そして鬼部長こと鬼頭七海とバチバチになった翌日の朝、俺はだるかったけど、スマホのアラームを止めて顔を洗いに起きる。
──だるい。何回も言う通りだるいんだけど、流石にこれは俺一人がサボるサボらないの話ですらない。面倒くさいことに巻き込まれた形だし、自分でもクソみたいなヒロイックに浸かってる自覚はあるんだけど、茜が吹部をちょっとでも楽しいって思ってほしいんだよな。
「……っし、行くか」
今日もまた朝練で茜の自主練を手伝うことにしている。茜の体力というか気力はすごいよな、あんだけ呼吸練習して、その後走って全体の呼吸練習もしてるんだから、これを毎日やろうと思える子が一年に限らず一体何人いるんだよって感じだよな。
「おはよう、祥平!」
「……なんでいるんだよ」
「さて、なーんでだ?」
「知るか、自主練か?」
意気揚々と家を出て数分後、駅前のコンビニに何故かあずさがいた。この時間からいることはまずない。部長だろうが副部長だろうがこの時間から朝練すると一年にとってもストレスだし、それにつられて二年も早くしなきゃってなったらよりめんどくさいことになりかねないからな。しかも音出しもできないし。
「茜ちゃんの練習付き合ってあげるんでしょ、同性がいた方がありがたいことあるよね?」
「あんまり俺の手伝いすると七海が拗ねるぞ」
「でも、今回は祥平のやってることを応援したい。だって、珍しくいいことしてるじゃん?」
「珍しくな」
そんなことを言い合いながら駅のホームに行くと既に茜が立っていた。他にも同中出身の後輩たちの姿もちらほら見かけて部活の時よりもリラックスした感じで挨拶をされていた。一年はみんなこんな時間から大変だ。しかもやることと言えば掃除と音楽室の机を寄せて椅子出しくらいだからな。そんなの人数いるんだから十五分で終わるだろ。
「あ、おはようございます!」
「おっす」
「おっすー!」
「あずさ先輩がこの時間にいるの珍しいですね」
「ふふーん、今日は私もインストラクターだからね!」
「え……?」
「あずさが自主練手伝う気になったらしい」
「え、あずさ先輩がですか!?」
そりゃびっくりする。あずさは基本的には頼れる明るい先輩だがいつも鬼部長と一緒にいるためクラパート以外との関わりは皆無だ。しかも聞くところによるとクラパートは他に三年が二人、二年も四人いるため一年の指導はそっちに任せてることが多いらしい。すると自然と殿上人みたいな扱いになるようだ。中身これだけどな。
「そりゃね、二人が自主練と称してあれやこれやラブロマンスしちゃうんだったら察して止めないけど」
「逆に止めろそれは」
「し、しません!」
意味わかって言ってんのかコイツ。そんなツッコミはさておき、あずさがこうして指導入ってくれるのは嬉しいがやっぱり懸念点はウチの鬼部長さんだよな。二年の時から過激なヤツだとは思ってたけど、部長になってからはますます暴走してやがる。
「しょーがないよ、あの子はいつだって雪乃先輩を追いかけてるんだから」
「だな」
「雪乃、先輩ですか?」
「ああ、俺らの二つ上の……一年だった頃の部長なんだ」
あの人はたしかに苛烈だった。苛烈なまでに練習にのめりこんで、苛烈なまでに他人にも自分にも厳しくて、そんで苛烈な程吹奏楽を愛していた。雪の女王、なんて陰口か称賛かわからねーあだ名で呼ばれていたけど、名前に反して冷たいどころか熱すぎて近づくだけで火傷しそうな程だったよ。
「私ら三年になったらああなるのか、なんて思ったけど、あの人たちがおかしいだけだったね」
「全くだ」
「あはは、懐かしいな」
そんで三年全員がその女王と志を同じにしていた。みんな苛烈なまでの吹奏楽への愛と情熱を持って死ぬほど厳しかった。おかげでウチの代は何人も辞めてる。そのせいで実はちょっと人数少ないんだよな。
なんならあの
「つまり鬼頭部長は、その先輩になりたいと思ってる……ってことですか?」
