ご注意ください
『親心と老いらくの恋はね、似ているものなのよ』
彼との出会いは私の
印象? そうね、私は良いと思うわよ。なぜなら、キャスパーとの付き合いで、いきなり親しくしていた姿を私は見たことがなかったから。あれほど男性に惚れ込む様子は私だって『親』として嫉妬するぐらいには羨ましかった。
チェキータは現在、マンションの屋上にいた。
彼女がいる屋上は、借りていたホテルと同等の高さがあり、対角線上にある。自分達が宿泊するホテルの展望テラスを、現在の場所から監視することが出来た。彼女は”静かに”体を伏せながら、監視を続けている。
チェキータの周辺には、幾人かの死体が転がっている。
死の要因は容易に説明が出来る。対象者はナイフによる刺し傷で命を落としたことが確認出来た。致命傷は全て”一撃必殺”で行われ、抵抗した痕跡すら、そこには存在しなかった。全ての死体は共通して、首の大動脈を切断されている。信じられないほどの緻密な斬撃は、プロフェッショナルの仕業であり、マンションの屋上において、実行できる者はチェキータ以外、存在しなかった。
チェキータは、ただ沈黙のままに、対象者二人の観察を続ける。
”子供達”の愛を観劇しながら。
覗き見はチェキータの趣味ではなかったが、キャスパー・ヘクマティアルのことにおいて、彼女に慢心などありえない。だから、新しい子供を注視する。仲間の監視も彼女の大事な仕事であり、家族を守るという大黒柱の役目であった。
テラス奥で眠っている二人を確認しながら、彼女は自分の過去を思い出していた。
彼と似た知っている人物、Gという男性を想った。
トージョーのような存在は、チェキータという女性にとって、二度目の経験だった。
☆☆☆
私は傭兵稼業に長い間、在籍している。
どのくらいと言っても、”ソ連崩壊後”からと言えば分かるかしら。
私の出自は不明だ。
なぜ自分のことぐらい分からないのか、ですって?
それは私に家族という存在が、最初はいなかった
物語の悪党には終わりがつきものでしょ?
悪
しかし、終わりは始まりに過ぎなかった。
私は死罪になるはずだったのに、一人の軍人が私を生かした。彼は自らを”G”と名乗った。最初は性的な目的で生かされるのじゃないかって、反抗したわ。でも、Gは違った。彼は自分の跡継ぎが欲しいと私に訴えたの。卓越した自分の諜報・戦闘技術を習得出来る。才能溢れる人物を彼は探していた。つまりは彼のお眼鏡にかなったというわけね。そして彼との訓練が始まり、私の第二の人生が始まった。
Gは凄い男だった。
今、離婚中の”
人殺しなんて、砂遊びのように思える内容で、人間の倫理を平気で逸脱し、その上で目的を達成する様々な方法を教えられたわ。そして、対極的な道徳などの模範的倫理も教えてくれた。『表と裏、両方を知らなければ人間を理解するのは難しい』それが彼の口癖だった。
訓練を終えた時、齢は成人を超えていた。
私は彼の伝手で国内にて多くの仕事をこなしていた。国内外の諜報員として、またはテロリストの一員として、軍事・諜報活動の両方を任されていた。
その活動の最中に出会ったのが、元デルタフォースの『レーム・ブリック』ってわけ。勿論、敵として、何度か接触したこともあるわ。互いに多くの仲間を殺し合い、協力し合った仲だった。彼への感情は次第に憎しみから愛に変わり、決定的になったのは、私の師匠暗殺をデルタフォースが決行する前日だった。
いつもは無愛想でヘラヘラ笑っているあの人だけれど、師匠のことを伝えてきた時は焦っていた。私達が使用していた秘密の回線で連絡があった時、また国外任務を失敗でもしたから、肩代わりを手伝ってくれ――なんて、私は想像していたわ。だけど、通信の声は、私に今すぐ逃げろの一点張り。そして、私の師匠が、デルタフォースの標的になっていることを伝えてくれた。そうよ、これはレーム・ブリックという男が、生涯で一度だけ行った、スパイ活動だった。国家の要であるデルタフォースが愛する女のために、スパイ行為をするなんておかしな話でしょ。
でも、彼の愛は確かに伝わった。本当に嬉しかったのよ。私は彼に対して「今までありがとう、愛していたわ。レーム」と、さよならの言葉を呟いて、電話を切った。私は全力で、任務先から戻った。師匠がいつも住んでいる教会を目指してね。私も師匠と一緒に死ぬつもりだった。しかし、全ては遅かった。夜遅くに私が着いた時、師匠は毒による自死を選んでいた。教会にある懺悔室で、彼は神に祈るように、静かに微笑みながらこの世を去っていた。
そして机には、一枚のメモと大量の書類が入ったトランクケースが置いてあった。
私はメモを取る。
メモは師匠からの伝言だった。
「チェキータ、私の最愛の娘よ、私からの最終任務を伝える。私の全てをデルタフォースに持って行くのだ。彼らは私の身柄と機密情報が入ったトランクを待っている。君の身柄は、デルタフォースが保証してくれるだろう。私の死は君が愛する”あの男”に相談した結果だ。私は長く生き過ぎた。いつかは、死なねばならぬ日が来る。最期が今日だった、それだけのことだ。チェキータ、君を親として愛している。 ――Gより」
私はこの世に生まれて、初めて泣いた。Gの亡骸を胸に抱きながら。
