Hi!my name is Intrepid-kurogane(黒鉄).
海神警備・岩川台営業所の艦娘よ。
この日私は、初めてロシア艦のガングートと一緒に任務…お仕事に赴いた。
それで、そのお仕事が無事に完了したその日の夕方。
岩川台営業所に帰還した私とガングートは、営業所敷地内にある居酒屋「鳳翔」で、打ち上げとして夕食を一緒に取ることになった。
「えーと、とりあえず唐揚げと…シーザーサラダと…おにぎりを三つ、具はなしで。」
「あ、あと、ビール。バドで。」
私が注文すると、ガングートも続けて注文した。
「私は…そうだな…フライドポテトを大盛りで、それと串カツ、あとは…この照り焼きチキンとアボカドのサラダというヤツをもらおうか。」
「それから、ビール。カールスバーグを頼む。」
鳳翔さんのお店は、メニューもお酒の品揃えもとても豊富だ。
いかにもJapaneseな雰囲気な雰囲気のお店だけど、メニューにはなぜかフィッシュアンドチップスまであったりする。
ビール一つを見ても日本のビールだけじゃなくて、バドワイザーもあればハイネケンもあって、もちろんカールスバーグもカールスブロイもあるんだけど…。
ガングートがカールスバーグを注文したとき、私は思わず声を出してしまった。
「あれっ?」
「?何だ?」
「いや…ウォッカじゃないんだなーと思って。」
「ロシア艦娘が飲む酒はヴォートカと相場が決まっている、というのは偏見というものだ。」
「ああ、まあ、それもそうよね。」
「偏見と言えば…そういえばあなたって、あんまり『万国の労働者よ、団結せよ!』みたいなこと言わないのね。」
「ソヴィエト艦娘と言ってもいろいろ、ソヴィエト人民と言ってもいろいろだ。」
「人民が皆そんな『優等生』ばかりだったら、アネクドートなんてものも発達しなかっただろう。」
「白状するが、私にもいくつかお気に入りのネタはある。」
「他所の鎮守府には『革命の時は今!』とか『共産主義社会の実現を!』とか言っているソヴィエト艦娘もいるようだが。」
「その連中だって時計の針を戻すことは出来ないと言うことなど、重々承知していることだろう。」
「その連中が革命とか共産主義とかを口にしているのは…。」
「『ソヴィエト連邦に郷愁を感じない者には感情がない、ソヴィエト連邦の復興を望む者には知性がない。』」
「この言葉が示しているような気持ちの表れなのだろう。」
「お前は、私があまり『万国の労働者よ、団結せよ!』みたいなことを言わない、と言ったが。」
「私だってソヴィエト連邦には郷愁を感じている。」
「もっとも、私にとってのソヴィエト連邦とあの男にとってのソヴィエト連邦では、その言葉が示す意味内容に違いがあるようだが。」
「え?」
「いや、何でもない。忘れてくれ。」
ガングートが話していると、私たちのテーブルに、注文したバドワイザーとカールスバーグのグラスが置かれた。
「まずは、お仕事の完了を祝して、cheers!」
「ваше здоровье!」
乾杯の後、ガングートは話を続けた。
「…私が人間の姿を得たとき、共産主義を標榜する国々は軒並み姿を消していたが、それでも貧富の差とか、格差と言った言葉は死語にはなっていなかった。」
「人間の姿を得て、私もネットというものに触れるようになった。」
「そうしてネットに触れていると、格差に憤り、正義と公正を希求する声というやつを見かけることもある。」
「理知的で冷静・的確な意見から、私の目から見ても愚劣・身勝手な愚痴まで、様々な声だ。」
「それでも人間社会には、まだ不公正や公正・正義に対する関心が残っている。」
ガングートはカールスバーグをもう一口して、続けた。
「艦娘の私には参政権があるわけではないが。」
「それでも『平等・公平』を―――建前としてだけでも―――掲げた国にいたからなのか、富や豊かさ、その分配といったことについては興味を持ってしまう。」
「この時代のこの国に顕現して、気がつけば、富や豊かさ…経済学について学び、思索することが、私の趣味になっていたよ。」
