白毛のミークと俺   作:BT

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第13話 激マブとションボリ

 

 十一月下旬、東京レース場。

 

 空高く突き抜ける秋晴れの下、そこには十万人を超える観客の熱気と、肌を刺すような冷たい緊張感が同居していた。

 

 ジャパンカップ。

 

 芝2400メートル、左回り。

 国内最高峰にして、世界中の強豪ウマ娘たちが「最強」の称号を懸けて集う、誇り高き戦場。

 

 私とミーク、そしてウラカワさんをはじめとした数名のスタッフは、一般客に紛れてスタンドの一角に陣取っていた。

 関係者席ではないため、参加するウマ娘たちの吐息まで聞こえる距離ではないが、コース全体を俯瞰できる絶好のポジションだ。

 

「……すごい、人」

 

 ミークが小さく呟く。

 

 彼女の視線の先には、地鳴りのような歓声を上げる群衆と、その視線を一身に浴びるターフがあった。

 ミークは来月、ジュニア級の頂点である『朝日杯フューチュリティステークス』に挑む。

 

 その為にメイクデビューから数ヶ月。

 レースに出ることもなく、ひたすらトレーニングを重ねてきた。

 

 今日はその息抜きも兼ねた観戦だ。

 

 ただ息抜きではあるが、休養ではない。

 観戦席ではあるが、すこしでもG1レースの空気に慣れるための訓練も兼ねている。

 

 もっとも、今日この場所で行われるのは、朝日杯フューチュリティステークスとは次元の違う「闘争」になるだろうが。

 

 なぜなら今年のジャパンカップは、例年にも増して世界の強豪たちが参戦しているからだ。

 理由は、二人のウマ娘。

 

 有マの覇者、神座の皇帝――シンボリルドルフ。

 そして、機関の怪物(スーパーカー)――マルゼンスキー。

 

 出走制限によって年に二つのレースしか走ることができないこの国の最強たちが、今年も揃って出走を表明したからだ。

 

 かつて、あまりに強すぎると怖れ、一種忌諱(きき)されていた空気はどこへやら。

 いまでは彼女たちは日本の守護ウマ娘として、そして日本が誇る至宝として愛されていた。

 

 大衆の愚かさや度しがたさはともかく、強さの極みにある存在というのは、一種の信仰に近い感情を抱かせるらしい。

 そして、その「最強」たちを打ち倒さんと、世界各国からかつてないほどの強豪が送り込まれていた。

 

「銀次さん、あそこにいるのが……例のフランス最強のウマ娘ね」

 

 ウラカワさんが指差した先。

 パドックで凛としたオーラを放っていた、フランスのグロワール。

 昨年の凱旋門賞を勝利し、満を持して参戦した前回のジャパンカップでは、シンボリルドルフとマルゼンスキーに届かず三着。

 今年はその雪辱を果たすべく、本国での全戦を圧勝して再び極東の地を踏んだ。

 優雅な仕草の裏には、底知れないスタミナと、欧州の重い芝で鍛え上げられた鉄の意志が秘められている。

 

 対照的に、アメリカから送り込まれたのはスタースパングルド。

 ブリーダーズカップを制した全米の女王だ。

 ダートと芝の二刀流をこなし、弾丸のような加速力で相手を沈める超攻撃的な脚質は、アメリカのファンから「生ける稲妻」と称えられている。

 

 さらに、今年不気味な存在感を放っているのが、中東の油田王が秘蔵っ子として送り出したデザートラン。

 ドバイワールドカップの芝部門をレコードで制し、砂漠の過酷な環境で培った無尽蔵の心肺能力を持つ。その走りは文字通り、追う者たちに絶望を見せる「蜃気楼」のようだと恐れられていた。

 

「……世界最高峰のウマ娘たち、か」

 

 双眼鏡から見えるウマ娘たちの姿。

 その名前や姿は前世の記憶にはない。

 

 だが彼女たちは、間違いなくこの世界において『上限』に近いステータスを持つ者たちばかりだ。

 本来なら、彼女たちの一人一人がその国のレース界の……いや、時代の主役になれる逸材。

 それが、シンボリルドルフとマルゼンスキーを倒すためだけに、この東京レース場に集結している。

 

 ミークは何も言わずに、ゲートイン前に各々身体をほぐしている彼女たちを見つめていた。

 そのアメジストの瞳には、世界の頂点たちが放つ圧倒的な威圧感がどう映っているのだろうか。

 

「ミーク、よく見ておきなさい」

 

 私は彼女の隣で、静かに語りかける。

 

「あれが、来年私たちが挑むことになる()()だ」

 

