これが、私達のキセキ   作:チャリタク

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The Last Stand

絶えず上がる歓声と、高くしなやかな音を立てて進む2輪の車。チームレグルスの全員が、固唾を飲んで最終コーナーを見ていた。

逆転まで、残り40秒。

 

─◆◇─

 

『引退レース?』

 

 

夏の残り香が少しずつ影を潜めていく昼下がり。トレーナー室に呼ばれたのは、チームレグルス全員だ。

〈話がある。全員で来てくれ〉

簡潔な文面で呼ばれ、各々好きな場所に座るや否や、トレーナーは開口一番そう告げた。誰も身に覚えのない言葉を聞いたものだから訝しんでいると、彼は思い出したように付け加えた。

 

 

「引退っつってもアレだぞ、お前らのじゃなくて俺のだからな」

「……あ、もしかして自転車の?」

 

 

ピンときたスカイが聞く。どうやら正解したらしい。

 

 

「そうそれ、長距離走で並走するのに乗ってたろ俺」

「最初に聞いた時は冗談かと思いましたよ、普通は乗っても出来ないもん」

 

 

ウマ娘がトレーニングで長距離走をする際、トレーナーが並走するには車がバイクを使うのが常識である。にも関わらず、自分達のトレーナーは自転車で、もっと言えばロードバイクで並走していた。

曰く「スパートさえしなければ丁度いい速さ」らしい。

スパートしなくても人間の全速力より速いんだけどなぁ。

という言葉を飲み込み、続きを促した。

 

 

「自転車ってことは大会があるんですよね、どこでやるんです?」

「本番は来月の14日、場所は岡山県だ。残り1ヶ月だし、そろそろ追い込み掛けたいから予め言っとこうと思って」

『……』

 

 

全員、口を閉ざす。頭では分かっている。そんな雰囲気で話をしている訳でもない。でも、無いとは言い切れない。

 

 

「どした? 質問あんなら受け付けるぞ」

「……」

『……』

 

 

左右に視線を移す。ことごとく首を縦に振られ、観念して額に手を当てた。全員の意思を汲み取り、スカイが質問する。

 

 

「引退ってどういうことですか? まさかトレーナー業辞めちゃうとか言いませんよね?」

「あぁ違う違う、辞めるのはトレーナー業じゃなくて自転車な。これ獲って終わりにする」

「お、勝利宣言とはやりますなぁ」

 

 

安心し、癖で反射的に揶揄う。他のメンバーも心なしか表情が和らいで見える。"まぁ知ってたけどね"と言わんばかりだ。

けれど続く言葉を聞くと、誰からもその表情が消え失せた。

 

 

「……まぁ、約束したからな」

 

 

時間にすれば、わずか数秒の小さな呟き。なにか物音でも立てていたら、聞き逃していただろう。

たった一言。けれどそこには、一朝一夕で収まらない年月があると全員が理解した。

 

 

「そーゆー訳だからさ、暇だったらレース見に来てくれよ」

「もちろん応援しに行きますけど、私たち自転車なんて分かりませんよ?」

「ダイジョブだって。知りたいならある程度は教えるし、ぜってえ退屈させねえから」

 

 

上がる口角に対し、鋭くなる眼光。奥に潜む獣が、静かに牙を研いでいた。

 

─◆◇─

 

迎えた当日。一向はレンタカーを借り、マルゼンスキーにハンドルを握らせた。行き先は、過去にアイルトン・セナやミハエル・シューマッハも走った、F1パシフィックGPを開催したFIA国際公認コース。

岡山国際サーキットだ。

若干顔色を悪くした一向が正面入り口に到着し、唯一気持ち良さそうにワンボックスを運転するマルゼンスキーが、係員の指示でサーキットの奥へ車を走らせる。

助手席に座るトレーナーが、空を仰ぎながら囁いた。

 

 

「う、運転ありがとな……おかげで予想より早く着いたわ……」

「気にしないで、サイッコーに楽しかったから!」

「お、おう……さて」

 

 

