白毛のミークと俺 作:BT
私はハッピーミーク。
中央トレセン学園所属のウマ娘。
好きなものはくらげ、ふわふわ、かわいい。
この前トレーナーさんに連れて行ってもらった水族館、楽しかった。
あと、ゆっくり動くものも好き、のそのそ。
授業で中庭を移動してたら、カメさんを見つけた。
のんびりひなたぼっこしてる、かわいい。
カメさんを見てると、なにか聞こえてきた。
なんでも私がG1のレースに勝たないと、私のトレーナーさんは、トレセン学園を解雇されるらしい。
わざと聞こえるように、誰かがそう言っているのが聞こえた。
解雇、つまりそれは、私が勝たなければ、トレーナーさんが私の前からいなくなる。
……それは、とても嫌だ。
胸の奥が、ずん、と重くなる。
この感じは「不安」、昔はいつも感じていた気持ち。
いつも側にいてくれる同級生――サポートスタッフの娘が、キッと、今の言葉を投げた人を睨みつける。
相手はウマ娘ではない大人、誰かは知らない、すぐにどうでもよくなった。
そんなことより、私は、トレーナーさんに会いたい。
私は、速くなった。
選抜レースで一度も勝てなかった頃の私じゃない。
たくさんチームの入部テストに全部落ちた頃の私じゃない。
誰にもスカウトしてもらえなかった頃の私じゃない。
自分でもはっきりとわかる。
以前の私とは、別の生き物になったみたいに、速い。
トレーナーさんのおかげ。
私のトレーナーさん、水野銀次さん。
いつも黒いスーツを着て、シュッとしている、背の高い男の人。
人間さんにはどこか冷たい感じなのに、私……というより、ウマ娘と話すときだけは、優しい表情をしてくれる。
舐めると少ししょっぱくて、優しい味がする人。
あといつも甘いにおいがする人。
理由は凄く甘党で、よくお砂糖とか御菓子を食べているから。
あと、トレーナーさんは夜が似合う。
理由はわからないけど、怖いのに優しいところが似てる。
……あの夜のことを思い出す。
私の夢を、笑わなかった人。
私の素質を、誰よりも信じてくれた人。
私を、強いウマ娘にしてくれた人。
私のことが、大好きな人。
……これは、多分だけど。
学園では、トレーナーさんの悪い噂も良い噂も、たくさん流れている。
その中で、一つだけ印象に残っている噂がある。
トレーナーさんは、『魔法使いさん』なんだって。
ふらっとあらわれて、悩んでるウマ娘を助けては、ふらっと消えるらしい。
プライベートや走り方の悩みを解決してくれたり、怪我を見つけてくれたり、治してくれることもあったりするって聞いた。
多分、それは噂じゃない、本当のことだと思う。
私はいつも、練習の前にも後にも、魔法をかけてもらっている。
トレーナーさんは、私の足を優しく撫でる。
何をされているのかは、私にはわからない。
でも、きっと、とても大事なこと。
だってトレーナーさん、それだけは、たくさんのスタッフさんの誰にもやらせないから。
私と、トレーナーさんだけの、特別な時間。
きっとあれは魔法。
じゃないと、私があんなに速く走れるようにならないと思う。
トレーナーさんにそう言ったら、きっと否定すると思うけど。
私が元々凄かったんだって、ちょっと困った顔でそう言いそう。
……トレーナーさんに、会いたい。
机に並んだ教科書も、先生の声も、今はひどく遠い。
授業は、退屈。
早く、終わってほしい。
チャイムが鳴ったら、すぐトレーナーさんのもとに行こう。
トレーニング施設に着いた。
トレーナーさんが作ったらしい、凄くお金がかかってそうな場所。
建物だけじゃなく、たくさんのスタッフさんのお給料とか、そういうのも凄く高そうだと思う。
前にスタッフの人が、トレーナーさんに聞いていたのを耳にした。
トレーナーさんは投資とか、不動産とか……なんか、そういう会社を持っているらしい。
最初は気になったけど、「気にしなくていい」ってトレーナーさんが言ったから、気にしないことに決めた。
でも、賞金がたくさん入ったら。
全部、トレーナーさんに渡そうと思う。
早く会いたくて、歩くのが速くなる。というか、走ってしまう。
後ろから、一緒に来たスタッフの娘が「は、はやい、はやーい」と言いながら追いかけてくる。
施設の建物に入る。
今日はまず、完成した「勝負服」を試着するらしい。
案内された部屋に入ると、トレーナーさんが、力尽きたボクサーみたいになっていた。
いつもの綺麗なスーツがボロボロに破れて、髪の毛もぼさぼさ。
なぜか手や顔に咬まれた痕があって、服の上から咬みつかれたのか、よだれ……? みたいなもので、べちゃべちゃになっている。
でも、なんだか、やり切ったような表情。
よくわからないけれど、ハンカチを出して、トレーナーさんの顔を拭いてあげた。
トレーナーさんは、優しい声で「ありがとう」って言ってくれた。
一緒に来たサポーターの娘が、何があったのか聞く。
勝負服の選定で、ちょっと揉めたらしい。
……ちょっと?
「気にしなくていい」って、またトレーナーさんは言うけれど。
むぅ。
勝負服が、運ばれてきた。
白くて、かわいくて、ちょっとかっこいい。
あと、靴がかわいい。
フランスパン、みたい。
今日はこれを着て、少し走って、それから「ウィニングライブ」の練習をするらしい。
ウィニングライブ。ただのレースじゃない、G1のライブ。
日本中のウマ娘の中で、ほんの一握りしか入れないトレセン学園。
そこでデビューできて、勝ち上がって、やっと走れる重賞レース。
その中でも、一番凄くて、強い娘しか出られないのがG1。
そのライブで、私は「センター」の振り付けを練習する。
1位になった娘だけが立てる、場所。
スタッフさんも、トレーナーさんも、当たり前のように、私がそこに立つ前提で話をしている。
私が負けたら、トレーナーさんは解雇されるのに。
トレーナーさんは、不安じゃない?