 ミークの耳が、ぴくりと跳ねた。その瞳に恐怖はない。

 あるのはただ、吸い込まれるような純粋な好奇心と、心の奥底で静かに沸き立ち始めた、闘争の予感だけ。

 

 このレース、誰が勝ってもおかしくはない……。

 

 普通の観客、あるいは並の観察眼しか持たぬ者なら、そう口にするだろう。

 世界各国のG1ウマ娘が集うこの大舞台において、絶対などあり得ないはずなのだから。

 

 だが、私は知っている。そんな予想は、甘い幻想に過ぎない。

 なぜなら、このレースには――シンボリルドルフと、マルゼンスキーが出走するのだから。

 

 二人が並んで、レース場にその姿を現した。

 

 その瞬間、地鳴りのような、ひときわ大きな歓声が十万人の観客から沸き起こる。

 手を振ってそれに応える二人。一人は威風堂々とした皇帝の立ち振る舞いで、もう一人はスーパーカーと称される快活な微笑みで。

 

 背筋に震えが走る。

 

 ――観客たちには、当然見えていない。

 

 彼女たちの肉体に宿る、数値の圧力が。

 もし、私に見えているこの『数値(ステータス)』が、彼らにも見えていれば。

 果たして正気を保っていられるだろうか?

 

 それほどまでに、彼女たちは圧倒的だった。

 

 世界各国から集った誇り高きウマ娘たちが、かすんで見える。

 すぐ傍で彼女たちのオーラを直接浴びている出走ウマ娘たちは、おぼろげながら気づいているのだろう。

 フランスの誇りも、全米の女王も、中東の蜃気楼も――その立ち姿に、わずかな『緊張』が混ざり始めている。

 戦う前から、彼女たちは「格」の差に直面させられている。

 

 ふと、マルゼンスキーが観客席の私に気がついた。

 彼女は驚いたように目を見開くと、まるで旧友を見つけた子供のように、ブンブンと大きく手を振る。

 それに気がついたシンボリルドルフもまた、私に視線を向け、静かに……だが、すべてを見透かすような微笑みを浮かべた。

 

「……ッ」

 

 冷たい汗が、首筋を伝う。

 

 かつて、私が彼女たちに植え付けた毒は、今や完全に彼女たちの血肉となり、東条トレーナーという()()の手腕によって、さらなる高みへと昇華されていた。

 

 隣でじっと彼女たちを見つめていたミークの手が、小さく震えているのに気がつく。

 それは恐怖か、あるいは。

 

「……ゲートイン、始まったわね」

 

 ウラカワさんがぽつりと呟いた。

 一人、また一人と、世界の至宝たちが鋼鉄の檻へと飲み込まれていく。

 

 シンボリルドルフ、マルゼンスキー。

 そして、世界最強のウマ娘たち。

 

 全ウマ娘のゲートインが完了し、場内に厳かなアナウンスが流れる。

 

 十万人の観衆が息を呑み、静寂がターフを支配した。

 その数秒間が、永遠のようにも、瞬きのようにも感じられる。

 

 軽く目を閉じ、これから始まる戦いを前に、贖罪にも似た祈りを捧げた。

 私のせいで強くなりすぎた二人に挑む他のウマ娘たち、せめて、無事に走り終えて欲しい、と。

 

 

 ――ガシャンッ!

 

 

 そして鋼鉄の檻が弾け、地鳴りのような足音と共に世界最高峰の闘争が幕を開けた。

 

『各ウマ娘、綺麗なスタート! まずは注目のハナ争い、誰が行くのか!?』

 

 真っ先に飛び出したのは、やはり『機関の怪物(スーパーカー)』だった。

 

 マルゼンスキー。

 

 彼女はまるで物理法則を無視したかのような滑らかな加速で、一気に先頭を奪う。

 その走りは、逃げるというよりも、ただ自分の速度を邪魔されない場所へ移動しただけ、という不遜なまでの軽やかさだ。

 

 対して、シンボリルドルフはバ群の真ん中、中団の内側に潜り込んだ。

 マルゼンスキーが『逃げ』なら、ルドルフは『差し』。

 対照的な位置取りだが、どちらも自分の領分を完璧に理解している。

 

「……始まった」

 

 ミークが双眼鏡も持たず、ターフを凝視している。

 

 先頭のマルゼンスキーは、秋の柔らかな陽光を浴びながら、実に気持ちよさそうに風を切っていた。

 彼女にとっては、このジャパンカップのターフさえ、ドライブコースを走るようなものなのだろう。

 

 一方で、中団に位置するシンボリルドルフは、ただ走っているだけで周囲のウマ娘たちに目に見えない重圧を与え続けていた。

 彼女の前後、そして左右に並ぶ海外の強豪たちが、まるで捕食者に睨まれた小動物のように、わずかな挙動の乱れを見せ始める。

 

