ヨルムンガンドに愛されて   作:賃現地

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第4話『壮麗な星空の下で』

『君はいつもそうだ。僕にだけ、全てを隠すんだ』

 

 

 

 

 午後のスイーツタイムは終わり、キャスパー達は各部屋に一度解散となった。

 

 次回の集合時間は夜のディナータイムであり、

 今晩、当直のエドガー、アランは少し早めの仮眠を取っていた。

 

 

 私はというと、まだ見習い期間ということで、当直巡回の任務は外されていた。

 だから時間に余裕があり、休日組のチェキータさんやポーと一緒に過ごしていた。二人の休日を邪魔するのは申し訳ないと思ったが、傭兵という仕事柄、基本的にキャスパーから離れる行動はしないとのことだ。

 

 親密な関係性を聞いた時、やはりキャスパーのチームも原作のココチームと同じく、キャスパーのことが皆、大好きなんだと感じた。当のキャスパーはスイートルームの片付けと次の商談の準備を自室で行っているようだ。兄妹・・・いや、姉妹はよく似ているなと私は感嘆していた。

 

 

 

 私はこの際に、自身と世界の認識ズレについて聞いてみることにした。幸いなことに『ポー』が大の歴史好きであり、知識の範囲は幅広かったので、何でも聞くことが出来た。彼女は北は北極、南は南極まで何でも好んで学んでいたようで、キャスパーの部隊に所属する前は、アメリカの軍事書類保管庫の司書をしていたことを、私に話してくれた。

 

 

 

「ポー、日本の侍ってどんなイメージだい?」

 

「・・・。トージョーってヨーロッパ人は誰でも忍者や侍が好きだと思ってる?」

彼女は自分が馬鹿にされたのかと思ったらしく、透けた前髪の奥で眉を尖らせた。

 

「勘違いですよ。私がイメージする侍は、貴女の考えとは異なると感じたからです」

 

「ふぅーん、まあ、侍も忍者も全員が『女』のイメージだよ」

「……。戦場に出るのは女、ということですか?」

「そうじゃないよー、でも女の方が歴史的に戦場にいたことが多いかな?」

彼女は日本の歴史から、過去から現代に至るまでの、様々な戦争を語ってくれた。

 

 

 やはり、現在の世界には『女性が多い』『男女の社会参加の認識が大きくズレている』などの相違があった。

 

 戦争の話をしているポーの口からは、お馴染みの偉人達が語られる。多くは現実と異なり、性別が”女性”であった。驚いたのは、アメリカ合衆国の初代大統領は、女性であり、暗殺はされずに、生涯を終えたという点であった。

 

 初代大統領の時点から、過去の私が知っているアメリカの歴史と大きく異なっていた。

 更に驚くべきことは、日本という国は現代まで変わらず、男性がずっと統治していた点にあった。

 

 現代まで継続されている天皇制は、現代でも象徴として残り続けており、世界各国の貴賓(きひん)達からは賞賛が絶えないという。

 

 

 それでも一部の戦国武将だの、忍者だの、有名な偉人は皆、女性になっていることが多く、私は聞いているうちに頭が情報量でパンクしそうになった。まず、戦闘よりも常識や日常的作法からやり直し、世界に馴染まないといけないことを、世界が私に語りかけてくるような時間だった。

 

 

 私は自分が他者と価値観が違うことを二人に素直に喋るか、検討していた。

 

 チェキータさんは大丈夫だと確信はしていた。何故なら、横のポーによる熱い歴史語りに、適当な相づちを打ちながら、タブレット端末にて小熊の動画を視聴していたからだ。キャスパーチームのような個性の塊といえる集団を、上手く捌いているのだから、私の認識など然程(さほど)気にしないだろうと私は確信していた。

 

 問題はポーであった。簾髪(すだれがみ)で前を隠す外見に似合わず、彼女はとても頭がいい。私の作戦を先読みしていたのも、模擬戦において彼女しかいなかった。つまりは会話でヘマをやらかし、彼女のことが発端で、チームから追い出されることは何としても避けたかった。