「無理なのにな」
「うん、絶対無理」
七海の模倣は形だけだ、その心まではコピれてねーし。なんなら見てて痛々しい。でもアイツは雪乃先輩になれると信じてる。だからガムシャラに焦って、余裕ないまま周囲の人間まで傷つけようとしてる。ハリネズミはどんなに頑張ってもアルマジロにはなれねーんだよ。
「でも、それを変えられるのは、私たちじゃなくて、後輩の……特に茜ちゃんみたいな子だと思うんだ」
「……私、ですか?」
「茜ちゃんの憧れやひたむきさって、多分私たちが忘れちゃってた気持ちで、雪乃先輩が持ち続けていた気持ちなんだよ」
「そうだな」
そんなほんわかした雰囲気で、俺たちは最上階のもう一つの端、第一理科室へと向かい荷物をそこに置く。掃除と準備が終わり次第、茜にメトロノームを持ってきてもらい呼吸練習を始めていく。まぁ頑張れ茜、なんせあずさはどちらかというと──
「はい、また肩動いた! じゃあやり直しね!」
「はっ、はい……!」
「身体が覚えれば苦しくなくなるから」
──笑顔でスパルタ式だ。今もにっこにこで延々とやり直しさせられてる。言ってることは正しく、また休憩もちゃんとさせてくれるためある意味一番何も言えない。
「あれだね、でも茜ちゃん肺活量はすごいね、陸上部だっけ?」
「はい、中学は」
「姿勢もキレイだし、祥平が惚れ込んじゃうのもわかるよ」
「そうだな──」
「……えっ、惚れ……?」
「──教えがいある、スポンジってこのこと言うんだなって」
「うんうん」
茜はすごいヤツだ。きっと俺なんて一瞬で抜かしちゃうくらいに上手くなる。だからこそ、俺は部活を楽しいって思ってほしい。七海のやり方に従うだけじゃ無意味に部員を減らすことになる。そりゃもちろん別に全国に行きたいわけじゃなくて遊びたいんだったら辞めてもらった方が俺としてもその子のためだとは思うけど。
「えーっ、茜ちゃん朝走ってから来てるの?」
「はい、二十分くらい」
「すご、何時に起きてるのそれ!」
「アスファルトだとあんまり膝に良くないだろ」
「いえ、ちょっとくらいなら」
習慣だったから部活の走るだけでは物足りないらしい。あれで物足りないのかと俺とあずさは少し青ざめたが。そうだよな、部活は走るのがメインなんだからずっと走ってるのか? なんだか茜の体力が底なしなだけの気がしてきた。
「茜はチューバの逸材だよ」
「そ、そうですか……?」
「ガッツあるもんね」
「そうだな」
それからも俺とあずさに挟まれてスパルタ式の、俺から見てもキツそうな練習をしているのに茜は無理なんて一言も言わなかった。
奏も合流したらもう俺のやることなんてなくて。その様子をほんわかと見ていたら、一年が走ってきた。
「おはよう」
「お、おはようございます……じゃなくて、準備室お願いします」
「……昨日の今日でかよ」
しかも朝練前に。俺はめちゃくちゃムカっとした。別に今は昨日以上のやらかしなんてしてない。そもそも三年として一年二年に気を配れってんなら今日から始まる話だし。そして別に鬼部長さんの部下でも配下でもなんでもないからな、俺は。
スマホを取り出して、文字を打ち込み、それを一年に見せた。
「用があるならお前が来い」
「……は?」
「ってLINEしたわ。もう戻っていいよ」
「い、いいんですか?」
「私もいるから、大丈夫だよ」
「月島先輩! し、失礼します!」
思っていたのとは違って、あずさは俺のフォローをしてくれる。意外だなと思って彼女の方を見るとあずさはにこにこ顔で、あっけらかんとこう言い放った。
「茜ちゃんの味方したくなっちゃった」
「俺のじゃないのかよ」
「同じようなもんでしょ?」
「違うだろ」
「──既読ついた?」
「ついたな」