 シンボリルドルフがそこにいる。

 それだけで、レースの「空気」が彼女の意思に染め上げられていく。

 

 第一、第二コーナーの中間地点。

 先頭をゆくマルゼンスキーが、鮮やかな軌跡を描いて曲がっていく。

 

『先頭はマルゼンスキー! 二番手には四番のウマ娘、その差は二バ身から三バ身!』

 

 二番手につけている逃げウマ娘も、決して遅くはない。

 むしろ、この世代では屈指の逃げウマ娘だ。

 

 だが、マルゼンスキーの後ろ姿を追うその表情には、必死さが滲んでいる。

 二~三バ身という距離が、絶望的な壁のように彼女にのしかかっているのが、こちらまで伝わってくるようだった。

 

 そして……。

 

「ミーク、マルゼンスキーが動くよ」

 

 私は、自分に言い聞かせるように呟く。

 ミークは無言で頷く。

 

 瞬間。

 

 先頭を行くマルゼンスキーの脚回転が、一段階どころではない、数段階飛ばしのギアチェンジを見せる。

 背後から聞こえてくるはずの地鳴りのような足音を、彼女は自ら放つ風切り音で塗りつぶした。

 

『マルゼンスキー、加速! マルゼンスキー、さらに加速! これは逃げではない、大逃げだ!』

 

 二番手との差が、五バ身、十バ身、十五バ身……。

 

 最終コーナーを前にして、その差は二十バ身という、ジャパンカップ史上類を見ない絶望的な距離へと広がり始めた。

 

 会場が、どよめきを通り越した戦慄に包まれる。

 あまりにも早すぎる仕掛け。世界を制した名だたるトレーナーたちですら、その意図が掴めずに立ち尽くしていた。

 あれはスタミナを無視した自滅行為か、あるいは計算違いの暴走か。

 

 否。彼女の『機関(エンジン)』が、ゴールまでこのペースを維持してみせると吠えたのだ。

 

 走るウマ娘たちも、惑っていた。

 あまりに非現実的な光景を前に「追う」という選択肢を失いかけている。

 

 ――ただ一人、シンボリルドルフを除いて。

 

 第四コーナーの入り口。

 中団にいたはずの『皇帝』の姿が、バ群の外へと滑り出した。

 

『第四コーナー! ここでシンボリルドルフが上がってきた! 外から一気に、一気にバ群を置き去りにしていく!』

 

 世界最高峰の称号を持つウマ娘たちが、まるで止まっている景色の一部のように置き去りにされる。

 

 シンボリルドルフが踏みしめる一歩ごとに、東京レース場の空気が重力に逆らうように震える。

 そして一人、二人、三人のウマ娘を抜き去ったそのとき……彼女の中で、なにかが弾けた。

 

「……汝、皇帝の神威を見よ」

 

 私は、震える唇でボソリと呟いた。

 

 雷を纏い、威風堂々と歩みを進めるシンボリルドルフ。

 そのあり得ないはずの光景を幻視する。

 

 瞬間、シンボリルドルフが爆発的な加速を開始する。

 

 彼女にとって、前を走る他国の名だたるウマ娘たちは障害物にすらならない。

 ただ視線の先にいる同類(ライバル)に届くためだけに、彼女は自らの(ことわり)をターフに叩きつけていた。

 

 抜き去る、抜き去る、抜き去る。

 

 世界最強たちが、文字通り子供のように扱われていく。

 

『シンボリルドルフ、止まらない! シンボリルドルフ、猛追! 二十バ身あった差が、一気に、一気に縮まっていく!!』

 

 第四コーナーを抜け、直線の入り口。

 あれほど絶望的だったマルゼンスキーとの差は、今や十バ身。

 

 逃げるマルゼンスキーと、追うシンボリルドルフ。

 

 ついに直線の坂を越え、勝負は極限の領域へと踏み込んだ。

 

 十バ身あった差は、今や二バ身、一バ身。

 背後に迫る『皇帝』の絶対的な圧力を背中で受けながらも、マルゼンスキーは未だ先頭を譲らない。

 

 ――その構図に、私は強烈な既視感を覚えた。

 

 ハッピーミークのメイクデビュー戦。

 

 遥か後方から命を燃やして追いすがったスウィートパルフェと、最初から最後まで先頭を走り続けたミーク。

 あの日、私が作り出した「残酷なまでの実力差」が描いた、あの不条理な光景。

 

 奇しくも、この世界最高峰の舞台で同じ形が再現されている。

 だが、あの日と同じ結末にはならない。

 

 逃げながら、さらに最後の一速で突き放す「逃げて差す」という暴挙。

 それは本来、格下を相手に圧倒的な実力差がある時にしか発生し得ない構図のはずだった。

 

 そのはず、だったのだ。

 

『残り二〇〇! マルゼンスキー粘る! シンボリルドルフが並ぶか、並ぶか!!』

 

 絶叫する実況。

 

 だがその瞬間、機関の怪物(スーパーカー)が、もう一段階ギアを上げた。

 

 ――ッ!