どこかで変なスイッチが入ったかのように、ガングートはこう語った。
ガングートの語りを一通り聞いてから、私は彼女に尋ねた。
「えーと…それって、今無性に経済学の話がしたいってことなのかしら?」
「まあ、そういうことになるかな。」
こうして私はガングートと経済学の話をすることになってしまった。
注文した料理が、テーブルに並べられた。
「経済学について学び、思索したと言っても、私も素人。」
「ソヴィエト艦といえば、マルクス経済学については詳しいだろうと思われるかもしれないが。」
「そうでもない。私のマルクス経済学についての知識など、簡単な入門書を流し読みすれば、直ぐ頭に入れられる程度のものでしかない。」
「人間の姿を得て、正直このことには愕然としてしまったものだが。」
「経済学については興味があるってだけで、専門家というわけでもなければ、詳しいってわけでもないってことね。」
「それについては私もあまり偉そうなことは言えないわ。」
「他所の鎮守府には株とか国債とか、FXとかでそれなりに成功してるイントレピッドもいるようだけど。」
「私自身の経済についての知識って言ったら、高校の学習参考書程度のものよ。」
「しかも納得いかない点があるのに、そこは放ったらかしのままになってたりするわ。」
「あまり厳しい質問は飛んでこない、と安心させてもらうとしようか。」
「ある少女が海岸でアザラシを殴り殺し、肉は美味しくいただき、皮や骨、内臓は加工して諸々の用に供せるようにしたとしよう。」
「アザラシを殴り殺すって…。」
「いや、秋雲が所蔵している漫画にそんなシーンがあったんだ。何と言うか、妙に印象に残るシーンでな。こういう機会があったら是非引用しようと思っていたのだ。」
「で、このとき殴り殺したアザラシの『使い途』だが…。」
アザラシの使い途
=肉(殴り殺したときの消費カロリーを補充)+骨や皮、内臓などからの加工品
「カロリー補充というならタンパク質より炭水化物の方が良いんじゃないか、という
「何か算数の『仕入れ値と利益』の問題みたいね。」
「実はそれを意識している。こう書くと、カロリー補充のために食した肉が仕入れ値というか、費用に見える。また、加工品の部分は利益に見える。」
「アダム・スミスが言ったように、加工品や保存食という必需品、便益品が利益であり、富というわけね。」
「結局そういうことになるのだが…私としては『何かができること』こそが富である、という見方を提示したい。」
「アザラシを殴り殺したとき、その肉を食すことで、カロリーを補充してもう一度アザラシを殴り殺すことが
「骨や皮、内臓などから加工品を拵えれば、他のことをすることも
アザラシという獲物の価値
=もう一度アザラシを殴り殺すことが
+その他のことをすることも
「この、
「その、
「マルクスの経済学では、生産物とか商品の価値はそれを生産したり入手したりするために為された仕事・労働の量によって決まると聞いたことがあるんだけど。」
「あなたはモノの価値は労働ではなく効用によって決まるという立場に立つの?」
「モノの価値を決めるのは労働か、効用かと言うが、そこはそんなにハッキリさせなくても良いんじゃないかと思っている。」
「何かが
もう一度アザラシを殴り殺すことが
=実際にアザラシを殴り殺すという仕事・労働
↓
アザラシという獲物の価値
=実際にアザラシを殴り殺すという仕事・労働(肉)
+その他のことをすることも
「アザラシという獲物の価値は何かが
ここで私は、少し意地の悪い質問をしてみた。
「なるほど…ところでこれって、物理学で言う『仕事』と、社会科学で言う『労働』を混同してるようにも見えるけど。」
すると…
「うむ、敢えて混同した。専門家から問題点を指摘されたら、反論できる自信はない。」
…ガングートは堂々とこう言い放った。
「アザラシを殴り殺し、肉は美味しくいただき、骨や皮、内臓は加工して諸々の用に供せるようにした。」
「この一連の行動をどう評価する?」
