白毛のミークと俺   作:BT

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第11話 その名はハッピーミーク

 

『スタートです!』

 

 実況の声に合わせるように、十人のウマ娘が飛び出す。

 

 だが、その瞬間、私の隣にいた桐生院トレーナーが、そして観客席の至る所から「えっ」という戸惑いの声が漏れた。

 

『各ウマ娘、悪くないスタートを……いや、飛び抜けて完璧なスタートを決めたウマ娘がいます! 七番、ハッピーミーク! 後続を突き放す、凄まじいロケットスタートだ!』

 

 視界の先、ミークがターフの上を滑るように加速していく。

 通常、デビュー戦のウマ娘はゲート音への恐怖や周囲への警戒で、一歩目がわずかに遅れるものだ。

 しかしミークの初動には、迷いも、ノイズも一切なかった。

 

『ハッピーミークに引っ張られるように、各ウマ娘、激しい位置取り! 予想外のハイペースか!』

 

 実況が煽る通り、ミークが作り出した速度域に、他のウマ娘たちが必死に食らいつこうと色めき立つ。

 その最後方、二番のスウィートパルフェだけが、桐生院の指示通り慎重に最後尾から虎視眈々と前をうかがっているのが見えた。

 

「逃げ……?」

 

 隣で桐生院が、呆然と呟く。

 

 先頭を独走し、悠々とリードを広げていくミークの姿。その位置取りは、どう見ても『逃げ』の戦術そのものだ。だが、彼女はどこか困惑した様子。

 恐らくミークの走りには、逃げウマ特有の「後続を突き放そうとする必死さ」が感じられないことに違和感を覚えたのだろう。

 

 私の脳裏に、昨夜のミーティングの光景が蘇る。

 

『ミーク、基本の作戦は「差し」で行きましょう』

 

『……基本の作戦?』

 

 不思議そうに首を傾げた彼女に、私は静かに頷いて付け加えた。

 

『はい、ただもしスタートを完璧に決めて、周りのウマ娘が君の歩調についてこれないほど「遅い」と感じたら……無理に抑える必要はありません。ウラカワさんたち、チームの皆と走っている時と同じ状況だと思って走りなさい』

 

 今の状況は、まさにそれだ。

 

 ミークにとって、今のレース展開は「逃げ」ではない。

 ただ、いつも通り元重賞ウマ娘のサポーターたちと走るうえで、自分にとって最も効率的なペースを刻んでいるだけなのだ。

 その結果として、他の九人が勝手についてこれなくなっているに過ぎない。

 

 双眼鏡を覗き込むまでもなくわかる。

 ミークの意識は、すでに後続を振り切っている。

 

 辛うじて二バ身ほど後ろに食らいついている、四番の逃げウマ娘の気配。

 それをわずかに感じ取っている程度で、彼女の視界にはもう、ゴールまでの定まったルートしか映っていないはずだ。

 

 桐生院トレーナー。

 

 あなたが信じているスウィートパルフェの「末脚」が届く範囲に、ミークはもういない。

 ミークの白い髪が、東京の陽光を反射してさらに眩しく輝く。

 

 第一コーナーを悠然と回り、レースは向こう正面、長いバックストレートへと差し掛かる。

 先頭を走るミークと、後続のウマ娘たち。

 その差は縮まるどころか、磁石の同極同士が反発し合うように、じりじりと広がっていく。

 

『先頭は依然として七番、ハッピーミーク! 二番手との差は三バ身から四バ身! しかし、このペースはどうでしょうか。速い、速すぎます! メイクデビューとは思えない超ハイペース、ハッピーミーク、最後まで脚が持つのか!?』

 

 実況の危惧はもっともだ。1800mのレースにおいて、序盤からこれだけのラップタイムを刻むのは、常識的に考えれば「自滅」でしかない。

 だが、双眼鏡越しに見るミークのフォームは、驚くほど乱れがない。

 首の使い方は一定で、地面を捉える蹄の音は軽やかだ。彼女は決して無理をして飛ばしているのではない。

 

「……信じられない。あそこまで飛ばして、どうしてあんなに安定しているの?」

 

 隣で桐生院トレーナーが、感情を押し殺したような声で呟く。

 彼女の視線はミークを、そして最後方でじっとチャンスを待つ自らの担当バ、スウィートパルフェを交互に行き来している。

 