 

 火を吹くような再加速。

 マルゼンスキーの身体が再び前方へ弾け、ルドルフとの差がわずかに開く。

 

『ぁあ!? な、な、マルゼンスキー! ここから加速!? まだギアがあがるのか!!』

 

 実況の言葉にならない悲鳴と叫び。

 

 六バ身ほど後ろから死に物狂いで追いすがっていた世界の強豪たちの顔に、絶望にも似た「驚愕」が浮かぶのが見えた。自分たちには届かない、別次元の競り合い。

 

 だが、シンボリルドルフだけは違った。

 

 彼女は、笑っていた。

 

 顔を歪め、獲物を捉える狂気に満ちた「歓喜の凶相」を浮かべながら、シンボリルドルフはさらなる加速を開始する。

 マルゼンスキーと同等、いや、ほんのわずかにそれを上回る異常な脚色。

 

『信じられない! まだ伸びる! 両者まだ伸びる!!』

 

 じりじりと、その差が再び縮まっていく。

 

 逃げる怪物と、追う皇帝。

 

 二人の瞳に宿るのは、自分をここまで追い込んでくれた「唯一無二の相手」への、歪んだ愛にも似た情念だ。

 

『最強の走りだ! 最強の競り合いだ! 世界の頂点で、日本の、世界の最強が火花を散らす!!』

 

 残り一〇メートル、五メートル、一メートル……。

 

 二人の鼻面が、完全に並んだ状態でゴール板を駆け抜けた。

 

『どっちだ!? どっちだーーー!!』

 

 会場を揺るがす絶叫。十万人の興奮が沸点を超え、爆発する。

 私は、その喧騒から切り離されたかのように、ゆっくりと目を閉じた。

 

 脳内で、今の瞬間の映像を『精察』の応用で再生する。

 フレーム単位。いや、もっと細かな、肉眼では捉えきれない世界の断片。

 

 踏み込んだ爪先の位置。

 突き出された鼻先の数ミリ。

 

 私は目を開けることなく、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「……おめでとう、マルゼンスキー」

 

 瞬間。

 電光掲示板の一着欄に、『8(マルゼンスキー)』の番号が点灯した。

 

 ハナ差。

 

 わずか数センチの差が、世界最強の序列を刻んだ。

 

 さきほどの会場を揺るがす絶叫を超えるほどの熱狂が、響き渡る。

 観客のほとんどが、その戦いの結果に興奮していた。

 

 だが。

 

「はは……ははは……ミークちゃん、あれに挑むんだ……」

 

 ウラカワさんが、茫然自失といった様子で呟く。

 ウマ娘視点、少なからずレースに出た経験を持つウマ娘であれば、あれがどれだけとてつもないレースだったか理解できる、理解できてしまう。

 

「勝てますかね……あの二人に……」

 

 他のスタッフがウラカワさんと同じような様子で、縋るように見つめてくる。

 自らが挑むわけでもないのに、声が震え、手が震えている。

 なまじ実力のあるウマ娘ほど、先ほどのレースは、神話の戦いのような光景に見えてしまったのだろう。

 

「勝てますよ、ミークなら……私が、勝たせます」

 

 私はミークの髪を撫でながら、なるべく、何でもないことのように口にする。

 

 最も、それが可能かと自身に問うのであれば……自分でも驚くくらい確信が持てない。

 私という世界のシステムに干渉できてしまう存在ですら、負けるという可能性が頭をよぎる。

 

 それほどに、あの二人は圧倒的だ。

 

 だが。

 

 走り終えた二人をじっと見ていたミークが、呼吸をするのを忘れていたかのように、深く、長く息を吐く。

 その瞳には、かつてないほど激しい火が灯っている。

 

 ミークは、あれを見てなお、闘志を失っていない。

 世界最高峰のウマ娘たちですら、膝をつくあのレースを見て、なお。

 

 無意識に口角がつり上がる。

 

 神座の皇帝と機関の怪物(スーパーカー)が演じた、神話の如き共演。

 あれはまるで、ハッピーミークのG1初挑戦に捧げられた前奏曲だ。

 

 ははっ……やはりこの世界(ウマ娘のレース)はあまりにすばらしく、そして、あまりに美しい。

 

 どんな罪を背負ってでもなお……挑む価値があるほどに。

 

 

 

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