……私の物語をどこから始めようか。
そうだ。
あの作戦を放棄して、一文無しになったことから、話すことにしよう。
私の物語はジャカルタの地で始まった。
☆☆☆
気がつけば、私はインドネシアの”ジャカルタ”にいた。
クソ暑い、ジメジメとした日射しと空気に私は嫌気を覚えた。
私は”
私を過酷な地に、放り出した世界という存在を恨みはしたが、幸運なことに熱帯地域の避暑地を見つけた。
目の前にインドネシア語で”麺屋”という表記が確認できたことを嬉しく思う。
熱でイカれた頭を涼しくしたい。私は砂漠のオアシスに飛び付くように、麺屋の扉を開けた。
「頭は熱いし、完全に詰んだ。とりあえず飯でも食うか……」
「イラッシャイマセー、お一人様、奥のテーブル、どぞー」
お手伝いだろうか、小さな女の子が奥に案内してくれた。
エアコンの冷たい空気を満たした麺屋は、私の頭を冷やしてくれる。日本には冷麺という食事が存在するが、それに似たような料理を注文した。
「(――ズルルッ) なんか味が薄いな」
冷麺のような料理を掻き込むと、頭の疲労が大分マシになったように思えた。麺を頬張るたびに、記憶を思い出す。東條の過去、そして私という過去。だが、思い出す記憶の配分は東條の過去がほとんどを占めた。私という記憶は、前世の箇条書きと趣味の知識程度しか思い出せなかった。
味気ないスープに入ったジャンク肉を頬張りながら、東條秋彦なる人物を前世の私が知っていたことに、気がつきむせた。口に頬張っていた麺とスープは机に少し散らばった。
『ヨルムンガンド』
前世の私は知っていたであろう有名な漫画のことだ。
現実世界に似た世界で実行される計画、首謀者のココ・ヘクマティアルとヨナという元少年兵が、世界を旅する物語。そのココが雇った傭兵の一人が『東條秋彦』であった。そして私が架空の人物に憑依したことに、気づいてから額の調子は最悪だった。
私に狂った世界を、生きる知識も技術も無い。更に最悪なのはここからだ。入店後、20分経過した時点で、キャスパー・ヘクマティアルなる人物に私は勧誘される。彼は『武器商人』であり、ココの兄である。私は了承し、彼の私兵になる。キャスパーの元で、数年間勤め上げた後、私はココ達に出会い、ココのチームに転籍するのだと思い出した。これらは全て決定事項のようなものだった。
「ふざけるなよ、俺には何の才能もないんだぞ」
「オキャクサン、何か追加注文ネ?」
先程の少女が、私の前を通り過ぎるところだった。
「ああ、すまない。この料理が冷たくてね、つい感想が出てしまったんだ」
刹那の虚言にしては、ずいぶんと上手く誤魔化したものだと思った。
「?? それならイイネ」
少女は注文を受けるはずだったテーブルに向かっていった。
私は少女が向こう側に行った後、胸を撫で下ろした。どうやら私は感情的になった時、日本語を話す性格らしい。
周りは日本語を知らない者ばかりで、意味を理解していなかったことも、これ幸いだった。
私は腕時計を見た。入店してからの時間は10分程度しか経過していない。
過去の自分は、今のように早く思考・計算することは出来なかった。それは東條という男の頭脳であるから、処理できるのだと自然と理解した。時間はもうない。後10分経てば、目の前にキャスパーが現れる。彼が現れるまでに、私という存在を整理する必要があった。
『東條秋彦』という人格はともかく、経歴や経験はある程度、理解していった。
記憶も不完全ではあるが、定着を始めていた。
元は”SR班”という日本の軍事組織の暗部に所属し、東南アジアを拠点として、仲間と共に日本を陰ながら支援していた、らしい。
だが、日本人以外を何とも思わない理念に付いて行けず、このカンボジアで組織と縁を切ったことも記憶に新しい。というか数時間前の話であった。
自分が事故死扱いの絶賛”職無し浮浪者”であるということも悲しいかな明るみに出てしまった。中央情報局時代の癖や知識もおのずと定着したはずだが、メカニックの技術が役に立つのはいつの頃になるころやら……。
そういえば、この狂った世界に来る前に、貰った能力も思い出した。
『
私の視界には、自分や他者の”運命”が映るらしい。運命が絶望的であるほど、赤いエフェクトが周囲に表示されるのだとさ。
不明瞭・疑問形なのは、東條に憑依してからそんな光景を見たことが無いからだ。
誰に貰ったのかは思い出せない。たぶん神様みたいな存在だと勝手に予想した。
だが、お決まりの助言やあちらからの接触も無い。
どうやら能力だけを置いて、その万能な者は私を放置したのだと仮定する。
能力を与えた者が東條・過去の私に関わっているのかは不明だった。でも、その者に私は少なくとも感謝はしていた。自分の運命を見通せる力が備わっているならば、この世界でもまだやり合える。無事に『ヨルムンガンド計画』の最後まで生き抜くことが出来るだろう。その後? 知ったことじゃない。後は原作にも描かれていないのだから。
この体で私は何をするべきなのか――考えた時、時間は丁度、20分を経過した。
原作では、キザな白髪の青年が対面に座り、私を雇用するはずだった……。
