『強い愛は時間が経つにつれて、その凶暴性を露わにする』
僕は神を信じたことがない、信じるのは己と仲間だけだ。
でも……今日だけ。インドネシアで多く信仰されている預言者とやらを信じた。
白のスーツを着た白人女性『キャスパー・ヘクマティアル』は上機嫌だった。
長年、探していた自分を助けてくれた人物に出会い、そして彼を仲間に引き入れることが出来たからだ。元SR班である東條秋彦は、キャスパーにとって恩人であり、この世界で追い求め続けていた唯一の人物だった。
彼は僕を助けてくれた時から一切、変わってはいなかった。日本の諜報部でも、最高峰である中央情報局からSR班への転身、更には思想が合わないからと抜けてきた経歴を彼は持つ。軍人としては最低な行為だが、私兵としては最高の条件だった。
私兵としての価値以上に、昔は分からなかった顔も人種も性別さえも、僕好みの外見をしており、自分の遺伝子がトージョーを求めた。胸に抑えきれない程の、他人を愛する気持ちは、生まれて初めての経験だった。
トージョーと最初に出会ったのは、東南アジアの深夜だった。
僕が武器商人を始めた、少女の頃だったろう。
東南アジアで交渉中に、ある軍事組織に僕は捕まった記憶がある。暗い個室で始めに足を折られ、追加の拷問を受ける直前、いきなり現れたトージョーが僕を助けてくれたのだ。まだ幼い僕は、母の影響もあり、自分の私兵ですら信用していなかった。当時はチェキータや現在のメンバーもいなかったからね。
だから、僕は笑うことが無かった。
そんな皮肉屋な幼い僕に、彼は個室でこう述べたのだ。
「お嬢さん、助かったことに笑うといい。君は若いのに笑顔が全くない」
ボイスチェンジャーを通した声は、明るい人物のイメージを連想させた。
いきなり登場したトージョーは、覆面をしており、腰に謎の機械をつけていた。そのお陰だろうか、個室に映されていた全ての監視カメラに、彼の姿は”一切”映らなかったし、侵入直前、部屋にいた女達のスマートデバイスが一斉に鳴ったのも覚えている。
彼は自分の存在を完全に秘匿してここまでやってきた。
オペレーターや部隊は存在しなかった。
だから、彼の素性や部隊名すら理解できなかった。
当たり前だが、僕は彼を相当に警戒した。
動き方は現在のチェキータに劣ってこそいたが、戦場での総合力が、そこらのプロ達を遙かに上回っていた。
特に情報戦と隠密作戦は、それ以上に秀でた者を見たことがない。
トージョーの動き方を真似できるか、チェキータに一度聞いたことがある。
彼女は一言で答えを述べた。
「私には無理ね、その人はきっと隠密作戦のプロフェッショナルなのよ。夫が所属していたデルタフォースにも、そこまでの技量を備えた人物は存在しなかったはずよ」
チェキータの言葉通り、今に至るまでそのような動きをする傭兵を見かけたことは無い。
他の者に話しても、映画かゲームの話だろうと笑われた。
でも、僕がこの体で経験したのは間違いない彼の実戦だった。
「黙れ、助けてくれたことには感謝しているが、他者の指図を僕は聞かない」
当時は頑固でね、彼の名前を聞かずに話を進めていた。
あくまでも主導権は自分にあると思い込んでいたのだ。
「ハハハ、酷い話だ。
「だからなんだ、きっと僕を利用する気だろう。君も彼らと変わらない」
僕は拷問室の端にいた女達を見る。彼らはトージョーに半殺しにされていた。
彼女たちはトージョーの拳によって、地面に叩きつけられ、周りに血が飛び散っていた。
「いいや、違うね。俺は君を逃がす予定だよ、自分の組織にも報告はしないことを誓う」
僕は驚いたよ。
組織の任務に背いてまで、見知らぬ僕を保護する馬鹿みたいに優しい奴が、こんな狂った世界にいるなんて信じられなかった。