一般向けに駐車場があるものの、全てが舗装された訳じゃない。敷地内にある限られた場所しか舗装されておらず、他は砂利が剥き出しだ。

コースからも遠くなるため、早めに現地入りする必要がある。ハンドルが彼女に渡るのは必然だった。

トレーナーがスマホを取り出し、先に来ている両親と連絡を取る。サーキットと駐車場を繋ぐ連絡通路から離れた場所に止めたようで、両親の横へ着けさせた。

車から降りて、深呼吸をしてから挨拶した。

 

 

「よっす、久しぶり」

「おぉ、元気しとったか」

「たった今死にかけたけどな」

 

 

視線をマルゼンスキー達に向け、全員降りてくるよう手招きした。

 

 

「知ってるだろうけど紹介するよ、こっちがうちのチームレグルス」

「あの二冠取った所か」

「そ、俺の教え子たち」

 

 

口々に挨拶するメンバーに自己紹介をする両親。母親が早くもスカーレットと打ち解けるのを横目に受付へ行こうとすると、マヤノが静止した。

 

 

「ダメ! トレーナーちゃんは休んでて! 今日はマヤ達がサポートするんだから!」

「いや、休むもなにも」

「ダーメ、大人しくしてて」

 

 

反論しようとするけれど、聞く耳は持ち合わせてないらしい。マヤノとスカーレットとマルゼンスキーが父親に同行し、助手席に腰掛けたトレーナーは遠くなる4人の後ろ姿を眺めていた。

 

 

「受付行くついでに色々確認したかったんだけど……まいっか、ご厚意に甘えよ。車酔いもあるしな」

 

 

最期の一言だけほんの少し怒気を含め、スカイが乾いた笑みを浮かべる。

 

 

「あはは……まぁ酔ったというか怖かったというか」

「やっぱあの天然ジェットコースターだけは慣れねえわ、何回乗っても無理。レースのほうがまだマシ」

「……あ、そうだ。レースと言えばトレーナーさん」

「どした?」

「私達が普段出てるレースと自転車のレースって何か違うんですか?」

「大体は同じだけど細かい所が違うんだ。

そもそも俺らが今回出るのは只のレースじゃなくてな、エンデューロって種目なのよ」

 

 

聞いたことがない言葉に、思わず全員が聞き返した。

 

 

『エンデューロ?』

「そ。決められた時間内にどんだけ周回数稼げるかを競うから、普段のと違ってゴールした着順=順位とは限らんのよ。

まぁ最初っから最後まで一緒に走る個人種目ならまだ分かりやすいんだけど、俺らが出るのはチームの部。最低でも一回はチームメイトと交代しなきゃいけねーから、そこで順位が入れ替わって姿が見えなくなる」

「個人かチームか見分ける方法とか無いの?」

 

 

受付の列に並んでいたトレーナーの父親が、質問したマルゼンスキーに答える。

 

 

「ほら、受付の横にゼッケンの見本あるやろ? あれの色がカテゴリー毎に分かれとるんだ。じゃから理論上は見分けられるぞ」

「……理論上?」

「ワシらが出るのは2時間チーム。じゃが他に3時間と5時間があるし、当然それぞれに個人で参加する奴とチームで参加する奴がおる。

参加種目もゼッケンの色も違うが、スタートは全て同時でな。まぁまず分からんよ」

 

 

スカーレットが参加人数によっては判別できるのではと言いかけて、マヤノと一緒にそれを否定した。既にコースを試走している者だけで、少なくとも1000人は居る。

参加できる種目は全部で15。トレーナーがスタートする時刻には、8種目が同時にレースをする。

 

その数、約3000人。

 

 

『3000人……』

 

 

スタートしてしまえば、ライバルが見えなくなる。どうすればと黙りこむ三人に、父親は軽く返した。

 

 

「まぁワシらがそんなに悩まんでも、走る本人がどうにかするやろ」

 

 

受付を済ませ交代に使うピットレーンを見に行くと、昔トレーナーと同じチームだったメンバーに遭遇した4人。経緯を話すと共同で使っても良いと許可が降り、初めて見るF1サーキットコースに目を輝かせるマヤノ達。

ピットウォールというコースとピットエリアを仕切る場所から試走する人々を眺めていたけれど、マヤノがふと呟いた。

 

