちはわかるけどねぇ?」
「ふざけんなあずさ」
「愛されてるね、茜ちゃんは」
「あ、あいっ」
「そいつの盲言に耳を貸す必要ねーぞ茜」
「え、えぇっと……」
そして、それは茜だけのことではなく、月島あずさもその一人で俺の一年時からのおしゃべり相手でもある。だからって後輩をこのノリに巻き込むのは結構かわいそうな気がした。一年が三年の言葉を無視するのはウチの部活じゃ至難の業だろうし。
「つかなんだ、愛されって。唯一同楽器の初心者後輩だからかわいいのは当然だろうが」
「構いすぎてナナちゃんすねちゃったけどね」
「そういう意味じゃねーだろ」
「でも私たちも二年とかに指導任せちゃう時も多いし、祥平もそうするべきところはあるよ?」
「うち、奏もいるんだが」
「奏ちゃんはもうバリバリ上手じゃん」
「だからって、一年なのに変わりねーだろ」
「その一年に時々茜ちゃん任せてるのだーれだ?」
「くっ……知ってんじゃねーか」
「副部長ですから」
さては美弥からの情報だな。そうだったそうだった。コイツは美弥を従わせることができる数少ない先輩の一人だ。なんなら七海にすら無理なんだよな、アイツの制御は。でも美弥はどうやらあずさには勝てないと思っているらしい。証拠に仁花とは違った懐き方をしてる。
「ああごめんね茜ちゃん」
「いえ……先輩、白鳥先輩はもっと三年生と仲が悪いと思ってました、いつも一人だし」
「やーいボッチだー」
「そのうぜぇノリをやめろ」
「でも、なんだか……いつもと違う先輩を見てる気分です」
茜はなんかちょっと安心したような顔をしていた。マジか俺、後輩に人間関係心配されてたのか、流石にちょっと反省した。確かにこの一ヶ月くらいはあずさとは別々に帰ってたし、
「それに、あずさ先輩も、なんだか印象違うなーって」
「そう? 私割とこんなだと思うけど」
「いやお前後輩の前だとちょっといいカッコしてる」
「明るいのは、そうなんですけどふざけたりはしないので」
「あ〜、たしかに! やっぱ元彼の前だと砕けちゃうのかな?」
「え……元彼?」
「お前マジでふざけんなよ」
その事実無根の話するのやめろって。広まったら七海の小言が一個増えるからマジでやめて。隠し事をしてるわけじゃなくて本気で月島あずさとそういう関係になった事実がない。ないのにも関わらず最近そんなことばっかり言い始めて困ってるんだけど、つかなんなのそのネタ。
「ほら、一年の時から一緒に帰ること多かったじゃん?」
「多かったな」
「三月に二個上の先輩きたじゃん?」
「来たな」
「その時に別れちゃったの? ってめっちゃ聞かれてさ〜」
「……付き合ってねー」
どうやら一年の時に付き合ってると思われたらしい。そりゃな、新環境なんだから中学から気の知れた相手との会話は弾むもんだろう。だけど約二年経ってみたらあずさは副部長業務に追われて、俺はサボり魔で、会話する機会も昔に比べてグっと減ったからな。それを比べたんだろう。
「だからネタになる、と思って」
「ぶっとばすぞてめぇ」
「あ、あはは……ネタにしちゃえるの、すごいですね」
「こういうヤツなんだよ、サイコなんだよ」
「そんなことないよー」
好きでもない相手との噂に対して否定とか嫌悪じゃなくて面白いネタを手に入れたって思える人間はそうそういないと思う。茜も同じ考えだったようで苦笑いをしていた。だけど、あずさはあっけらかんとした顔で畳み掛けてくる。
「恋愛話、ないじゃんこの部活」
「噂はよく俺も耳にするけどな」
「部内でだよ」
「俺と裕太と浜崎しかいないんだが」
「ちょっと恋愛するには人数が少ないですよね……」
「でさ、槙野くんは部活一直線じゃん」
「確かに、アイツ女に金使うなら楽器に金使うな」
「浜崎くんちょっと必死で怖くない?」
「わかります」
「茜まで……」
浜崎、どうやらお前がモテない理由はこの女性だらけの環境で彼女作ろうとする魂胆がバレバレだかららしいぞ。そうすると、人との交流をそこそこする上にモテたい願望のない俺がやり玉に挙げられるのか、なんてひどい人選だ。消去法じゃねーか。
「それに私も相手が祥平なら噂になってても嫌じゃないかなーって」
「……あずさ先輩それ、爆弾発言じゃないですか?」
「感性ズレてるから、それ」
「そう? 祥平は私のこと嫌いだった?」
にこにこしながら聞くことじゃねぇな。そういうの童貞にすると勘違いされてストーカー被害に遭うからやめとけよな。コイツの他人への好き嫌いは根本では小学生で止まってる気がする。友達と恋愛の区別がよくついてないような。コイツ実は中学まで箱入りお嬢様だったらしいからあながち間違いじゃないだろうけど。