「え?ひょ、評価って…。」
「この行動は成功だったのか?失敗だったのか?」
「成功か失敗かで言うんだったら…そりゃあ成功だったんじゃない?」
「何故そう評価した?」
「何故って…お肉を美味しくいただくことで元は取れているわけだし、加工品によっていろいろなことが
「すると、成功するということがどういうことなのか、一つの目安ができたことになるな。」
「と言うと?」
「成功とは、昨日できなかったことが、今日
「失敗とは、昨日できたことが、今日
「そして『いつも通り』とは…昨日できたことが、今日も
「だから経済学とは…失敗を避け、『いつも通り』を維持し、成功に至る路を模索する学問だと言える。」
「経済学は
酒の席に相応しくないような、相応しいような一言で、ガングートの話は一旦一区切りがついた。
私は二杯目のバドワイザーを注文し、ガングートも同じく二杯目のカールスバーグを注文した。
二杯目のバドに口をつけて、私はガングートに尋ねた。
「経済学は失敗を回避し、『いつも通り』を維持し、成功に至る路を模索する学問…ね。」
「それで、成功とは、昨日できなかったことが、今日
「それで、ガングート?あなたは『成功に至る路』は何だと思ってるの?」
「そうだな…一言で言うと…『遊ぶこと』かな。」
「遊ぶこと?」
「そうだ。」
「成功とは、昨日できなかったことが、今日
「それは例えば、蒸気機関の発明・改良によって大量生産が
「気球や飛行船、飛行機の発明によって空を行くことが
「ロケットを用いることでさらに宇宙にまで行くことが
「こういったことを
「お前の言う科学技術の進歩・発展はというものは、本を正せば遊びなのだ。」
「ええ?」
「十九世紀のイギリスで、ある政治家がマイケル・ファラデーに尋ねた。」
「『電気は一体何の役に立つのか?』と。」
「このときファラデーがどう答えたのかは私も知らない。」
「しかしファラデーは『何の役にも立たないじゃないか』と言われても、電気の研究を続けた。(電気の研究だけしていたわけではないが。)」
「ファラデーは電気で
「ファラデー以降も、多くの科学者・技術者が電気で
「現在、電気は何かの役に立つどころか、これ無しでは社会が成り立たないが。」
「そもそも電気について研究することは、何のためでもない、それ自体が面白く、興味深いこと…遊びだったのだ。」
カールスバーグを一口して、ガングートは続けた。
「
「実際人間は遊ぶことによって、遊び続けることによって生き、道を切り拓いてきたと言えるだろう。」
頬張った唐揚げを飲み込んで、私は言った。
「でもそうして遊ぶことを推されると『アリとキリギリス』の教訓に言及したくなるのよね。」
「あの寓話は人類社会に呪いをかけてるんじゃないかと、私は思っている。」
「あの寓話の教訓が『勤労に専心する者は生き延び、遊びに興ずる者は滅びる』ということだとすると、人間は
「それは人間が生きる意味を見失うと言うことだが、話はそれだけでは済まない。」
「生きる意味を見失った人間は
「富が、資本が無意味・盲目的に増殖し始めたらどうなるか…労働者は搾取され、資本家は結局富・資本の奴隷となり、地球資源は意味もなく食い潰されてしまうだろう。」
「まあそうなれば、共産主義革命にもう一度機会が訪れることになるわけだが。」
カールスバーグのグラスを半分まで空けて、ガングートはさらに続けた。
「富とは、豊かさとは『何かができること』だ。」
「生きることは遊ぶこと、遊ぶことは生きること。」
「そして新しい『できること』は、そうして生きる中で、遊ぶ中から見出される。」
「遊びを軽んずることは、人間が生きる意味を見失わせるだけではなく、無意味・盲目的な富・資本の増殖を招来する。」
「無意味・盲目的な富・資本の増殖は労働者を搾取し、資本家を奴隷とし、地球資源を意味もなく食い潰してしまう。」
「だから人間にとって意味のある豊かさとは、遊ぶことから、本当の意味で生きることから見出されるものなのだ、ということになる…だろう。」