 

「ねえマルゼンちゃん」

「なぁに?」

「本番はさ、ここを3000人の自転車乗りが一斉に走るんだよね?」

「そうなるわね」

「大きな集団を想像して思ったんだけど、先頭がコーナーを立ち上がっても後ろの方はまだ曲がってる途中ってことになるよね。

立ち上がりで先頭が加速したらさ、後ろから付いてく人って追い付くのに凄く頑張らないといけなくなるのかな?」

 

 

サーキットコースを走るため、点在する一つ一つのカーブは急だ。ハイスピードを維持して走るレースなら、下りも登りもコーナーは転倒するギリギリまで攻める。そしてコーナーを抜ければ、落ちたスピードを上げるべく加速する。

縦に長くなる集団の後方に位置取りをしようものなら、コーナー毎の加速で余計な体力を消費するだろう。

 

 

「……そうね。位置取りによっては」

 

 

地獄を味わうことになる。言葉を飲み込み、トレーナーの待つ車へと引き返した。

 

受付で貰った物をトレーナーに手渡すと、慣れた手つきで自転車ウェアにゼッケンを着けていく。

少し手持ち無沙汰なスカイは大会スケジュールが掲載されているパンフレットを読み漁り、ある項目で手を止めた。後部座席から身を乗り出し、助手席に体重を預ける。

 

 

「トレーナーさん、ちょっといい?」

「ん?」

「これ去年の記録が載ってるんだけど、ソロ部門とチーム部門のタイムほぼ同じだよ。しかもチーム部門に至ってはゴールタイムも周回数も同じだし。ってことはこれ……」

「……同一周回のスプリント勝負か、やっぱ考えることは一緒だな」

 

 

トレーナーの言葉に頷き、更に続ける。

 

 

「勝つための作戦は、突き詰めたら一つしかないんじゃないかな。今年がどうなるかは分かんないけどさ、警戒しとくに越したことはないと思う」

「了解、ありがとな」

 

 

スタート時間まで順調に過ごし、アップを終わらせ万全の状態に仕上げたトレーナー。背中のポケットに補給食を入れ、ヘルメット・サングラス・グローブ・専用シューズといった装備を全て身に付ける。

 

 

「悪いマルゼン、鍵閉めてくれ」

「オッケーよ」

 

 

音を立てて施錠された車。まっすぐ見据えた会場からは、アナウンスや喧騒が微かに聞こえる。

ロードバイクのサドルを掴み、号令を掛けた。

 

 

「行くぞ」

『……!』

 

 

今まで見せたことのない、本気の顔。本気の声。互いを見渡して無言で頷き、スタート地点へと移動した。

 

─◆◇─

 

先発組がスタートラインに列を成して待機している最中、トレーナーがピットエリアに姿を現した。目ざとく見つけた元チームメイトが囃し立てる。

 

 

「おっ、二冠トレーナーの登場だぁ!」

「いやいやいや、勘弁してくださいよ。獲ったの自分じゃなくてコイツらですから」

 

 

いいように弄られ、笑いながらバイクラックに自転車を掛ける。走行レーンを横切ってピットウォールへ入り、レグルスのメンバーを見やすい位置で観戦させた。

マイクを持ったアナウンサーが走行中の注意事項を説明し、真面目に聞く者も居れば談笑している者も居る。フェンス越しに眺めながら呟いた。

 

 

「試走の時にも思ったんだけど、やっぱり本来のレースとは逆回りで走るのね」

「おっ。流石マルゼン詳しいな。タっちゃん乗り回してるだけあるわ」

 

 

サーキットコースを自転車が走行する際、緩やかな下り坂になっているホームストレートをそのまま下らせると事故に繋がる。だから安全確保のため、逆回りにしているんだ。

そうは言ってもF1マシンやレーシングカーが走るコースだから、ほぼフラットコースではある。けれどレース時間が長い為、疲労が積み重なればどんな起伏でも登りに感じる。果てしない坂道となる。

 

 

「そろそろだ」

 

 