 ミークの後ろでは、四番の逃げウマ娘が必死に食らいつこうと、中盤にもかかわらず早くもラストスパートのような激しい追いを見せていた。

 彼女だけではない。ミークが作り出した異常な「淀みのない流れ」に呑み込まれ、他のウマ娘たちもスタミナの配分を狂わされている。

 

 だが、唯一人。

 

 最後尾に控えるスウィートパルフェだけが、嵐の前の静けさのような沈黙を保っていた。

 

 乱れるバ群に惑わされることなく、ただひたすらに牙を研いでいる。

 その瞳は、遥か前方を走るミークの背中を捉えているのだろうか?

 

 そして東京レース場の名物、大ケヤキを越え、勝負の明暗を分ける第四コーナーへと差し掛かる。

 先頭をひた走るのは、未だその歩調を乱さぬ白いウマ娘。

 

『大ケヤキを越えて第四コーナー! 依然として先頭は七番、ハッピーミーク! 後続との間にはまだ三バ身、四バ身と差がある! 逃げるハッピーミーク、捉えられるのか、届くのか!?』

 

 実況の声が一段と熱を帯び、観客席のボルテージが跳ね上がる。

 その熱気に押されるように、これまで二番手で食らいついていた四番の逃げウマ娘が、ついに力尽きて後方のバ群へと沈んでいった。

 

 だが、代わってバ群の中からそのウマ娘は現れた。

 

『外から来た! 外から一気に二番、スウィートパルフェだ! 凄まじい脚色! まさに弾丸! 最後方から一気に前を飲み込み、ハッピーミークへと迫る!』

 

 二番、スウィートパルフェ。

 私の隣で祈るように拳を握りしめている桐生院トレーナーが育成したウマ娘。

 

 今の彼女の走りは、数値化されたステータスを……その限界を、大きく超えている。

 筋肉が悲鳴を上げ、肺が灼けつくような痛みに晒されているはずだ。

 

 それでもなお、前を行くミークだけを射程に捉え、命を燃やすような猛追を見せている。

 

「……すごいな」

 

 思わず独り言が漏れた。

 驚いた。いや、驚嘆したと言ってもいい。

 

 もはや同世代のウマ娘の追随を許さないと確信していたミークの領域に、彼女は踏み込もうとしている。

 

 桐生院トレーナーが育て、信じた末脚。

 

『スウィートパルフェ、その差を三バ身、二バ身と詰めていく! ハッピーミークも譲らない! 白毛と黒毛の旋風、二頭並んで最後の直線へと向かう!』

 

 沸き返る歓声、地鳴りのような足音。

 

 眩しい。

 目を細めたくなるほどに、彼女たちの走りは美しく、そして残酷なまでに輝いていた。

 

 だが、スウィートパルフェ。

 君が燃やしているのが「命」だというのなら。

 君の前を走る白いウマ娘が捧げているのは、その「人生」のすべてなのだ。

 

 彼女は私というトレーナーと契約してしまったウマ娘なのだ。

 

 第四コーナーを抜け、最後の直線へと雪崩れ込むウマ娘たち。

 

 東京レース場の長い直線。

 

 先頭を行くミークの背後に、猛然と肉薄するスウィートパルフェ。

 彼女の弾く芝がミークの白い身体に飛び散るほどの距離。

 もはやミークの影を踏む位置まで、彼女は迫っていた。

 

「行け……行け、パルフェ!」

 

 隣で桐生院トレーナーが叫ぶ。

 その声には、届く、という確信が籠もっていた。

 

 普通のレースなら、彼女の読みは正しい。

 序盤からハイペースで飛ばした「逃げ」ウマ娘は、この直線で脚が止まる。

 そこを、極限まで溜めた末脚で一気に飲み込む。それが追い込みウマ娘の勝利への道筋。

 

 もし、ミークがただの『逃げ』だったのであれば。

 

『スウィートパルフェ、捉えたか! 並ぶか! 残り二〇〇、前はハッピーミーク、食い下がるスウィートパルフェ!』

 

 だが、私は知っている。

 ミークが刻んできたのは、自滅するためのハイペースではない。

 