二度目の人生で大切なことを教えてくれたのは、師匠だった。色々な感情が混濁して、訳も分からず、私は泣いていた。私は赤ん坊の頃に忘れていた、”哀しい”という感情を大切な人を失うことで、初めて取り戻した。師匠は自分の死でさえ、私への教育に昇華したのだと、今なら理解できる。
育て親の死。彼が最後に施した教育により、
『チェキータ』という一人の女が完成した。
私は教会を後にして、約束の集合地点になっていた公園に向かった。公園にはレームがいて、私に何ともいえない表情を向けながら立っていた。私はトランクケースを引き渡すが、Gの遺体は渡さなかった。その様子を見て、彼は一言「合衆国政府が欲していたのは、彼の完全なる死と全ての機密情報だけだ」と言い残し、私の元を去ろうとした。私は師匠をベンチに腰掛けさせ、レームに向かう。私はレーム・ブリックとフレンチ・キスを一度した後、彼と別れた。
公園を後にして、私は亡き師匠と自らが死ぬ場所を求め続け、モスクワ中を歩き回っていた。凍てつく寒さが、私を襲い、凍死寸前となっていた。ああ、これでようやく死ねると思ったところに、”あの女”が現れたの。
「フフフ、なんてかわいそうな”
女は瀕死の私を見て、あろうことか面白そうに笑ったの。
「ねぇ、メドヴェーチ。私が手伝ってあげましょうか?」
悪魔のような提案をした女は、
私は悪魔の言葉に頷いた。
師と共に相応しい場所へ埋めてくれ。それだけを願った。
しかし、私の嘆願を彼女は心底嫌そうな顔をして答えた。
「私に利益が無い提案は嫌いなの。男性を埋葬する代わりに貴女の命を頂戴?」
彼女には感情などなく、悪魔のような顔をしていた。
彼女の意志を汲むのは、本当に悪魔と契約するようで……。
私の意識はそこで途切れた。
次に起きた時は、医療ベッドの上だった。
私が見回すと、病室の窓辺にあの女がいた。
「起きた? 彼はきちんと埋葬したわよ、メドヴェーチ。それじゃ改めて、返事を聞かせて貰えないかしら?」
私はただ頷いた、悪魔の顔を伺いながら。
「いい返事ね、それじゃあよろしく! 私は『フロイド・ヘクマティアル』っていうの!」
悪魔のような笑顔は天使の顔に変わった。
彼女との契約から私は三回目の人生が始まった。
☆☆☆
チェキータは、スコープ越しの観察に集中する。
そう、トージョーは”
彼はスラヴ系の人種だったが、髪は墨色だった。
喜怒哀楽の表情が”G”に似ていたのだ。
彼への愛情は、世界に似つかわしくない彼の優しさが、私に響いたのか。彼の出生の秘密が、孤児であることも、世間を知らぬ才能の塊だということも、自分の生い立ちに似ていた。生い立ちの類似性が、彼を気にかけた理由かもしれない。
丁度、キャスパーとトージョーは展望テラスに出て、何かを言い合っていた。
トージョーは何かを告白していた。流石に長距離、夜間のスコープ越しでは、読唇術など使えるはずもなかった。キャスパーは彼の方を振り返る。彼女の瞳は悲しそうな、初めて顔を合わせた時の顔であった。ああ、キャスパー、そんな顔をしては駄目。男が逃げてしまうわ。
キャスパーが振り返った直後、トージョーは倒れた。
彼女の膝を枕にして、トージョーはただ眠った。倒れた彼を抱いて、キャスパーは天に仰ぐように泣いていた。私は助けに入るか迷った。しかし、私は考え抜いた挙げ句に静観を決める。彼らの問題に関わるべきではないと、生まれながらの本能が囁いたからだ。
少し後、トージョーの目が開いた。キャスパーは喜んで彼を抱きしめた。
次に彼は何かを言っている。
キャスパーは黙って俯き、聞き入っていた。
彼女の顔は、最初は驚いていたが、次第に酷く物悲しげに笑っていた。
トージョーは全てを言い終えると、膝を突いて天を仰いだ。
キャスパーは儚げに笑い、腰にあった拳銃を取り出し、トージョーの頭に銃口を置いた。
ああ、キャスパー。 彼を殺してはいけない。
『貴女には理解者が必要なのだから』
私は今度こそ、手に掛けたサイレンサー付きライフルの引き金を引こうとした。
キャスパーの拳銃だけを落とすために銃弾を放つ。私にはその程度の狙撃、息をするように可能なはずだった。だが、手が震えていた。師匠が死んだ日のように、私の手は使い物にならなかった。ああ、キャスパー。私の娘、彼を殺すことだけはダメ。一度、愛した者を殺すことだけは絶対にやめて。
私は静観することしか、出来なくなっていた。
しかし、スコープ越しのキャスパーは、銃口を下に向けると、彼を強く抱きしめた。震えたキャスパーは、弱さを自覚した子供のように、トージョーを求めた。
”子供達”は互いに生きることを選んだ。
トージョーは立ち上がり、キャスパーを強く抱きしめた。
彼らが互いを求め合った時、手の震えは止まり、心が温かくなった。
キャスパー、貴女は今、トージョーと共に生きる道を選んだのね。
素直に貴女が羨ましい。私には無かった選択肢を選んだのだから。
目の前にいる男性を大事にしなさい、キャスパー。トージョーは貴女の人生を導いてくれる大きな
彼でも無理なら、お姉さんに任せて頂戴。
『全て殺してあげるから』
その契約は”悪魔”との約束。
そして貴女を育てると決めた、親の務めなのだから。
マンションの屋上には首を切られた死体達が取り残された。
チェキータは雨季の風と同じように、湿り気だけを残して消えた。
その日は
チェキータの師が自死した時のように、星々が満天に広がる夜であった。
次回予告:『オペレーション・モンスターキル』