アナウンサーが退避し、コース脇のスターターが信号器を天に向ける。束の間の静寂が場を支配し、スタートの号砲が鳴らされた。

パチンと小気味の良い音を立て、ペダルに専用シューズを固定する選手達。流れるような加速でスピードを上げていき、それに合わせて声援が飛ぶ。BGMも流れ、実況放送が元気よく送り出した。

自分たちのチームメイトを見つけられたか否かで盛り上がり、集団がホームストレートから姿を消す。

ピットウォールに留まる者と待機エリアに帰る者で人混みが分かれ、トレーナーは待機エリアで自転車に腰かけていた。

 

 

「おし、悪いけど全員こっち来てラップクリップ開いてくれ」

『ラップクリップ?』

「詳しい仕組みはこの際置いといて、リアルタイムで順位が分かるシステムなんだ。2時間オープンのカテゴリー開いて戦況把握しといてくれるか。

エンデューロは情報を制する奴が勝つんだ。頼りにしてるぜ」

 

 

トレーナーと拳を突き合わせ、ピットウォールに戻る。各自が相談しながら役割分担し、情報収集や選手の走方を見極めようと意見交換していった。

あっという間に一周目が完了し、ラップクリップに順位が反映される。

 

 

『8位・・・!』

 

 

一位と約30秒差。さっそく伝えようとしたけれど、それは出来なかった。

表情だけ見れば、いつも見ている彼そのもの。壁を感じさせない、どうぞ話しかけてくれと言わんばかりの雰囲気が、そこには無かった。

自転車の車体に腰かけてリラックスした体勢なのに、途切れさせてはならない集中力。初めて感じた分厚い壁。あの日トレーナー室で牙を研いでいた獣が、臨戦態勢を取っている。

 

 

「駄目だ、今あそこへ行ったら殺される」

 

 

そう呟いたのはブライアンだ。しかし、頷いた他のメンバーも同じ感想を抱いていた。自分たちがゲート内でスタートを待つ時のように静かで、確かな威圧感がある。

一体なにが、彼をそこまでさせたんだろう。

 

 

3周して順位は9位まで下がり、一位との差は約54秒。先頭集団から大きく離されたトレーナーの父親が、ピットレーンに入ってきた。

 

 

「お、帰ってきた」

『ッ!』

 

 

トレーナーの呟きとも取れる報告を聞き逃さず、皆がピットレーンの奥を見る。ふらふらになりながらこちらへ向かってくるのを視認して、マヤノとスカーレットが動いた。

待機エリアで止まった父親は、俯いてハンドルに肘をつき肩で息をしている。彼の左足に巻かれた計測バンドをスカーレットが剥がし、マヤノに投げ渡す。

 

 

「マヤノ!」

「アイコピー!」

 

 

受け取ったマヤノがトレーナーの左足首に素早く巻き付け、一歩下がる。

地面を蹴って進み、ペダルにシューズを固定したトレーナーが軽く右手を上げた。

 

 

「じゃ行ってくるわ」

『頑張れー!』

 

 

声援を背中で受け取り、あっという間に見えなくなった。

 

─◆◇─

 

息を整えたトレーナーの父親が着替え、カメラを回すべく本来の観戦エリアに移動した。ホームストレートが一望出来るスタンドの上段に陣取り、しばらく大きな動きがなさそうだからとセッティング等を手伝う一同。

カメラの固定を完了し、父親がアンテナの着いた機械をリュックから取り出すのを見たマヤノが質問した。

 

 

「ねぇねぇ、それなぁに?」

「……あぁそうか、そういやそっちのレースじゃ使わんモンやな。ただの無線機よ」

 

 

自転車レースでは主にプロが監督から情報を得るのに使う物だと説明し、これで先頭までのタイムギャップ等を伝えるのだと言う。

 

 

「いくら声張り上げてもピットから叫んだ所で届かんのよ。かと言ってボード出すと危ないし。確実に伝えるならコレよ。

ただし正規の無線機じゃないし、電波が届くのはホームストレート通過する間だけじゃ。伝える内容は30秒程度で纏めんにゃならん」

「……? 言いそびれたら次の周で伝えればいいんじゃないの?」

「それも考えたんじゃがな。あんまり外野がうるさいと集中力が切れる。じゃから一回で必要な情報を全部伝えにゃならん」

「一回きりかぁ……」

 