だが私の予想は斜め上に飛んでいった。で、目の前に現れたのは、美しいシルバーを斜めに割ったかのような、髪型をした狐目の女性だった。
「フフーフ♪ 君がトージョーだね?」
私に掛けられた声は、ハスキーボイスでアメリカ訛りの英語であった。
こいつは誰だ。過去の私を思いきり蹴飛ばしてやりたかった。記憶違いの展開は予想だにしていなかったからだ。間違いなく、この女が『キャスパー・ヘクマティアル』だということは察した。座った際に鉄の擦れる音がしたからだ。一般人では認識できないが、東條という体は経験から拳銃の掠った音だと理解してしまった訳だ。彼女は間違いなく、素人ではないし、全てを包み込み捕食するような
これらの答えを総合すると目先の人物が『キャスパー・ヘクマティアル』であることは間違いなかった。
「えぇ、私は東條という者です」
私は素っ気なく返した。
そして私の確認を終えた後に、彼女は右手を出して、堂々と握手を求めてきた。
「キャスパー。キャスパー・ヘクマティアル」
彼女は私に右手を差し出した。私も彼女の握手に応じた。
「秋彦。東條秋彦と申します」
出された手を握り返す。彼女の手はこの地域に似付かない、少し冷たい体温だった。
「トージョーと呼んでも?」
彼女は手を握りながら、その力を少し強めていた。
「ええ、構いません。私もキャスパーと呼んでよろしいですか?」
「勿論だとも! 名前で呼ばれるなんて光栄だよ」
彼女は口元を歪めながら、ただ微笑んだ。
「でも、トージョーは不思議だね。君は異国の地で初対面の人物に、利き手を任せるのかい?」
彼女は左手を自らの口に添えて、笑顔を隠すように続けた。
「普段は握りませんよ、でも貴女は信頼出来そうだった。そして武器を携帯している」
私は慎重に言葉を選んだ。彼女の機嫌をこの場で損ねてはいけないと感じたからだ。
「フフーフ、武器を携帯していることがどういう意味に繋がるのかな、元SR班?」
彼女は目を輝かせながら私に問う。彼女の瞳は新しい玩具を見る子供のようだった。
原作でもそうだが、私の素性など事前に調査済みというわけか。
「私の新しい雇用主の候補だと……そう判断したに過ぎません」
「素晴らしい!! ちょうど君を雇用しようと声を掛けたんだ。これで”私達”は両思いだね? トージョー???」
その言い方はどうだろうか。まあ、向こう側も私を雇う気があるらしい。序盤の関門は突破出来たようだ。
相互の気持ちを確かめた後で、雇用条件などの説明は全て”麺屋”で説明された。
地域住民がテーブルを囲む中で、異国の言葉が紡がれる席は熱を帯びていく。
キャスパーが私に説明をしている間、客層は入れ替わり、いつの間にか周囲を、彼女の私兵が埋め尽くした。それは私が最も緊張した瞬間だった。
私兵達の中に一段と胸が大きい女性がおり、私に対して笑顔で手を振ってきたのは、印象に残っている。
シャツに張り付いた揺れる大きな胸の光景に、見惚れていたらキャスパーが私の視界を遮って「トウジョー、ちゃんと聞いてる?」と声を掛けてきたのは、残念だったと思う。
後に巨乳女が『チェキータ』と呼ばれる古参の私兵だと私は思い出していた。
説明が終わる頃には、周囲の私兵達が私のことを珍しそうにジロジロ見ていた。
そして、最初の熱い日差しを歩いた時もそうだったが『男性が少ないこと』に私は違和感を覚えた。
世界に男性が少なかった。
疑問をキャスパーに伝えたら、彼女は大笑いしながら答えたのだ。
「ハハハッ!!! トージョー! キミは本当に面白い、それは冗談のつもりかな?」
彼女は私に予想外の世界観を話し始めた。
「世界に女性が多いのは当たり前だろう? 女性は男性を守るものだと昔から言われてる」
「そういうものですか」
「トージョーは
「いえ、私は性別思想に興味が無いので」
「なら良かった! てっきり男性は自活するべきだ! とか言い始めるものだとね……」
どうやら記憶の常識ですら、狂った世界では違うらしい。
過去の私よ、この状況を説明してくれ。
「どうやら少し混乱しているみたいだね……今はゆっくり休むといい」
彼女、キャスパーは席から立ち上がると、スーツポケットから一つのカードキーを渡してくれた。
「前報酬だと思ってくれ、トージョー。僕が貸し切っているホテルの一室だ。クレジットカードや身分証明書なんかも既に用意している。君がSR班時代に好きだった武装や”玩具”も用意しているよ。気に入ってくれると嬉しいんだけどね」
カードキーはホテルの一室を開ける鍵らしい。原作も思えば、キャスパーに全て見抜かれた上での勧誘だった。ならば余計な詮索は、新たな雇用主に失礼にあたる。
渡されたカードキーを、ズボンの右ポケットに詰め込んで、冷麺みたいな料理の代金を机に多めに置いた後、私は外に出た。
熱い日射しが照りつける。やはり東南アジアは苦手だ。
この思いは元SR班の私と、前世の私が共有した似た感情であった。
そうだ、女性のキャスパーと出会った瞬間から”私”という人物の物語は始まった。
そして、今の私が形作られたのだと思う。
『私は武器商人と旅をした――その続きは未だ不明のままだ』
次回:第2話『ヘクマティアルと私兵』