「嫌いじゃねーよ」
「そ、まぁそんな元カノからの助言だけど──」
「嫌いじゃねーけどそのふざけた噂を積極的にネタにしてくところはマジで嫌い」
「……面白くない?」
「人間関係に面白さを持ち込むんじゃねぇサイコパス」
「じゃあ副部長として助言すると、祥平はもうちょっと肩の力抜こうか」
「そんなか?」
「うん、美弥ちゃんが経験者で、コンバスはよくわかんないって状態で始めて教えがいのある後輩ができたのはわかるけどさ、今の祥平はあんまり周り見えてないよ」
「……わかった、ありがとな」
あずさはふざけたヤツだけど、副部長としての求心力というか不思議と信頼できるヤツでもある。さすが全部員の理解者ってところだな。部長間違いなしの状態だったのに、七海がずっとトップに立って全国金賞を目指したいという熱意に気付いて、身を引いたようなヤツだしな。
「あ、それとナナちゃんにも言っとくから」
「頼むな」
「任せなさ〜い!」
そんな俺たちの様子を茜は終始なんだか羨ましそうな顔で見ていた。まぁそうだよな、中学一緒の子はそこそこいるにしてもみんな元吹部で固まってて、陸上一筋だった茜は帰り道は一人だ。それで美弥にせっつかれて俺が一緒に帰ってたんだし。
「あずさ先輩は、普段はああなんですね」
「うるさいけど頼りにはなるんだよな」
「ですね」
電車に乗るというところであずさは親がついでに近くを通ったという理由で車で帰ってしまった。これからは俺がそこまで気にする必要なくなった、って思ったのにな。結局、一人空いた席に茜が座って、俺がその前に立つという形で話を続けていた。最初は部活の上下関係を気にしたのか慌てた顔してたが。
「先輩、座ってください」
「今はそれ、忘れろよ」
「……いいんですか?」
「俺と茜しかいねーだろ?」
「……はい」
ということで今は大人しく座っていてくれている。部活のルールとはいえこう男女二人組で女子が男子に席を譲って立つ様は外から見ると異様だろうしな。そもそも部活のルールを電車にまで持ち込むのはどうなんだとは思うけどな。朝から元気におはようございますって言われる気分は最悪の一言だろう。周りの空気的に。
「先輩は、その……恋愛とかって興味ないんですか?」
「恋愛? そりゃあ、人並みに興味はあるよ」
「そ、そうですよね」
「でも、まぁ部活ぎっちりだし、恋愛とかで隙を見せると鬼部長に怒られそうだしな」
「ふふ……」
でもまぁこう中学高校と吹奏楽部って女子割合の方が多い部活でもう六年目だ。すると度々女子たちの間の噂とか入ってくるんだよな。誰が誰のことを好きとか、誰が同級生の誰くんと付き合ったとか。好きな人いるかとか毎年同級生や先輩、後輩に訊かれるよ。
そんな環境で恋愛ごとに興味がないって言うのも逆張りがすぎるだろ。
「先輩は、モテなさそうですね」
「うるせー」
「褒めてますよ」
「どこがだよ」
めっちゃバカにしてるみたいな顔してたからな今。一ヶ月でだいぶ打ち解けてくれてるようで安心する反面、ちょっと美弥に影響されてるんじゃないかと心配になる。ああはなるなよ後輩、いや俺みたいになるのもダメだけどな。低音パートの先輩二人は揃って部活動への向き合いかたダメダメだからな。
「わかりました」
「おう、あそうだ」
「なんですか?」
「駅のコンビニでなんか奢ってやるよ」
「えっ、いいんですか?」
「部活帰りの寄り道は見つかったら罰則だけどな、大丈夫俺んとこの最寄りのコンビニならバレねーって」
こういうのも一つの手だ。ちなみに三年は特にお咎めなしだった。去年までは。今年は七海がトップだから割と三年でもヤバそうだから誰も学校近くで寄り道はしてない。
「なら、ジュースで」
「遠慮がちだな、去年美弥にこっそり奢った時はフツーに三百円くらいするスイーツ要求してきたけど」
「あはは……美弥先輩らしいですね」
それがあって二度と奢らないと誓った。アイツには二度と奢らない。
電車を降りて、コンビニに立ち寄る。あずさもこのコンビニは常連だ、なんならダメって言われてた一年の頃にここならバレないでしょって人の悪い顔でスイーツ買ってやがったからな。
「そっか」
「ん?」
「……ここには先輩の去年までの思い出が詰まっているんですね」
「大げさな言い方だな」
「なんだか、素敵だなって思いました」
その顔はキラキラしていて、俺も思わずその顔の輝きに目を奪われてしまった。
これから、その思い出は茜のもので埋め尽くされてくれるようになればいいなと俺はそう思った。
きっと、ここで食べたり飲んだりした寄り道が、明日の元気になってくれるように。