 

10周回が完了し、現在の順位は4位。まだ一位とはコース一周分の差がある。

動きがあるまで待つ。口には出さずとも、考えは同じだった。

 

 

最初に疑問を抱いたのはマヤノだ。

 

 

「ねえ、トレーナーちゃんの走り……何か変じゃない?」

 

 

スカーレットが同意し、マルゼンスキーが促す。

 

 

「ええ、私もそう思うわ」

「マヤちゃん、どんな風に変だと思ったの?」

「変って言ってもアレだよ? 怪我を庇ってるとかじゃなくて、何て言うか……真剣に走ってるように見えないんだよね。他の人に比べて足の回転が遅いもん、全然疲れてない感じがする」

『……』

 

 

言われてみればと、皆がトレーナーを観察する。既にスタートから1時間が経過しているのに、疲労を少しも滲ませていない。

マヤノに視線を向けられた父親が、ヒントを出した。

 

 

「腸腰筋って言えば分かるか?」

「……分かった!インナーマッスルだ!」

「ふふっ。マヤちゃん、みんなに説明してあげて」

 

 

マルゼンスキーに促され、丁寧に解説した。

大腰筋、少腰筋、腸骨筋からなる3つの筋肉を総称した呼び名で、背骨から太ももの付け根の内側にかけて通っている筋肉であること。身体の表面からは触れにくい筋肉のため、深層筋(インナーマッスル)と呼ばれていること。

マヤノの解説に、トレーナーの父親が付け加える。

 

 

「そして、鍛え上げるのにかなりの年月を要するんじゃ。

身体の表面にある筋肉なら場所によっちゃ2週間のトレーニングで効果が出る。じゃが、ヤツが鍛え上げたのは深層筋。意識して鍛えるのが難しい筋肉じゃ」

「そっか。だからアイツ長距離走の時、"地面を蹴るな。前に出すだけにしろ"って言ってたのね……」

 

 

スカーレットの呟きを聞き、皆がトレーナーが指示した本当の意味を理解した。そして同時に、

 

 

「……アイツ、何でトレーナーになったのかしら」

 

 

筋肉の構造を理解し、効果的な食事の取り方も教え、自らも実践している。僅かではあるものの、あのブライアンが野菜を食べるようになったくらいだ。

思い返せば、トレーナーはどこからどう見てもアスリートだ。そもそも、ウマ娘の長距離走に自転車で並走出来る時点で疑うべきだった。

 

 

『……』

「!」

 

 

全員が、トレーナーの父親に目を向ける。コースを眺めながら、簡潔に話した。

 

 

「奴は自転車競技の元プロじゃ。じゃがレース中の落車で鎖骨折ってな、それがきっかけで自転車辞めてトレーナーになったんよ。好きで始めた自転車なのに勝つ為に乗るんが嫌になったらしい。

ワシはそれで終わりにしてもええ言うたが、心残りがあったらしくてな。初めて出て表彰台に上がったこのレースで、最初で最後の頂点取るんだと。

約束とかなんとか言って、これだけは譲らんかったわ」

 

 

全員の脳裏に、あの言葉が過った。

 

───まぁ、約束したからな

 

間違いない。彼は今日、約束を果たしに来たんだ。育ててくれた両親へ、己の全てを懸けて。

送る視線に熱がこもる。それに応えるように、アナウンスが入った。残り40分を切ったので、順位の確認だ。

2時間ソロの部から順に読み上げていき、チームの順位とタイム差も読み上げたところで、レグルスのメンバーが驚愕した。

 

─◆◇─

 

『集団内に4位まで居て、先頭と2分差!?』

 

 

15周を完了し、残りは40分。去年のリザルトを見る限り、チームの部は22周しか出来ない。つまり後7周以内に一位を捕まえ、かつ集団内に潜んでいる3位と4位にも勝たなければならないんだ。

全員が黙り、父親が無線で告げた。

 

 

「先頭2分。集団内、2,3,4」

〈4!? マジで!?〉

「繰り返す。先頭2分。集団内、2,3,4」

〈マジかぁ……〉

「トレーナーちゃん今マジでって言わなかった?」

「言ってたわね」

 

 

流石に予想外だったらしく、驚愕が無線を通じてスタンドまで届いた。けれど

 

 

「これだけ言えば大丈夫や。後はヤツがどうにかする」

 

 

太鼓判を押す父親に、スカーレットが反抗した。

 

 

「どうにかって……あれだけで充分なんですか!?