「馬鹿な話があるわけがない。だって僕の価値を知っているだろう?」
「地面で沈んでる、女達が言ってたことか? 俺はそんなこと知ったことじゃない」
尋問中に足を折られた僕をヒョイっと背負い上げる。
トージョーはそのまま僕を担いで、施設を脱出したんだ。
施設内の敵は全て、トージョーにより沈黙させられていた。
脱出してから僕が指定したポイントまで、僕らは一言も喋らなかった。
でも彼の背中は”とても安心したんだ”
合流地点には当時の私兵達が集合しており、僕を連日昼夜に渡って、捜索していた。
トージョーは状況を察するや否や、僕に折れた足を支える為の簡易的な杖を持たせて、少し遠くから歩くように言ったんだ。
それが同時に、彼との別れになる。
「お嬢さん、どうやらここまでのようだ」
「……一緒に来て欲しい。まだ君にお礼すら出来ていない」
「それが無理なのは聡明な君が一番理解してるだろ。顔を声も隠した人物を、君の私兵達は信用してくれるかな?」
彼は困ったように、機械越しの声で笑って話した。
「信用されないだろうね、それどころか本部で拷問される可能性もありうる」
「だろう? だからお別れだ。また会えるよ、君が危険な世界に身を投じているならね」
「・・・」
その気持ちを当時は表現できなかったが、多くの人は”哀しみ”というのだろう。
言葉はあまり交わさなくても、彼の優しさに私は惹かれてしまったのだ。
「せめて、名前だけでも教えてくれ」
「…………。トージョっていうんだ」
彼は考えた後に、名前を述べた。
「トージョーっていうんだね。助けてくれた君の名前を、僕は忘れない」
「忘れてくれていいよ、俺はただの男だからさ」
それから僕は自分の足で私兵達と合流する。
後ろを振り返った時、彼の姿は闇に隠れて消えていた。
女性の多くは、白馬の王子様を待っているという。
でも、僕に訪れたのは闇夜の王子様だった。
誘拐事件の後、HCLI(僕が勤めている海運会社)本部は、
僕の私兵グループ再編を強制した。
当時、仲間の中に内通者がいたらしい。
内通者を排除する形で現在のメンバーが参入。
そうして今のメンバーが揃って、チームは安定したってわけだね。
不幸にも、僕を助けてくれた彼の痕跡は追えなかった。
幼い僕の証言が曖昧だったことや、彼の信じられないほどの秘匿性がそうさせた。しかし、彼も中央情報局に配属された初期の段階だったから、捜索は困難を極めていた。彼には国籍も無ければ、重要人物指定リストにも名前が掲載されていなかったからだ。
トージョーの痕跡が追えないことは、僕を病ませる原因になり、当時はヒステリックになっていたと思う。
それを受け止めてくれた、チェキータや今のメンバーには申し訳なく思っている。
誘拐から数年後、僕の体が著しく女性として成長した現在。
『トージョー』と再会したんだ。
彼を見つけたのは幸運にも、インドネシアに武器を卸した帰りだった。
インドネシアは小競り合いが多い地域だ。その性質から小火器が多く売れる。大口の取り引き相手は少ないが、小銭を稼ぐには丁度良い。そして小島が多く、一部は外敵が少ないことも、頻繁に訪れる要因の一つだった。
もう少し遅ければ『他の組織からの勧誘』も彼には十分にありえた。しかも、トウジョーは、一文無しに近い浮浪者の身で、国籍は事故死扱い。日本には当然帰国も出来ないし、インドネシアで定住することもツテが無ければ難しい。特に男が生存するには危機的状況であった。
そんな状況を知らず、HCLIの本部から僕に送られてきた情報は奇妙だった。
トージョーの情報は最初に”NO DATA”と記載されていた。