怖くないの?
トレーナーさんはあんまり表情が変わらないから、よくわからない。
でも、全然、不安そうには見えなかった。
どうして……?
そんな疑問が、ふと浮かぶ。
でも、すぐにわかった。
ジャパンカップ。
シンボリルドルフさんとマルゼンスキーさん。
すごかった、あのレースに出走した、いろんな場所で一番速いウマ娘たち。
誰も相手にならなかった。
たぶん、あの二人は、世界で一番速いウマ娘たち。
怖かった、けど。
それ以上にどきどきした、わくわくした。
だって、トレーナーさんなら、あの二人に勝てるように私を育ててくれるから。
あんな走りが、私にできるように
トレーナーさんは、私ならそうなれることを信じている。
私が、トレーナーさんを信じているように。
それに私は知っている。
あの夜、トレーナーさんは言ってくれた。
私は凄いウマ娘で、どんなレースも、何回だって勝てるって。
当たり前のように。当然のように。そう決まっている、みたいに。
……トレーナーさんを、ギュッとしたくなった。
だから、ギュッとした。
トレーナーさんの、甘いにおい。
耳を澄ますと、ドクドクしてる心臓の音が聞こえる。
だから、わかった。
私は、
G1レース『朝日杯フューチュリティステークス』。
誰よりも速く駆け抜けて、センターに立つ。
トレーナーさんと私の夢を、叶えるために。
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視界が、白く滲む。
全力で風を切る音だけが、耳元で鳴り響いている。
阪神、芝、1600メートル。右・外回り。
トレーナーさんが教えてくれた、コースのデータが頭の中で静かに回る。
スタートから最初のコーナーまで、470m。
ターフを蹴るたびに、身体がふわりと浮くような感覚。
足はちっとも重くない。
呼吸も、苦しくない。
トレーナーさんの魔法は、まだ解けていない。
『ハッピーミーク独走か!? ぐんぐんぐんぐん差が開く、差が開く!!』
実況の人の叫び声が、遠くの方で聞こえる。
あれ……私は今、どこを走っているんだろう?
『ハッピーミーク! リードを保ったまま三コーナーから四コーナーに入ります!』
あ、実況の人が教えてくれた。
第三コーナーから第四コーナー。
つまり800メートルくらいのところを今走ってる。
あともう半分。
前には、誰もいない。
横にも、誰もいない。
ただ、冷たくて気持ちのいい風が、私の頬を撫でて通り過ぎていくだけ。
『後ろからはなんにも来ない!! 後ろからなんにも来ない!! 七番が二番手に上がってきたが、先頭は依然としてハッピーミーク!!』
後ろにも、誰もいない。
あの日、誰もいない夜のステージで踊っていた時と同じ。
でも、今は寂しくない。
ゴールの向こうで、あの人が待っていると知っているから。
景色が、後ろに飛んでいく。
光の速さになったみたいな気分。
『これは強い強い強い!? これは強い!! これは強い!!』
実況の人の叫びが、空気を震わせている。
会場にいる何万人の視線が、私に突き刺さっているのがわかる。
みんな、驚いている。私がこんなに速いことが、信じられないみたい。
でも、私にとっては当たり前のこと。
練習通りに、走ってるだけ。
一歩ごとに地面を掴む感覚、筋肉が爆発するように連動して、私を前へ、前へと押し出す。
トレーナーさんが育ててくれた私の身体が、今、最高の音を奏でている。
体の中は、燃えるように熱い。
でも、頭の中は、夜の湖みたいに静かだった。
『白のウマ娘がただ一人!! ゴールに向かう! ゴールに向かう!』
私の視界には、誰もいない。
あるのは、どこまでも続く緑の絨毯と、高い空。
そして、真っ直ぐなコースだけ。
私の髪と尾は今、風に舞ってたなびいている。
それはきっと、あの暗いステージで踊ってたときより、今、この瞬間の方がずっと綺麗。
トレーナーさんがつくってくれた勝負服を着て走っているから。
トレーナーさん。
今、行くから。
ゴールで待っている、あなたのところへ。
あと少し。
あと、一歩。
ゴールラインを駆け抜ける。
『ハッピーミーク1着でゴーーーール! ハッピーミーク、大楽勝!!』
速度を落としながら、ゆっくりと深く息を吐いた。
勝ったんだ。
会場の空気が、なんだか変。
みんなが、何が起きたのかわからなくて、戸惑っているみたい。
『そして二着には七番!! いやー、おそれいった、おそれいりました!』
しばらくして掲示板がともる。
光る文字で「大差」って浮かんでるのが目立ってた。
「信じられねえ、マイルで大差勝ちかよ……」
「メイクデビュー戦とかなら着差がひらくのもわかるが……これG1だぞ……」
「おいおい……とんでもないウマ娘が出てきたな」
ざわざわとした声が、地鳴りのように聞こえてくる。
私は足を止めて、人混みの中を探した。
黒いスーツ。
シュッとしていて、背の高い人。
見つけた。
最前列で、私だけを見ている。
いつもの冷たい表情だけど、私と目が合った瞬間、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
よかった。
これでトレーナーさんは、どこにも行かない。
私はトレーナーさんに向かって、右手を上げた。
指を二本、立てる。
「……ぶい」
届かないかもしれないけど、声に出して言ってみた。
私の
拍手と歓声が、遅れて降ってきた。