これだけコース上に人が溢れてたら、どこに先頭が居るか分からないんですよ!? 後7周で追いつかなきゃいけないのに、そこに力を使えば潜んでるライバルに抜かれる可能性だってあります!

集団内に潜むライバルに注意しながら一位を追いかける。残り15分を切ってから始まるペースアップにも対応する。

これを後40分でやり遂げなきゃ、勝ち目は……!」

 

 

唇を噛みしめ、続きをのみ込んでコースを見つめる。エンデューロというレースの難しさを、目前に叩きつけられたんだ。

けど、それでも

 

 

「アタシは信じる」

 

 

小さく、けれど力強く宣言したタイシンの目は、コースを真っ直ぐ見据えている。

 

 

「アイツが全員ぶち抜いて勝つって、アタシは信じてる。

……アタシたちが不安になった時、無くしかけた自信や誇りを、アイツは取り戻してくれた。チャンピオンズミーティングだってそう、アイツが居たから勝てた。

送り出してくれたから、勝利と一緒に帰ってこれた。

だから今度は、こっちの番」

『……!』

 

 

信じて祈る。この2が必ず、1に変わると信じて。

 

 

祈りが届いたのは、20周目が終わってから。それまで動かなかった2分差が、1分21秒に詰まった。

 

 

『来た!』

 

 

タイムリミットまで15分を切り、残り3周。遂に天秤が傾いた。

そしてそれは、トレーナーも実感していた。

 

 

(ん? 残り15分切ってんのにチームの奴が上がってこねえ……)

 

 

ずっと集団の前方に居たから、後方から位置取りを上げた者は全て見ている。その中に、計測バンドを着けた者が1人も居ないんだ。

サーキットコースにおいて、レース終盤にペースアップがあると集団の隊列は細く、縦に長くなる。そんな状況で中段から後方に位置取りをしていれば、コーナー毎のペースアップで地獄を見ることになる。

 

 

(なら2位は確定だな、後は一位"てめえ"だけだ)

 

 

前だけを見て、最終周回に入る。データが更新され、アナウンスが告げた。

 

 

《現在2時間チームの1位はファイナルラップに入っています。2位のチームレグルスまで53秒差なので、例えば1位がこのままのペースで行ったとして6分6秒くらいでゴールした場合。

2位のチームレグルスが5分13秒くらいで帰ってきたら、ゴール前で並ぶことになります》

『!?』

 

 

逆転への道がはっきりと示され、ボルテージが一気に上がる。最終周回でファステストラップを出せば、頂点に手が届くんだ。

 

 

(……ほぉ。誰もヤツがファステストラップ出せるか疑っとらんのか、流石じゃのう)

 

 

普通なら疲労はとっくに限界で、脚が攣るかどうかの瀬戸際。ギリギリで走るのが当たり前だ。けれどここに居る全員、トレーナーの勝利を微塵も疑っていない。

2時間2分58秒。そこまでにゴールして勝つと、心から信じている目だ。

 

 

(見せてみろ、お前の力を)

 

 

目線の先に居る、ホームストレートを抜けた先頭集団。最初と比べて随分と小さくなり、鍛え抜かれた精鋭しか残っていない。

10番手付近に付けたトレーナーは左へ曲がる緩やかな登り坂に差し掛かり、前を走る9人が腰を上げた。

 

 

(お、ダンシング……じゃねえペースアップだ)

 

 

上体を出来るだけ低くした姿勢で、踏み込む脚に力が入る。座りっぱなしを防ぐ際に使う"繋ぎ"ではなく、後続を振るい落とすためのペースアップだ。

あっという間に坂の頂点を通り過ぎ、コースの外側へ膨らんでから左へ急カーブ。タイヤのグリップが効くギリギリまでバイクを倒し込んで抜けると、休む間もなく外側へ膨らみ右へ急カーブ。

2連続コーナーを抜けても下り坂は終わらない。サーキット唯一の速度が上がる直線で先頭が更に加速し、スリップストリームを使わせまいと飛ばしに飛ばす。

 

 

(やっべ離される!)