 

 

 

 私はポーの熱い歴史語りに耳を寄せながら、概念の違いを話すべきか思案していた。

 

 ポーの長い語りが終わるまで、私の思慮は続いて、最終的に(さら)け出すことを決めた。私の決定は、この場で自分という存在を隠せば、後に問題が出ると踏んだ結論での事だった。

 

 

「ポー、少しいいかな」

私はポーの区切りが良いところで、一つ質問をした。

 

「どうしたの? トージョー。まだキリストって創造主の話を終えてないけど――」

 

「チェキータさんとポーは凄く綺麗なんだ、でも私はどうなんだろう? 正直、整っている日本人の顔でもないしな……!?」

 

 私は質問をした時、失敗したと気づいた。

 何故なら、チェキータは頬を赤らめながら、口に含んでいたダイエットコーラを霧状に吐き出していたし、ポーに至っては、顔全体が真っ赤になりずっ転けていたからだ。ああ、やってしまったなと思った。

 

 

「と、トージョ。 お姉さんを揶揄(からか)うのは止しなさい」

「いきなり、な、何を言うのかと思った。褒められるのは慣れてないのでやめてほしい」

二人は明らかに恥ずかしそうに、尋常じゃない照れ方をしていた。

 

 

 私こと東條の顔は、ヨルムンガンドに出てくる登場人物の中でも影が薄い。

 

 ココの所にいる『アール』や『ヨナ』などがイケメンの分類であり、私みたいな東洋人は”一般人の顔”というイメージだった。だから私の容姿というスパイスで、女性と男性の違いを探ろうと思っていた。でも、完全に質問を見誤った。あーあ、終わったなと、私は自暴自棄になりそうだった。

 

 

「突然、変なことを聞いて申し訳ない。でも、私の疑問は重要なんです」

私は少し顔を俯いて深刻そうな顔をしながら、次の発言をした。

 

「実はSR班に配属されるまで、外部との交流を絶って育てられたんです。だから――」

と自ら、嘘の経歴を話し出す。

 

 

 話の内容はこうだ。

 

 

『私は幼い頃に、軍事の英才教育を指導する施設に入れられ、外部情報とは隔絶されていた。

 SR班に配属される頃には、外に出たが、任務続きで世間を見る暇も無い。

 SR班を自分で脱退した今は、自らの過去により、世間を知らないことを知った。』

 

 

 という話を真剣そうに、時々少し悲しそうな顔を踏まえて訴えた。

 

 

 私の言っていることは嘘であり、半分以上は、ある意味、正しい情報だった。

 過去の私、東條秋彦の記憶の継ぎ接ぎである、”今の私は”見知らぬ施設に入れられ教育された人型軍用マシーンであったからだ。虚言だが、これは立派な正解でもあった。

 

 

 チェキータとポーは、ただ黙って私の話を聞いていた。

 語り終えるや否や、ポーとチェキータは、違う場所のソファーから移動し、私をただ優しく抱きしめてくれる。

 

 

「心配しないで、私達が貴方の家族になるわ」

「トージョー、ごめんね。だから色々分からないことがあったんだ」

 

 二人の体温は私に安らぎを与えてくれた。

 しかし、チェキータさんは何故か、私の股間を触っていた。

 

 

 この人、私が”性教育”を受けていないと勘違いしてないか?

 勘弁してくれ、チェキータさん。先ほどの感動を返してくれ。

 

 

 私はチェキータの股間にあった手を除けながら「チェキータさん、手が当たってます」と言った。ポーは、変態親父を敵視するような視線を這わしたが、チェキータは「ごめんなさいね、当たってたみたい」と我関せず、開き直った様子だった。世界最強の殺戮人型マシーンはメンタルも強いのか、と私は驚いた。

 

 

 後の談話も、男女間の価値の違いなどをチェキータさんに教わり、社会的な作法をポーに教わりながら、夕食までの時間を過ごしていった。

 