HCLIがたまに無茶や危険を押し付けてくると言っても、データ無しの情報を送ってきたことは生まれて初めての経験だった。私は母からの冗談だと思い、ノートパソコンを地面に叩きつけて壊そうとした。そして持ち上げた瞬間、”NO DATA”は『東條秋彦』に変わった。
最早、運命的な再会だといえる。
それを奇跡という人間もいるだろうが、彼は僕の物になる運命だったのだ。
「キャスパー、ずいぶんと上機嫌じゃない? そんなにあの
思考に集中するのは悪い癖だ。喋りかけてきた彼女は、僕が最も信頼を置く私兵『チェキータ』だ。彼女は口だけの部隊を雇うより金は掛かるが、それ以上の働きと信頼を一人で
「すみません、チェキータさん。でも聞いてください、彼が例の探していた日本人です」
浮つく気持ちは止まらなかった。
頬の熱は引かず、半月のような形をした自然に上がった口角は一向に下がることは無い。東條秋彦という人物のことを思い続ける程、心が温かくなっていくのを感じた。これは彼にしか向けることがない感情だった。
「キャスパー、貴女が男に興味を持つのは好いことよ。でも一目惚れだけは止めなさい、どれだけ強い男でもね」
彼女の言葉は、母のような優しい語り口だったが、僕は知っていた。チェキータという女性は何度も離婚を繰り返している。一人の男と、だ。その男女の仲が、どれ程のものかは聞いていないが、少なくとも僕よりは経験者であった。
「フフーフ♪ 勘違いですよ、チェキータさん。一目惚れなんかじゃありません」
僕は何とか平静を装うとしたが、気持ち悪い笑いが止まらなかった。
「結局は貴女もお母様譲りなのね。血は争えないわ、キャスパー」
皮肉な言葉に少しムッとしたが、情報は事実であるから仕方なかった。
僕と妹のココはHCLI創業者フロイド・ヘクマティアルという母から生まれた。
母はヨーロッパ人であり、HCLIの創業者で海運女王。寡黙で冷徹、自分の子供にさえ、ほとんど興味を示さない女性だ。だが父については話が違った。母は父を愛していると聞いたことがある。なぜ疑問形かと言えば、僕は父に一度も会ったことが無い。それどころか父がいることも、チェキータさんから後に聞いた話であった。
母は父を、愛しすぎるあまり、子供達にすら引き合わせなかった。父はチェキータと彼女の元夫レームのみが知るトップシークレットであり、半分監禁されているのにも関わらず、明るく快活な性格であるらしいとチェキータから聞いた。父の性格は、知っている自分達の母とは真逆なのだから、子供の頃は嘘の話だと信じていなかった。
だが、今では母の気持ちを理解し始めた。
心の奥底に沈みきった太陽が、浮上する気持ち。その優しさを誰にも渡したくない。信仰に近い僕の愛が今、トージョーに向けられていた。
まだ彼の全てを僕は理解したわけでは無い。そもそも向こうが、僕を受け入れてくれるか分からない。ネガティブとポジティブの気持ちをループさせながら、彼に対する思いを、永遠とホテルに帰るまで繰り返していた。
「今日の夕ご飯は豪勢にいきましょ、キャスパーが『初恋の人と再会した記念日』よ」
「「「エエエッ!? キャスパーさんが恋なんてありえないでしょ!!」」」
僕らの後ろにいる女性の私兵三人は口を揃えて困惑を訴えていた。
エドガー、アラン、ポー。こいつらはとりあえず減給だな。
僕は思考を切り替えて東條秋彦に集中した。
ああ、トージョー!! 早く私の元に来てくれ。
そして僕を助けてくれた時の礼を、耳元で囁かせてくれないか?
君に対する気持ちが愛だというのなら、
母と同じ重い気持ちに気づかせた君の罪は余りにも重いぞ❤
僕は蒸し暑いインドネシアの炎天下を、時々ステップやターンを織り交ぜて、ホテル目指して歩いて行った。
トージョーと再会した今日は、僕の人生で最も幸福な日だ。
次回予告:『模擬戦』