それからあずさが代わって俺が茜の呼吸練習を見ていると乱暴な足取りが聴こえてきて、奏と交代する。七海は怒りの形相だったが、あずさがいることに驚いた顔をした。俺がいることは知っていただろうがそこにあずさが混ざっているとは思いもしなかったという感じだった。
「おはようナナちゃん」
「……なんで、いや、用があるのは白鳥だ」
「残念、私も関わってるよ、これ」
「なんの用だよ、部長さん」
「白鳥」
さて、なんの用だろうかと伺ってみるとまるで親の敵みたいに睨まれた。いやあずさは自分から首を突っ込んできただけで別に保身のためとかなんとかしたわけじゃねーから。というかお前あずさのこと好きすぎだろ。メンヘラかよ。
「はぁ、一年に勝手な自主練は許可していない、時間が来るまで音楽室で待機……これを簡単に破らせるパートリーダーに用がないわけないでしょう?」
「……そ、そうだったんですか先輩?」
「あ、うんそうだよ」
「……そうだったっけ」
「祥平?」
あれ、そんなルールありましたっけ? 俺は頭をひねって考える。あーなんか去年は一年、今の二年が結構勝手に自主練してることが多くて掃除が甘かったりしてたから、強制的に次の一年には掃除を徹底して音楽室での待機をさせるみたいなことを四月頭に言ってたような──言ってないような。
「あー、覚えてなかったのか」
「悪い、これは俺が悪いな」
「でも、このルールぶっちゃけ意味ないよね?」
「──っ!」
お前ぶっちゃけすぎだろ。チラリと後ろを伺うと奏がやや同意気味だった。
何もしない時間ってのは、苦痛でしかない。掃除が甘いならその時に部長が指摘して、掃除させるなり罰を与えるなりすればいい。それでやる気のある一年を椅子に縛り付けるのはチームにとっても悪い雰囲気を生み出す、みたいなことをあずさがペラペラ説得してくれていた。
「ぶっちゃけ十五分で終わるよね、あんなの」
「え……あ、はい」
「そうですね、真面目にやればという前提はつきますけど」
「だけどルール上そうしないと──」
「──今の一年、ヘイト溜まってたぜ、あんまりモチベも高くない」
「そそ、茜ちゃんとか数人は別だけどね」
ルールは大事、これはわかる。俺みたいなルール守らないし覚えないゴミが悪いのもそう。だけど、ルールが悪影響を与えるならそれは変えていかなきゃいけない。守んない俺みたいなヤツが言っても説得力がないかもしれんが、あずさは別だ。俺はそこに更に便乗させてもらう。
「それに音出しできねーじゃん今、それなのに早くに集められて音楽室待機、二年三年は呑気にやってきて言いたいことだけ言ってぐちゃぐちゃしゃべりながら自主練してんだから、雰囲気悪くなって当たり前だろ」
「しかもね、突然一年も合奏入れるって言われたから更に」
私怨で放った一言はどうやらあずさの耳にしっかりと不満として届いていたようだった。三年は全体主義の名の下に一年じゃなくてパート全体の見回りに時間を使って、二年はそんな三年を嫌いつつ一年に全てを押し付け、一年は腐っていく。この状況でいい音楽はできない。
「変えようぜ、七海」
「ナナちゃん」
「改善できるのは、部長だけなんだよ」
「……私は、でもそれじゃあ……部長には」
「七海……」
「──ごめんなさい、今日は、失礼させてもらう」
そう言って去っていった七海を見送り、あずさと顔を見合わせる。
ありゃ相当な呪いになってるな。偉大なる先輩の背中が年々デカくなってる感じだよな。二年の時から雪乃先輩なら、雪乃部長なら、私にとっての部長は雪乃先輩なんだって度々言ってたしな。
「じゃあとりあえず、今日は終わろうか」
「はい」
「……大丈夫なんでしょうか、部長は」
「大丈夫だと思うよ、きっと先輩がなんとかしてくれるよ」
「そっか」
おい奏、無茶振りしたな今。そんなことを言いながら俺たちは日常である朝練へと向かうことにする。
バグった七海がどうなるか、合奏まであんまり時間はないけど俺はまずそこをなんとかしないといけないと感じていた。