 男性の価値観がそっくり女性へ移り、男性が女性の価値観を保有する者が多いという世界なのだと理解したのは、日がすっかり落ちた夜であった。

 

 

 

 

 

 私は下に降りてきた、キャスパー・エドガー・アランをレストランの入口で発見した。

 

 

 キャスパーは私達に「はいはい! 小隊諸君! 食事はレストランではなくて、僕の部屋で取ることにしますよ~」と軽く説明した後、彼女は私をエスコートし、上階へとエレベーターを利用して登っていった。

 

 

 キャスパーは私の体を(みだ)りに触ってくるものだから、先程のチェキータさんを(かんが)みるに彼女の行動を予想したところ、私への好意があるのかもしれないと勘違いするような考えに至る。

 

 彼女が私に恋をする訳がない。私は東條秋彦で、物語でもモブの扱いだ。一部の登場人物が性転換している、よりおかしな世界で、受け入れられているだけ、マシなのだと、私は自分の雑念を振り払った。

 

 でも、キャスパーの触りようは、余りにもねちっこいので、どうにかなりそうだった。というのが、私のエレベーターでの心境だ。

 

 

 私が息を整えられたのは、スイートルームに着いた時だった。

 中の部屋は、模擬戦の損害は無くなっており、綺麗に元通りのプレシャスな空間を演出していた。中央にはホテルの者が用意していたであろう、バイキング形式の料理が並び、専属料理人が(そば)に立っていた。

 

 

「フフーフ、紹介しよう。ホテルの料理長だ」

キャスパーに紹介された女性はペコリとお辞儀を私達にしながら、珍しそうに私を見ていた。

 

 

「今日はよろしくお願い致します。キャスパー様の新しいお連れ様が男性とは・・・」

料理長と呼ばれた女性は不思議そうに私を見た。異国人が珍しいのだろうか。

 

 

「料理長、見惚れてしまうのはいいが、日本料理は作れるのかい?」

「はい、鉄板焼きは得意ですので、ご注文はお好きにどうぞ」

私はキャスパーの言葉に目を輝かせた。

 

 

 おお! 鉄板焼きよ!! 私は心の中で歓声を上げた。

 鉄板焼きは私の好きな料理であった。

 

 

 キャスパーはそんな私を見て、優しい笑顔で笑った。

 

 

「鉄板焼きが嫌いじゃないことに安心したよ」

彼女は私の表情を見て嬉しそうにした。

 

 

「ええ、キャスパー。私の大好物をありがとうございます」

私は心の底から喜んだ。

 

 

 嘘偽りもなく、スイートルームで提供される料理は故郷の味だった。

 日本の味は私と東條の思い出の味であり、体が求めていた料理なのだから。

 

 

 

 こうしてスイートルームでの歓迎会は始まった。

 

 

 キャスパーチーム全員が、飲めや歌えやで祭りが行われた。

 途中、チェキータさんが、飲酒の勢いで、裸じゃんけんなどを開催した時は、私の股ぐらが興奮したものだが、酔ったキャスパーに目を防がれ、全ては見えず仕舞いだった。ああ、なんと惜しいことか。私の男性器はいつ使用されるのだろうか。

 

 

 酒と飲み物が進み、料理長が後片付けをして帰った後以降、私に記憶は無い。

 生来、この体も酒を飲める体質ではなかったのだろう。立て掛けてあった鏡を見れば、私は顔を真っ赤にし、アルコールの勢いで、頭を柔らかな”何かに”預けながら心地よく熟睡した。

 

 

 

 それが誰の体であるか知らずに・・・

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 気がつくと私は、大きなキングサイズのベットに横たわっていた。

 左右を見る、頭が飲酒によって思考を低下させている。

 更には、襲いくる頭痛と尿意が、私をトイレへと急がせていた。

 

 

「と、トイレにいきたい・・・な?」

私は起き上がろうとしたが、傍に誰かがいることに気づいた。

 

 

 過去の私も、東條という身体も視力が悪かった。

 外の月明かりによって、私の視界がハッキリとした時、憑依人生は終了したと思う出来事が発生していた。

 