 

 

体重の軽いトレーナーは車体のトップチューブと呼ばれる場所に座り、空力抵抗を極限まで減らす。離されかけた間合いを詰め、直線の終わりにある右コーナーをクリアして短い登り坂へ突入した。

 

 

(お、ここも行くか!)

 

 

ここでも先頭は下り坂の勢いを利用して立ち漕ぎで駆け上がり、鋭い角度のS字コーナーを抜け、バックストレートに差し掛かる。

サーキット上に2ヶ所しかない平坦な直線区間。今までと違い登り坂で速度が死んでおらず、時速50キロまですぐに上がった。登り坂の後の平坦だ。集団前方に居なければ、この速度に追随することは出来ない。

 

7番手でバックストレートを抜け、最後の下り坂。右へ曲がりながら下った先のコーナーが急カーブになっていて、集中力が低下していれば転倒する危険がある。

 

 

(……どうせ最後だ、やってみるか)

 

 

トレーナーはブレーキレバーから指を離し、加速しながら下り坂に入った。間合いが詰まり、タイヤ同士が接触しそうになる。あと数センチの距離でコーナーを終えると、交代した先頭が立ち漕ぎで猛然と加速した。

 

 

(はやっ!?)

 

 

向かい風にも関わらず、下り坂の勢いそのままに登り基調の平坦を突っ走る。耳を掠める風切り音は、台風のそれと変わらない。

今、少しでも間合いがあれば引き離されていた。

 

 

(おっそろしぃ……!)

 

 

背中を悪寒が走り、同時に自身の判断に安堵する。力のある者は着いてこれるし、無い者はここで淘汰される。ゴールスプリントに向けた最後の絞り混みでもあり、勝負でもある。

俺の加速と、お前の加速。俺のアタックと、お前の追走。俺の力と、お前の力。

 

俺を上回る者だけが、後ろで力を溜められる。

 

風を切り裂いて突き進み、最終コーナーが見えてきた。

 

 

《さあ2時間総合トップ争いはどうだ、まだまだ集団になっている!が、先頭4人がやや抜け出した形!時計は2時間、2分…30秒を経過!》

『帰ってきた!!』

 

 

桁違いのトップスピードで、集団の先頭4人が最終コーナーを回る。後続は後ろに着ききれず離れており、ゴール争いには絡めない距離だ。その先頭4番手に、トレーナーが居た。

最後の力を、しっかりと残していた。

 

 

『行けぇぇぇぇ!!』

 

 

僅かに離された先頭3名に、計測バンドは無い。振り返り後続が来ないと確信したトレーナーは、脚を止めてフィニッシュラインを通過した。

 

 

「マヤちゃん、タイムは!?」

「2時間2分47秒!11秒残してるよ!」

「11秒……なら、後は結果待ちね」

 

 

スマホをポケットに入れ、トレーナーを迎えに行こうと地下道へ向かった。

 

─◆◇─

 

はやる気持ちを抑えられず、黙ったまま駆け足で向かう。地下道が終わりパドックエリアに出ると、若干迷子気味のトレーナーを見つけた。

 

 

『トレーナー!』

「おぉ、居た居た」

 

 

口々に労われ、顔が綻ぶ。けれど言葉には、悔しさが滲み出ていた。

 

 

「クッソ、こんだけやって2位かー……これでダメならもう打つ手ねーぞ」

 

 

ハンドルを、握った拳で軽く叩く。アナウンスで聞いたタイム差を伝えようとしたけれど、不確かなまま伝えないことにした。一着でゴールしたのに審議で降着したら、ただのぬか喜びになる。

喜ぶのも悲しむのも、今することじゃない。ブライアンが励ました。

 

 