「ミーク、行きなさい」

 

 私の呟きに呼応するように、ミークの耳がピンと後ろを向いた。

 次の瞬間、彼女の身体が沈み込み、そこからさらに「爆発」した。

 

『――ッ!? 伸びる! 伸びるハッピーミーク! ここでさらにもう一段の加速だ!!』

 

 実況の声が、驚愕で裏返った。

 逃げているのではない。先頭で『差し』を始めたのだ。

 

「え……嘘、でしょ……?」

 

 桐生院の戦慄した声。

 必死に腕を振り、命を削って追いすがっていたスウィートパルフェの瞳に、絶望の色が走る。

 全力で、死ぬ気で詰め寄ったその距離を、前を行く白毛の少女は、遊びの時間を終えた子供のように、あっさりと突き放していく。

 

 それは、加速し続ける暴力だった。

 二バ身、三バ身、五バ身。

 

『強い! 強すぎる! ハッピーミーク、独走だ! 後続を突き放す、引き離す! 逃げて差す! 逃げているのに、ここからさらに差すというのか!!』

 

 ミークはただ一人、別世界の住人のようにターフを駆け抜け、ゴールを駆け抜けた。

 

『ハッピーミーク、圧勝! 一着でゴールイン! 今回のメイクデビュー戦、ハッピーミークが制しました!!』

 

 レース場に、実況の声とどよめきが混じった観客の歓声が響く。

 私は、モニターに映し出された着差を確認した。

 

 一着、ハッピーミーク。

 二着、スウィートパルフェ。

 その差――『六バ身』。

 

 二着のスウィートパルフェとて、他のウマ娘を大きく引き離している。

 彼女もまた、この世代で間違いなくトップクラスの逸材なのだ。

 だが、その彼女を「六バ身」という致命的な差で叩き伏せた。

 

 隣で桐生院が、力なく膝をついていた。

 

 その姿を、忘れないように記憶に刻む。

 勝利の味を噛みしめるためではなく、罪の重さを忘れないために。

 

 

 

 レースの熱狂が冷めやらぬまま、舞台はウィニングライブへと移る。

 

 東京レース場の巨大なメインステージ。色とりどりのスポットライトが交差し、大気をも震わせる重低音が響き渡る。

 その中心には、今回のレースで頂点に立った一人のウマ娘が立っていた。

 

「ミークー!! 最高だったわよー!!」

 

「ミークちゃん! こっち向いてー!」

 

 最前列の応援席。ウラカワさんやサポートスタッフたちが、喉を枯らさんばかりに声を張り上げ、全力でペンライトを振っている。

 

 会場を埋め尽くす観客たちも、ステージの中央で舞う白いウマ娘に目を逸らせなくなっていた。

 その輝きに魂を吸い寄せられるように、誰もが静かに、あるいは熱狂的に彼女を見つめている。

 

 私は、喧騒の中でただ一人、彼女の動きを瞳に焼き付けていた。

 

 あの夜と同じように、ミークは踊る。

 白い髪と尾をなびかせて、正確なステップを刻む。

 

 だが、あの夜と少し違うのは、ミークの踊りには感情がのっているということ。

 ほんの僅か、よく見比べてみないとわからない程度だが。

 

 確かに、喜びがにじんでいる。

 

 かつて無感情に、ただ機械のようにステップを踏んでいた彼女。

 その心に火を灯し、勝利という熱を与えたのは、他ならぬ私自身。

 

 暗くも、あたたかい感情があふれ出す。

 

 なるほど、これがトレーナーの喜び。

 決して手が届かない、手に入れられないと思っていた感情。

 

 ハッピーミークがくれたもの。

 

 その彼女は今、自分の脚で掴み取った景色を、たった一人の勝者として享受している。

 

「ああ……本当に綺麗だ」

 

 無意識に言葉が零れた。

 

 あと何回かわからないが、ミークのウィニングライブがまた見られるなら。

 たとえ地獄に落ちることになっても、おつりがくるな。

 

 拍手と歓声の嵐が、夜の帳が降り始めたレース場を包み込んでいく。

 その中心で、白毛の少女は、誇らしげにその指を天へと突き立てていた。

 

 おめでとう、ハッピーミーク。

 

 

 

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