『俺は彼を、裏切れない』
「レナード。この度、課長に昇進することになったよ」
「ほんとうか、ソウ。おめでとう」
イタリアの何処か田舎町。二人の男が静かに話し合っていた。
椅子に腰掛ける一人は俺、レナード・ソッチ。
元イタリア陸軍情報担当少尉で、現在はCIAエージェントをやっている。以前は、ボスニアで勃発した内戦にて、情報工作の任務に就いていた。
内戦が終結した現在では、イタリア国防軍を辞して、彼の指揮下に入った。目の前にいる男は通称『
だが、ブックマンの様子は、いつものように、何事にも動揺しない、ポーカーフェイスを保つことが出来ていなかった。彼は太ってはいたが、汗をかかない。そのことを俺は知っていたので、何かがおかしいと思った。が、今日のソウは大量の汗を首から下へ滴らせていた。彼は自身の昇進程度で、俺を呼ぶはずがない。そのことは、最初から見当がついていた。
「話せよ、ソウ。長い付き合いじゃないか」
「……」
ソウは黙っていた。彼の瞳はいつものように動かない。
彼は困った時に黙る男ではない。危険性が高い案件を抱え、既に作戦が終わった時、黙る癖があった。今回の件は、間違いなく彼の昇進に関わっていた。
「なあソウ、俺に相談があって来たんじゃないか?」
「……ああ、そうだ。レナード、これを見てもらえるか」
ソウは懐から一枚の写真を取り出した。彼が取り出したのはある人物の写真だった。
汗で少し湿った、写真は奇妙だった、元情報担当少尉である俺の目を通してもヤバいブツだと分かるほどに。それは監視カメラの写真だ。人物は”一切”映っていない。だが、写真はボヤけていた。なにかの修正が施されていると気づいた俺は、ソウに質問した。
「この写真……加工が入ってないか?」
「『元情報担当少尉』でも初めて見る現象か」
ソウは俺を真っ直ぐに見つめる。
「『写真の人物』にCIAエージェント、そして多くの現地協力者が無力化された。その数は数十人に及ぶ。全ての人物が意識を絶たれ、特徴すら記憶出来なかったほどだ」
「馬鹿な! 俺達が生きている世界は映画じゃないんだぜ、ソウ。そんなおとぎ話が、あるはずはない」
俺はあまりのことに立ち上がり、ソウの言葉が真実だと思えなかった。
別に俺はCIAという組織を信仰しているわけでもない。だが、正規の訓練された諜報員と、協力者である武装組織が、写っているはずの人物のみに、制圧されるなど、到底信じられない話だった。そんなのは”おとぎ話”の類いだ。本物の戦場では、個よりも集団が全てだ。集団行動の重要性は、俺が軍隊に入隊した時から、嫌というほど教えられたことであり、俺の考えは経験に基づく判断であった。
「落ち着いてくれ、レナード。私が課長に昇進したのは、前任の女課長が写真にいるであろう人物のせいで、ヘマをしたからだ」
「”ヘマ”ってどんな内容なんだ、そしてなぜ、俺にこの話を持ちかけた?」
俺はソウが何を任せたいのか、なぜこの話をしたのか、理解が出来なかった。
「レナード、私達は当初、失敗した計画を『オペレーション・モンスターキル』と呼んでいた。内容はHCLI創業者、フロイド・ヘクマティアルを脅すために、キャスパーを誘拐する計画だった。だが、計画はとある人物の介入により、放棄せざるをえなくなった。私達はこの人物を『
ソウが、また一枚の写真を取り出す。そこにはアジア系の男が写っていた。
「名前を『東條秋彦』という。最近になって、突如インドネシア国内に現れた。日本の暗部『SR班』という組織を抜けてな。現在は『キャスパー・ヘクマティアル』の元にいるらしい」
「ソウ、さっきから出ている名前は……」
俺は”ヘクマティアル”という名前を聞いて、心がザワついた。
「ああ、レナード。私はついにあの計画を実行する」
「『オペレーション・アンダーシャフト』だな」
俺は彼の意図を汲み取る。
オペレーション・アンダーシャフトの内容はこうだ。ブックマンが俺を、武器商人ココ・ヘクマティアルの私兵へ侵入させ、内側から情報を抜き取り、彼女を資金源とし、傀儡とする計画である。計画はブックマンが課長に昇進する前から立案され、幾度となく段階を積み重ね修正されてきた極秘事項であった。だが、気になることがある。何故、東條秋彦という人物のことを、俺に教えたのだろうか。
「なあ、ソウ。どうして、オペレーション・アンダーシャフトに、東條って男が関係するんだ?」
「分からないか、レナード。今回の計画において、不確定要素は彼のみだ。彼は私の前任者が、発案した計画を最終段階で防ぎ、更には計画の存続を不可能にさせる武力を”単独”で持ち合わせている」