「まだ分からんぞ、最終結果が出ていないからな」

「うーん……そうだな、結果見てから落ち込むか。

あ、じゃあ靴履き替えてくるわ。ちょっとバイク持っといてくれ」

 

 

ヘルメットをハンドルに掛け、ピットエリアに戻るトレーナー。これで2時間走ったんだと一同が改めて見つめていると、放送が耳に入った。

 

 

『……っ!!』

 

 

のんびり靴を履き替えていたトレーナーをスカイが急き立て、皆に引っ張られる形で結果が貼り出された簡易掲示板まで連行された。

 

 

「ホントに俺1位か? 2分あったんだろ?」

 

 

半信半疑で、掲示板に目を移す。獲りに来たのは確かだけど、それでも不安はあったんだ。俺が、ホントに勝てるのかって。

 

テレビで紹介されるようなプロは、小さい頃からレーサーの頭角を現していた。どんな大会も、優勝や入賞して当たり前。日本の頂点を取り満を持して世界に挑み、世界との高く分厚い壁に阻まれる。それでも努力して、自分を成長させていく。

自分の周りでも、そういった奴らは居た。高校に上がってから自転車を始めたのに、あっという間に実力を発揮してインターハイや国体に出場していった。対して自分は、長く続ける割にろくな戦績がない。そもそも、レースで完走することさえままならなかった。

力のある者にバカにされ、虐げられ……人権さえ無いような扱いが当たり前だった。

 

それでも、両親は支えてくれた。プロになりたい夢を笑わなかったし、完走も出来ないレースに何度も連れて行ってくれた。

だからこそ、ここで勝ちたかった。父親のおかげで立てた表彰台の頂点に、今度は俺が立たせてやりたかった。

 

 

「……嘘だろ」

 

 

目をやった2時間チームの部は、レグルスの名前が一番上に飾られていた。

思い出の地で、遂に勝てたんだ。

 

 

「トレーナーさん!やったよ!勝ったんだよ!」

 

 

スカイに肩を揺すられ理解が追い付いたトレーナーは、拳を握り天に吠えた。

 

 

「しゃあああああああああああああああああ!!」

 

 

何度も何度もガッツポーズを取り、レグルスの面々とハイタッチを交わす。

有言実行。小国の小さな王は、有終の美を飾ってみせた。

 

─◆◇─

 

《さぁ、2時間オープン栄えある第一位は!最終ラップで5分2秒という脅威的なタイムを出して見事逆転した、チームレグルスー!》

 

 

司会に呼ばれ、高々と右手の人差し指を突き上げる。表彰状と優勝トロフィーを貰い、マイクが向けられた。

 

 

「どうしても諦めきれなかったので、あの時の忘れ物を取りに来ました。これで、少しでも恩返しが出来たかなと思います。

もう心残りはありません。これからは彼女達のトレーナーとして、精一杯頑張ります。ありがとうございました!」

 

 

暖かい拍手が送られ、程よいタイミングで司会が遮った。

 

 

《では、これより写真撮影の時間としますので、カメラをお持ちの方はどうぞ前へ!》

 

 

真っ先にレグルスのメンバーが前に出て、トロフィー等を置き輪を作った。

 

 

「トレーナーちゃん!胴上げしよーよ胴上げ!」

「いいよやんなくて、普通に写真だけで充分だって」

「まぁまぁ、そう恥ずかしがらずに~」

 

 

あしらおうとするトレーナーの言い分を聞かず、全員が詰めよってくるので強く否定する。

 

 

「ちょっ、バカ野郎はずかしいんじゃねえ怖えんだよ!

人にされた時でさえ結構飛んだのにウマ娘に胴上げされたら俺どこまで飛ぶか分かんねえぞ!宇宙出るぞ!」

「そんなに上げらんないよー、精々コースが一望出来るくらいだから」

「やっぱり飛ぶんじゃねえか!止めろ!来るな!近寄るなぁぁぁー!」

 

 

本気で怖がるトレーナーを、笑顔で囲むウマ娘達。賑やかな絵をシャッターが切り取った。

 

 

「……いいチームを持ったな」

 

 

秋晴れの空。吹き抜ける風。

あの日泣き虫だった少年は、歩んだ道に華を添えた。

 

 

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