 

 

『キャスパーがほぼ全裸の状態で、私と添い寝している』

 

 

 

 最初に浮かんだのは、チェキータに殺されるシーンだった。

 彼女は間違いなく私を殺すだろう。もう終わりである。

 

 

”ココ=レーム”という計算式のように、

”チェキータ=キャスパー”も世の心理であった。

 

 

 ココは満たされない父への尊敬や信頼をレームに感じているのと同様。今いる世界において、キャスパーは満たされない母性をチェキータに求めている。

 

 

 厄介なのはレームもチェキータも、好きで親の役割を担っている点だ。つまり、キャスパーの母は、実質チェキータといっても過言ではない。つまり、私がキャスパーに手を出したことによる制裁が、近々行われるということだった。それどころか、早くも原作から大きく逸れる可能性が出てきた。今度こそ完全に終わりである。

 

 

「・・・終わった」

私は左腕を幸せそうに抱きしめているキャスパーを見つめていた。

 

 

 キャスパーを剥がそうと考えたが、彼女は力強く私を抱きしめており、離れる様子はなかった。私は悩む。今の状況で、彼女を起こしてよいものか、と。そもそも私のような者が絶世の美しい女性と一緒に、裸で寝ても良いのだろうか。そんな状況においても、自然と股間が(いき)り勃つことは不思議となかった。

 

 

 股間が勃たない理由に、キャスパーの容姿は只々(ただただ)、美しかったのだ。月華を浴びた彼女の透き通るような柔肌は、美しく消えそうなほど、やわらかい。それは頭から足先まで雪のように白く、妖艶な薄い寝間着を羽織る、彼女の身体に私は興奮よりも、信仰の念を覚えていたからだろう。

 

 

 私はそっとキャスパーに触れる。確かめるだけでは不可能な感触を私は得た。

 彼女の身体は、春の太陽のように温かく、雨季の夜にも感じる程に生を感じさせている。彼女は私のいる世界に存在していた。肌と肌を合わせて、初めて理解出来ることもあるのだ。

 

 

 私はキャスパーを静かに起こす。

 私も裸だったが、キャスパーの方に掛け布団を寄せた。

 

 

「キャスパー、起きてくれ。トイレに行きたい」

「うぅーん、トージョー?」

 

 彼女は起きた。

 腕の力が緩んだので、透かさず抜こうとしたが、私を抱きしめる力は再び強くなった。

 

 

「いっしょにいてくれ、とーじょ」

「・・・。とりあえずトイレに行かせてほしい」

良い雰囲気のところ悪いが、私は漏らしそうだった。

 

 

「絶対に戻ってくる? 約束できる?」

「するよ、キャスパー。だから頼む」

私の焦りが通じたのか、ようやく手を離してくれた。

 

 

 私はスイートルームを裸で駆け走り、トイレを見つけて飛び込んだ。

 股間から溢れるナイアガラの滝は、人生で一番の安心とは何か思い出させた。

 自分の尊厳が今、守られたのである。ましてや女性の前で漏らすわけにはいかなかった。

 

 

 再びキングベットに戻ると、彼女の姿はベッドになかった。

 彼女のいた場所からは温もりが感じられ、私と行き違いに出たと感じた。

 

 

 私は横にあったバスローブを引ったくり羽織る。ふと少し暖かな風が外から吹くのを感じた。雨季のそよ風に誘われるように、私はただ奥へと進む。彼女を追った先には、格子状の枠に、はめ込まれた幾つかの窓が一つの形となって織りなす大きい窓が連なっていた。窓達の中で一つが、横に動いており、私はそっと窓の外に出る。抜けた先にあったのは、スイートルームに併設された大きな展望テラスだった。

 

 

 

 テラスにある転落防止用の柵に座り、彼女は大きな満月と星を眺めていた。

 彼女の着ていた寝間着が純白のバティック((インドネシア特有の衣装))だと私は気づいた。彼女の姿はまるで、月を見上げる妖精のようだった。すぐに声を掛けようとした私だが、神秘的な光景が、私を彼女の元へ、沈黙のまま導いた。