俺は東條という人物を見る。写真で確認する限り、そんな大物とは思えなかった。
「こいつを買い被りすぎだ、ソウ。彼を気にすることはない」
「共謀者である君は知っているだろう、ココとキャスパーの関係を」
「ああ、仲はあまり良くないが、仕事は持ちつ持たれつって、ソウから聞いた覚えがある」
「そうだ。つまり、両者は”近しい存在”なのだよ」
ソウは話を続ける。彼の流す汗が増えたかのように思えた。
「なぜ東條が『人狼』と呼ばれるか知っているか?」
「んん? 人狼にでも化けられるからか」
「あながち間違いではない。彼は
そんな馬鹿な。
「驚くのはまだ早い。この記録には長距離狙撃なども含まれている」
「じゃあ、”ラッキーマン”とでも呼ぶべきじゃないのか?」
「次の映像を見ても、その冗談は言えるかな?」
ソウは携帯情報端末を取り出した。彼はボタンを押し、動画が再生される。
動画の内容は、カンボジアで移動するキャスパーの様子を、小型望遠スコープで記録したものであり、横にはいつも東條秋彦がいた。カメラマンは遠距離から、彼らの存在を撮影している。だが、キャスパーにピントを合わせた瞬間、東條秋彦が介入し、こちらを見ているではないか。撮影者のCIA諜報員は驚き、観測機械を落としてしまったようだ。
「この映像は何キロ先を捉えているんだ?」
「空気が淀んだ町中で、推定距離が約1kmだ」
「そんな馬鹿な・・・」
動画はそれだけに終わらなかった。
キャスパー・ヘクマティアルが地元の武力集団に、襲われた際の動画が再生される。東條は、他のキャスパーに雇われた私兵と同じ武装をしていたが、戦闘が開始されると同時に、黒いマスクを着用した。瞬間、カメラから彼の全てが”一切”消えた。後に映し出されたのは、一方的な虐殺だった。透明人間に投げられ、叩きつけられ、気を失う武装集団達。そこへ
動画は全てを物語っていた。
格闘・戦闘技術、そして予知ともいうべき察知能力。どれもが歴戦の軍人達を遙かに凌駕している。もう一人の女も、驚くべき戦闘技術だと感心したが、東條秋彦は彼女以上に、全てが謎に包まれていた。ここまでの人物が、なぜ武器商人に取り憑いたのか。俺には皆目見当もつかなかった。
ソウは俺を見てニヤリと笑う。
「興味を持ったようで何よりだよ、レナード」
「興味じゃない、恐怖だ」
「恐怖だと? 君が珍しいな」
「あれは人狼だ。人間とは到底呼べない」
俺は全てを昏倒させて状況を終了した、東條秋彦を見た。
その表情には敵への慈悲も、味方への優しさなども『感じられなかった』。
東條の瞳は、地面を見つめながら笑っていた。
感情がない殺戮マシーンであれば良かった。それならば、まだ訓練されている兵士だと、理解できたのに。目の前にある狂気的な微笑みはなんだ? 何が嬉しい? 何が面白い? 一体、この怪物は何を思っているのか。俺には理解が出来るはずもない。正しくその顔は、『人狼』だった。
「と、いうわけだ。レナード」
「段々分かってきたぜ、ソウ。つまりは
「ご名答、オペレーション・アンダーシャフトには二つの目的が出来た」
ソウは想定外の存在を加えて、計画の変更を決定した。
「一つは当初と変わりない。”ココ・ヘクマティアル”を操ること」
「もう一つは?」
「”東條秋彦”への接触と懐柔を目的とする」
ああ、悪い癖だ。ソウはこの”怪物”でさえ利用しようというのか。
分かったよ、ソウ。
俺はあんたを裏切れない。それは多大な貸しが過去にあり、俺はあんたの友だからだ。
でも、気をつけてくれよ。”ココ・ヘクマティアル”より、あんたが注視しなきゃならないのは、人狼かもしれないってことをな。
「だが、懐柔は兎も角、接触はどうやって図るんだ? 奴はキャスパーの配下だろ」
「そこは私の勘だが、彼も後に”ココ・ヘクマティアル”と接触するはずだ」
「奴が接触することを、どうして予想出来る? 第一キャスパーは彼を絶対に手放さない」
「さあ、そいつはどうかな? 世界の情勢はいつも変わり続けるものだよ」
ソウはニヤリと笑う。見慣れた彼の表情は未来への布石か、不可解な存在への
俺達はその後、食事を終えて帰路についた。
ソウはブックマンの顔に戻り、俺へ質問を投げる。
「アール、空には怪物がいると思うか?」
「いないさ、怪物なら地上で既に見たよ」
二人は笑いながら別れた。
次の集合まで自らの仕事を成すために。
次回予告:『異邦人は南アフリカより来たる』