 

 

「キャスパー、こんなところにいたのか」

「トージョー」

彼女の横姿を見る。

 

 彼女は柵に足を引っかけて座り、両足をただブラブラとしていた。

沈黙はまた続いた。彼女の返事を私は待つ。彼女も私の言葉を待っているような気がした。居心地が悪い沈黙を破ったのは、私の方であった。

 

 

「キャスパー、君はどうして私に執着するんだ?」

「……。トージョーは覚えていないんだね、あの夜のことを」

私は昼間にエドガーに言われたことを思い出した。

 

 

【『あの時』はありがとう】

 

 

 私は彼女に申し訳なく思った。そして過去の私(東條秋彦)にも。

 朝から黙想して思い出せなかったのだ、私の思考は諦める寸前だった。

 

 

「すまない、キャスパー。私は君との思い出のことを知らない」

「どうしてだ!? なぜ僕を思いだしてくれないんだ!!!」

彼女は私に振り向いて嘆き、涙を浮かべながら訴えた。

 

 

 その悲しそうな横顔を見た時、一つの記憶に繋がった。

 『ココ・ヘクマティアル』。彼女と『ヨナ』が分かり合えないと、最初に関係を終わらせた、”あの”顔と瓜二つだった。世界を悲観したような顔は、私の心を締め付けるように罪悪感を抱かせる。

 

 

 その瞬間の脳に記憶が流れ込む。

 頭が焼き切れるように痛く苦しかった。私は地面に頭から倒れる。「トージョー!? しっかりして! ねぇってば!!」キャスパーの声が遠く引き下がる。

 

 私は暗闇の中である記憶を思い出す。東南アジアの深夜に起きた記憶を再現していた。

 

 

 

 

 私は一人の少女と出会う。

 当時の彼女は”ココ・ヘクマティアル”に瓜二つだった。

 

 しかし、その少女は、ココとは全く違う思想だった。

 

 

 

「――僕は『世界が大好き』なんだ。今回も世界に助けられたから」

「ねぇ、知らない人。君は『世界のこと』についてどう思ってる?」

 

 

 そんなことは考えなくても、答えることが出来る。

 私の答えは最初から決まっていた。

 

 

「そうだな、俺も『世界が大好き』だ。君のような子供を助けられる世界がね」

 

 

 ああ、そうだ。

 そうだった、思い出した。

 私が若い頃、初めての任務にて、救った少女がいた。

 

 彼女を救ったのは、私の出来心だった。

 記憶の行動は、私自身の正義であり、その為なら組織を抜けても良かったのだ。

 私は結局のところ、優しいだけの人間なのかもしれない。

 それでも、私は自分の決断に後悔はしない。

 

 

 

「トージョー! 起きてトージョー!」

私を呼ぶ声がした。

 

 

 私の意識は現実に戻る。

 私は地面に背を向けて横になっており、全身に雨季の生暖かい風が吹いていた。

 頭はキャスパーの膝によって支えられ、彼は私を見下ろし涙を浮かべていた。

 

 

 頭の上から水滴が落ちる。

 雨季でも雨は降っていないのに、なぜ水滴など落ちるのか。

 それはキャスパーが私に流してくれた涙であり、雨とは比較にならない程に美しい液体だった。動かない口に涙が滴る。味は(しょ)っぱく、私を思う気持ちが伝わってきた。

 

 

 

「ありがとう、キャスパー」

「トージョー! よかった! トージョー!!!」

私は頭から抱きしめられた。

 

 ああ、星夜に照らされた女神の、なんたる優しさか。

 私はただ抱擁を受け入れ、二人は一緒にいた。

 

 

 私は起き上がる、言わなければならないことがあるからだ。

 

 

「キャスパー、記憶を思い出した」

「・・・」

「でも言わないといけないことがある。私は君が知ってる東條秋彦ではない」

女神の顔は俯いており、覗くことは出来なかった。

 

 

 雇用主、いいや。私を想ってくれる人に嘘はつけない。

 大切な人への嘘は、過去の私・今の私、そして東條秋彦という人物が許さなかった。

 

 これでどうなろうと、知ったことではない。

 ただ彼女には、私の全てを知る権利があった。

 

 

「キャスパー、聞いてくれ。私はこの世界のことを知らない。そして過去の”東條秋彦”を私は乗っ取ってしまった。それは事実であり、君の好きだった人物を葬ったことに変わりはない。だが、君と再会出来たことは嬉しいと思っている。拉致された笑顔の無い少女が、今は”自分の家族”と笑い合ってるんだから」

 

 

 私は言いたいことを全て言い切り、膝をついて空を見上げる。

 空には星が満天に輝き、満月がひっそりと輝いていた。

 

 

 キャスパーは無言のまま、私の話を聞き終えると腰にあった護身用の銃を取り出す。

 

 それでいい、私を撃ち抜け、成長した女神よ。

 

 君は私を生かすべきではない。

 いつかは君の家族を巻き込み、多くの人を不幸にするかもしれないのだから。

 

 

 月明かりに照らされた彼女の瞳には、一筋の涙が流れていた。

 口元は震え、私に問うた。

 

 

「なあ、偽物。君は『世界のこと』が好き?」

ああ、その質問を私にするのか。

 

 

 私は少し考えながら、あの夜に出来なかった表情で彼女に返答する。

 私は笑顔で、ただ優しく微笑み返した。それが私の本性なのだから。

 

 

「ああ、キャスパー。()は『世界が大好きだ』それは変わらない」

私は言い終えるとゆっくりと瞳を閉じる。

 

 

 私は拳銃にて、頭を撃ち抜かれる終焉を待った。

 閉じる最後の瞳には、壮麗な星夜と美しい女性を見納めることが出来た。

 キャスパー、君ともう少しだけ、世界を旅したいという悔いが残ったよ。

 でも、最早叶わぬ夢を抱くほど、私はロマンチストではなかった。

 

 

 

 雨季特有の夜風が吹いていた。

 私は一向に撃たれる気配がない。

 そして次の瞬間に飛び込んできた感触は、人肌の感触だった。

 

 

「君は”偽物”なんかじゃない」

私を抱きしめている女神はいった。

 

 

「君は東條秋彦だ。『世界を大好きな』トージョーのまま、なんだよ」

彼女は言葉を続ける。

 

 

「だからどうか、僕を一人にしないでくれ、もう何処かに行こうとしないでくれ」

彼女は神に祈るかのように、私に言った。

 

 

「僕はね、君が好きなんだ。世界の誰よりも、チェキータさんや仲間よりも」

彼女の語り口は私にではなく、世界に語りかけるようだった。

 

 

「僕と同じ『世界が好きな』君よ。どうか離れないでくれ、僕のものになってくれ」

その懇願は熱を帯びているようで、裏には数え切れない不安が隠れ見えた。

 

 

 私も彼女も世界で『一人ぼっち』だった。

 どれだけ笑顔を作っても、部下に優しくされても、理解されない一人の怪物(ヨルムンガンド)

 

 

 彼女は今でも、心の内は孤独で、耐えていたのだ。

 

 

 そして怪物は”(理解者)”を見つけた。

 ならば彼女に答えよう、その相手が私であるならば。

 

 

 私は立ち上がり、抱きしめ返して、キャスパーの顔を撫でた。

 

「こんな誰とも知らない存在が、君と共に生きていいのか?」

「生き延びて、ただ僕だけを見てくれ、トージョー」

 

 

 私は返事を強く抱きしめることにより、肯定した。

 キャスパー。君をこの狂った世界で守ろう。

 願わくば、ヨルムンガンドが暴れるその日まで。

 

 

 壮麗な星と月は、ただ怪物を祝福し、輝いていた。

 

 

 

 

 

 

『私は一人の怪物(ヨルムンガンド)と旅をした――大切な君を守るため』

 

 

 




次回予告:『私の可愛い子供達』
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